神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

佐野市

道の駅どまんなかたぬま(栃木県佐野市)4

栃木県佐野市にある「道の駅どまんなかたぬま」に寄ってみました。
住所は、「栃木県佐野市吉水町366-2」になります。
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入口にはさのまるが!
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足湯がありました。
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無料で入れます。

足湯の前にはガーデンがありました。
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建物内には、いろんなお店がありました。
いもフライを売るお店は列を作ってました。

そのなかに「富次郎」というお店がありました。
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たこ焼きが中心のお店です。
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そのなかに「さのまる焼き」がありました。
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味は、普通です。たい焼きのさのまるバージョンです。

近くには人丸神社や沼鉾神社が鎮座しています。

沼鉾神社(栃木県佐野市赤見町)5

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栃木県佐野市の中心部から北西に行ったところかに神社は鎮座していました。
近くには佐野市立赤見小学校や日本電産コパル電子佐野工場がありました。

人丸神社からは自動車で10分はかかりません。

最寄り駅は、JR両毛線・東武佐野線「佐野駅」になります。
徒歩では無理かもしれません。
できれば自動車で行かれた方が良いかもしれません。

自動車は、境内に数台は停められそうです。


こちらの神社の由緒は次の通りです(案内碑より)。
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「神社の創立は、文武天皇二年(西暦698年)六月十五日勧請したと伝えられ、藤原秀郷公が元慶九年(西暦946年)に御本殿及び拝殿等を再建したといわれております。その後、正治二年(西暦1200年)に御本殿、拝殿を修理し、元和元年(西暦1615年)に御本殿の改築が行われております。享保年間に至り拝殿は、火災に会い消失しておりましたが、天保十一年(西暦1831年)正月十九日に新築されました。この度、御本殿、拝殿共老朽化甚しく、改修の必要にせまられ、氏子、崇敬者相計り、社殿の改修、社務所の新築をすることに決定し、社殿改修は、昭和五十八年七月二十五日仮遷宮並びに改修報告祭を執行、同年十二月二十五日修了、社務所の新築は昭和五十八年起工式を行ない、同五十九年三月二十九日工事を修了いたしました。追加工事として、水屋並びに神楽殿、末社の整備を行ない、ここに総べての工事を完了することができましたので1200年を記念し奉祝祭を執行いたしました。」


こちらの神社は、佐野市の中心部から外れており、周辺は長閑になります。

佐野市内には「佐野厄除大師」や「唐澤山神社」があり、「藤原秀郷」に関わる社寺が多いです。

こちらが鳥居になります。
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狛犬になります。
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社殿になります。
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神社の看板には「当神社を御信仰される方は、お金に不自由を致しません。」と書かれていました。
金運が向上がしたらいいな(・ω・)

社号額になります。
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絵馬が掲げられていました。
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境内には「織姫神社」や「二福神社」が鎮座していました。
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また、樹齢300年以上の柊がありました。
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「ふるさと佐野100選」に選定されているそうです。

社務所は、宮司さん宅と授与所を兼ねています。
御守りや御札等の授与品はありました。

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御朱印は、社務所で頂けました。ちょうど宮司さんが御祈祷で外出するところでした。御朱印代は「お気持ちで」だそうです。
帰りがけヤクルトを頂きました。感謝するばかりです。

こちらの神社から「道の駅どまんなかたぬま」は近いですので、自動車で行かれた方はそちらで休憩や食事ができます。




神社名:沼鉾神社
鎮座地:栃木県佐野市赤見町3009番地
祭 神:伊弉冉尊 伊弉諾尊
社格等:旧村社 旧赤見村鎮守

人丸神社(栃木県佐野市小中町)5

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栃木県佐野市の中心部から北西へ行ったところにありました。

最寄り駅は、JR両毛線・東武佐野線「吉水駅」になります。
徒歩では無理かもしれません。
できれば自動車で行かれた方が良いかもしれません。

駐車場は鳥居のそばにありました。自動車は、5〜6台位は停められそうです。


こちらの神社の由緒は次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』より)。
「栃木県佐野市小中町の旧村社。祭神は柿本人麿。例祭は4月15日、10月15日。25年ごとに半開扉があり、50年ごとに開扉がある。
 かつて柿本人麿が当地に遊び、里人が人麿を信仰して元慶元年(877)に岩見国高角山から勧請した。
 『志もつけの 安蘇野の原の あさあけに もやかけわたる つつらくさかな』と詠まれた。
 境内には清池がある。」

境内の案内板によると次の通りです。
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「人丸神社縁起
一、所在地
  佐野市小中町1062番地
一、御祭神
  万葉の歌聖 柿本人麿公
一、御祭礼 
  一月初詣・元旦祭
  四月・十月 第二日曜日
  御神楽奉納(市指定無形民俗文化財)
一、宝物  
  柿本人麿公御神影・小堀鞆音画伯謹書
  湧泉地・神苑が記念物(名勝)
  神楽面(八面)=出目勝満作(市指定文化財)
 なお、御社には、須藤晏齋、小堀鞆音、同安雄の父子三代にわたって絵画が奉納されている
一、当地は義人田中正造翁、画聖小堀鞆音、同安雄、山口信治(正造翁と国会開設請願者)、篠崎ハル(ナイチンゲール受賞)篠崎敏治、源三兄弟の生誕の地として有名である
一、御社に参拝された文人は樋口清之(国学院大学名誉教授)、梅原猛ご夫妻(京都産業大学教授)、小堀桂一郎(鞆音=孫東京大学教授)、小林吉一(国学院栃木短大教授)
 芸能人は当地縁の京塚昌子、江戸家猫八、小猫父子等の各氏
一、初詣、七五三、学業成就(進学合格)、交通安全祈願は霊験灼(あらたか)である
 御祭神人麿公の詠れた歌
  下野の阿蘇野の原の朝あけに
  もやかけわたる、つづら草かな」


鳥居になります。
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くぐると、右側には「八坂神社」が鎮座していました。
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先に進んでいきます。
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右側には池がありました。
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先に進むと左側には垂れ桜がありました。
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3月22日に参拝しましたが、まだ咲いていませんでした。
来月の上旬には見頃かもしれません。

こちらが神楽殿になります。
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どんな神楽が舞われるのでしょうか?

先に進むと、社殿が鎮座していました。
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(´人`)

飛鳥時代の歌人「柿本人麻呂公」を祭神とする神社になります。
一時期こちらに滞在していたとか。どのような経緯でこの地に来たのでしょうか?

社殿には龍の彫刻がありました。
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親子だそうです。

社格を調べていたら「村社」とありました。
しかし、拝殿に掲げられていた社号額は「郷社人丸神社」とありました。
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どうなんでしょうか?

こちらが本殿になります。
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社殿前には狛犬がいらっしゃいました。
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厳ついです。
何だか目が緑色なんですけど…

境内社になります。
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境内には「為朝神社」が鎮座していました。
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厄除けの御利益があるそうです。祭神は誰なんでしょうか?

御朱印は、「社務所」で頂けました。
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宮司さんは不在らしく、奥様?が対応してくださいました。御朱印代は、300円でした。

御守りや御札といった授与品はありました。




神社データ
神社名:人丸神社
鎮座地:栃木県佐野市小中町1062番地
祭 神:柿本人麿公
社格等:旧村社

加茂別雷神社(栃木県佐野市)5

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栃木県佐野市に鎮座する「加茂別雷神社」に参拝してきました。
旧村社になります。

佐野市の中でも旧田沼町神社はありました。

最寄り駅は、東武佐野線「多田駅」になります。
徒歩では、十数分位でしょう。
田沼駅からも歩いて行けそうです。

駐車場は見当たりませんでしたので、自動車は境内に置いてしまいました。
他にも駐車場があるかどうかわかりません。


こちらの神社の由緒は以下の通りです(社殿掲示の由緒板より)。
「当神社は人皇五十一代平城天皇の御宇大同二年五月五日山城国加茂皇大神の分霊を菊水山に勧請し、爾来雷大権と称せり。
降而朱雀天皇天慶三年唐沢山城主田原藤太秀郷公平将門追討するに際し、本社に戦勝祈誓せしに速に将門誅に伏したり。
因に公の子息藤原千常公に至り、秀郷公崇敬篤かりし菅公像神体を当社の相殿に斎き奉り、社領を奉納し近郷十八箇村の総鎮守としたり。
境内に八重の紅色菊花群生し美観を呈する中に霊泉湧出し集りて霊池を成す。
これ菊水川の源にして大旱と雖も涸れし事なく、流路は山腹を迂曲して水田に灌漑し五穀豊穣の守護神と称し、嘉永四年(1851)五月社号を菊水神社雷大権現と称せしが明治維新の際現今の如く改称せり。
明治中葉神霊に報賽し永世太々講を起し講員分布二県二郡に亘るを知る後霊験灼なるを感得し分霊を斎り長く報賽の請願に合い、それに分霊して今日尚年々報賽し来るあり。
祭典は五月五日六日の両日にして、当夜には菊水川の下流に当り無数の灯火波紋に映し更闌くるに漸く社頭に接するの趣あり。
古諺之を竜灯と称し世人の尊敬厚く実に稀有の祭典なり」


こちらの神社から少し北に行き、多田駅を通り過ぎると左側に「賀茂別雷神社」という読み方は同じ神社が鎮座しています。
両社とも京都の上賀茂神社からの勧請になります。
多田町に鎮座する賀茂別雷神社は「天智八年(669年)」、こちらの神社は「大同二年(807年)」の勧請になり、138年遅く勧請されています。

こちらは、鳥居になります。
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道路沿いにありました。

境内に入ると右側には手水舎がありました。
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境内はさほど広くはありません。

こちらが社務所になります。
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参拝したのは5月3日でして、その翌々日の5月5日が例大祭になりますので、氏子さん達が御札等の準備をしていました。

こちらが神楽殿になります。

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どのような神楽が舞われるのでしょうか?

こちらが社殿になります。
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小ぢんまりしていますがなかなか立派です。続きを読む

天明宿星宮神社(栃木県佐野市)5

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栃木県佐野市の中心部に鎮座する「天明宿星宮神社」に参拝してきました。
旧村社になります。

佐野市役所の西に鎮座しをしていました。

最寄り駅は、JR両毛線・東武佐野線「佐野駅」になります。
徒歩では、約10分位かかりそうです。

佐野信用金庫を目印にしてください。

駐車場は、境内と神社の北口にありました。
自動車は、10台位は停められそうです。
佐野厄除け大師からも近いので、佐野厄除け大師の専用駐車場においてもよさそうな感じですが・・・

星宮神社由緒は以下のとおりです。
天孫星宮大明神建立記によれば、星宮神社は久安年中(1145年〜1150年)の草創で天孫星宮慈照大明神と称する。
当社はかつて天明宿の氏神であり、明治九年には合併した旧佐野町の氏神となる。
主祭神は天津日高彦穂迩々杵命 相殿 磐裂神 根裂神 を祀り、神仏分離に至るまで合はせ虚空蔵を合祀し、共に国土開発・地域産業発展の為に功顕せられた神々として敬神の心厚く崇拝され、特に氏子はウナギを食べない伝説(質素倹約を旨とし)あり華美を謹み質実を奨められた神のおぼしめしを守り、酒を飲み喧嘩口論等を謹む神のいましめとして氏子に伝えられている。
後虚空蔵菩薩は現在春日岡惣宗寺に移管されている。
星宮神社が天明宿の氏神に祀られる前は、犬伏地区富岡にあったという説。
これを慶長五年(1600年)佐野修理大夫信吉が現在地に移転させたと伝え、旧社地が七ツ塚と呼ばれ塚を七つ北斗七星の形に配置、この地を星宮妙見大菩薩を祀る地としている。

こちらが入口になります。
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通りから少し入ったところにあるので、分かりづらいかもしれません。

境内に入ると、鳥居があります。
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青銅製で1735年に天明宿の氏子が奉納したものであり、佐野市文化財に指定されています。

境内には、境内社がありました。
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こちらが雷電神社です。
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囲われてしまっているのでしょうか?

境内の外側には、庚申塔がありました。
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真ん中のお社はなんでしょうか?

仏像なのか御神像なのかがわかりませんが・・・
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お地蔵様でしょうか?
なんでしょうか・・・

こちらが石段です。
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登りきると社殿があります。
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こぢんまりした社殿です。続きを読む
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