まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

前橋藩

三夜沢赤城神社 再拝(群馬県前橋市三夜沢)5

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 群馬県前橋市の北部、赤城山の中腹に鎮座する神社です。

 神社専用の駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「勢多郡宮城村三夜沢の旧県社。延喜式内名神大社。祭神は大己貴命・豊城入彦命。例祭は5月5日4月初辰日と12月初辰日に春・秋の神幸祭がある。筒粥神事は1月14日で神代神楽を奉奏する。
 崇神天皇朝の創祀と伝える。元慶四年(880)に従四位上を授かる。上野二の宮となり、国内神名帳には正一位とある。徳川家が朱印領を安堵し前橋藩主の酒井氏も崇敬した。
 内外に分社が多い。
 国幣中社内定中に終戦となる。」


 鳥居になります。
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 手水舎になります。
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 社殿になります。
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 12月17日に参拝してきましたが、すごく寒かったです。しかし、参拝者は多かったです。

 神楽殿です。
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 社務所は開いていたした。40代かと思われる神職の方がいらっしゃいました。常駐しているのかな?
 せっかく開いていたので御朱印をお願いしました。




神社名:三夜沢赤城神社
鎮座地:群馬県前橋市三夜沢114番地
祭 神:赤城神 大己貴命 豊城入彦命
社格等:延喜式内社 県社 上野国二宮

前橋東照宮 幸福御守り(群馬県前橋市)5

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 群馬県前橋市の中心部、群馬県庁から少し北の「大手町」の交差点の所に神社は鎮座していました。中央大橋のたもとといった感じです。

 最寄り駅は、JR両毛線「前橋駅」or「新前橋駅」になります。両駅から徒歩では少々かかりそうです。

 駐車場は、境内の北側の道路沿いにありました。自動車は、数十台位は停められそうです。


 菊地清(世良田東照宮々司)著「群馬県内の東照宮」によるとこちらの東照宮の由緒は次の通りです。
「当社の創立は寛永元年6月1日で、御祭神徳川家康公の孫、松平直基(家康公の第二子、結城秀康の五男で大和守と称し、前橋藩主の祖)が越前勝山城内に祭祀したのに創まる。以来、松平氏は十三回に及ぶ移封に遇ったが、その都度奉遷して、藩主をはじめ士民の篤き崇敬を集めて今日に至る。
 即ち、享保二十年には社領二百石が寄進され、また、慶安元年播州姫路、寛文七年播州姫路、元禄五年奥州白河、同十年奥州白河、宝暦四年上州前橋、安永六年武州川越、嘉永八年武州川越においてそれぞれ社殿の造営が行われており、慶安二年武州川越より再び上州前橋に奉遷され明治を迎えた。
 現在の社殿は本殿以下五棟、総て川越より移築したもので、一本の欅の巨木で造られたと伝えられ、用材の美しさは実に見事で、本殿の彫刻は江戸の有名な彫工島村源蔵の作として、知られている。
 明治以降は、旧前橋藩士居住区域八箇町、三千戸の鎮守として崇敬を集めてきたが、昭和四年県社に列せられた。
〈社宝〉能面・能装束・陣羽織・軍扇等蔵し、市重要文化財に指定されている。」

 また、大修館書店刊「日本の神仏の辞典」によると次の通りです。
「前橋市大手町の旧県社。徳川家康・菅原道真・木之花咲耶比売神ほか二柱を祀る。例祭は4月17日。
 寛永元年(1624)に前橋藩祖である松平直基が越前の勝山城主当時に奉斎され、その後の移封ごとに遷された。
 慶応二年(1866)に前橋に帰還し、明治四年(1871)に遷座した。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「群馬県前橋市大手町。旧県社。
 寛永元年(1624)前橋藩の祖、松平直基が越前勝山城主時代に同地に創建、以来二百三十年余り十三回にわたる各地移封の都度遷祀、慶応元年(1865)川越より転領後、明治四年(1871)現在地に遷座した。
 宝物に家康公木像(元和年間作)などがある。
 例祭4月17日。」


 境内では、職員の方が草むしりをしていました。
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 御手杵という日本三大名槍の一本のレプリカが前橋城主であった松平家から寄贈されており、社務所で見ることができます。
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 松平大和守だそうですが、足軽しか見えません(´・ω・`)

 幸福御守りを一体頂きました。初穂料は800円でした。

 御朱印あり。




神社名:前橋東照宮
鎮座地:群馬県前橋市大手町三丁目13‐19
祭 神:徳川家康公 菅原道真公 木之花咲耶姫神 長壁様
社格等:旧県社
札所等:全国東照宮めぐり
URL:http://www.toshogu.net/maebashi/

前橋東照宮(群馬県前橋市大手町)5

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群馬県前橋市の中心部に鎮座する「前橋東照宮」に参拝してきました。

群馬県知事公邸・前橋公園の隣にあり、群馬県庁からも近くになります。
橋のたもとにあるといった感じでした。

駐車場は、社殿の右側にありました。
自動車は、十数台位は停められそうです。

最寄り駅はJR両毛線「前橋駅」、上毛電気鉄道「中央前橋駅」になります。
徒歩では少々かかりそうです。

こちらの神社の由緒は、次の通りです。
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「酒井氏にかわって前橋城主となった松平氏(従四位待従大和守と称す)は、その起源を遠く清和源氏の嫡流源義家の子新田義重より発する徳川家の一門であり、御祭神家康公のニ男結城秀康から岐れた家系である。
東照宮の創立は、結城秀康の四男直基が松平姓を賜わり越前勝山城主に任ぜられた寛永元年六月六日に祖父である家康公の遺徳を敬慕して祭祀したのに始まる。
以来、松平氏は幕府の命令により寛永元年越前勝山(三万石)より、寛永十年越前大野(五万石)、正保元年出羽山形(十万石)、慶安元年播州姫路(十五万石)、天和二年豊後日田(七万石)、貞享三年再び出羽山形(十万石)、元禄五年奥州白河(十五万石)、寛保元年三たび播州姫路(十五万石)、寛延二年上州前橋(十五万石)、明和五年武州川越(十五万石)、慶応元年再び上州前橋(十七万石)へと二百四十余年間に実に十三回にも及ぶ移封に遇ったが、そのたびごとに東照宮を城地に奉遷して藩主はもとより藩士、領民に到るまで崇敬の誠を奉げた。
即ち、享保二十年には藩主より社領として二百石が寄進され、社殿の造営は屢々の移遷のこともあって、慶安元年、寛文七年、元禄五年、同十年、宝暦四年、安永六年、嘉永八年の七回をかぞえ、現在の社殿は嘉永八年に武州川越において樹齢千年を超える一本の欅の巨木によって建造されたものと伝えられ、その用材は実に見事であり、本殿の彫刻は江戸の有名な彫師島村源蔵の作として知られている。
明治以降は、旧前橋藩士居住区域七々町三千戸の鎮守として崇敬をあつめてきたが、昭和四年四月に県社に列せられた。
配祀の天満宮は慶長六年、酒井重忠(慶長年間の厩橋城主)が厩橋城に入城したとき、祭祀したのに始まり、その後酒井家の興隆が著しかったので俗に酒井の開運天神と称され、酒井氏累代の崇敬が極めて厚く、酒井氏移封の後は養行寺の所管となっていたものを明治四年四月二十三日に合祀したものである。
長壁神社は古くは姫道刑部大神と称し、播磨の国の式内社であったものを寛延二年、松平朝矩(松平家五代の藩主)が姫路城より奉遷して前橋城の未申の方、霞堀の畔に祭祀していたが、明治三十一年一月二十一日に官令により合祀したものである。 」


すぐそばには利根川が流れています。
また、群馬県知事の元?公舎がお隣にありました。ずいぶん立派です。大沢知事は…

鳥居になります。
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社号標になります。
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鳥居をくぐると左側には手水舎がありました。
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手と口を漱いで参拝です。

境内は、狭いくらいです。

こちらが自動車安全祈祷殿です。
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こちらで自動車のお祓いができます。

こちらが社殿になります。
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主祭神は「徳川家康公」になります。

(´人`)

狛犬になります。
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こちらが本殿になります。
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よく見えないなぁ…
「長壁神社」も合祀されています。

駐車場の北側には「厩橋護国神社」が鎮座していました。
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西南の役から太平洋戦争に至るまでの前橋市出身の英霊二千三百四十六柱を奉祀しているそうです。

本殿の裏側には「営築稲荷神社」が鎮座していました。
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文久三年(1863)、前橋城再築にあたり工事の安全を祈願するため松平直克(松平家11代の藩主)が勧請した神社になります。祭神は宇迦之御魂神になり、御神徳は商売繁盛、工事安全だそうです。

こちらが社務所になります。
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こちらで御朱印が頂けます。
御守りや御神札といった授与品はありました。





神社データ
神社名:前橋東照宮
鎮座地:群馬県前橋市大手町三丁目13‐19
祭 神:徳川家康公
配祀神:菅原道真公 木花咲耶姫 長壁様
社格等:旧県社

大珠山 是字寺 龍海院(群馬県前橋市紅雲町)5

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群馬県前橋市にある「大珠山 是字寺 龍海院」に参拝してきました。

前橋市ね中心部、群馬県庁の少し南にありました。

最寄り駅は、JR両毛線「前橋駅」になります。 

駐車場は入り口を入り、山門に至るまでの両サイドにありました。
自動車は、10台以上は停められそうです。

その駐車場には仁王像が一対ありました。
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こちらのお寺の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺曹洞宗』より抜粋)。
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「言い伝えでは、徳川家康の祖父で岡崎城主の松平清康が二十歳の時、『是』の字を左手に握った夢を見て、龍渓院の漠外惟俊和尚にその意味を訪ねたところ『この字は日下人に分けられ、これを握るということは、戦国の分裂の世を統一する前兆てある。あなたの代に実現しなくとも孫の代までに実現する。』といわれた。喜んだ清康は、岡崎城下に一寺を建て、漠外和尚を開山とし、満珠山是字寺龍海院と名付けた。享禄三年(1530)元日のことである。
また、『上野国郡村誌』には『岡崎城外に妙音寺村あり。村西半々山あり。山中に清淵あり、龍淵と名づく。享禄年中城主松平清康ここに清舎を建て、龍海院と号し、漠外を以って開山となす』とある。
ところが、徳川氏には大樹寺という菩提寺があったことから、家老の酒井正親に守護を銘じた。以後、龍海院は酒井氏の菩提寺となった。
(中略)
明治年間には曹洞宗堂林が置かれ、僧の修行道場として多くの僧侶を養成した。また龍海院の鐘の音は、是字寺晩鐘として前橋十景の一つに数えられた。
『寺院明細帳』によれば、三河国渥美郡大久保村長興寺末とある。
(後略)」


こちらのお寺は、大通りには面していないので分かりづらいところにありました。
一方通行が多いですので、自動車で行かれる方は気を付けてください。

こちらが入り口になります。
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山門は、とても大きいです。
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向かって右側には「毘沙門天」
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左側には「増長天」が祀られています。
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彩色をされており、立派でした。

寺号の扁額が掲げられていました。
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山門の両側には、石造聖観音像や童子像もありました。
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本堂になります。
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入母屋造となり、大名の菩提寺だけあって、とても立派でした。
さすが大名の菩提寺だけあります。

大雄殿という扁額が掲げられていました。
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本堂横には石造聖観音立像がいらっしゃいました。
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(´人`)

良寛上人様です。
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童子六地蔵がいらっしゃいました。
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境内は綺麗に整備されています。
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こちらは鐘楼堂になります。
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こちらは、江戸時代中期まで前橋城主を務めた「酒井雅楽頭家」の菩提寺になります。
境内の南側には墓地がありました。
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その中に江戸幕府大老であり、小説や時代劇でも有名な「酒井雅楽頭忠清
」のお墓があります。
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歴代の酒井家の当主のお墓です。
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御朱印は、本堂の右側にある「寺務所」で頂けました。
山号が「大珠山」なのに「大珠寺」と間違っています。
御朱印代は受け取って頂けませんでした。

由緒書きはありました。
頂きたい旨を告げれば頂けます。





寺院データ
寺院名:大珠山 是字寺 龍海院
所在地:群馬県前橋市紅雲町二丁目8‐15
宗 派:曹洞宗
本 尊:釈迦三尊

産泰神社(群馬県前橋市)3

群馬県前橋市に鎮座する「産泰神社(さんたいじんじゃ)」に参拝してきました。

前橋市の東部に神社はありました。

駐車場は、鳥居の右側、また参道の左側にありました。
自動車は、かなりの台数が停められそうです。

こちらが鳥居と神門になります。
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なかなか立派な神門です。

神門の左右にいらっしゃいました。
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神門には、「正一位産泰大神宮」との扁額が掲げられていました。
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古そうな扁額です。


説明板によると
『この神社の創建は、社伝によれば履中元年とされているが定かでない。しかし、社殿背後に壘々としている巨石群から、神社信仰の初現形態の一つである巨石崇拝にその起源があるとみられ、歴史の古さがしのばれる。
安産を祈る者が、軽くヌケル(生れる)ようにと底を抜いたヒシャクを奉納するようになったのは、江戸時代以降のことで、前橋、伊勢崎などをはじめ県下一円の人々から、安産の神として篤い信仰を受けた。特に、前橋藩主酒井雅楽頭は、社殿の造営をするなどその信仰著しいものがあった。
酒井氏の造営になった社殿は、多くの彫刻で飾られ、内部格天井には、酒井抱一が描いたとされる極彩色の花鳥図もある。数ある社宝のうち八稜鏡は、平安時代のもので、前橋市の重要文化財に指定されている。
また、四月十八日例祭の際に奉納される太々神楽も前橋市の重要無形文化財に指定されている。』


こちらの神社は、「山岳信仰」や「安産子育ての信仰」の神社のようです。

社殿になります。
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「入母屋造り」になり、彫刻が素晴らしいです。

幣殿と本殿です。
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本殿です。
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本殿の真裏です。
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彫刻が素晴らしいです。

また、社殿の後方には「産泰磐座(いわくら)」がありました。
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赤城山が噴火した時の火砕流が原因の巨石がありました。
巨石崇拝や山岳信仰に基づくものだと思われます。
一説には、巨石があることからこちらの神社が「赤城神社の里宮」ではないかとも言われています。
神社専用の駐車場からは「赤城山」が見えますので現実味があります。
また、こちらの神社から南下した所には「二宮赤城神社」が鎮座しています。

境内には「安産子育て戌」がありました。
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何だか可愛らしいです。
やはり、「木花咲耶比売命」を主祭神とするだけあります。続きを読む
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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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