神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

勝守

成田山高崎分院光徳寺 身代御守(群馬県高崎市成田町)5

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 群馬県高崎市にある「成田山高崎分院光徳寺(高崎成田山)」にて「身代御守」を一体頂きました。700円になります。
 真言宗智山派大本山「成田山新勝寺」の分院なので、やはり私の頂いた身代御守や勝守がありました。
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 御札もありましたが、いくらなのかは分かりませんでした。聞いてくればよかったです。

 本堂は二階ですが、1階の寺務所で頂けます。本堂がある建物に向かって右側から入っていきます。「成田山高崎分院」と貼り紙があり、その傍にあるインターホンを押してください。後ろから声をかけられるので、声をかけられたら振り返って下さい。

 御朱印はあしました。汎用の御朱印帳にも頂けます。




寺院名:成田山 高崎分院 光徳寺
所在地:群馬県高崎市成田町23番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:大日如来 不動三尊
通 称:高崎成田山
札所等:北関東三十六不動尊霊場 五番札所
御詠歌:光徳寺 うごかずの尊 とこしえに くにの平和と じゆう護らん

萬松山泉岳寺 赤穂浪士の墓所(東京都港区高輪)5

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 東京都港区高輪にある寺院です。

 最寄り駅は、都営浅草線「泉岳寺駅」になります。A2出口を出て、徒歩で1分位かと思われます。


 こちらの寺院の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京高輪にある曹洞宗の寺院。万松山。本尊は釈迦牟尼仏。
 江戸初期に徳川氏により創建され、同宗江戸三か寺の一つとして宗政を担った。
 浅野家の菩提寺であったため、赤穂浪士の墓所となり今でも参詣者が絶えない。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「東京都港区高輪2‐11‐1。万松山と号す。
 もと関府六ヶ寺、曹洞宗江戸三ヶ寺の一つに数えられ、赤穂浪士の墓があるので東京の名所の一つになっている。
 慶長十七年(1612)に徳川家康が、今川義元の菩提のため門庵宗関を開山として、そと桜田に建てた寺がその後火災にあい、寛永十九年(1642)現在値に移った。かつて福島二本松の城主丹羽家からの布施で、泉岳寺学寮がもうけられ、200人もの学僧の研修の場であった。
 年中行事として、義士法要(2月4日)、義士祭典と宝物展観(4月1日空15日)、および義士祭(12月14日)がある。」


 中門になります。
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 参道にはお土産屋さんがありました。
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 こちらが有名な門です。
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 大石内蔵助の銅像がありました。
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 中に入ると本堂がありました。
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 手前が香炉になります。お線香の良い香りがします。

 忠臣蔵で有名な浅野内匠頭と赤穂浪士の墓所で知られています。
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 墓参ができ、墓参りへ向かう途中に小屋があり、そこでお線香を頂き、赤穂浪士のお墓にお線香をお供えします。
 

 御朱印は、御朱印受付で頂けました。御朱印代はお気持ちになります。

 御守りやお札といった授与品はありました。「勝守」がありましたが、頂いてくれば良かったなぁと思いました。






寺院名:萬松山 泉岳寺
所在地:東京都港区高輪二丁目11‐1
宗 派:曹洞宗
寺格等:江戸三ヶ寺
本 尊:釈迦如来

忍東照宮 御朱印&勝守(埼玉県行田市忍本丸)5

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 埼玉県行田市の中心部にある「忍城址」の道路を挟んで反対側に鎮座しています。

 駐車場の場所がわからなかったので、「忍城趾」の駐車場に止めさせて頂きました。無料で停められました。


 こちらの神社の由緒は次の通りです(案内板より)。
「当社は、家康公の娘、亀姫が父の肖像を頂き、後に子の松平忠明公に伝え、忠明公が寛永二年(1625)、大和国郡山城内に社殿を造営して、肖像を安置したことに始まる。以来、藩主・藩士崇敬の社となった。その後、移封の都度遷座され、慶応四年(1868)鳥羽・伏見の戦の折、大坂蔵屋敷内の東照宮を、当社に合祀した。
 社領は、郡山当時より百石を受け継ぎ、明治維新まで続く。その地は、埼玉古墳群の辺りであったと・伝えられている。
 明治四年(1871)、藩主東京移住のために祭祀断絶の危機を迎えるが、旧藩士ら相計り、同七年に下荒井の地より、本丸の一部である諏訪郭内の忍東照宮境内一隅に本殿を移し、同三十三年に藩祖、松平忠明公を配祀した。
 現在の拝殿は昭和五年の造営である。」


 こちらが鳥居になります。
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 二の鳥居になります。
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 元々は忍諏訪神社の境内に東照宮が鎮座しました。

 社殿になります。
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 社殿は日光東照宮みたいに派手さはないです。

 こちらの神社は兼務社のようです。基本的に土日のみ誰かしら常駐するようです。なので祈祷祈願は休日のみかもしれません。

 御朱印は、境内の右側にある授与所で頂きました。御朱印代は300円でした。

 御朱印を頂いた際に「福豆」を頂きました。
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 美味しく頂きました。

 御守りや御神札(一体800円)、絵馬(一体400円)、干支のストラップや縁起物としてその年の干支の置物がありました。
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 私は徳川家康公着用の歯朶具足の兜が描かれた「勝守」を一体頂きました。
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 500円です。
 なお、授与品は「土日のみ」の授与となります。





神社名:忍東照宮
鎮座地:埼玉県行田市忍本丸12‐5
祭 神:徳川家康公 松平忠明公 八幡大神
社格等:旧村社

玉村八幡宮 御守り(群馬県佐波郡玉村町下新田)5

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 群馬県佐波郡玉村町にある「玉村八幡宮」に参拝してきました。

 以前の参拝日記は→こちら

 玉村町の中心部、玉村高校・玉村小学校・玉村町役場の近くに神社は鎮座しています。
 神社の南には「日光例幣使街道」が東西にあり、「玉村宿」の中心部になります。

 最寄り駅は、JR新町駅、高崎駅、前橋駅、伊勢崎駅になります。
 玉村八幡宮のホームページによると、JR新町駅より北方へ徒歩60分から90分で着くそうです。また、新町駅や高崎駅からはバスの便があるそうです。

 神社専用駐車場はありました。自動車は、数十台は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(群馬県神社庁伊勢崎佐波支部著『伊勢崎佐波の神社誌』より)。
「当社は、霊元天皇の貞享四年(1686)、前橋藩の儒官古市剛によって記された『玉村八幡宮本紀(当社所蔵)』によれば、後鳥羽天皇の建久六年(1195)に、源頼朝が上野奉行安達藤九郎盛長をして鎌倉・鶴岡八幡宮より御分霊を勧請して創建した。当町内に鎮座する角渕八幡神社を元宮とする。
 時は下って後陽成天皇の慶長十年(1605)、徳川家の臣で関東郡代伊奈備前守忠次が、当地の新田開発に任あたって『今我荒原を以て熟田と成さんと欲す。附して請い願わくは神霊我を祐(たす)けよ。若しその功成る時は則ち感謝するに神社の造立を以てせん。』とその成就を祈願し、前橋の総社から天狗岩用水を延長する代官堀(滝川用水)を開削して開田するという一大事業が無事竣工した、同十五年(1610)に角渕八幡神社の本殿を移築して現在地に奉斎した。境内地は、伊奈備前守の陣屋(現在の小字名御殿、旧玉村中学校裏手)と開発に協力した和田与六郎の屋敷(現在の玉村高校)に挟まれた中世の環濠屋敷跡とされ、上新田と下新田の境に位置する。
 明正天皇の寛永十五年(1638)、前橋藩主酒井雅楽頭忠清によって修理が加えられ、後光明天皇の慶安二年(1649)八月三代将軍家光より朱印地三十石の神田を賜わる。
 また、前年の正保三年(1646)、朝廷において日光東照宮の神前に金幣を奉呈するために例幣使が派遣された。以来、当地玉村宿は中山道倉賀野宿を分岐とする例幣使街道の第一宿となり、三国街道別路と交差する地の利もあって例幣使街道十三宿中最も規模が大きくて繁盛する宿場となった。
 霊元天皇の寛文七年(1667)、再度前橋藩主酒井忠清によって社殿の修理が成された。貞享元年(1684)には、前橋藩主酒井雅楽頭忠明が新院良仁法王(後西天皇)の御宸筆、『八幡大菩薩』の神號を奉納し、東山天皇の元禄十六年(1703)に修理が加えられた。次いで、中御門天皇の享保十一年、さらに延享四年(1747)の両度、前橋藩主酒井雅楽頭親愛によって修理が加えられた。しかし、桃園天皇の寛延二年(1749)に崇敬篤志家である酒井氏が播磨国姫路に移封されて以降は領主による修理は行われず、以降は七郷十二ヶ村が協議の上『修造講』を興し、その講金に朱印地の収穫を合わせて祭儀の執行と社殿修理に充てるようになり、今日に至っている。
 明治七年村社に列せられ、同四十一年一月三十一日、下新田の無格社諏訪神社・無格社御殿稲荷神社・無格社神明宮、上福島の村社稲荷神社、与六分その稲荷神社を合祀する。また、明治四十一年八月一日には、本殿が内務省より特別保護建造物に指定され、大正十四年九月、県社に列せられた。
 昭和十一年に国の指導のもとに本殿の解体修理が為され、建築の時代考証において室町様式が確認されると共に、貴重な発見がされた。さらに、昭和二十五年八月、文化財保護委員会によって重要文化財に改めて指定されている。」


 国道354号線は門前を走っていましたが、神社の北側に移動し、バイパス?になったようです。
 「日光例幣使街道」沿いにある神社には違いありません。

 街道沿いに鳥居があります。
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 参道を進むと、随神門があります。
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 境内は広くて、清々しく良い雰囲気で、また神威を感じます。
 1月31日に参拝しましたが、赤城下ろしが吹く寒い日でした。

 社殿になります。
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 (´人`)

 境内社の弁天社も合わせて参拝しました。祭神は市杵島姫命になるのでしょう。
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 金運が向上するといいな(・ω・)

 参拝後、授与所にて「大願成就 勝守」を頂きました。初穂料は一体600円になります。
 また、授与所には各種御守り(600円〜)や各種御神札(500円〜)、御神籤等の授与品がありました。
 
 御朱印はあります。また、オリジナル御朱印帳もあります。

 鳥居の近く、日光例幣使街道沿いにある「福嶋屋」は和菓子の老舗になるそうで、以前テレビ東京の土曜日の旅番組「日光例幣使街道歩き旅」で俳優の原田龍二さんが訪れたそうです。また、玉村八幡宮にも参拝したそうです。




神社名:玉村八幡宮
鎮座地:群馬県佐波郡玉村町下新田1番地
祭 神:誉田別命 気長足比売姫 比弯
配 祀:素盞嗚命 健御名方命 大鷦鷯命 熊野久須毘命 大己貴命 倉稲魂命 火産霊命 大日孁命 豊受姫命 菅原道真命 伊弉諾命 伊弉冉命 櫛御気命 瓊々杵命
社格等:旧県社

築土神社(東京都千代田区)4

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東京都千代田区に鎮座する「築土神社」に参拝してきました。

最寄り駅は、東京メトロ東西線・半蔵門線、営団新宿線「九段下駅」になります。
「1番出口」が一番近いです。

駐車場は、見当たりませんでした。
自動車で行かれる方は、周辺の有料駐車場を利用した方が良いかもしれません。

「靖国神社」・「皇居の田安門」・「東京理科大学」の近くに鎮座しています。
以前は、新宿区に鎮座する「筑土八幡神社」の近くに鎮座していたそうです。

江戸城田安門と江戸時代の御三卿である田安徳川家の「田安」の由来は、築土神社の旧称の「田安明神」からきているそうです。

ビルの谷間に鎮座していますが、いざ境内に入ると、とても雰囲気の良い神社でした。

社殿です。
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なかなか立派でした。
何造りなんでしょうか?

社殿の右側には「世継稲荷」が鎮座していました。
安産・子育てにご利益があるそうです。

近くにある「靖国神社」には、多くの方が参拝しますが、こちらの神社にはちらほらといった感じです。
なので、隠れたパワースポットかもしれません。

御朱印は、境内の右側にある「社務所(授与所)」で頂けます。
御朱印代は、300円でした。

判子の御朱印でしたが、いろんなサイトを見ると、直接御朱印帳に墨書きをしているサイトを見ました。
以前は、墨書きをしていたのでしょうか?

由緒書きは、有りました。

御守りや御札といった授与品は有りました。
お正月限定で「勝守り」を授与しているそうです。





神社データ
神社名:築土神社(つくどじんじゃ)
鎮座地:東京都千代田区九段北1丁目14‐21
祭 神:天津彦火邇々杵尊
相 殿:平将門公 菅原道真公
旧社格:村社
別 名:築土明神
旧 称:津久戸大明神 江戸明神 田安明神
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