まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

利根川

赤岩山光恩寺 北関東不動尊霊場(群馬県邑楽郡千代田町赤岩)5

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 群馬県邑楽郡千代田町にある「赤岩山 地蔵院 光恩寺」に参拝してきました。
 千代田町の南部、利根川に近いところにお寺はありました。

 お寺専用の駐車場はありました。
自動車は、数十台は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊「ぐんまのお寺 真言宗機廚茲螳貮抜粋)。
「寺伝によると、『人皇二十一代雄略帝、穴穂宮のために勅して、全国に九箇の伽藍を建立した、その内の一つにはじまるという。推古天皇十一年(603)秦河勝を使として佛舎利三粒を納め、同三十三年(625)高麗の僧恵灌が来住、嵯峨天皇御宇、弘仁五年(814)弘法大師に賜り、永く真言の道場としたことにより、弘法大師を開基とした。
 醍醐天皇の御宇、昌泰年中(898〜901)大臣菅丞参詣金泥紺紙に佛説海龍王教一巻を書写し納める。一條天皇御宇、長保暦中(999〜1004)金岡相模法眼当院に参詣し釈迦千佛を納める。高倉天皇(1168〜1180)御宇運慶巧匠当院に参詣し地蔵を彫刻し納める。後鳥羽天皇(1185〜1198)御宇陸奥国鎮守府将軍藤原入道秀衡、阿弥陀三尊を彫刻し当院に安置、これが境内の阿弥陀堂の本尊である。
 天正十八年(1590)榊原康政の為に寺領を没収される。
 文政十三年(1830)閏三月、庫裏・仁王等悉く雷火に罹り、天保年間(1830〜1844)伽藍・僧舎を再営する。また、慶応二年(1866)11月、境内堂宇・境外堂山建物いっさいがっさい灰塵(かいじん)となる。明治元年、御朱印奉還する。……縁起の意を案ずるに、弘仁巳(813)ー元亨(1321〜1324)の間は、寺家内外僧別院十六末寺三千余とした。爾来(じらい)、漸々哀禿天下騒乱の為門末巨多分離した。宝永の頃は、僅かに七十六ヶ寺となる。明治維新の際は四十六ヶ寺を余すと言えども、同六年に至り無縁無檀の寺院を廃止し現在の末寺二十六寺となる。(中略)』
 寺は、慶応二年十一月に廃墟となり、これまでの壮麗さは失ってしまったが、有縁の浄財により、明治二十六年(1893)、現況のように見事に復活した。
(後略)」


 こちらが山門になります。
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 入ると左側には「地蔵菩薩画像板碑」がありました。

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 境内には長屋門がありました。
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 これは、日本で最初の医師免許を持った女性医師「荻野吟子」の家の門を移築したものです。
 荻野女史の石像がありました。

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 境内を右に行くと阿弥陀堂がありました。
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 堂内には「阿弥陀三尊」が祀られています。
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 群馬県指定重要文化財だそうです。
なかなか立派な阿弥陀様です。

 本堂に祀られているのは「不動明王」になります。
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 堂内では護摩を修していますので、祈祷祈願が受けられるようです。
 御朱印を頂く際に堂内に入り、参拝でました。
 堂内の天井には、吉田左源二画伯の竜王の絵が描かれています。とても立派でした。

 御朱印は、「不動明王」・「地蔵菩薩」・「薬師如来」の三種類ありました。
 御朱印代は、各300円(納経帳)・500円(北関東不動尊霊場納経軸)になります。

 御御影を一体頂きました。
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 北関東三十六不動尊霊場の御朱印を頂くと御御影が無料で頂けます。




寺院名:赤岩山 地蔵院 光恩寺
所在地:群馬県邑楽郡千代田町赤岩1041番地
宗 派:高野山真言宗
本 尊:不動明王
通 称:赤岩不動尊
札所等:北関東三十六不動尊霊場 十一番札所
    関東百八地蔵尊霊場 二十一番札所
    関東九十一薬師霊場 四十番札所
御詠歌:はちす葉の 露の垂る木を 白妙の 玉かと磨く 寺づくりかな

上州三嶋神社(群馬県明和町)3

上州三嶋神社に参拝してきました。
群馬県南東部の邑楽郡明和町の南部に鎮座しています。
利根川がすぐ近くにありました。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「川俣駅」になります。
由緒書きによると、徒歩では神社まで20分はかかりそうです。

駐車場はありましたが、舗装はされていません。
自動車は、5〜6台位は停められそうです。


こちらの神社の由緒は、次の通りです(由緒書きより)。
「当社は『上州三嶋神社』を始め、近在からは『お宮』『三嶋さま』等と親しく呼ばれていますが、その正式名称を『三嶋神社』と称します。江戸時代末期の弘化三年(1846)、火災により社殿および古記録の全てを焼失した為、創建年月を含む由緒については不詳です。社伝によれば、伊豆国の三嶋大社(静岡県三島市大宮町)から御神霊を勧請(お招き)した地方の古社と伝えられています。
江戸時代以降、明治初年に至るまでは、当社近在の梅原山・光明寺(高野山真言宗)の住職が、代々『別当(神社を管理した僧侶)』を務めていました。
歴代住職の当社に対する信仰心は篤く、当社が所蔵する神宝類や石塔からその様子を知ることができます。
現在神座近くに奉安されている御神鏡も、江戸時代中期の享保二十一年(1736)、当時の別当・光明寺弘誓と『惣氏子中』の寄進によるものです。
現在の拝殿は、焼失の翌々年、嘉永元年(1848)から翌年にかけて再建されました。再建は別当の光明寺英猛と梅原村を中心に、信仰域であった近隣の二十ヶ村の助力を得て進められ、再建を機に近隣より神主家の祖が招かれて社殿を管理するようになりました。
以降、長年に及ぶ風雨や近年の大震災の影響によって、現在に至るまでに幾度かの改修工事が行われましたが、再建から170年近く経った今も、往時の姿をしっかりと留めています。
近代に入ると、明治五年(1872)十一月、近隣八ヶ村(現代の明和町中部・東部)の総鎮守である『郷社』に定められ、地域総鎮守として篤く信仰されました。
現在は群馬県を中心に、近隣の埼玉県や栃木県、茨城県からも、『勝負の神』『虎の神』、交通安全に霊験あらたかな神様として、広く崇敬されています。」


大通りには面していないので、分かりづらい所にありました。
国道122号線「川俣」という交差点を東に行くとこちらの神社がありました。

こちらが鳥居になります。
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参道を進みます。
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左側にお宮がありました。
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こちらの神社の旧社格は「郷社」ですが、雰囲気的には「村社」かなぁと思いました。
村の鎮守様と言った感じです。

境内には「富士塚」があり、登ると浅間神社が鎮座していました。
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その他、神明宮、菅原神社、愛宕神社等の境内社が鎮座しています。
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手水舎です。
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手と口を漱いで、参拝です。

こちらは、社殿になります。
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境内はさほど広くはありませんし、社殿も思ったよりは大きくはありません。

社殿の裏側にも祠がありました。
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神楽殿です。
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どのような神楽が舞われるのでしょうか?

御朱印を頂こうとしたら、宮司さんが不在したので頂けませんでした。
書き置きは無さそうです。
その代わりか由緒書きを頂きました。

祈祷祈願は随時受付中のようです。
必要な方は、こちらの神社へお問い合わせください。

西へ行った所には、「川俣事件」の碑がありました。




神社データ
神社名:上州三嶋神社
鎮座地:群馬県邑楽郡明和町梅原261番地
祭 神:三嶋大明神(大山祇命) 赤城大明神(大己貴命・豊城入彦命) 藤原長良公(長良大明神) 誉田別命(八幡大神) 八衢比古命・八衢比売命(塞神) 天手力雄命(戸隠神) 倉稲魂命(稲荷大明神) 水波能賣命(水神)
社格等:旧郷社 明和総鎮守

大悲山 観音院 徳性寺(群馬県太田市)3

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群馬県太田市にある「大悲山 観音院 徳性寺」に参拝してきました。
高野山真言宗に属するお寺になります。

こちらのお寺は太田市の南部、旧尾島町にありました。
埼玉県深谷市からも近いです。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「細谷駅」になります。
しかし、徒歩ではかなりかかりそうです。

駐車場は、お寺の入口の左側にありました。
自動車は、10台以上は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです。
「本堂修復記念碑
当山は、大悲山観音院徳性寺と称し、開山以来法脈嫡々として伝え、今日に及べり。
当山本堂は大日如来を本尊として、享保以前の建立と伝え、安永年中宥信和尚代、又、文政年中祐照和尚代に再建せられ、十方檀越の信仰を集め給える名刹なり。
然るに大正三年の再建以来、七十有年余、老朽甚だしく檀信徒あい協力し、修復を発願す。
茲に諸尊諸衆明鑒の下、篤信の衆庶と共に落成供養の梵延を展き、檀信徒各位の名を謹記し、後世の記念とす。
仰ぎ願わくは、大日如来の霊験益々顕に遍く群類を光被して、除災招福を与え給まえ。
天下泰平 万民豊楽 興隆仏法 信徒安全 乃至法界 平等利益」


こちらが入口になります。
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特に山門はありません。

こちらが寺号標になります。
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こちらが札所でる旨の碑になります。
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「新坂東第十六番札所 入口」と刻まれており、新坂東とは「東上州三十三観音霊場」を意味します。

境内に入ると、左側には手水舎がありました。
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しかし、使えない・・・

右側には六地蔵がいらっしゃいました。
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先に進むと中島家のお墓がありました。
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中島家は、同市内にある富士重工株式会社の前身である「中島飛行機」の一族のお墓になります。
まさか、鳥居があるとは・・・
当然ですが、創業者の中島知久平のお墓もあります。

先に進むと左側には観音堂がありました。
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「十一面観音」が祀られています。
こちらは東上州三十三観音霊場の札所本尊になります。
中島家の墓や出世をした方々のお墓があるため、「出世観音」とも呼ばれています。
僕も出世をしたいです。

こちらの観音堂には東上州観音霊場の各札所の絵が書かれた奉納額が掲げられていました。
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元治二年(1865)世話役たちによって奉納されたそうです。

こちらが観音堂の修復記念碑になります。
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ずいぶん古い観音堂になります。

庚申塔がありました。
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隣は、「猿田彦」と刻まれています。
街道からは遠そうな感じがしますが・・・続きを読む

前橋東照宮(群馬県前橋市)5

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群馬県前橋市の中心部に鎮座する「前橋東照宮」に参拝してきました。

群馬県知事公邸・前橋公園の隣にあり、群馬県庁からも近くになります。
橋のたもとにあるといった感じでした。

駐車場は、社殿の右側にありました。
自動車は、十数台位は停められそうです。
「無断駐車は5000円」・「社務所へ」等と言う横断幕が掲げられています。
参拝するのであれば構わず停めても大丈夫です。

こちらの神社は、江戸時代に前橋城主であった松平氏が創建しました。

門標です。
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「県社」になります。
世良田東照宮が「郷社」なのに、こちらの方が社格が高いです。
いろいろあるんでしょうが・・・

参拝したときは、「自動車祓殿」で自動車のお祓いをされている方がいらっしゃいました。

境内は、社務所・社殿が建っており、意外と狭かったです。

社殿です。
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私も参拝してきました。

(´人`)

前橋市の中心部に鎮座しているので、参拝客が多くいらっしゃいました。
いったい何造になるのでしょうか?
入母屋造?
流造?

社殿の右後方には、厩橋護国神社が鎮座していました。
前橋東照宮の境内社になるのでしょう。

御朱印は、境内の左側の社務所内にある「祈祷受付」で頂けました。
御朱印代は、300円でした。

由緒書きはありました。

御守りや御札等の授与品は、多くありました。

長壁神社が合祀されています。

また参拝してみようと思ってます。




神社データ
神社名:前橋東照宮
鎮座地:群馬県前橋市大手町三丁目13‐19
祭 神:徳川家康公
社格等:県社
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「社寺参詣道 代表師範」になります。

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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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