神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

下野三十三観音霊場

多氣山不動寺持宝院 北関東不動尊霊場(栃木県宇都宮市田下町)5

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 栃木県宇都宮市の西部にお寺はありました。

 最寄り駅は、JR宇都宮線・日光線「宇都宮駅」、もしくは東武宇都宮線「東武宇都宮駅」になります。
 徒歩でお寺まで行くのは無理ですので、バスをご利用ください。両駅から「立岩」バス停行きに乗り、「大谷観音」バス停下車、徒歩約30分になります。ちなみに大谷観音バス停の一つ前が「切通し」、二つ手前が「大谷橋」バス停になります。
 もしくは、「鹿沼営業所」行きのバス停に乗り、「田野町」バス停下車、少し歩きます。

 お寺専用駐車場はありました。自動車は、かなりの台数が停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(雄山閣出版刊『日本名刹大事典』による)。
「真言宗智山派、多気山、持宝院。本尊は不動明王。開山は勝道の弟子尊鎮。
 本院縁起によれば、宇都宮氏の始祖宗円が不動明王を奉じ、東国に下り氏家勝山に国家安穏の護摩壇を構え、五大明王の秘法を修めたという。宗円はこののち康平七年(1064)この地に伽藍したという。長治二年(1105)氏家勝山の伽藍が焼失し、宇都宮宗綱は霊験あらたかな不動明王を多気山に移し本尊を祀った。
 寺領十五石。
 のち宇都宮歴代城主の信仰あつく祈願所となった。」

 また、下野新聞社刊塙静夫著「とちぎの社寺散歩」よると次の通りです(一部抜粋)。
「(前略)
 当寺は、通称『多気さん』とか『多気の不動尊』といわれ、四季をとおして参詣者が多く、とくに正月中は大混雑し、参道脇は車でうめつくされる。
 寺伝によれば、弘仁十三年(822)、日光を開いた勝道上人の門弟尊鎮が馬頭観音を本尊として開山したという。その後寺の歩みについつは明かでないが、長治二年(1105)、宇都宮二代城主宗綱が勝山城(現・氏家町氏家)内の明王堂に安置してあった不動明王像を当寺に移して本尊にしたという。一説にはこの仏像を移したのは、建武二年(1335)、宇都宮九代城主公綱のときであるともいう。
 伝承によれば、この不動明王像は、藤原宗円(宇都宮氏の祖という)前九年の役(1051〜1062)のさい、源頼義にしたがって下向のときに捧持し、勝山で朝敵調伏(調伏とは悪を打破すること。とくに密教で五大明王などを本尊として怨敵を降伏させること)の壇をかまえて戦勝を祈願したものという。
 この本尊は、現在不動明王坐像(市指定)として本堂(不動堂)の奥に安置されている。高さ1.73辰隆麑畋い蚤枡發法惺応元年(1389)己巳十月廿六日』に修復した墨書銘がある。像は忿怒の形相(表情)をとっているが、顔面筋肉のはれ膨れや隆起などはみられず、力を内に秘めた成田山新勝寺(成田市)の不動明王像に似ている。平安時代末期ので、今では火よけ・商売繁盛の不動尊として信仰されている。
 山門をくぐり、136段のきつい石段をのぼると、右側に本堂(不動堂)があり、その左手に祭神殿がある。この裏側一帯は多気山持宝院社叢(市指定)として特別に保護されている。この社叢は、わが国の暖帯林の縁に位置する樹林として学術的な価値が高く、アラカシ・ウラジロガシ・ツクバネガシなどのカシ類と、ヤブツバキ・ヒサカキ・ヤマザクラ・ヤマモミジ・イタビカズラ等が茂っている。
(後略)」


 宇都宮市といっても市街地からかなり外れていますので、周辺は山の中といった感じでした。
 緑が多いので、春先から紅葉の時期の参拝をお薦めします。

 交通安全祈祷殿になります。
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 先に進むと山門がありました。
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 右側には本坊がありました。
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 急な石段を上がっていきます。
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 石段を上がり、境内にはいると本堂と大師堂がありました。
本堂
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歳神堂
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神楽殿かと思いましたが…

 大師堂
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 本堂は不動明王、大師堂は弘法大師と馬頭観音・如意輪観音が祀られています。不動明王は北関東三十六不動尊霊場、馬頭観音は下野三十三観音霊場の札所本尊になります。
 ちょうど本堂では護摩祈祷が始まるところでした。開始の合図が法螺貝でした(´・ω・`)

 御朱印は、境内の右側にある授与所で頂けました。
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 「不動明王(2種類)」・「寿老人」・「馬頭観音」の4種類になります。御朱印代は各300円(納経帳)、500円(北関東三十六不動尊霊場納経軸)です。

 御守りや御札といった授与品はありました。

 多気不動尊から「大谷観音(坂東三十三観音霊場十九番札所)」まで2匱紊覆里納動車でさほどかからないかと思われます。






寺院名:多氣山 不動寺 持宝院
所在地:栃木県宇都宮市田下町563番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:不動明王
通 称:多氣不動尊
札所等:北関東三十六不動尊霊場 十八番札所
    下野三十三観音霊場 別格霊場
    下野七福神 寿老人
御詠歌:あらたかや 願いをさずく 不動尊 衆生守る 多気のみ山

金剛山鑁阿寺 関東八十八ヶ所(栃木県足利市家富町)5

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 栃木県足利市の中心部、足利学校の近くにお寺はありました。

 最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。徒歩では、約10分位でしょうか。

 駐車場は、境内の北側にあります。自動車は、数十台位は停められそうです。
 駐車場迄の道は、一方通行の細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけて下さい。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の寺院。金剛山仁王院。本尊は大日如来。
 足利義兼が邸内に設けた持仏堂に始まり、子息義氏が大御堂を建立して寺院化。開山は義兼の護持僧理真(りしん)。以来、足利氏由緒の寺として栄えた。戦後、大日派を設立。
 境内は足利氏宅跡として国史跡に指定。」

 また、吉川弘文館刊「日本仏教史辞典」によると次の通りです。
「栃木県足利市家富町にある寺院。真言宗大日派総本山。金剛山仁王院法華坊鑁阿寺と号す。本尊は大日如来。
 『鑁阿寺縁起』(『鑁阿寺文書』)によれば、建久七年(1196)、足利義康の子上総介義兼が伊豆走湯山の理真を開基として『城堀之内』に持仏堂を建てたのに始まるという。寺院としての形態が整えられたのは、子の義氏の時で『堀内御堂』と称された。天福二年(1234)の鑁阿寺棟札写によれば、『奉做起方五間大日如来大殿一宇』とあり、義氏が大壇那となって方五間の大日如来大殿を建立している。また彼は、堀内の外側に十二坊を建て、月谷・飯塚両郷を寄進し、『供僧十二院制度』を設けたといわれるが(『縁起』)、これは鎌倉末期〜南北朝時代を通じて整備されてきたとされる。この制度は、東光院・普賢院・不動院・六字院・浄土院・宝珠院・威徳院・延命院・千手院・金剛乗院・竜福院・安養院の十二院の塔頭が東西両院に分かれ、供僧として法会などを執行したもの。一山を代表する学頭は千手院が務めた。室町時代には、十二院が輪番で『年行事』として寺務を行なった。
 鑁阿寺という寺号がはじめて史料に現れるのは、建長三年(1251)3月8日の足利泰氏置文で、充所は『鑁阿寺供僧中』となっている。
 家時の時、大御堂の一廓には廊下で接続された中御堂も創設されていたが、弘安十年(1287)の落雷で、堂宇はことごとく炎上してしまったので、子の貞氏は七年の歳月をかけて再建に努力をしている。こうして完成したのがほぼ現在の鑁阿寺である。寺領は足利将軍家や鎌倉公方によって寄進され、創建期から室町時代中期にかけて寺運もっとも興隆し、門前には市が立つほどであった。戦国時代、戦勝祈願を依頼した古河公方家の礼状など多数残されている。天正十三年(1585)鑁阿寺十二支院のいずれかに属する橋本郷の百姓らは、小田原北条氏の進攻に際して作毛を荒らされ年貢の減免を要求して百姓申状を長尾氏の奉行所に提出した。江戸時代六十石の朱印地を賜ったが、維新後上地となり、一時衰退した。
 なお、境内は中世土豪の居館の面影をよく残しており、足利氏宅跡として国史跡に、また同寺所蔵の『鑁阿寺文書』615通は重要文化財に指定。」


 「真言宗大日派」という宗派に属していますが、元々鑁阿寺は奈良にある「豊山神楽院長谷寺」の直末であったため「真言宗豊山派」に属していましたが、戦後に真言宗大日派を創設して独立したようです。

 入り口になります。
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 手水舎になります。
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 1月29日に参拝しましたが、境内には七福神巡りをする方々で多かったです。

 本堂になります。
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 本尊である大日如来が祀られています。こちらで祈祷祈願が行われるようです。

 境内の売店では、焼きそばの良い香りが漂っていました。

 不動堂になります。
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 銀杏と多宝塔になります。
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 銀杏の木は、御神木的な感じの木なんでしょうか?

 経蔵になります。
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 御朱印は、本堂左側にある授与所で頂きました。関東八十八ヶ所の御朱印代は300円でした。御御影が一体付きます。



寺院名:金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(ばんなじ)
所在地:栃木県足利市家富町2220番地
宗 派:真言宗大日派
寺格等:本山
本 尊:大日如来
通 称:大日様
札所等:関東八十八ヶ所 十六番札所
    下野三十三観音霊場 二十八番札所
    足利七福神 大黒天
御詠歌:大日の み光うけて 咲く花も 仏の加護に あらざるはなし

三級山 近龍寺(栃木県栃木市)5

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栃木県栃木市にある「三級山 近龍寺」に参拝してきました。
浄土宗に属するお寺になります。

栃木県の中心部、栃木神明宮のそばにお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線・東武日光線「栃木駅」になります。
徒歩では約10分位はかかりそうです。

駐車場はあると思いますが、何処にあるかわかりませんでした。
近くにある栃木神明宮の駐車場を利用させて頂きました。良かったのでしょうか?


こちらのお寺の由緒は、次の通りです。
「当山は室町時代の応永28年(1421)に、浄土宗の僧侶である良懐上人によって創建され、 当初は宿河原(現在の栃木市城内町)にあって称念寺と号しておりました。
その後、天正16年(1588)に皆川広照氏が栃木城を築いた折りに現在地に移転し、 名を『三級山天光院近龍寺』と改めました。
これは栃木市内を貫流する巴波川が鯉の生息地で、 中国の故事に鯉は三段の堰を上ると龍に転じて天に昇ると云うところからその名を付けられたものです。
ご本尊、阿弥陀如来立像を中心として広がる江戸時代建立の本堂は、市内随一の威容を誇り、 蔵の街『栃木市』の中心にあって、宗祖法然上人のみ教え『専修念仏』のもと、宗教・文化・福祉活動に尽くし、今日に至っております。
現在、その境内には、昭和年建立の鐘楼堂(納骨堂)、聖観音像を祀った有無両縁塔、平成22年建立の三佛堂 (下野三十三ヶ所札所巡り二十四番札所の聖観世音菩薩さま、旧地蔵堂のお地蔵さま、子育安産・学業成就の呑龍上人などを祀る)、 ならびに火防の秋葉権現堂などが配され、北墓地には栃木市出身の文豪で文化勲章受賞の山本有三先生 のお墓もあります。
どうぞゆっくりとご参拝くださるようお願いいたします。 」


撮った写真が一部消えてしまいました。
また、参拝したときに撮りたいと思います。

こちらが山門です。
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立派な山門です。

こちらのお寺には、山本有三のお墓があります。
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看板がありますので、それに沿って行ってください。

境内には、三仏堂がありました。
堂内には、呑龍上人や聖観音(下野三十三観音霊場の札所本尊)等も祀られています。

納骨堂も兼ねた鐘楼堂もありました。

御朱印は、庫裡に併設されている寺務所にて頂きました。
御朱印代は、300円です。




寺院データ
寺院名:三級山 天光院 近龍寺
所在地:栃木県栃木市万町22−4
宗 派:浄土宗
本 尊:阿弥陀如来
札所等:下野三十三観音霊場 二十四番札所
御詠歌:天が下 うるおう民の 近龍寺 いずれ菩薩の 慈悲もしるべき

金剛山 仁王院 鑁阿寺(栃木県足利市家富町)5

栃木県足利市にある「金剛山 仁王院 鑁阿寺(ばんなじ)」に参拝してきました。
真言宗大日派に属するお寺になります。

足利市の中心部、「足利学校」の北側にお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。
徒歩では、約10分位でしょうか。

駐車場は、境内の北側にあります。
自動車は、数十台位は停められそうです。
駐車場迄の道は、一方通行の細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけて下さい。


こちらのお寺の由緒は以下の通り(足利市のホームページより)。
「鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼が、建久七年(1196年)に、邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。
その後、三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。
境内には重要文化財の本堂など貴重な建物が多く、このことから大正十一年に国の史跡に指定されています。
春は桜、秋はいちょうの黄葉が素晴らしく、市民には『大日様』と呼ばれ親しまれています。」


「真言宗大日派」なんて聞いたことがない宗派ですが・・・
元々鑁阿寺は、「豊山長谷寺」の直末であったため真言宗豊山派に属していましたが、戦後に真言宗大日派を創設して独立したようです。
何だか天台宗から聖観音宗を創り、独立した浅草寺見たいですが。

こちらが山門になります。
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お寺の回りには、濠がありました。
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やはり、足利氏の館跡に建つだけあります。
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山門を入ります。
足利市の中心部にありながら、境内はとても広いです。

右側には、遍路大師がいらっしゃいました。
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やはり真言宗のお寺だけあります。

境内の右側に、鐘楼がありました。
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国指定需要文化財です。

さらに進むと、左側には大銀杏がありました。
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いわゆる神社で言うところの「御神木」という位置付けでしょうか。
開基の足利義兼のお手植えの木と伝わりますが、実際はもっと後に植えられたようです。

参道を進むと、正面には「大御堂」がありました。
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大日如来を祀っているので「大日堂」になり、「本堂」になります。
年始は、ご祈祷・祈願に忙しそうです。
祈願に忙しそうです。
こちらには、祈祷受付・納経所・授与所が併設されています。

本堂の左側には、「中御堂」がありました。
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不動明王が祀られており、不動堂と呼んでも良いかもしれません。
成田山新勝寺より勧請したそうです。
不動信仰というのはあるんですね。

中御堂(不動堂)の前には、「多宝塔」がありました。
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大日如来と勢至菩薩が祀られています。
開基の足利義兼の創建だそうですが、江戸幕府五代将軍徳川綱吉の生母が徳川氏の祖先の新田氏と所縁のある足利氏ということで祖先の供養のため寄進したそうです。
足利氏の大位牌と江戸幕府の歴代将軍の位牌も祀られています。

また、「経堂」がありました。
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開基の足利義兼が妻の供養のため、一切経会を修するため創建されたそうです続きを読む

金滝山 清水寺(栃木県栃木市)5

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栃木県栃木市にある「金滝山大聖院清水寺」に参拝してきました。
天台宗に属するお寺になります。

栃木市の南西部、下都賀郡岩舟町に近いところにお寺はありました。
「ぶどう団地」という葡萄園が多くある道路(農道)を進んでいきます。
近くには、「大平町歴史民俗資料館」がありました。

道路沿いにお寺の看板がありました。

お寺までは、細い道を進んでいきますので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。

駐車場は、石段の前にありました。
自動車は、10台位は停められそうです。

最寄り駅は、JR両毛線「大平下駅」になります。
徒歩では、かなりかかりそうです。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです(由緒書きより)。
「大同年間(806年頃)国司報恩のため堂塔・坊舎を新築し、金滝山大聖院清水寺と号した。
天慶十年(947年)藤原秀郷は平将門を討伐した際、祈誓報恩のため堂塔を再建したが、治承四年(1180年)兵火により堂塔全てを焼失してしまった。
その後七十余年を経て、群馬県新田郡長楽寺「栄朝禅師」が寺院跡地の煙滅を歎いて小堂宇を建てたが、天正十二年(1584年)またもや兵火によって焼失してしまった。
天下は徳川の時世に入り、慶安二年(1649年)家光公より観音堂領として御朱印十石の寄進を賜り、時の住職「亮圓師」(中興第一世)によって堂塔が再興された。
天明二年(1782年)輪王寺一品親王の台命により東叡山寛永寺の末寺となったが、明治時代になって比叡山延暦寺の末寺となる。
昭和三十二年初春、飛び火により本堂・薬師堂を焼失したが、裏山にある観音堂(文化の御代建立)は火災を免れた。
昭和の末より、清水寺憩いの森として境内が整備され、ぼたんやつつじをはじめ各種の草花が植栽され、例年多くの参拝者や観光客で賑わっている。
現在の本堂及び会館は、二年余の歳月をかけ建立され、平成七年十月に落慶式が挙行された。」


お寺は山の中腹にあるといった感じでした。
お寺からは、眺めがとても綺麗でした。
これからの季節は緑が映えて、とても良いかもしれません。

本堂に行くまでは、石段をあがります。
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こちらが本堂になります。
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本尊である「阿弥陀如来」が祀られています。

その前には、仏足石がありました。
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本堂からの眺めは、なかなか良かったです。
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観音堂は、本堂から歩いて数分の所にありました。
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千手観音が祀られています。
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下野三十三観音霊場の札所本尊になります。

また東国花の寺百ヶ寺に選定されています。
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季節になると、とても綺麗かと思われます。続きを読む
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