神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

准勅祭社

荏原神社(東京都品川区北品川)5

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 東京都品川区の山手通りと目黒川に挟まれる形で神社は鎮座しています。

 最寄り駅は、京急「新馬場駅」になります。徒歩では駅から数分位かと思われます。
 また、品川神社から荏原神社までは徒歩で5〜6分位かと思われます。

 駐車場は見当たりませんでした。自動車で行かれるかたは、周辺の有料駐車場をご利用ください。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京都品川区北品川の旧郷社。祭神は高龗神(たかおかみのかみ)・天照大御神・豊受姫神(とようけひめのかみ)・素盞嗚命(すさのうのみこと)・手力雄命(たじからおのみこと)。例祭は6月上旬に行われる神輿の海中渡御がある。
 和銅二年(702)に藤原伊勢人が高龗神を勧請して当地の鎮守としたという。川つ木地に鎮座していたが現在地に遷された。天照大御神・豊受姫神は長元二年(1029)に勧請・合祀された。天正十九年(1591)に徳川家康から朱印領を受ける。
 当社は東京遷都にあたり内侍所奉安所に充てられた。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「東京都品川区北品川。旧郷社。高龗神・天照皇大神他三柱の神を祀る。
 和銅二年(709)大和国丹生川上神社より南品川三ツ木(旧地名)に勧請、後現社地に遷座。旧社地にも貴布禰神社が鎮座す。
 別称を北天王社(品川神社)に対して南天王社と称す。
 康平五年(1062)源頼義・義家は安部貞任・宗任征伐のため武蔵国国府総社大国魂神社と当社に、参籠、品川の海中にて身を浄めた事により現在も大国魂神社の神職等来社し禊を行い、くらやみ祭を奉祀する。
 例祭6月初旬、6月8日海中より拾得した面を神輿海渡御し五穀豊穣、豊漁を祈るかっぱ祭が行われる。」


 目黒川沿いに神社は鎮座していました。
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 春先は桜で綺麗かと思われます。3月下旬から4月上旬の参拝が良いかもしれません。

 目黒川に架かる「鎮守橋」になります。
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 鳥居になります。
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 鳥居の左側には、ふくぶくしい恵比寿さまがいらっしゃいました。
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 東海七福神の一尊になります。

 鳥居をくぐると手水舎がありました。
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 社殿になります。
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 祭神は京都の貴船神社と同じ「高龗神(たかおかみのかみ)」になります。

 御朱印は、授与所で頂けました。御朱印代は300円でした。
 授与所は閉まっていますが、インターホンを押すと神社関係者が出てきます。

 御守りや御神札といった授与品はありました。





神社名:荏原神社
鎮座地:東京都品川区北品川二丁目30‐28
祭 神:高龗神(たかおかみのかみ) 豊受姫之神 天照皇大神 須佐男之神 手力雄之神 大鳥大神 恵比須神
社格等:旧郷社 品川総鎮守 准勅祭社
札所等:東海七福神 恵比須神

品川神社 東京十社(東京都品川区北品川)5

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 東京都品川区の京急の線路沿い神社は鎮座しています。

 最寄り駅は、京浜急行「新馬場駅」になります。北口を出て神社まで徒歩で数分かと思われます。
 また、荏原神社から品川神社まで徒歩では5〜6分位かと思われます。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京都品川区北品川の旧郷社。北の天王社とも。祭神は天比理乃很拭α狽罫北拭ΡР貲掲簗拭N禳廚4月15日後の日曜日で、元亀年間(1570〜1573)から伝承する太太神楽を奉奏する。6月7日に近い金曜日から日曜日に北の天王祭がある。
 文治三年(1187)に源頼朝が安房の州崎明神を勧請し品川大明神と称した。後醍醐天皇の御代、守護の二階堂道蘊が宇賀之売命を勧請し、文明十年(1478)に太田道灌が素盞嗚尊を勧請した。慶長五年(1600)に徳川家康が関ヶ原出陣の祈願として太太神楽を奏した。寛永十四年(1637)に家光が東海寺の鎮守社とした。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「東京都品川区北品川。旧郷社。元准勅祭社。祭神は天比理乃很紳昌傭譴凌世鱆る。
 創立年代は不詳。江戸期の書物によれば、文治三年(1187)二階堂道蘊が宇賀之売命を勧請、再興す。文明十六年(1484)太田道灌が素盞嗚尊を勧請す。古くは品川の鎮守として品川大明神と称したが明治元年(1868)現社名に改称、南天王社(荏原神社)に対して北天王社と称す。
 品川太々神楽(例大祭日・新嘗祭・都無形文化財)古文書(区指定)など多くの宝物文化財が現存する。
 例大祭(品川天王祭)6月7日。」


 京急の電車に乗っていると神社が見えました(・ω・)

 一の鳥居です。
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 鳥居の左側には東海七福神の大黒天がいらっしゃいました。
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 境内には「品川富士」と呼ばれる富士塚があり、浅間神社が鎮座していました。

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 二の鳥居になります。
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 5月4日に参拝しましたが、境内には躑躅が咲いていました。
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 三の鳥居になります。
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 神楽殿になります。
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 社殿になります。
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 社殿右側には稲荷神社が鎮座していました。
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 御朱印は、境内の左側にある授与所で頂けました。御朱印代は300円でした。

 また、「東京十社巡拝記念絵馬」を頂きました。
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 一体300円です。

 授与所で対応してくれた男性がかなりぶっきらぼうな感じでした。もい少し愛想が良くても…



神社名:品川神社
鎮座地:東京都品川区北品川三丁目7‐15
祭 神:天比理乃很拭覆△瓩劼蠅里瓩里澆海函法〜狽罫紡此 ̄Р貲掲簗拭覆Δのめのみこと)
社格等:旧郷社 准勅祭社
札所等:東京十社めぐり
    東海七福神 大黒天

東京十社めぐり(東京23区内)5

 明治元年(1867)京都の二十二社にならい、東京にも准勅祭社が定められました。現在の東京十社に大国魂神社と武蔵国鷲宮神社を加えた形で定められましたが、明治三年には廃止されました。
 昭和五十年に遠くにある大国魂神社と鷲宮神社を除いた23区内にある神社で「東京十社」となり、巡拝ができるよう始まりました。

 専用の御朱印帳や巡拝記念ミニ絵馬がありました。
 巡拝記念ミニ絵馬は300円、ミニ絵馬をはめる大きな絵馬が1,500円になります。大きな絵馬は品川神社で見ましたが、各神社であるかと思われます。
 これは品川神社で頂いたミニ絵馬になります。
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 このミニ絵馬を頂いて巡拝するのも良いかもしれません。

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富岡八幡宮(東京都江東区富岡一丁目)5

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 東京都江東区の門前仲町にある神社になります。

 最寄り駅は、東京メトロ東西線・都営大江戸線「門前仲町駅」になります。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京都江東区富岡の旧府社。神社本庁別表神社。祭神は応神天皇ほか六柱。例祭は8月15日。鳳輦神輿と各町内の神輿による連合渡御がある。深川祭りは江戸三大祭の一である。
 天平宝字年間(757〜765)に右大臣藤原豊成が創建したと伝える。砂村の海岸に鎮座していたが、寛永四年(1627)に別当永代寺開基の長盛法印が遷して再建した。さらに寛文四年(1664)に近くの現社地に遷された。
 氏子は現在も江東区から中央区にかけての七十か町におよぶ。」

 また、國學院大学日本文化研究所編「神道辞典」によると次の通りです。
「〈別称〉深川八幡宮 〈旧称〉永代八幡
 〈祭神〉応神天皇、ほか七柱
 〈例祭日〉8月15日(深川祭)
 〈由緒〉天平宝字年間(757〜765)、右大臣藤原豊成(とよなり)の創祀という。寛永元年(1624)京都の長盛(ちょうせい)上人が永代島に八幡神像の小祠を建て、同四年に社殿が造営され、砂村の海岸から現在地に遷座した。
 神像は源頼政より千葉、足利と関東の源氏に伝えられ、太田道灌の守護神になったという。
 別当寺の永代寺は江戸・深川の発展とともに隆盛し、勧進大相撲が興行されるようになり、三十三間堂が建てられ、弓場としてもにぎわった。
 また、宝永四年(1707)に社殿再建を機に江戸有数の規模を誇るようになり、例祭深川祭は江戸の三大祭の一つとされた。
 明治の神仏分離により永代寺と三十三間堂は廃された。
 〈旧社格〉府社(明治六年)」


 江戸三大祭りの「深川祭」を主催する神社になります。

 鳥居になります。
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 境内には、伊能忠敬像、横綱力士碑、大関力士碑がありました。
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 伊能忠敬像は、撮り忘れました(´・ω・`)

 社殿になります。
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江戸最大の八幡宮になりますので、境内は広く、参拝者もいらっしゃいました。

 境内社の中には、松尾芭蕉を祀る「花本社」があります。
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 御朱印は、社殿右側にある祈祷受付で頂けました。御朱印代は、500円になります。
 由緒書きは頂けました。

 授与所では、御守りや御札といった授与品がありました。




神社名:富岡八幡宮
鎮座地:東京都江東区富岡一丁目20‐3
祭 神:応神天皇 他八柱
社格等:旧府社 別表神社
別 称:深川八幡宮
旧 称:永代八幡
札所等:深川七福神 恵比須神

武蔵國鷲宮神社(埼玉県久喜市)5

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埼玉県久喜市に鎮座する「武蔵國鷲宮神社」に参拝してきました。
旧県社になります。

久喜市の北部、旧鷲宮町に鎮座する神社です。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「鷲宮駅」になります。
徒歩では10分位になりそうです。

最寄りのバス停は「鷲宮神社前」になります。
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JR宇都宮線「東鷲宮駅」からバスが出ていますので、ご利用ください。

駐車場は、鳥居の前にありました。
自動車は、数十台は停められそうです。


こちらの神社の由緒は次の通り(由緒書きより)。
「当社は、出雲族の草創に係わる関東最古の大社である。
神代の昔に天穂日宮とすの御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七の部族等を率いて当地の神崎神社(大己貴命)を祀り、さらに天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀したのに始まる。
崇神天皇の御世には、太田々根子が司祭し、豊城入彦命、彦狭島命諸別王が、それぞれ幣帛を奉納した。
景行天皇の御世には、日本武尊が当社の御神徳を崇め尊み、社殿の造営をし、併せて相殿に武夷鳥命を奉祀した。
桓武天皇の御世には、征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り奥州鷲の巣に当社の御分社を霊を奉祀した。
中世以降には、関東の総社または関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く歴史上有名な武将だけでも藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等があげられ、武運長久を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされた。
江戸時代には、四百石の神領が与えられ、歴代将軍の朱印状が残されている。
明治天皇の御世には、神祇官達により准勅祭社に定められ、勅使参向のもと幣帛の奉納がなされた。
そして明治天皇の行幸の際、当社に御小憩され祭祀料として金一封を賜り、昭和天皇の御世にも幣帛を賜った。
終戦の後、神社本庁包括宗教法人として氏子崇敬者の尊信を専らにしてかかわることなく今日にいたっている。」


神社へ向かう道には、大きな社号標がありました。
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すっかり「らき☆すた」で有名になってしまった神社です。

こちらが駐車場です。
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参拝したときは、駐車場には痛車はありませんでした。

こちらが鳥居になります。
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鳥居の右には、社号標がありました。
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参道を入ると、左側には由緒が書かれた案内板がありました。
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古い神社です。
延喜式には記載されなかったのだろうか?
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参道を先に進みます。

狛犬がいらっしゃいました。
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いかつい顔をしています。

青銅の燈籠がありました。
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なかなか立派です。

「鷲宮堀内遺跡」がありました。
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ということは、重要な神社だったのかもしれません。

光天之池がありました。
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龍神様がいるという伝説があります。

先に進んでいきます。

こちらが手水舎になります。
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手と口を漱ぎます。
さて参拝です。続きを読む
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