まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

坂東三十三観音霊場

巌殿観音正法寺 叶念珠&授与品&御朱印帳(坂東霊場の札所、埼玉県東松山市岩殿)5

 先日埼玉県東松山市にある真言宗智山派の名刹「巌殿観音正法寺」にて「叶念珠(かなうねんじゅ)」という授与品を頂きました。1,000円の御布施になります。
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 天然水晶玉を使っているそうで、以下の願いを込めて祈祷をされているそうです。
「必勝合格・就職成就・身体健全・病平癒・交通安全・家内円満・厄難消除・心願成就」

 叶念珠の他に御守り(500円〜)や御札(四種類、各1,000円)といった授与品はありました。
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 私は子年生まれなので、守り本尊は「千手観音」になるので、こちらのお寺の授与品は頂きたかったです。
 千手観音守護御守り(一体700円)、学業成就・心願成就御守り(一体700円)、受験合格御守り(一方500円)、必勝祈願勝守(一体500円)、ペット御守り(一体700円)、交通安全御守り(一体1,000円)、安産御守り(一体500円)、本水晶パワー御守り(一体1,200円)、開運招福わらじ御守り(一体500円)、身代災難除矢羽御守り(一体500円)、開運厄除あじさい御守り(一体500円)、絵馬(一体1,000円)等々ありました。

 坂東三十三観音霊場の専用納経帳(1,100円or1,700円)、汎用の御朱印帳もありました。
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 桜柄の御朱印帳は1,700円です。次回参拝したときは頂きたいなぁと思います。無地の汎用御朱印帳は1,500円です。





寺院名:巌殿山 修善院 正法寺
所在地:埼玉県東松山岩殿1229番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:阿弥陀如来
通 称:巌殿観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十番札所
    関東百八地蔵尊霊場 十三番札所
    武州八十八ヶ所 三十一番札所
    七観音霊場 千手観音
御詠歌:後の世の道を比企見の観世音 この世を共にたすけ給へや

巌殿観音正法寺 中武蔵薬師霊場の御朱印(埼玉県東松山市岩殿)5

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 埼玉県東松山市にお寺はありました。

 最寄り駅は、東武東上線「高坂駅」になります。徒歩では1時間位かかるそうですが、高坂駅西口より川越観光バス「鳩山ニュータウン」行に乗車、「大東文化大学」にて下車して、お寺までは徒歩で約10分位かかるそうです。

 お寺専用の駐車場は、門前にありました。自動車は5〜6台位は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(雄山閣出版刊『日本名刹大事典』による)。
「真言宗智山派、岩殿山、修善院。別称は岩殿寺、通称は岩殿観音。坂東三十三観音霊場の十番札所。本尊は千手観音。もと観音堂の別当寺。
 『巌殿山千手観世音来由緒記』によれば、養老二年(718)沙門逸海が岩殿山の岩窟に観音を安置し、傍らに正法庵を結んだのが開創で、後に坂上田村麻呂が奥州征討の途次に比企山の悪竜を千手観音の霊験で退治し桓武天皇十五年に伽藍を建立した。暫くして堂舎は零落したが、正治二年(1200)源頼朝の志をついだ平政子が再興し、左衛門督入道を別当に任じたと伝える。古くは比叡山末の寺院で、堂塔のほかに多数の坊舎を擁する大寺であったらしい。しかし、天文頃から勝呂大智寺(現坂戸市)が別当正法寺を兼務し真言宗に改めた。永禄年中に戦乱で諸堂を失ったが、天正二年(1574)までに大智寺俊遍の弟子栄俊が護摩堂などの伽藍を復興して正法寺の中興開山となり、真言法流無量寿院流(松橋流)を汲む寺院として再興され一山内の支配権を確立した。天正十九年(1591)11月、徳川家康から観音堂領二十五石を寄進された。
 寛政七年(1795)『新義真言宗本末帳』によれば本寺醍醐寺無量寿院、門徒六ヶ寺。
 年中行事に、田村麻呂の悪竜退治に因む7月1日の『けつあぶり』がある。
 六面幢は県文化財。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「埼玉県東松山市岩殿1229。巌殿山と号し、岩殿観音の通称がある。真言宗智山派。坂東十番霊場。
 養老二年(718)沙門逸海が正法庵という草庵をこの地に結んだのが始まりという。また役行者が開いた修験の寺ともされる。坂上田村麻呂が奥州進攻の途上、この地の悪竜を退治し、桓武天皇の勅によって伽藍が造営された。その後北条政子が再興したとも言われる。明治十一年(1878)に災害にあったが再建されて現在に至る。
 この付近では毎年7月1日に近郊の人々が小麦のまんじゅうを食べ、小麦ガラを焼いて家族がお尻をあぶる風習がある。これは田村麻呂は始め悪竜をみつけることができなかったが、千手観音へ加護を祈ったところ真夏というのに大雪が降った。雪を嫌う悪竜がみずからの隠れ場所の雪を溶かしてしまったので、田村麻呂は容易に悪竜を見つけ、ついに退治をしたのであると。まんじゅうは軍兵の食糧、尻をあぶるのは彼らが寒さをしのいだ故事によるという。
 所蔵の明版大蔵経は貴重な文化財でもある。
 本尊千手観音像は毘首羯磨の作という。毘首羯磨は本来は古代インド神話上の工巧神である。
 御詠歌は
  後の世のみちを比企見の観世音
   この世を共に助けたまえや」


 東松山市のインターチェンジから東に行った場所に寺院はありました。大東文化大学東松山キャンパスが目印になります。

 山門になります。
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 登っていきます。
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 「坂東十番霊場」と刻まれた石標になります。
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 境内は山の中にあるといった感じで、鳥のさえずりが聞こえ、森林浴になります。

 地蔵菩薩と遍路大師です。
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 境内には元亨二年(1322年)鋳造の銅鐘がある鐘楼堂がありました。
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 埼玉県指定文化財になっています。

 鐘楼堂からの眺めです。
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 観音堂へ向かう途中に薬師堂と地蔵堂があります。

 薬師堂になります。
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 薬師如来が本尊になり、中武蔵薬師霊場の札所本尊になります。

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 地蔵堂になります。
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 こちらは関東百八地蔵尊霊場の札所本尊になります。

 観音堂になります。
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 手水舎になります。
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 御朱印は、本堂の右側にある「庫裡」で頂けました。「千手観音(坂東霊場・七観音霊場)」と「地蔵菩薩(関東百八地蔵尊霊場)」、「薬師如来(中武蔵薬師霊場)」の4種類があります。御朱印代は各300円でした。お地蔵様・お薬師様の御朱印は、汎用の御朱印帳でも頂けます。
 
 御守り(500円〜)や御札(四種類、各1,000円)といった授与品はありました。叶念珠を一体頂きました。
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 坂東の公式納経帳(1,100円or1,700円)、寺院名の金箔が押されたオリジナル御朱印帳?が二種類(1,500円or1,700円)がありました。




寺院名:巌殿山 修善院 正法寺
所在地:埼玉県東松山岩殿1229番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:阿弥陀如来
通 称:巌殿観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十番札所
    関東百八地蔵尊霊場 十三番札所
    武州八十八ヶ所 三十一番札所
    七観音霊場 千手観音
御詠歌:後の世の道を比企見の観世音 この世を共にたすけ給へや

吉見観音安楽寺 彩の国武州十二支霊場の御朱印(埼玉県比企郡吉見町御所)5

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 埼玉県東松山市の隣の比企郡吉見町に寺院はありました。

 参道の入り口に駐車場はありました。自動車は10台位は停められそうです。

 最寄り駅は、東武東上線「東松山駅」になりますが、徒歩で吉見観音まで行くのは無理そうなので、できれば自動車で行かれた方が宜しいかと思われます。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県比企郡吉見町御所にある真言宗智山派の寺院。岩殿山。光明院。坂東三十三か所十一番札所。通称吉見観音。
 本尊は行基作と伝える聖観音。観音堂は坂上田村麻呂開基と伝えるが未詳。
 果鏡が江戸初期に中興し、三重塔・護摩堂などを再建したといわれる。
 江戸期には本尊は大日如来で、古来信仰を集めた観音堂を護持することにより発展したといわれる。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「埼玉県比企郡吉見町御所374。岩殿山と号し、吉見観音の通称がある。真言宗智山派。坂東三十三ヶ所第十一番札所。
 慈光寺・正法寺(板東九、十番)とともに比企三山と呼ばれる。
 近くには有名な吉見百穴の古代横穴古墳群がある。
 行基自刻の観音像を得たこの地の豪族吉見氏による開創の伝、また坂上田村麻呂が奥州進攻の途上、この地の岩窟からもれ出る光を怪しみ、その光が窟内の観音像から発すると知るや、直ちに伽藍を建立したのであるとの伝もある。
 源頼朝の弟、範頼が稚児僧としてこの寺に隠れ住み、頼朝挙兵に従った功により、この地の領主となった時には所領の半分を寄進して、寺院も大いに栄えた。範頼の死後に一時廃絶し、現在の三重塔は寛永年間(1624〜1644)の建立。
 本尊は聖観音。
 御詠歌は、
  吉見よと天の岩を押し開き
   大慈大悲の誓いたのもし」


山門になります。
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 境内は本堂の他に「吉見大仏」という阿弥陀如来坐像がありました。
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 鎮守社の山王社になります。
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 真言宗なのに山王社なのは不思議です。

 地蔵菩薩坐像です。
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 本堂になります。
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 こちらの寺院は「坂東三十三観音霊場十一番札所」になり、「吉見観音」の名で知られているお寺になります。坂東以外は「関東八十八ヶ所」、「東国花の寺百ヶ寺」の札所でもあります。
 埼玉県内にある坂東の札所の慈光寺・巌殿観音とともに「比企三山」と呼ばれています。

 本堂内には大黒天像がありました。とても福々しい笑顔でした。

 御朱印は本堂の左側にある「納経所兼授与所」で頂きました。今回は彩の国武州十二支霊場の大日如来の御朱印を頂きました。御朱印というか御緑印というか・・・
 御朱印代は300円でした。

 各種御守りや各種御札といった授与品はありました。

 こちらのお寺から東松山市の「箭弓稲荷神社」までは、自動車で15分位かと思われます。

 参道には厄除団子を売るお店「どびんや」がありました。厄除団子をおいしく頂きました。隣には食事がとれるスペースがあり、天ざるうどんや定食等がありました。






寺院名:岩殿山 光明院 安楽寺
所在地:埼玉県比企郡吉見町御所374番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:聖観音
通 称:吉見観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十一番札所
    関東八十八ヶ所 七十五番札所
    彩の国武州十二支霊場 申年守護
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:吉見よと天の岩戸を押し開き 大慈大悲の誓いたのもし

雨引山阿弥陀院楽法寺 坂東札所(茨城県桜川市本木)5

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 茨城県桜川市の中でも旧真壁郡大和村に寺院はありました。

 最寄り駅は、JR水戸線「岩瀬駅」になります。お寺の前までバスが出ているそうです。

 お寺専用の駐車場はありました。自動車はかなりの台数は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【楽法寺】
 茨城県真壁郡大和村にある真言宗豊山派の寺院。雨引山。本尊は延命観音。通称雨引観音。
 用明天皇の時代に開創と伝えられ、江戸期には朱印寺領百五十石が与えられ、徳川家康の祈願寺となっている。
 安産子育ての観音様として北関東を中心に信仰を集める。
 坂東三十三観音の二十四番札所。

【雨引観音】
 茨城県真壁郡大和村本木の楽法寺の本尊。この寺は坂東三十三観音霊場の二十四番札所。
 観音菩薩像は、平安前期の作と伝えられ、鎌倉時代の作である前立像とともに国指定重要文化財であり。安産に霊験あらたかな観音として知られている。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「【楽法寺】
 茨城県真壁郡大和村本木1。雨引山と号し、雨引観音の名でも呼ばれる。真言宗豊山派。坂東三十三ヶ所第二十四番霊場である。
 用明天皇のころ、梁(中国)から法輪独守居士(楽法居士とも)が本尊を捧持して来日し、この地に一寺を開いたという。推古天皇の病気平癒に霊験があった勅願寺に定められ、また光明皇后の安産祈願にも修法が行われたことから、今日でも多くの信者が安産子育ての御守りを求めに訪れる。江戸時代には金運が授かるとされ、多くの江戸商人の信仰を集めた。これは明暦年間(1655〜1658)に紀ノ国屋文左衛門が商売繁昌と海上安全を祈願したことに始まる。
 本尊延命観音像(重文)は弘仁時代(815ごろ)の造立。他に貴重な寺宝を数多く伝える。
 雨引山の由来には諸説ある。開山独守居士が観音の名号を唱えると天から『善哉(よきかな)』の声があったので天彦(あまびこ)山というようになり、後に降雨の霊験があったので天引山と改称されたという。また嵯峨帝のころ、祈雨(雨乞い)の秘法が修されて雨引山とされたともいう。
 御詠歌は、
  へだてなき誓いをたれも仰ぐべし
   仏の道にあまびきの寺」


 「雨引観音」として知られている寺院になります。本尊は延命観音になります。

 山門になります。
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 地蔵堂がありました。
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 境内に入ると本堂がありました。
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 本堂には本尊である延命観世音菩薩が祀られています。
 丁度祈祷が行われていました。

 境内には孔雀が放し飼いにされてました(・ω・) 動物園でしょうか?

 多宝塔がありました。
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 また、東照宮がありました。
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 御朱印は、授与所で頂きました。御朱印代は300円です。

 授与所横からの眺めです。
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 筑波山と関東平野が眺められます。






寺院名:雨引山 阿弥陀院 楽法寺
所在地:茨城県桜川市本木1番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:延命観音
通 称:雨引観音
札所等:坂東三十三観音霊場 二十四番札所
    関東八十八ヶ所 特別霊場
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:へだてなき 誓をたれも 仰ぐべし 佛の道に 雨引の寺

華林山最上院慈恩寺 坂東札所(埼玉県さいたま市岩槻区)5

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 埼玉県さいたま市の旧岩槻市に寺院はありました。

 寺院専用の駐車場はありました。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県岩槻市大字慈恩寺にある天台宗の寺院。華林山最上院。本尊は十一面観音。
 天長年間(824〜834)円仁の開山。近世には東照宮の位牌を安置し、藩主阿部正春が仏供料二十九石四斗九升余を寄進。朱印寺領百石。
 昭和十七年(1942)西安大慈恩寺に因み玄奘霊骨奉安。
 坂東三十三か所十二番。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「埼玉県岩槻市慈恩寺139。華林山と号す。天台宗。坂東三十三ヶ所第十二番札所であり。
 天長元年(824)慈覚大師の開創になる。慈覚大師が仏法の東国弘通を祈念しつつ日光山から一個の李(すもも)を空中に投げると、李はこの地に至って一夜のうちに大木に育ったという。
 寺名は慈覚大師が留学した唐の都長安にあった慈恩寺の名に由来する。
 本尊千手観音像は慈覚大師自刻の霊像であったが惜しくも焼失、現本尊は江戸時代初期に天海僧正が比叡山より将来安置したものである。このころには坂東諸霊場中、屈指の規模を誇った。
 近くの丘には玄奘三蔵の霊骨塔がある。御影石の十三重塔には三蔵法師の真骨が奉安されている。これは第二次大戦中に日本軍が南京から持ち返ったものである。
 寺宝の十二天画像は江戸城本丸の地鎮祭に使用された。
 御詠歌は、
  慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや
   うかぶ夏島を 見るにつけても」


 飛び地の境内には西遊記の三蔵法師で知られている玄奘の遺骨が分骨をされ、十三重塔が建立されています。

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 境内の藤棚は、もう見頃は過ぎていました。
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 手水舎です。
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 鐘楼堂です。
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 香炉。
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 本堂になります。
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 御朱印は、境内の右側にある納経所で頂きました。御朱印代は300円です。




寺院名:華林山 最上院 慈恩寺
所在地:埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139番地
宗 派:天台宗
本 尊:千手観世音菩薩
通 称:慈恩寺観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十二番札所
御詠歌:慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや うかぶ夏島を 見るにつけても
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「社寺参詣道 代表師範」になります。

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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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