まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

全国東照宮めぐり(全国東照宮連合会)

秩父神社(埼玉県秩父市番場町)5

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 埼玉県秩父市の中心部に神社は鎮座しています。

 最寄り駅は、秩父鉄道「秩父駅」、もしくは西武秩父線「西武秩父駅」になります。両駅からは徒歩圏内です。

 神社専用駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【秩父神社】
 埼玉県秩父市番場町の旧国幣小社。延喜式内社。神社本庁別表神社
 『先代旧事本紀』の『国造本紀』に、崇神天皇朝に知々夫国造と定められた、八意思金命(やごころおもいかねのみこと)の十世孫・知々夫彦命(ちちぶひこにのみこと)が大神を拝祠したと記す。祭神は八意思金命・知々夫彦命・天之御中主命、昭和二十八年(1953)に秩父宮雍仁親王を相殿に祀る。
 秩父神は元慶二年(878)12月に正四位下に昇叙、武蔵国の四の宮となり現在も府中市の大国魂神社の西殿に配祀される。鎌倉時代初期に秩父氏を称した平将恒が妙見菩薩を勧請して以来、秩父妙見宮として朝野の崇敬を集めた。武田の兵火に遭い焼失したが、天正二十年(1592)に徳川家康により本殿が造営された。社殿は極彩色の権現造りである。
 秩父夜祭り(国重要無形文化財)で有名な12月3日の例大祭はお蚕祭りとも呼ばれた。
 八意思金命が知恵の神であることから妙見信仰に伴い宇宙開発やコンピューター関係者・理工系大学・企業の受験者の崇敬があるのが現代的な信仰の特徴である。」

 また、國學院大学日本文化研究所編「神道辞典」によると次の通りです。
「秩父神社
 〈旧称〉四宮秩父大明神、秩父妙見宮
 〈祭神〉八意思兼命、知知夫彦命、天之御中主命、秩父宮雍仁親王
 〈指定文化財〉秩父屋台六基(民資)、神楽(無民資)、権現造社殿(県文)
 〈例祭日〉12月3日(秩父夜祭)
 〈由緒〉式内社。『先代旧事本紀(くじほんき)』『国造本紀(こくぞうほんぎ)』に崇神天皇のときに知知夫彦命が遠祖にあたる思兼命を奉斎し、さらに九世知知夫狭手男(さでお)が知知夫彦命を合祀したと伝える。『延喜式』では国幣小社に列し、秩父国が武蔵国に併せられたのちも、武蔵総社の四宮(現、大国魂神社西殿)として国衙(こくが)崇敬の神であった。鎌倉時代初期に妙見菩薩と習合してから、秩父妙見宮と称され、上総・相馬地方を中心に武士の信仰を集め、近世には養蚕の神としても信仰された。維新後は秩父神社と改称し、昭和二十八年(1953)に秩父宮雍仁親王を相殿に祀った。
 〈旧社格〉国幣小社(昭和三年)」


 秩父市を象徴するような神社になります。

 鳥居になります。
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 手水舎になります。
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 神楽殿になります。
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 神門になります。
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 社殿になります。
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 境内は参拝者がひっきりなしに来てました。社殿前は行列です。

 北辰の梟です。
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 境内には徳川家康公を祀る東照宮が鎮座していますので、全国東照宮連合会に加盟しています。
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 最近のブームなのか御朱印帳を片手に授与所を訪れる方が多かったです。御朱印代は500円でした。





神社名:秩父神社
鎮座地:埼玉県秩父市番場町1‐3
祭 神:八意思兼命 知知夫彦命 天之御中主命
相 殿:秩父宮雍仁親王
社格等:延喜式内社 武蔵国四宮 旧国幣小社 別表神社
札所等:全国東照宮めぐり

浅草神社(東京都台東区浅草)5

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 東京都台東区の浅草寺のお隣にある神社になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線・東京メトロ銀座線・都営浅草線「浅草駅」になります。東武と銀座線の浅草駅からは徒歩で数分位かと思われます。

 神社専用の駐車場は見当たりませんでした。自動車で行かれる方は近くの有料駐車場をご利用下さい。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京都台東区浅草の旧郷社。土師真仲知命・檜前浜成命・檜前竹成命を祀り、合祀神は大国主命・東照宮。例祭は5月17日・18日の有名な三社祭りである。びんざさら神事もある。
 推古天皇三十六年(628)、隅田川の漁師桧前浜成・竹成親子が打網にかかった像を持ち帰り土師真仲知にみてもらうと聖観音菩薩像とわかり、真仲知が沙門となって奉安した。
 その子孫が像を奉斎し、また奉護した三者を観音堂の側に鎮守せよと神託があり三社権現となる。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「東京都台東区浅草。旧郷社。俗に三社様(さんじゃさま)・三社権現と称す。祭神は土師真仲知命・檜前浜成命・檜前武成命の三神を祀る。そのほかに東照宮・大国主命を合祀する。
 創立年代は不詳。社伝に、推古天皇の御代、檜前の浜成と武成の橋台の漁夫が隅田川で漁をしていたところ、観音像が網にかかり、これを得て祀ったのが浅草観音という。そして後に、浜成と武成も神に祀られた。これが当社の起源という。
 祭神については諸説存するけれど、土師真中知はこの時堂を造営した人で、後に三人の霊を祀って三社権現となったという。
 現社殿をは慶安二年(1649)徳川家光の建立にかゝり、昭和三十六年重文にしていされた。その後、明和四年(1767)、造修、明治八年(1875)にも修繕をなした。同五年10月、郷社に列せられ、翌六年、浅草神社と改称。
 例祭5月17日。世に、三社祭として知られ、江戸の代表的祭りで、この日東京都無形文化財のビンザサラの奉奏、また神輿の渡御などがある。」

 鳥居になります。
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 社号標になります。
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 手水舎です。
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 社殿です。
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 金龍山浅草寺に所縁のある三人を祀っており、三社祭の神社として知られています。
 浅草寺に比べて参拝する人は、それほど多くはありませんのでゆっくり参拝できます。

御朱印は、社殿の右側にある授与所で頂けます。御朱印代は500円です。以前は300円でしたが、値上げになりました。

 御守りや御神札、絵馬といった授与品はありました。





神社名:浅草神社
鎮座地:東京都台東区浅草二丁目3‐1
祭 神:土師真中知命 檜前浜成命 檜前武成命
合 祀:東照宮公 大国主命
通 称:三社様
社格等:旧郷社
札所等:浅草名所七福神 恵比須神
    全国東照宮めぐり
URL:http://www.asakusajinja.jp/

上野東照宮(東京都台東区上野公園)5

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 東京都台東区にある上野恩賜公園内に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR山手線・東京メトロ銀座線・東京メトロ日比谷線「上野駅」になります。

 駐車場は見当たりませんでした。自動車で行かれる方は、周辺の有料駐車場をご利用ください。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「台東区上野公園の旧府社。徳川家康・徳川吉宗を祀る。例祭は4月17日。1月3日に謡初古式がある。
 三月末から例祭日まで続くさくら祭りの花見は全国に知られる。
 日光への参拝が遠路であるため、慶安四年(1651)に上野山に鎮祭された。大名はじめ庶民が崇敬した。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「東京都台東区上野公園。旧府社。
 日光が遠路のため天海僧正の計らいにより上野山内に寛永四年(1627)創建されたという。
 現社殿は慶安四年(1651)三代将軍家光の改造にかかり、小規模ながら日光とほぼその観を同じくする。
 本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・鳥居・銅鳥居は重要文化財。
 昭和四年に八代将軍吉宗を合祀。
 例祭4月17日。」


 日曜日に参拝したため、上野恩賜公園内は結構な人手でした。
 やはり木々が多いため、森林浴的な感じがして清々しい雰囲気です。

 鳥居になります。

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 神門になります。
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 境内にあたるのだろうか?銀杏木がありました。
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 紅葉をしてました。とても綺麗なので、写真を撮る方がいらっしゃいました。

 神楽殿になります。
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 社殿になります。
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 日光東照宮ほどではありませんが、きらびやかです。

 御朱印は、境内の左側にある授与所にて頂きました。御朱印代は300円です。
 御守りや御札とった授与品はありました。





神社名:上野東照宮
鎮座地:東京都台東区上野公園9‐88
祭 神:徳川家康公 徳川吉宗公 徳川慶喜公
社格等:旧府社
札所等:全国東照宮めぐり
URL:http://www.uenotoshogu.com/

芝大神宮(東京都港区芝大門)5

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 東京都港区芝公園にある芝増上寺の東にある神社になります。

 最寄り駅は、都営三田線「芝公園駅(A4出口)」、都営三田線「御成門駅(A1出口)」、都営浅草線・大江戸線「大門駅(A6出口)」になります。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京都港区芝大門の旧府社。芝神明宮とも。祭神は天照皇大御神・豊受大御神、相殿に源頼朝・徳川家康・菅原道真を祀る。
 9月11日から21日に芝大神宮だらだら祭りがあり、生姜市と甘酒茶屋が有名。例祭日は16日で授与品の千木筥は江戸郷土玩具である。
 寛弘二年(1005)に飯倉山に創建された。慶長三年(1598)に現在地に遷された。
 境内で起った角力と鳶のめ組との喧嘩が歌舞伎の演目となった。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「東京都港区芝大門。旧府社。天照皇大御神・豊受大御神を主祭神とし、源頼朝・徳川家康を合祀する。
 もとは単に神明宮あるいは日比谷神明・飯倉神明宮・芝神明宮などと称されたが、明治五年(1872)8月現社名となった。旧社地は飯倉山(今の芝公園丸山)であったが、慶長年間に現在地へ移った。
 社伝によれば寛弘二年(1005)9月16日の創立という。この地には古く伊勢大神宮の御厨(みくりや)があったので、恐らくはその関係から発生した神社であろう。源頼朝が神領を寄進したのをはじめ、足利・太田・北条・豊臣などの武将が崇敬をささげた。徳川家康は朱印領十五石を寄せ、歴代将軍も祈願・寄進・修造などを行っている。明治元年10月天皇の御東幸に際し内侍所小休所にあてられ、翌11月准勅祭社に列せられた。
 例祭は9月16日であるが、前後十日間(11〜21日)にわたって盛大に行われるので、古くから『だらだら祭り』の名称がある。また期間中に『生姜市』がたち、小伝馬町の『べったら市』とともに著名。別名を『めっかち市』『目くされ市』とも呼ばれたが、根勝生姜を誤ったものとか、片目の者が商いしたためとか、当社の水が眼病に霊験があって目の悪い者が多く参詣したためとかいわれる。
 縁起物として藤の花を描いた曲物(まげもの)の千木箱が出されるが、社記によればいにしえ飯器を製していた名残りかという。」


 日比谷通りから引っ込んでいるので、境内は意外と静かです。


鳥居になります。
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 社号標になります。
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生姜塚がありました。
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 例大祭で生姜市がたつので、それだからでしょう。

 社殿になります。
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 石段を上がった所に「社殿」と「社務所」・「授与所」がありました。

 御朱印は、境内右側にある「授与所」で頂けます。御朱印代は500円でした。生姜飴と道中安寧御守りを頂きました。

 御守りや御札といった授与品はありました。「興運御守り(一体800円)」を頂きました。





神社名:芝大神宮
鎮座地:東京都港区芝大門一丁目12‐7
祭 神:天照皇大御神 豊受大御神
相 殿:源頼朝公 徳川家康公 菅原道真公
社格等:旧府社 准勅祭社
旧 称:芝神明宮 飯倉神明宮
札所等:東京十社めぐり
    全国東照宮めぐり
URL:http://www.shibadaijingu.com/

日光東照宮 御朱印&御守り(栃木県日光市山内)5

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 栃木県日光市の北部、旧日光市に東照宮は鎮座していました。

 最寄り駅は、東武日光線「東武日光駅」になります。

 駐車場は、周辺に有料で停められます。


 日光東照宮の由緒は皆さんご存じかも知れませんが、あえて調べてみました。次の通りです(東京堂出版刊『神社辞典』による)。
「栃木県日光市山内。旧別格官幣社(現、別表神社)。祭神は徳川家康で、豊臣秀吉と源頼朝を配祀する。
 日光国立公園の自然美のうちに展開する東照宮の人工美は結構の極致であり、世に『日光を見ない者は結構といえない』ともてはやされる。日光は古くから男体山を 対象とする山岳信仰の霊場として栄えて来た。二荒山神社や輪王寺の起こりもそこに求められるが、東照宮の鎮座によって更に信仰的な脚光をあびることになる。
 徳川家康は元和二年(1616)4月17日駿府城に薨ずるや、遺命により一旦駿河の久能山に埋葬(久能山東照宮の創立)、一周忌を期して日光に改葬することになる。二代将軍秀忠は同年11月社地を選定、本多正純・藤堂高虎を奉行として翌三年4月社殿を完成した。朝廷より既に東照大権現の神号、正一位の追贈宣下があったが、家康の霊枢は久能山を進発して4月4日日光到着、8日奥院廟塔に改葬、17日遷座祭が執行された。
 現在の秀麗な社殿は三代将軍家光によって造り替えられたもので、寛永二年(1633)11月着工、同十三年4月に竣工した。幕府は巨額の造営費を拠出したといわれる。その後はたびたびの修繕を経て、その美観を今日に伝える。
 当初は東照社と呼んだが、正保二年(1645)11月宮号の宣下があり、東照宮と改称した。また翌三年4月の例祭からは、朝廷よりの奉幣が恒例となり、日光例幣使と呼ばれて幕府終焉まで続いた。例幣使は中山道を経て日光に至ったが、この道は特に例幣使街道と称された。東照宮への参道である全長37kmの沿道の杉は(松平正綱が杉苗20万余本を20数年かけて植樹)今も約一万五千本を残して特別史跡・特別天然記念物に指定されている。
 歴代将軍及びその名代の参詣もしばしばあり、幕府は日光山内を直轄の特別区域として、殊に鄭重な取り扱いをし、広大な神領を寄進した。
 東照宮は海抜640m、191,400嵳召龍内に精巧華麗な多くの建造物を配置する。権現造といわれる本殿・石の間・拝殿、正面及び背面唐門、東西透塀、陽明門、東西回廊など八棟は国宝建造物に指定される。陽明門は終日眺めていても見あきぬところから『日暮御門』とも呼ばれ、奥社参道の潜門長押上の彫刻『眠り猫』は名工左甚五郎作として有名。本殿の背後に位置する奥宮(唐銅製の廟塔)とその参道にある坂下門、また本殿前方に展開する神輿舎、本地、輪蔵(経蔵)、御水舎、神厩舎、神庫、表門、五重塔など34棟は重要文化財である。本地堂天井の鳴龍、神厩長押上の三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)はまた有名。
 宝物館に保存・展示する宝物のうち銘助真・国宗の二太刀は国宝、東照宮縁起絵巻、家康の具足・刀剣などは重文の指定。
 例大祭は春季5月17日、18日、秋季10月17日 (もとは4、9月の両度)で、神輿渡御・百物揃千入行列・東遊舞などが行われる。百物揃千人行列とは、極めて多い種類と人数とが奉仕するところから出た名称で、創建時に秀忠将軍社参のもとで奉仕された様式を今日に伝えるという。」


 拝観料は1,300円になります。現在はら「二社一寺共通拝換券」はありません。

 鳥居になります。
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 五重塔になります。
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 境内は参拝者&観光客が多かったです。
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 三猿がいらっしゃいます。
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 さらに鳥居がありました。
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 こちらが陽明門になります。
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 流石陽明門です。風格があり、威厳があり、立派でした。

 拝殿内に入ることができ、神職による案内が聞くことができました。
 新しい授与品「陽明香守(白檀の香り)」が出来たことを妙に宣伝していましたのが気になりました。
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 私も一体頂いてしまいましたが…

 奥社殿&徳川家康廟にも参拝しました。
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 徳川家光の御代、徳川秀忠の時代に建てられた奥社殿を新築しました。新築するまであった奥社殿は、現在群馬県太田市に鎮座する「世良田東照宮」に移築されました。
 現在の奥社殿は、やはり世良田東照宮の社殿に似ています。

 御朱印とオリジナル御朱印帳を頂きました。
 オリジナル御朱印帳は2,100円(御朱印代込)でした。
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 御神札(一体800円)を頂いて参りました。





神社名:日光東照宮
鎮座地:栃木県日光市山内2301番地
祭 神:徳川家康公
相 殿:源頼朝公 豊臣秀吉公
社格等:旧別格官幣社
札所等:全国東照宮めぐり
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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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