神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

上州新四国八十八ヶ所

諏訪山観音院 関東八十八ヶ所(群馬県桐生市)5

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 群馬県桐生市にある「諏訪山 観音院」に参拝してきました。真言宗豊山派に属するお寺になります。

 桐生市の東部、桐生タイムスという新聞社の少し北側にありました。
 お寺の西側には「諏訪機神社」が鎮座しています。

 最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」、上毛電気鉄道「西桐生駅」になります。徒歩ではかなりかかりそうです。近くまでバスが来ているかもしれません。

 駐車場は、道路を挟んで反対側と境内の東側にありました。自動車は、数十台位は停められそうです。


 上毛新聞社刊‘ぐんまのお寺 真言宗機任砲茲襪藩浬錣蓮以下の通りです(一部を抜粋)。
「当寺の開創は文書・記録が失われていて確実なことはわからない。しかし、江戸時代中ごろの郷土史家高橋五右衛門守行によって著された『今泉古事談』によると、正保元年(1644)養甚という道心が岩崎彦右衛門の庵に移り住んだのを始まりとする。承応元年(1652)小俣村(足利市)威徳院の弟子、秀賀という僧が来住、庵を今の観音堂の廟所に移し観音院と呼んだ。その後、寛文二年(1662)に現在地諏訪の森に移した。」


 日限地蔵尊として知られているお寺です。お地蔵さまは地蔵堂に祀られています。
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 本堂には聖観音が祀られています。
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 関東八十八ヶ所・上州三十三観音霊場・上州新四国八十八ヶ所の各札所本尊になります。

 大通りから外れているので境内はとても静かです。

 本堂左後方には、寺樹という欅(けやき)の木がありました。
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 木の下には石造不動明王立像がありました。神社で言うところの御神木に相当する木だと思われます。

 御朱印は、地蔵堂に併設されている御朱印受付にて頂きました。御朱印代は300円でした。

 各種御守りはありました。





寺院名:諏訪山 能満寺 観音院
所在地:群馬県桐生市東二丁目13‐18
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:聖観世音菩薩
札所等:関東八十八ヶ所 十番札所
    上州三十三観音霊場 五番札所
    上州新四国八十八ヶ所 四十八番札所
御詠歌:諸人の 願いをしかと 能満の 深き誓いに 絶えぬ香煙

反町薬師 照明寺(群馬県太田市新田反町町)5

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 群馬県太田市にある「反町薬師 照明寺」に参拝してきました。
 高野山真言宗に属する寺院になります。

 駐車場はありました。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊「ぐんまのお寺 真言宗機廚茲螳貮抜粋)。
「(前略)
 反町城の本丸跡にある照明寺は最初、元徳年間に新田郡市野井村字杉に建てられた薬師堂を、永禄年間(1558〜1570)に刑部大輔由良成繁の命で慈光坊が反町城西方の元屋敷に移築し、照明寺と名付けて祈願所とした。しかし、正徳四年(1714)11月に、失火のため堂宇のすべてが焼失したため、中興開山の祐泉が成繁の奥方より地料と堂宇造営料として百十五両の寄付を受けて寺を反町城の本丸跡(現在地)に移築造営した。そして義貞の母の法号である『妙光院殿蓮法大禅定尼』から、院号を妙光院とした。
 明治八年(1875)6月の太政官達(たっし)によって編さんされた『上野国郡村誌』では、照明寺は東西二十二間南北三十三間、面積七百三十歩、真言宗村田村宝蔵寺末とあり、明治十二年(1879)6月調査の『上野国新田郡寺院明細帳』では、本堂方四間、鐘楼方一間半、檀徒百五人とある。また、明治三十ニ年(1899)の追記では、庫裏は間口十間奥行き六間一尺、参籠堂は間口四間奥行き二間半としている。
 現在の照明寺は、南の土塁の間に明治四十年(1907)建立の石柱門があり、その周辺に明治二十七年(1894)に建てられた『新田義貞公古城跡』碑、馬頭観音線刻碑、天明八年(1788)4月および昭和三年(1928)12月の建立で、御大典記念の石灯籠がある。石柱門を入ると左手に水屋、その西に大師堂、その北に大きな参籠堂と弁天堂がある。正面の本堂は、明治十一年(1878)に完成したもので、本尊の薬師如来石仏(秘仏)のほか日光月光菩薩、十二神将、不動明王、地蔵菩薩、阿弥陀如来、愛染明王、大黒天が安置されている。本尊は新田家の守り本尊で、行基上人が東北巡化の際、この地方に悪病が流行していたのでそれを除こうとして自ら刻んだと伝えられている。また、明治以降、本尊は『反町薬師』『厄除薬師』『六算除薬師』として人々の崇敬を受け、正月四日の大縁日には四歳児の厄除けをはじめ、交通安全や入学祈願など、多方面の信仰を集めている。
(後略)」

 
 新田義貞公の館跡とされるお寺になります。

 入り口になります。
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 手水舎になります。
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 参道を進むと、正面に本堂があります。
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 本尊の薬師如来が祀られています。いわゆる「反町薬師尊」と呼ばれています。
 祈祷祈願は行われています。本堂右側にある受付があります。

 大師堂になります。
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 上州新四国八十八ヶ所の札所になっています。

 参籠堂になります。
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 鐘楼堂になります。
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 本堂右側の受付では、授与品も頂けます。
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 必要な方は頂いてください。





寺院名:瑠璃山 妙光院 照明寺
所在地:群馬県太田市新田反町町896番地
宗 派:高野山真言宗
本 尊:薬師如来
通 称:反町薬師
札所等:上州新四国八十八ヶ所 六十二番札所
御詠歌:来光の 弥陀の光の 円明寺 照り沿う影は 夜な夜なの月
URL:http://www.sorimachiyakushi.or.jp/

呑嶺山 安養寺 明王院(群馬県太田市安養寺町)5

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群馬県太田市にある「呑嶺山明王院」に参拝してきました。

太田市の南部、旧尾島町にお寺はありました。
深谷市にも近い、国道17号線の「安養寺」という交差点の北側にあります。名鉄運輸の営業所や道の駅おおたが近くにありました。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「世良田駅」・「木崎駅」になります。
徒歩では無理かと思われますので、自動車で行かれた方が良いかもしれません。

駐車場はありました。

写真を撮ったのは平成27年3月28日になります。


こちらのお寺の由緒は次の通りです。
「寺伝によれば、康平四年(1061)に後冷泉天皇の勅により、源頼義が開基となり、奈良の興福寺から招いた頼空上人を開山として創建され、その後、新田氏初代の義重が中興し、さらに八代の義貞が元弘三年(1333)に後醍醐天皇の勅により、7堂伽藍12坊を有する大寺院として再建したという。
 現存の不動堂は宝永二年(1705)の建築で、その参道にある三棟造で知られる二天門はかつての中門で、そのはるか南に大門があったと伝えられている。江戸時代の絵図面に、周囲に二件幅の堀を巡らせた百余間四方の境内地と、その周辺に十二坊の跡地の位置等が示されており、桜昔の当寺の規模を推定することが出来る。不動堂の厨子(宮殿)には、二体の不動明王像が納められている。その一つは一寸八分(約5.5僉砲稜魘眄修如元弘三年(1333)の新田義貞鎌倉攻めの祭、山伏に化身して越後方面の新田一族に義貞の挙兵を一夜にして触れまわったと伝えられ、『新田触不動尊』として知られる。もう一体は二尺五寸(約76叩砲曚匹量畋い如⊃慧諜曾鼎盾の上に坐して軍勢指揮をとる姿を刻ませたはずが、一夜のうちに不動明王像に変じたとされ『御影不動明王』と呼ばれて背後に火炎がないのが特徴である。また、明王院本堂の本尊は、絹本彩色の倶利迦藍不動明王像で、以上の三不動明王が新田氏相伝の守本尊だと言い伝えられてきた。
 元禄十六年(1703)に明王院の不動尊が成田山新勝寺の不動尊と共に、江戸城三丸に出開帳したことが江戸護国寺の住職の隆光僧正の日記に記されている。寛政六年(1794)当寺境内に芭蕉百年忌の句碑が建立されたことを記念して翌七年に呑嶺山主(明王院住職)柳翠らが三百余名の同人(江戸、大坂など遠隔地の偉人も多数、尾島関係者は21人)の作品を収めて出版した 句集『萩のふす満』は、江戸後期俳諧史の貴重な資料である。」


国道17号線沿いにありました。
周辺は、かなり長閑です。

境内は新田ノ荘として国指定史跡になっています。
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入口になります。
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石標です。
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お地蔵様です。
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入ると左右には諸仏が祀られています。
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先に進みます。
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境内には桜の木がありました。
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1〜2分咲きかと思われます(平成27年3月28日参拝)。
もう見頃かもしれません。今週末は良いでしょう。

山門になります。
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持国天と増長天が祀られています。
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二天門とも言うそうです。

幟がありました。
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何があったのだろうか?

山門をくぐると、左側にはまた門がありました。
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くぐると本堂がありました。
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本尊である「倶利迦羅不動明王(画像)」が祀られています。

来た道を戻り、参道を真っ直ぐ行きます。
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右側には手水舎がありました。
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左側には石造不動明王像がありました。
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いかつい顔をしています。

また、大師堂がありました。
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さざえ堂みたいな建物ですね。

大師堂前には遍路大師がいらっし
ゃいました。
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今もなお修行中です。

境内には、ピラミッド型の不動搭があり、とても立派です。
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太田市指定重要文化財になっています。

こちらが不動堂になります。
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不動堂の本尊は「新田触不動明王」と「御影不動明王」が祀られています。

不動堂の扁額です。
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なかなか立派です。

不動堂の裏手には諸仏が祀られています。
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薬師堂になります。
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こちらは何が祀られているのでしょうか?
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鎮守社なんでしょうか?


御朱印は、本堂の裏側にある庫裡で頂けます。
御朱印代は、300円でした。

「世良田東照宮」や「世良田八坂神社」、「世良田山長楽寺」からも遠くないので、合わせて参拝するのも良いかもしれません。




寺院名:呑嶺山 安養寺 明王院
所在地:群馬県太田市安養寺町200‐1
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:倶利迦羅不動明王
札所等:上州新四国八十八ヶ所 七番札所
御詠歌:仮の世に 知行争う 無益なり 安楽国の 守護をのぞめよ

脇屋山正法寺(群馬県太田市)5

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群馬県太田市にある「脇屋山正法寺」に参拝してきました。
高野山真言宗のお寺になります。

最寄り駅は、東武桐生線「治良門橋駅」になります。
徒歩では、30分以上はかかるかもしれません。

駐車場は、お寺入り口の右側にありました。
自動車は、5〜6台位は停められそうです。

こちらのお寺は、太田市の市街地からかなり外れていますので、周辺は田園地帯になり、長閑でした。


寺伝によると、奈良県の醍醐寺を開山した「聖宝」が「源経基」の請願を受けて延喜年間(901〜923年)に開山し、古くは聖宝寺と呼んだと伝えられています。
元暦年間(1184〜1185年)に新田氏の祖「新田義重」が堂塔を修理し、元弘年間(1331〜1334年)には新田義貞の弟「脇屋義助」が脇屋郷及び大般若経600巻を寄進したと伝えられており、「脇屋義助」の菩提所になります。


駐車場に自動車を置き、参拝になります。

参道を進むと、仁王門がありました。
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いわゆる山門になります。
こちらの門は、貞享二年(1685年)の建立の門になり、太田市指定重要文化財になっています。
とても立派でした。

門の左右にある仁王尊は、門と同様に太田市指定重要文化財になります。

山門内には、大きな鰐口がかけられていました。
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紐がつけてあり、鳴らすことも出来ました。

こちらが由緒です。
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なかなか古そうです。

山門を入ると、正面には本堂がありました。
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聖観音」が祀られています。
聖観音像は、鎌倉時代初期に作られたと考えられており、群馬県指定重要文化財になっています。
12年に一度午年に開帳されるそうです。
参拝したときは、残念ながら拝むことは出来ませんでした。
また、江戸時代に旧本堂は火災にあってしまい、現在は観音堂を本堂にしています。

こちらが本堂に掲げられていた扁額です。
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どなたが書かれたのでしょうか?

東上州三十三観音霊場 十九番札所」と「上州新四国八十八ヶ所 五十七番札所」になっており、古くからの霊場として、参拝者がいらっしゃるようです。

本堂の左側には、脇屋義助像がありました。
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建立されて、それほど時間は経っていないようです。
兄弟そろって悲劇の武将になってしましました。

本堂の裏手には、脇屋義助の遺髪塚がありました。
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ひっそりとありました。続きを読む

住吉山 地蔵院 延命寺(群馬県伊勢崎市馬見塚町)5

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群馬県伊勢崎市にある「住吉山 地蔵院 延命寺」に参拝してきました。
新義真言宗に属するお寺になります。

伊勢崎市の南部、国道354号線沿い、「馬見塚」という交差点のそばにお寺はありました。

これといった最寄り駅はありませんので、自動車で行かれた方が良いかもしれません。

駐車場は、道路沿いにありました。
自動車は、10台以上は停められそうです。

伊勢崎市曲輪町にも延命寺がありますので、あえて「馬見塚延命寺」とさせて頂きます。


こちらの寺院の由緒は、次の通りです(伊勢崎佐波観音霊場のパンフレットより)
「新義真言宗延命寺は地蔵尊を本尊とし寺伝では文明元年(1469)法印道尊を開基としている。
江戸末期以来文教の中心となる。寺子屋教育にはじまり明治七年一ツ松学校となる。
明治41年1月27日馬見塚の大火により全焼。
明治45年3月再建の工場にかかり大正元年9月が本堂及び庫裡、鐘楼完成、昭和54庫裡建替え昭和61年鐘楼建替え梵鐘も新鋳造し仏足跡も建立す。
この観音札所は明和3年(1766)にできたとされる明治29年一番札所延命寺法印蓮見慶秀師により修復、詠歌復刻が行われたものである。」


隣は「馬見塚飯玉神社」が鎮座していました。

こちらが山門になります。
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両サイドには仁王像がありますので、仁王門と言った方が良いかもしれません。

山門の左には松がありました。
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なかなか立派な松です。
古い松なのかな?

鐘楼堂になります。
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どんな音色がするのでしょうか?
聴いてみたいものです。

境内の左側には、観音堂がありました。
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(´人`)

「聖観世音菩薩」が祀られています。
こちらの観音様は、伊勢崎佐波三十四観音霊場の札所本尊になります。

観音堂の傍らには、六地蔵がいらっしゃいました。
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(´人`)

「伊勢崎佐波三十四観音霊場」の案内板になります。
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由緒や御詠歌、次の札所が書かれています。

こちらが本堂になります。
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(´人`)

「地蔵菩薩」を本尊としており、上州新四国八十八ヶ所の札所本尊になっています。
ずいぶん新しい感じのする本堂になります。

本堂に掲げられていた扁額です。
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立派な字です。
誰が書いたのでしょうか?

境内の右側には大きな塔がありました。
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なにか謂れがあるのでしょうか?続きを読む
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