栃木県足利市に鎮座する「足利伊勢神社」に参拝してきました。
旧村社になります。
足利市の中心部に神社はありました。
最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。
徒歩では、数分といったところです。
駐車場は、境内の左側にありました。
自動車は、10台位は停められそうです。
こちらの神社の由緒は以下の通りになります。
「当神社は、古来、足利庄伊勢宮として、皇祖天照皇大神を奉斎して鎮祭され、足利氏の累代をはじめ、衆庶の人々が連綿と尊崇したといわれ、それは平安時代の中頃(1150年代)の創建と伝えられる。
引化二年(1845年)に社殿を復興造営して、以来明治十四年(1881年)、全三十九年に社殿の再興(当時東町)を行い、大正二年(1913年)には足利町民が挙って、伊勢神宮御用材のお木曳行事を盛大に斎行して、御社殿などを造営した。
しかし乍ら、全十四年に町の大火により境内の社殿のほか殆どが鳥有に帰した。
その後当宮を永遠に奉斎して、神ながらの本姿をねがう氏子崇敬者の熱誠と奉賛とによって、伊勢神宮の御正殿に倣い、端麗にして簡潔、重厚にして単純さを表す神明造りの建築様式で現在地に御社殿・鳥居・社務所等の諸建造物を新築し、昭和四年(1929年)に竣工、本殿遷座祭を斎行した。
御社名を伊勢神社と改称、村社に列していよいよ御神徳の宣場、社頭の隆昌を期して現在に至った。
今なお美わしき郷土の守護神として、広大無辺な御神徳を蒙り、足利のお伊勢さまとして親しまれている。」
3月23日に参拝してきました。久しぶりの参拝です。
境内の左側にある伊勢会館は無くなっていました。
新築工事をしているのでしょうか?
一の鳥居になります。
その隣には社標がありました。
正式には「足利伊勢宮」なんでしょうか?
看板もありました。
足利伊勢神社の説明板になります。
ふむふむ。
手水舎になります。
口と手を漱いで、参拝です。
こちらの神社には、本家の伊勢神宮同様に内宮と外宮がありました。
こちらが内宮になります。
お参りです。
(´人`)続きを読む
旧村社になります。
足利市の中心部に神社はありました。
最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。
徒歩では、数分といったところです。
駐車場は、境内の左側にありました。
自動車は、10台位は停められそうです。
こちらの神社の由緒は以下の通りになります。
「当神社は、古来、足利庄伊勢宮として、皇祖天照皇大神を奉斎して鎮祭され、足利氏の累代をはじめ、衆庶の人々が連綿と尊崇したといわれ、それは平安時代の中頃(1150年代)の創建と伝えられる。
引化二年(1845年)に社殿を復興造営して、以来明治十四年(1881年)、全三十九年に社殿の再興(当時東町)を行い、大正二年(1913年)には足利町民が挙って、伊勢神宮御用材のお木曳行事を盛大に斎行して、御社殿などを造営した。
しかし乍ら、全十四年に町の大火により境内の社殿のほか殆どが鳥有に帰した。
その後当宮を永遠に奉斎して、神ながらの本姿をねがう氏子崇敬者の熱誠と奉賛とによって、伊勢神宮の御正殿に倣い、端麗にして簡潔、重厚にして単純さを表す神明造りの建築様式で現在地に御社殿・鳥居・社務所等の諸建造物を新築し、昭和四年(1929年)に竣工、本殿遷座祭を斎行した。
御社名を伊勢神社と改称、村社に列していよいよ御神徳の宣場、社頭の隆昌を期して現在に至った。
今なお美わしき郷土の守護神として、広大無辺な御神徳を蒙り、足利のお伊勢さまとして親しまれている。」
3月23日に参拝してきました。久しぶりの参拝です。
境内の左側にある伊勢会館は無くなっていました。
新築工事をしているのでしょうか?
一の鳥居になります。
その隣には社標がありました。
正式には「足利伊勢宮」なんでしょうか?
看板もありました。
足利伊勢神社の説明板になります。
ふむふむ。
手水舎になります。
口と手を漱いで、参拝です。
こちらの神社には、本家の伊勢神宮同様に内宮と外宮がありました。
こちらが内宮になります。
お参りです。
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