神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

中央区

福徳神社 芽吹き守(東京都中央区日本橋室町)5

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 社殿左側にある授与所で「芽吹き守(めぶきまもり)」を一体頂きました。初穂料500円になります。

 ホームページでは芽吹き守についてこのように書かれていました。
「『椚の皮付き鳥居に春の若芽が萌え出でた』の故事に因んだ芽吹き守
 自身の新たなる能力の芽生え成長の祈願に。 会社の成長繁栄の祈願に。
 また、新規事業と新たな企画の、芽生えと成長を祈願する御守です。」

 何だか前向きな感じがする御守りでしたので頂きました。

 社殿になります。
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 御朱印あり。授与所にて頂ける。御朱印代は300円。


神社名:福徳神社
鎮座地:東京都中央区日本橋室町二丁目4‐14
祭 神:倉稲魂命
相 殿:天穂日命 大己貴命 少名彦名命 事代主命 三穂津媛命
合 祀:太田道灌 弁財天 徳川家康公
旧 称:福徳稲荷
通 称:芽吹稲荷
社格等:旧村社
札所等:東京八福めぐり
URL:http://mebuki.jp/

福徳神社(東京都中央区日本橋室町)5

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 東京都中央区の日本橋三越の近くに神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前駅」になります。A6番出口よりすぐになります。

 神社専用の駐車場は見当たりませんでした。自動車で行かれる方は近くの有料駐車場をご利用下さい。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(由緒書きによる)。
「当神社の創祀された時は明らかではないが、当社に伝わる略記によると、清和天皇の御代の貞観年間(859〜876)には既に鎮座していたようである。
 当社は、武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって社号とした。
その鎮座する社地は広大にして、社殿も広壮であったと伝えられる。社の四隣は森林や田畑に囲まれ、周辺には農家が散在する片田舎であったとされる。土地の人々は当社の森を『稲荷の森』と呼び、その森の一端に建てられていた里程標(一里塚)を『稲荷の森塚』と呼び習わしていた。この里程標は、後に明暦三年酉年(1657)正月八日の大地震により崩壊。当時の人々が散乱した石碑の破片を拾い集め、保存を図ったと伝えられる。左記は、その碑銘の写しである。

表:宮戸川邊り宇賀の池上に 立る一里塚より此福徳村 稲荷森塚迄一理
裏:貞観元年卯年 三つき吉祥日

 また、そもそも当社は、元来、武将の信仰が厚く、源義家朝臣(1039〜1106)により深く崇敬されていたことが記されていたとも伝えられている。江戸幕府以前には太田道灌公を合祀し、その兜・矢・鏃などが奉納されたと伝わっている。
 徳川家康公は、江戸に入府した天正十八年(1590)八月に初めて当社に参詣し、その後も数度に渡って参詣している。更に二代将軍秀忠公は、慶長十九年(1614)正月八日に参詣した折、『福徳とはまことにめでたい神号である』と称賛。この時、当社の古例である椚(クヌギ)の皮付き鳥居に春の若芽の萌え出でたのを御覧になり、神社の別名を『芽吹(めぶき)稲荷』と名付けられた。元和五年(1619)二月に御城内の弁天宮を当神社に合祀するにあたり、将軍自ら神霊を納められ、大和錦の幌を奉納し、更には『社地縄張を三百三十坪余り』と定められた。」


 周辺はデパートやオフィスビルの中に神社はありました。

 鳥居になります。
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 社殿になります。
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 場所が場所だけに参拝者が多かったです。平日はビジネスマンも多いのではないかと思います。

 緑があります。
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 境内には「福徳の森」がありますが、まだまだ森を形成するまでには成長さしていません。

御朱印は、境内の左側にある「授与所」にて頂きました。御朱印代は300円です。

 御守りや御神札といった授与品はありました。私は「芽吹き御守(初穂料500円)」を一体頂きました。





神社名:福徳神社
鎮座地:東京都中央区日本橋室町二丁目4‐14
祭 神:倉稲魂命
相 殿:天穂日命 大己貴命 少名彦名命 事代主命 三穂津媛命
合 祀:太田道灌 弁財天 徳川家康公
旧 称:福徳稲荷
通 称:芽吹稲荷
社格等:旧村社
URL:http://mebuki.jp/

小網神社 授与品(東京都中央区日本橋小網町)5

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東京都中央区にある「小網神社」になります。

最寄り駅は、東京メトロ日比谷線・都営地下鉄都営浅草線「人形町駅」、東京メトロ東京メトロ半蔵門線「水天宮前駅」になります。

駐車場は見当たりませんでした。
周辺に有料駐車場があるかどうかわかりませんので、できれば電車かバスで行かれてください。


こちらの神社の由緒は次の通りです。
「当神社は、伊勢神宮を本宗として、文正元年(1466)今より約550年ほど前に、商売繁盛、疫病鎮静の神として鎮座した。
 初めは、小網山稲荷院万福寿寺を別当寺とした稲荷神社であった。その後昭和初期までは、小網稲荷神社と号し、江戸時代から稲荷堀稲荷とも称されていた。
 その後太田道灌は、当社への崇敬篤く、時折参拝し、社地を奉じ、社殿を造営したといわれる。社名も公の命名によると伝えられる。
 さて、戦時下では、当社の『強運厄除守』を奉戴した者の多くが、戦地より無事帰還したことから、都内は勿論、各地より強運厄除の御神徳を戴き、自らの運を強め、豊かで明るい生活を求める参拝者で賑わう。」


日本橋小学校の近くに神社は鎮座していました。

神社の全景になります。
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神社自体は狭いくらいです。

提灯になります。
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手水舎になります。
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手と口を漱いで、参拝です。

強運厄除けの神社だそうで、力強い感じがしました。なのか、参拝者も途切れずにいらっしゃいました。

神社は、まだ改修工事中です。

授与所は、以前は社殿左側の所にありましたが、境内左側に移りました。

日本橋七福神の福禄寿です。
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(´人`)

参拝後、授与所にて御神札と強運厄除けの御守りを頂きました。



神社名:小網神社
鎮座地:東京都中央区日本橋小網町16‐23
祭 神:倉稲魂神 市杵比賣神 福禄寿
社格等:旧村社
旧 称:小網稲荷神社
札所等:日本橋七福神 弁財天・福禄寿
    下町八社福参り

赤坂山王日枝神社(東京都中央区永田町)3

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東京都千代田区永田町に鎮座している「赤坂日枝神社」になります。。

最寄り駅は、東京メトロ千代田線「赤坂駅」、銀座線「溜池山王駅」になります。
両駅から徒歩数分位の所にありました。


こちらの神社の由緒は次の通りです(國學院大学日本文化研究所編 弘文社刊『神道事典』より)。
「〈祭神〉大山咋神、相殿、国常立尊、伊弉冉神、足仲彦尊
〈指定文化財〉太刀一振(国宝) 太刀十四振(重文)
〈例祭日〉6月15日(山王祭、神幸祭(隔年))
〈由緒〉創祀年代未詳。熊野那智大社米良文書の貞治元年(1362)の文書に『武蔵国豊島郡江戸郷山王宮』とみえ、これが当社の前身にあたるという説がある。また一説には、文明十年(1478)太田道灌が江戸築城の際に川越の無量寿寺(現、喜多院)の鎮守日枝神社から勧請したことに始まるともいう。
 天正十八年(1590)徳川家康が江戸に移封されたときに、城内の紅葉山の地に遷座し江戸城の鎮守とされた。慶長九年(1604)からの江戸城改築に伴い、麹町隼町に移遷され江戸庶民の参拝が可能となった。その後明暦の大火で類焼したため、万治二年(1659)さらに現在地にに移された。
 当社の祭礼である山王祭は神田祭と並び江戸の代表的祭りとされ、多数の山車・練物が出るなど華美を極めた。天下祭・御用祭としょうされた。
 明治元年(1868)11月、東京奠都に際して准勅祭社となり、そののち祠官となった平山省斎の努力などもあって皇城鎮護の社として官幣大社に進んだ。
 昭和二十年(1945)5月の空襲で国宝の社殿をはじめ宝物類を焼失したが、昭和三十三年6月に現在の社殿が復興された。
〈旧社格〉官幣大社(大正元年)」

また、大修館書店刊「日本の神仏の辞典」よると次の通りです。
「東京都千代田区永田町に鎮座する旧官幣大社。神社本庁別表神社。主祭神は大山咋神、相殿神に国常立尊、足仲彦尊、伊弉冉神を奉斎する。
 江戸期においては日吉山王社・山王権現と称し大宮・二宮・三宮を祀った。
 創祀年限は平安末期に遡り、秩父流平氏の名族・江戸重長の江戸荘定着にともなって、同氏の本貫地川越荘の鎮守日吉宮を勧請したという。また、『米良文書』貞治元年(1362)の願文に『豊島郡江戸郷山王宮』とみえ、熊野師檀関係を軸とした中央との交流がうかがえる。
 文明十年(1478)太田道灌の江戸築城にあたり、郭内北の曲輪梅林坂に奉祀され、天正十八年(1590)徳川家康関東入国後は、紅葉山さらに半蔵門外へ遷祀、社領600石が付されるなど、爆風直轄の大社として重きをなした。明暦の大火後は現在地に遷り幕命によって荘厳な社殿が造営された。
 年二季、将軍家の奉幣があり、6月15日の祭礼は山王祭礼・天下祭りとして豪華な神幸祭を挙行、江戸第一の盛典と称された。」


鳥居になります。
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「山王鳥居」という独特な鳥居です。

階段で昇っていきます。
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外堀通りからの参道からはエスカレーターで境内まで登れます。
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(´・ω・`)

とても楽です。

こちらが表参道のようです。
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少々急ですから、気を付けてください。

随神門になります。
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手水舎になります。

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社殿になります。
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(´人`)

創建に関して勧請したのは「江戸重長」or「太田道灌」の両説があります。
共に武蔵国川越の「日吉社(日枝神社)」からのようです。

周囲はオフィス街です。
平日はサラリーマンやOLの参拝も多いかもしれません。

宝物館が開いており、拝観が出来ます。

以前こちらの神職が巫女さんにとんでもないことをしたことがニュースに出てました。

御朱印は、御朱印受付で頂きました。
御朱印代は500円円です。
以前は御朱印代は300円でしたが、値上げしてました。




神社名:赤坂山王日枝神社
鎮座地:東京都千代田区永田町二丁目10‐5
祭 神:大山咋神
相 殿:国常立尊 伊弉冉神 足仲彦尊
旧 称:山王社 山王権現
社格等:旧官幣大社 勅祭社 別表神社
URL:http://www.hiejinja.net/

小網神社(東京都中央区)5

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東京都中央区日本橋小網町に鎮座する「小網神社」に参拝してきました。

最寄り駅は、東京メトロ日比谷線・都営浅草線「人形町駅」になります。
A2出口より出て、徒歩で5分位の所にありました。

日本橋小学校の近くにあり、参拝したときは平日でだったので、児童の賑やかな声が聞こえました。

こちらの神社は、ビルの谷間にあるといった感じの神社になります。

提灯です。
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小網神社の説明板です。
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「当神社は、伊勢神宮を本宗として、文正元年(1466)今より約五五○年ほど前に、商売繁盛、疫病鎮静の神として鎮座した。
初めは、小網山稲荷院万福寿寺を別当寺とした稲荷神社であった。その後昭和初期までは、小網稲荷神社と号し、江戸時代から稲荷堀稲荷(とうかんぼりいなり)とも称されていた。
その後太田道灌は、当社への崇敬篤く、時折参拝し、社地を奉じ、社殿を造営したといわれる。社名も公の命名によると伝えられる。
さて、戦時下では、当社の「強運厄除守」を奉戴した者の多くが、戦地より無事帰還したことから、都内は勿論、各地より強運厄除の御神徳を戴き、自らの運を強め、豊かで明るい生活を求める参拝者で賑わう。」

やはり古社です。

こちらのお寺は、太平洋戦争の時、この神社の御守りを持って出陣した氏子の兵士達が全員帰還したという逸話があり、「強運厄除」の御神徳がある神社になります。

境内は、とても狭いですが、「強運」の神社だけあり、とても良い雰囲気です。
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社殿の向拝に施されている「昇り龍」と「降り龍」の彫刻は、とても素晴らしいです。続きを読む
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日本のまほろばを探して社寺を参詣しており、社寺参詣道代表師範です。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士(ファイナンシャルプランナー)、日商簿記検定2級、秘書検定2級、全経電卓検定3級、神社検定参級、安全衛生推進者
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