神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

北関東三十六不動尊霊場

海王山 善福寺 金剛院(群馬県沼田市坊新田町)5

[画像:7e8c3d5a-s.jpg]

 群馬県沼田市の沼田市役所からさほど遠くない所に寺院はありました。

 最寄り駅は、JR上越線「沼田駅」になります。

 お寺専用の駐車場は、山門前にありました。自動車は数十台位は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(雄山閣出版刊『日本名刹大事典』による)。
「天台宗、海王山、善福寺。本尊は阿弥陀如来。
 開創は、明徳・応永の頃(1390〜1427)。開山は天海と伝える。開基は沼田五郎景次。当寺はもと利根郡久呂保村にあり、赤城山の別当職(赤城山金剛院と呼んだ)であったが、のち兵火で焼失した。明徳の頃、沼田上野介景繁の三男景次は上洛し、愛宕山威徳院の別当に立身し、帰国後当寺を中興した。寛正年中(1460〜1465)沼田氏の帰依を受け、元和元年(1615)真田氏より当寺を与えられ移転した。元和六年・明和八年に焼失している。
 『江戸幕府寺院本末帳集成』によると東叡山の末寺で、寺中一か寺(廃寺)、末寺一か寺、門徒二か寺とあり、朱印地はない。」


 北関東三十六不動尊霊場二番札所になります。
 以前参拝したとき、名誉住職と住職が二人とも今京都に修行へ行ってしまい、残念ながら御朱印は頂けませんでした。

 山門になります。
[画像:7478976d-s.jpg]

 鐘楼堂になります。
[画像:1410d9bb-s.jpg]

 木久翁師匠の奉納の地蔵菩薩なのかな?
[画像:3c4c3b62-s.jpg]

 本堂になります。
[画像:79f36944-s.jpg]

 御朱印を頂こうと寺務所へ行くと同じく北関東三十六不動尊霊場を巡拝するオジサン達一行にありました。御朱印代は300円でした。御御影が一体頂けました。






寺院名:海王山 善福寺 金剛院
所在地:群馬県沼田市坊新田町1108番地
宗 派:天台宗
本 尊:阿弥陀如来
札所等:北関東三十六不動尊霊場 二番札所
御詠歌:金剛の 玉と栄ゆる 大御代に なほさかえます 松の寿
URL:http://www.kongoin.com/

成田山高崎分院光徳寺 身代御守(群馬県高崎市成田町)5

image

 群馬県高崎市にある「成田山高崎分院光徳寺(高崎成田山)」にて「身代御守」を一体頂きました。700円になります。
 真言宗智山派大本山「成田山新勝寺」の分院なので、やはり私の頂いた身代御守や勝守がありました。
image

image

 御札もありましたが、いくらなのかは分かりませんでした。聞いてくればよかったです。

 本堂は二階ですが、1階の寺務所で頂けます。本堂がある建物に向かって右側から入っていきます。「成田山高崎分院」と貼り紙があり、その傍にあるインターホンを押してください。後ろから声をかけられるので、声をかけられたら振り返って下さい。

 御朱印はあしました。汎用の御朱印帳にも頂けます。




寺院名:成田山 高崎分院 光徳寺
所在地:群馬県高崎市成田町23番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:大日如来 不動三尊
通 称:高崎成田山
札所等:北関東三十六不動尊霊場 五番札所
御詠歌:光徳寺 うごかずの尊 とこしえに くにの平和と じゆう護らん

室田之瀧不動尊 大福寺(群馬県高崎市中室田)5

image

 高崎市を北部、中室田地区にお寺はありました。

 国道406号線沿いにお寺はありました。しかし、国道からは直接は入れません。
image

 ↑看板を目印にしてください。この看板から舗装されていない道を進むとお寺はあります。

 駐車場はありました。

 こちらは薬師堂になります。
image

 薬師如来が本尊になります。

 こちらが不動堂になります。
image

 室田之瀧不動尊が祀られています。北関東三十六不動尊霊場の札所本尊になります。

 こちらが授与所になります。
image

 おみくじや御守りがありますが、閉まっています。寺務所に声をかけて下さい。

 御朱印は、寺務所で頂けました。御朱印代は300円でした。






寺院名:秀厳山 龍水院 大福寺
所在地:群馬県高崎市中室田町5558
宗 派:天台宗
本 尊:大聖不動明王
通 称:室田之滝不動尊
札所等:北関東三十六不動尊霊場 三番札所
御詠歌:人びとを 救いて守る 明王の 榛名の山も 近くなりけり

赤岩山地蔵院光恩寺 再拝(群馬県邑楽郡千代田町)5

image

 千代田町の南部、利根川に近いところにお寺はありました。

 お寺専用の駐車場はありました。自動車は、数十台は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊「ぐんまのお寺 真言宗機廚茲螳貮抜粋)。
「寺伝によると、『人皇二十一代雄略帝、穴穂宮のために勅して、全国に九箇の伽藍を建立した、その内の一つにはじまるという。推古天皇十一年(603)秦河勝を使として佛舎利三粒を納め、同三十三年(625)高麗の僧恵灌が来住、嵯峨天皇御宇、弘仁五年(814)弘法大師に賜り、永く真言の道場としたことにより、弘法大師を開基とした。
 醍醐天皇の御宇、昌泰年中(898〜901)大臣菅丞参詣金泥紺紙に佛説海龍王教一巻を書写し納める。一條天皇御宇、長保暦中(999〜1004)金岡相模法眼当院に参詣し釈迦千佛を納める。高倉天皇(1168〜1180)御宇運慶巧匠当院に参詣し地蔵を彫刻し納める。後鳥羽天皇(1185〜1198)御宇陸奥国鎮守府将軍藤原入道秀衡、阿弥陀三尊を彫刻し当院に安置、これが境内の阿弥陀堂の本尊である。
 天正十八年(1590)榊原康政の為に寺領を没収される。
 文政十三年(1830)閏三月、庫裏・仁王等悉く雷火に罹り、天保年間(1830〜1844)伽藍・僧舎を再営する。また、慶応二年(1866)11月、境内堂宇・境外堂山建物いっさいがっさい灰塵(かいじん)となる。明治元年、御朱印奉還する。……縁起の意を案ずるに、弘仁巳(813)ー元亨(1321〜1324)の間は、寺家内外僧別院十六末寺三千余とした。爾来(じらい)、漸々哀禿天下騒乱の為門末巨多分離した。宝永の頃は、僅かに七十六ヶ寺となる。明治維新の際は四十六ヶ寺を余すと言えども、同六年に至り無縁無檀の寺院を廃止し現在の末寺二十六寺となる。(中略)』
 寺は、慶応二年十一月に廃墟となり、これまでの壮麗さは失ってしまったが、有縁の浄財により、明治二十六年(1893)、現況のように見事に復活した。
(後略)」


 山門になります。
image

 日本で最初の医師免許を持った女性医師「荻野吟子」の家の門を移築してありました。
image

 また、荻野女史の石像がありました。
image

 本堂内では護摩を修していますので、祈祷祈願が受けられるようです。
image

 御朱印を頂く際に堂内に入り、参拝でました。
 堂内の天井には、吉田左源二画伯の竜王の絵が描かれています。とても立派でした。

 御朱印は、「不動明王」・「地蔵菩薩」・「薬師如来」の三種類ありました。御朱印代は、各300円(納経帳)・500円(北関東不動尊霊場納経軸)になります。御御影を一体頂きました。





寺院名:赤岩山 地蔵院 光恩寺
所在地:群馬県邑楽郡千代田町赤岩1041番地
宗 派:高野山真言宗
本 尊:不動明王
通 称:赤岩不動尊
札所等:北関東三十六不動尊霊場 十一番札所
    関東百八地蔵尊霊場 二十一番札所
    関東九十一薬師霊場 四十番札所
御詠歌:はちす葉の 露の垂る木を 白妙の 玉かと磨く 寺づくりかな

成田山高崎分院光徳寺 再拝(群馬県高崎市成田町)5

image

 群馬県高崎市の中心部にあり、成田山新勝寺の高崎分院になる寺院になります。
 
 最寄り駅は、JR両毛線・高崎線・八高線「高崎駅」になります。

 駐車場は、境内にありました。自動車は、数台は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗供戮茲螳貮抜粋。)
「(前略)
 成田山光徳寺・竜宝堂の本山は、千葉県の成田山新勝寺で、新勝寺は成田不動尊と呼ばれ、939年僧寛朝が平将門の乱のときに、高雄の神護寺に祈願し、乱後一宇を建てたもので、元禄年間(1688〜1704)照範が中興し本堂を建て、多くの信者を得るようになったという。
 また、明治初年、中山道高崎宿本町の境屋旅館の館主後藤安五郎は、成田山新勝寺のあつい信者で、烏川〜利根川を舟で半月もかけて参詣を続けていた。
 明治十年(1877)、高崎藩が廃され城跡が陸軍用地となるに及んで、城中西南隅の大河内輝貞の祈願所、威徳寺を買いうけ、当地へ移転し、明治四十年(1907)6月、北甘楽郡一ノ宮町田島村の天台宗施無畏寺へ合併されるまで、千葉県の成田山新勝寺の末寺であった。合併後現在まで、威徳寺の内陣は光徳寺本堂東に建てられており、市指定の重要文化財となっている。
 同四十五年(1912)埼玉県児玉郡児玉町より現在の光徳寺を現在地へ移転したという(名目のみとか)。時の住職松本宥海。移転当時、周囲は皆水田、本町二丁目から参道を開削したといわれている。
 『上野国寺院明細帳』によれば、光徳寺の由緒は

 天正十一年(1583)北条ノ臣、八幡城主横地左近将監吉晴ノ建立。開山定栄法印、光徳寺ト号ス。天明三年(1783)類焼ニ罹リ、古書類焼失。同四年担徒ノ寄附ヲ以テ再建ス。
 明治四十五年(1911)2月20日、埼玉県児玉郡児玉町児玉ヨリ移転ス

とあり、さらに『昭和六年(1931)7月、多野郡美里町本動堂新義真言宗智山派医王寺(現存せず)持ノ阿弥陀堂移転合併、境内附属仏堂トセリ』とある。
 阿弥陀堂は、本堂西側に現存するが、移転当時高崎駅近くの大工町から(聖徳)太子堂も移転合併され、大工職の人々からあつく信仰されており、(聖徳)太子堂の名前で親しまれている。
(中略)
 本堂内の本尊は、大日如来・不動明王ならびに矜羯羅童子・制咤迦童子である。
 当寺の檀徒は7戸、信者1,276人と『明細帳』には記載されているが、現在は檀徒らしき者はなく、その時々に参詣に訪れる不特定多数の信者のみで、テレビの普及によってか減少傾向である。
 元来、智山派の寺は祈願所で檀家はなく、葬式もおこなっておらず墓地もない。
 したがって寺の運営財源は、初詣・節分・春秋の大祭・毎月28日の縁日などの参詣者のお賽銭・護摩札などの売上げ、駐車場賃貸料なとの収入によるという。
(後略)」


 高崎市の中心部、周辺は住宅や会社がある場所に「高崎成田山」はあります。といっても、境内はとても静かでした。

 入り口になります。
image

 不動明王が持つ剣がありました。
image

 本堂は2階にあり、階段を登っていきます。
image

 1階は、寺務所兼庫裡になります。

 本堂に向かって左には「太子堂」がありました。
image

 「聖徳太子」が祀られており、建築業関係の方々に信仰があると思われます。

 御朱印は、1階の「庫裡」で頂けます。御朱印代は300円(納経帳)、500円(北関東三十六不動尊霊場専用納経軸)になります。北関東三十六不動尊霊場の御御影は頂けました。

 庫裡には御守りや御札といった授与品がありますので、頂きたい方は申し出てください。
image

 私は「身代御守り(一体700円)」を頂きました。





寺院名:成田山 高崎分院 光徳寺
所在地:群馬県高崎市成田町23番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:大日如来 不動三尊
通 称:高崎成田山
札所等:北関東三十六不動尊霊場 五番札所
御詠歌:光徳寺 うごかずの尊 とこしえに くにの平和と じゆう護らん
記事検索
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
Amazonライブリンク
livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード
カテゴリ別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログトピックス
メッセージ
J-CASTニュース
  • ライブドアブログ