神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

元三大師

新比叡山 本実成院 天龍護国寺(群馬県高崎市並榎町)5

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群馬県高崎市の中心部から北西、高崎経済大学の近くにお寺はありました。

最寄り駅は、JR「北高崎駅」になります。

駐車場は、道路沿いにありました。
自動車は、10台以上は停められます。


こちらのお寺の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 天台宗供戮茲蝓法
「(前略)
 山号を新比叡山としているのは近江国比叡山延暦寺の直末として寺格は高く、開基は貞観六甲申年(864)、比叡山座主第三世円仁こと慈覚大師の創立と伝え、延暦寺に擬して建造されたので新比叡山と称したという。
(中略)
 当寺は高崎藩主安藤対馬守から松平右京大夫に至るまで歴代藩主の祈願所であった。
 当寺には『小野道風直筆寺号勅額』一面がある。醍醐天皇が延長六年(928)名筆家小野道風に書かせたといわれ、文字は寺号の『天龍護国寺』とあり額として下賜されたものと伝えている。
(中略)
 寺の縁日は正月三日で元山大師厄除け祈願の信者で毎年にぎわう。かつつは神仏習合であったので、西に隣接している日枝神社は護国寺の鎮守であった。本寺の延暦寺に倣い勧請したのであり、当寺がその別当寺として守護してきた。」


小ぢんまりしたお寺でした。
境内はさほど広くはありません。

山門です。
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山門からは観音山が見え、高崎白衣観音が見えました。
春先は、観音山が桜で一杯になるのが見ることができそうです。

本堂になります。
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こちらのお寺は、群馬郡三十三観音霊場の札所ですが、残念ながら廃れてしまった霊場になります。
ご住職に霊場について聞いたところ知らないとのことでした。
調べてみたところ、みやま文庫刊「上州の観音札所」に次の記載がありました。
「天明五年(1785)に焼失し、享和三年(1803)に再建されている。観音さまのいないのは、天明の火災で札所の伝えも灰になった為だろう。」
とのことでしたので、ご住職も知らなかったのでしょう。

小野道風筆の勅額があるそうですが、拝観ができるかどうかわかりません。
高崎市指定文化財だそうです。

黒松がありました。
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高崎市指定保存樹だそうです。

御朱印は、本堂右側の庫裡で頂けます。
御朱印代は受け取って頂けませんでした。





寺院名:新比叡山 本実成院 天龍護国寺
所在地:群馬県高崎市上並榎町922番地
宗 派:天台宗
本 尊:釈迦如来
札所等:群馬郡三十三観音霊場 ニ十九番札所
御詠歌:あめのたつ 国を守ると 夕立の 雲の流れに そそぐ五月雨

金鑚山 一乗院 大光普照寺(埼玉県児玉郡神川町)5

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 埼玉県にある「金鑚山 大光普照寺」に参拝してきました。
天台宗の別格本山になるお寺になります。

 埼玉県の北部、本庄市の隣の児玉郡神川町にお寺はありました。

 最寄り駅は、JR八高線「児玉駅」、JR高崎線「本庄駅」になります。
徒歩ではかなりかかりそうです。
 出来れば自動車で行かれた方が良いです。

 駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』より)。
「埼玉県児玉郡神川村にある天台宗の寺院。金鑚山。通称金鑚大師。十一面観音と元三大師を祀る。
 聖徳太子の開創、円仁の中興と伝え、元は金鑚神社の別当寺。
 北条氏の印判状や典籍を多く伝える。
 東叡山末で朱印は三十石。
関東三談林の一つ。」


 お隣は延喜式内社で武蔵国二ノ宮にあたる「金鑚神社」なります。
その金鑚神社の別当寺だったそうです。

 道路沿いに看板があります。
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 こちらが山門になります。
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 寺号標になります。
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 山門に掲げられていた扁額です。
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 「金鑚山」と書いているのでしょうか?

 参道になります。
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 こちらが中門になります。
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 入ると左側に手水舎がありました。
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 手と口を漱いで参拝です。

 本堂になります。
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 こちらのお寺では、毎日護摩を修しています。
しかし、私が参拝したときは誰もいませんでした。時期が時期だけに仕方ないでしょう。

 境内には「忍岡穴稲荷尊」という稲荷堂がありました。
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 上野恩賜公園にある花園稲荷神社からの勧請になります。

 御朱印は、「元三大師」・「地蔵尊」・「十一面観音」の三種類がありました。
御朱印代は、各300円です。

 御守りや御札といった授与品はありました。
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 関東百八地蔵尊霊場のガイドブックがありました。1,500円になります。




寺院名:金鑚山 一乗院 大光普照寺
所在地:埼玉県児玉郡神川町二ノ宮667‐1
宗 派:天台宗
寺格等:別格本山
本 尊:十一面観音 元三大師
通 称:金鑚大師(かなさなだいし)
札所等:児玉三十三霊場 三十三番札所
    関東百八地蔵尊霊場 十八番札所
御詠歌 : やすらぎの この霊山に たどり来て 観音大師に 話すわが身を

龍智山 毘廬遮那寺 常光院(埼玉県熊谷市)5

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埼玉県熊谷市にある「龍智山 毘廬遮那寺 常光院」に参拝してきました。
天台宗の別格本山になる寺院になります。

久しぶりの参拝になります。
以前は、東日本大震災があった月の下旬に訪れ、昨年は2月に、そうして今年は3月16日に訪れました。
以前の参拝日記は⇒こちら

熊谷市の北部、中条小学校の近くにお寺はありました。

最寄り駅は、JR「熊谷駅」になります。
徒歩でお寺までの来るのは大変かと思われます。
お寺の近くまでバスが来ているようです。

お寺の東側にある駐車場にはありました。
自動車は、十台以上は停められそうです。

天台宗の別格本山になります。
埼玉県には、金鑚大師も天台宗別格本山なので、二ヶ所もある・・・


こちらのお寺の由緒は以下の通り(ホームページより抜粋)。
「長承元年(1132)藤原鎌足十六代目の子孫である判官藤原常光公が、武蔵国司に任ぜられて下向し、当地に公文所を建て、土地の豪族白根氏の娘を娶り中條の地名を姓として土着、館を構えて政務に精励したが、保延三年(1137)5月1日病没された。
遺骸は館の東に葬られ近年まで常光塚(権現山古墳)として残っていた。
常光公の孫の中條出羽守藤次家長公は、16歳にて石橋山の合戦には既に頼朝公に扈従していて信任が厚く、関東武士では唯一人貞永式目制定に参画し、評定衆(現在の閣僚)として鎌倉に住んだため、自分の中條館を寺とし、五町余歩の土地を維持費として付し、祖父常光公及び殉死した愛童の菩提を弔うため、比叡山から天台の名僧金海法印を迎えて、建久三年(1192)開基したのが龍智山毘慮遮那寺常光院である。
爾来法燈連綿として第41世を数え、この間徳川家康公は慶長九年朱印三十石、除地二十石、合計五十石の寺領を賜った。
常光院は、開基以来延暦寺直末で天台宗に属し、特に梶井宮門跡(現三千院門跡)の令旨と、その御紋章「梶竪一葉紋」を下腸されて寺紋とし、徳川幕府に至り寺格は十万石、帝鑑定の間乗輿独札の待遇を与えられ、東比叡山の伴頭寺とされてきた。
水田地帯の真ん中に古木の平地林、山王社の鳥居は本格的な山王鳥居として関東では珍しく朱塗りが映え、埼玉県指定の「ふるさとの森」の中には全国で初めてという芭蕉翁三百忌を偲ぶ四吉の連句碑、本格的な三十六歌仙句碑など大小の句碑が建ち並び、最近では境内散策の俳句寺として親しまれている。」


こちらが山門になります。
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中条氏の館跡に建つお寺です。
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こちらのお寺の周囲は、濠がありました。
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やはり館跡です。

参道を進みます。
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そうすると、本堂がありました。
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茅葺きの屋根で、とても趣があります。
本尊である「釈迦三尊」や「元三大師」等の諸仏が祀られています。

境内には、観世音菩薩がいらっしゃいました。
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ぼけ封じ関東三十三観音霊場の札所本尊になります。
年をとっても、頭はスッキリはっきりしていたいものです。

また、開基となった「中条家長」の祖父「中条常光」のお墓がありました。
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このお方の菩提を弔ういための創建ですからね。

また天野氏のお墓がありました。
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詳しく調べていません・・・
どなたなんでしょうか?続きを読む

春日岡山 惣宗官寺(栃木県佐野市)2

栃木県佐野市にある「春日岡山 転法輪院 惣宗官寺」に参拝してきました。
天台宗に属するお寺で、「佐野厄除け大師」として有名なお寺です。

佐野市の中心部にお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線・東武佐野線「佐野駅」になります。
徒歩では、10分位かかりそうです。

お寺専用の無料駐車場が周辺にありました。
お寺の前には有料駐車場もありますので、気をつけて下さい。


お寺の由緒は以下の通り(ホームページより抜粋)。
「朱雀天皇の天慶七年(944年)3月、奈良の僧宥尊上人が開いた寺で、最初は日本の仏教で最も古い南都六宗の法相宗に属し、正しくは春日岡山転法輪院惣宗官寺(かすがおかやまてんぼうりんいんそうしゅうかんじ)という。
藤原秀郷公が平将門降伏の誓願により、佐野の春日岡(現在の城山公園)の地に、春日明神の社殿とともにお寺を建て朱雀天皇に申し上げたところ、天皇は大変喜ばれ「春日岡山惣宗官寺」の勅額を賜ったといわれている。
それ以来、藤原一門の信仰あつく栄えたが、平安時代の末期の保元・平治のころには衰えた。

その後比叡山の僧で俊海という人が、父の藤原光憲から「春日岡は、わが祖父である秀郷公の創立した氏寺である。 昔、保元・平治の乱に殿堂が焼けて灰になったが、父の志を継ぎ修行の後にこの山を復興せよ。」このことを深く 心にとどめ、この寺の荒れ果てたことを憂い、正応年間(鎌倉時代)に信徒を集めて、藤原一族および北条一門の 有志とはかり、鎌倉幕府九代執権北条貞時をさとして、永仁五年(1297年)8月に復興完成し、これ以後「法華経」を所依の経典とし、伝教大師を宗祖と仰ぐ天台宗となる。
その後十二世の僧豪海のときに慶長七年(1602年)、秀郷公から30代の佐野信吉公が、幕命により唐沢城をこの春日岡(城山公園)に移すにあたり、寺は現在地に移転した。
徳川時代には御朱印五十石を拝領し、寺社奉行も置かれ、三代将軍家光公も参拝する等徳川幕府との縁故も深い。
また当山は、厄よけ元三慈恵大師(御本地・如意輪観音)を安置し、厄よけ、身体安全の祈願を続けており、年毎に信者が激増し、正月大祭には約百万人以上の参拝客を仰いでいる。」


こちらが山門でしょうか?
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土曜日に参拝したので、参拝客はとても多かったです。

入って目に付くのが、こちらの鐘楼です。
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信者と書いて「儲かる」と読みますが、この鐘を見るとそう思います。

山門を入り、左側お片隅には、「春日稲荷大明神」がいらっしゃいました。
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いわゆるダキニ天を祀ってあると思われますが、開山と深く関係があるようです。
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説明板がありました。
ふむふむ。

こちらが「東照宮」です。
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「佐野東照宮」と呼んでいいのでしょうか?
こぢんまりしています。
神仏習合的でしょうか、おそらくは徳川家康公が久能山から日光山へ改葬される際にこちらのお寺で一時的に休息したのかもしれません。
それが故に、東照宮が勧請されたのかもしれません。
もしかすると、こちらはお寺の境内にあるので「東照宮」というよりも東照神君の本地仏にあたる「薬師如来」が祀られているのかもしれませんね。
つまり「薬師堂」かもしれません。

こちらが地蔵堂です。
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小僧さんがいらっしゃました。
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可愛らしいです。続きを読む

寺岡山 薬師寺(栃木県足利市)5

栃木県足利市にある「寺岡山 施薬院 薬師寺」に参拝してきました。
「寺岡山元三大師」として知られ、天台宗のお寺になります。

足利市の東部、佐野市に近いところにお寺はありました。

駐車場は、山門前にありました。
自動車は、数十台位は停められそうです。

最寄り駅は、JR両毛線「富田駅」になります。
徒歩では、約15分になります。

お寺までの道は、とても狭いので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。

以前の参拝日記は⇒こちら


お寺の由緒は以下の通りです(ホームページより抜粋)。
「近年、寺岡の元三大師として知られる当山の正式名称は、寺岡山施薬院薬師寺と号す。
寺伝によると、聖徳太子の命よって建立され、『下野八薬師』と称されていたと伝えられている。
元文年間(江戸時代)東山天皇の第三皇子、崇保院宮前天台座主准三后一品公寛法親王が、上野東叡山寛永寺(輪王寺門跡第六世門主)をされていた時、足利市寺岡町出生の亀田庄左衛門則重公が、永年身命を賭しての忠節を認められ、【 日本に3幅 しか現存しない】元三慈恵大師尊影御真筆を拝領する。
その後、自家に安置して礼拝恭敬していた所、『困窮の人、救済すべし』という元三大師自らのお告げを受け、元三慈恵大師尊影御真筆を寺岡山施薬院薬師寺(後の寺岡山元三大師)に奉納するに至る。
以来、寺岡山薬師寺は寺岡山元三大師として厄除け・商売繁盛の祈願寺として江戸の人々の信仰を受ける。
檀家をとらず、祈願寺のみの寺院として歩んできた経緯には、当時の栄華と信仰の顕れが伺える。
また頃を同じく(江戸期)、祈願寺として人々の信仰を集めていたのが川崎大師、西新井大師である。
当山の境内には、皆様の憩いの場となる様、四季折々の花を咲かせ、特に萩の季節は見事であり、近年に於いては、『下野の萩の寺』として称讃を賜っている。」


山門になります。
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さほど大きくはありません。

山門の扁額です。
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山門を入り、石段があります。
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正面には本堂があります。
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元三大師が祀られています。
合わせて本地仏の「如意輪観音」も祀られています。

また、石段を上がった左側には「開山塔」と呼ばれる宝塔がありました。
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足利市指定文化財になっています。続きを読む
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