埼玉県久喜市に鎮座する「武蔵國鷲宮神社」に参拝してきました。
旧県社になります。
久喜市の北部、旧鷲宮町に鎮座する神社です。
最寄り駅は、東武伊勢崎線「鷲宮駅」になります。
徒歩では10分位になりそうです。
最寄りのバス停は「鷲宮神社前」になります。
JR宇都宮線「東鷲宮駅」からバスが出ていますので、ご利用ください。
駐車場は、鳥居の前にありました。
自動車は、数十台は停められそうです。
こちらの神社の由緒は次の通り(由緒書きより)。
「当社は、出雲族の草創に係わる関東最古の大社である。
神代の昔に天穂日宮とすの御子武夷鳥宮とが、昌彦・昌武父子外二十七の部族等を率いて当地の神崎神社(大己貴命)を祀り、さらに天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀したのに始まる。
崇神天皇の御世には、太田々根子が司祭し、豊城入彦命、彦狭島命諸別王が、それぞれ幣帛を奉納した。
景行天皇の御世には、日本武尊が当社の御神徳を崇め尊み、社殿の造営をし、併せて相殿に武夷鳥命を奉祀した。
桓武天皇の御世には、征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り奥州鷲の巣に当社の御分社を霊を奉祀した。
中世以降には、関東の総社または関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く歴史上有名な武将だけでも藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等があげられ、武運長久を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされた。
江戸時代には、四百石の神領が与えられ、歴代将軍の朱印状が残されている。
明治天皇の御世には、神祇官達により准勅祭社に定められ、勅使参向のもと幣帛の奉納がなされた。
そして明治天皇の行幸の際、当社に御小憩され祭祀料として金一封を賜り、昭和天皇の御世にも幣帛を賜った。
終戦の後、神社本庁包括宗教法人として氏子崇敬者の尊信を専らにしてかかわることなく今日にいたっている。」
神社へ向かう道には、大きな社号標がありました。
すっかり「らき☆すた」で有名になってしまった神社です。
こちらが駐車場です。
参拝したときは、駐車場には痛車はありませんでした。
こちらが鳥居になります。
鳥居の右には、社号標がありました。
参道を入ると、左側には由緒が書かれた案内板がありました。
古い神社です。
延喜式には記載されなかったのだろうか?
参道を先に進みます。
狛犬がいらっしゃいました。
いかつい顔をしています。
青銅の燈籠がありました。
なかなか立派です。
「鷲宮堀内遺跡」がありました。
ということは、重要な神社だったのかもしれません。
光天之池がありました。
龍神様がいるという伝説があります。
先に進んでいきます。
こちらが手水舎になります。
手と口を漱ぎます。
さて参拝です。続きを読む
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