まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

秩父市

無量山西光寺 秩父札所(埼玉県秩父市中村町)5

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 埼玉県秩父市にある無量山西光寺に参拝。秩父三十四観音霊場の札所になります。
 
 山門になります。
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 六地蔵がいらっしゃいました。
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 札堂になります。
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 金比羅堂になります。
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 大黒堂がありました。
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 大黒堂に祀られている「酒樽大黒天」の由緒は、次の通りです。
「酒樽大黒天の由来
 酒蔵奥深く仕込樽として大正年間に作られし樽、時代と共に使用しなくなりたるを、昭和四十年代、茶室として造りしが偶々大黒天を祀りしところ、招福の御利益ありと多くの参詣を集め、願をかけ名刺を残すという他に例の無い酒樽大黒天となりける。
 因みにこの樽は三十石樽といい一日三合三十年分入ると言う。」

 本堂になります。
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 本堂の右には回廊がありました
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 四国八十八ヶ所の札所本尊が祀られており、巡拝できます。

 御朱印は、境内の左にある授与所で頂けましたけど

 千手観音御守(子歳守本尊・ 諸願成就)、弘法大師厄除御守木札(災いを代わりに受けてくださる)、酒樽大黒天御守(勝運上昇・商売繁盛・子孫繁栄)等の授与品はありました。




寺院名:無量山 西光寺
所在地:埼玉県秩父市中村町四丁目8‐21
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:千手観音
札所等:秩父三十四観音霊場 十六番札所
    関東八十八ヶ所 特別霊場
御詠歌:西光寺誓いを人に尋ぬれば ついの住家は西とこそ聞け

実正山定林寺 秩父札所(埼玉県秩父市桜木町)5

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 こちらの寺院の由緒は、境内の案内板によると次の通りです。
「市指定史跡 札所十七番
 実正山定林寺
 この札所は四間四面の簡素で均斉のとれた堂です。内陣は古風な阿弥陀堂のように念仏廻廊が回っています。
 本尊は十一面観世音立像で、像高五五糎の寄木造り、願主武州国郡法印元暁の銘があり、文禄二年癸丑三月二十三日開眼の墨書があります。
 梵鐘は、日本百番観音霊場の本尊とご詠歌を鋳出した珍しいもので、工芸品として昭和三十九年三月県指定の文化財になっております。
 又、安政、明治の徳行家、井上如常の父青岳の描いた狩野風な絵の掲額もあります。
 縁起には、壬生の良門の忠臣林太郎定元は、主の無道を諌めかえって家財を没収され、当地に来て没しました。その遺子空然はこの地に養われ成人の後、父の菩提のため当寺を建立したとあります。
 昭和四十年一月二十五日 秩父市教育委員会指定」


 全景です。
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 鐘楼堂です。
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 お地蔵様です。
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 本堂には御詠歌の額が掲げられていました。
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 現在は十七番札所ですが、長享番付では「一番札所」でした。

 鎮守社です。
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「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」というアニメにも登場した寺院になります。
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 御朱印は、納経所で頂けました。





寺院名:実正山 定林寺
所在地:埼玉県秩父市桜木町21‐3
宗 派:曹洞宗
本 尊:十一面観音
通 称:林寺
札所等:秩父三十四観音霊場 十七番札所
御詠歌:あらましを思い定めし林寺 かねききあへづゆめぞさめける

長岳山今宮坊 秩父札所 御詠歌の御朱印(埼玉県秩父市中町)5

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 埼玉県秩父市の中心部に寺院はありました。

 最寄り駅は、秩父鉄道「御花畑駅」になります。徒歩では十数分位かと思われます。


 こちらの寺院の由緒は次の通りです(螢ぅ鵐妊奪ス刊『訪ねてみたい埼玉のお寺』による)。
「永観二年(984年)示寂とされる長岳が開山し、江戸時代には聖護院直末の本山派修験道場で、秩父市内だけでも十ヶ所の配下を持つ修験道の拠点でした。観音堂は今宮神社の社地内に祀られ、今宮坊が両方の別当を兼任していましたが、明治の神仏分離と修験道禁止によって分断され、観音堂は札所十四番今宮坊として残ることになったと伝えられています。
 本尊は珍しい坐像の聖観世音菩薩です。観音堂前には、高さ155造領慍塔が立っています。幅18センチ、奥行き15造寮佚磴如⊂緝瑤膨招20造曚匹留瀏廚組み込まれています。お経が刻まれた円盤を回すと、生きている人は安楽に暮らせ、地獄に落ちた人も極楽に生まれ変わることができると信じられています。また堂内に安置されている高さ30.3造量敖Δ蠅糧天像は、藤原時代の秀作として、秩父市指定文化財に指定されています。
(後略)」


 秩父今宮神社の近くにありました。全景になります。
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 入り口を入ると左側に手水舎がありました。
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 境内の左側にはお地蔵様がいらっしゃいました。
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 こちらが観音堂になります。
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 秩父三十四観音霊場十四番札所になり、札所本尊は聖観音になります。
 近くには秩父神社や秩父今宮神社が鎮座していますが、そちらには参拝者は多かったです。しかし、こちらの今宮坊には私しか参拝者は居なかったです。今宮神社を参拝する人は今宮坊には参拝をしないのかな?

 こちらは勢至どうになります。
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 納経所の前には聖徳太子がいらっしゃいました。
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 観音堂には御詠歌の額が掲げられていました。
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 御朱印と御御影です。
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 御朱印は、境内の右側にある納経所で頂けました。御朱印代は300円です。御詠歌の御朱印を頂きました。
 授与品として秩父三十四観音霊場の専用納経帳がありました。





寺院名:長岳山 今宮坊
所在地:埼玉県秩父市中町25‐12
宗 派:臨済宗南禅寺派
本 尊:聖観音
札所等:秩父三十四観音霊場 十四番札所
御詠歌:昔より立つとも知らぬ今宮に 参る心は浄土なるらん

秩父今宮神社 お姿の御朱印(埼玉県秩父市中町)5

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 最寄り駅は、秩父鉄道「秩父駅」もしくは「御花畑駅」になります。

 神社専用の駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです。
「今宮神社は、その前身を長岳山正覚院金剛寺(1038)大宮山満光寺(984)といいました。この両寺創立以前からこの地に、伊邪奈岐大神・伊邪奈美大神が祀られていました。大宝年間(701〜704)には、役行者(えんのぎょうじゃ)がこの地に、飛来して八大龍王を合祀し、八大社と呼ばれていました。毎年四月四日の秩父神社のお田植祭は、今宮神社の水幣(みずぬさ=龍神池の水)を以って行われ、秋の収穫の喜びが十二月三日の秩父夜祭りを盛りあげるといわれています。
奈良時代には宮中八神(大宮売神・高産日神・神産日神・生産日神・足産日神・事代主神・玉積産日神・御食津神)が祀られ、降って大日如来が習合され、八大権現社と観音堂(十一面、後に聖観音)を創建・相前後して満光寺弁天堂が創られました。天文四年(1535)には当地に疫病が流行したため、京都今宮神社より須佐之男命(すさのおの命=健康神・樹木神)を勧請して今宮神社を創建しました。
 永禄十二年(1569)には一山を総称して聖護院直末(じきまつ)『長岳山今宮坊』と称し諸国先達二十九寺の一として又本山派年行事職として栄えました。
 降って天正十九年(1591)には徳川幕府より御朱印地十石、除地七石を賜わり、組下四十九寺を結集して秩父霊地の発展に務め、元禄十四年(1701)長生院神門寺(現十八番札所)と共にまっさきに『江戸開帳』を行って、江戸−秩父間の交通路を拡き、秩父二十四札所の紹介と発展に貢献したと伝えられています。
 明治維新時には、神仏分離令により、今宮坊は今宮神社と今宮観音堂(現十四番)に分けられ、更に昭和二十七年には児童館建設のため、旧社殿は黒谷の聖神社に寄進され、境内地も境内建物も縮少のやむなきに至りました。しかし御祭神をはじめ、御神体、御朱印、社宝、古地図、古文書、歴代の別当、宮司の墓所、それに由緒とその精神は当神社に継承されて今日に至っています。
御神意と時代の要請に則り、昭和二十年代より凡そ五十年間、神域を児童公園として解放、秩父市と協力して地域住民の心身の健康を祈つて、福祉事業に専念いたしました。
 ここに遊び育った、かつての子どもたちも心身健やかに成人して郷土社会の立派な担い手となりました。
 ここに御神意の大成成就を御神前に報告し、神域を本来の姿に復したく、長い由緒を踏まえ、新らたな決意を以て当神社の歩みを始めました。」


 入り口になります。
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 役ノ行者を祀るお社になりました。
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 神社で修験道の役ノ行者を祀るとは珍しいですが、創建の経緯を考えるとわかります。

 鳥居になります。
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 社殿です。
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 御朱印は、境内の左側にある授与所で頂けました。八種類あり、御朱印代は各500円になります。

 御守りや御札といった授与品はありました。




神社名:秩父今宮神社
鎮座地:埼玉県秩父市中町16‐10
祭 神:八大龍王神 役尊神(役小角=役行者=神変大菩薩) 聖観音神 伊邪那岐大神 伊邪那美大神 須佐之男命 弁財天 宮中八神(大宮売神 高御産霊神 神御産霊神 生産霊神 足産霊神 事代主神 御食津神 魂積産霊神)
社格等:旧村社

秩父神社(埼玉県秩父市番場町)5

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 埼玉県秩父市の中心部に神社は鎮座しています。

 最寄り駅は、秩父鉄道「秩父駅」、もしくは西武秩父線「西武秩父駅」になります。両駅からは徒歩圏内です。

 神社専用駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【秩父神社】
 埼玉県秩父市番場町の旧国幣小社。延喜式内社。神社本庁別表神社
 『先代旧事本紀』の『国造本紀』に、崇神天皇朝に知々夫国造と定められた、八意思金命(やごころおもいかねのみこと)の十世孫・知々夫彦命(ちちぶひこにのみこと)が大神を拝祠したと記す。祭神は八意思金命・知々夫彦命・天之御中主命、昭和二十八年(1953)に秩父宮雍仁親王を相殿に祀る。
 秩父神は元慶二年(878)12月に正四位下に昇叙、武蔵国の四の宮となり現在も府中市の大国魂神社の西殿に配祀される。鎌倉時代初期に秩父氏を称した平将恒が妙見菩薩を勧請して以来、秩父妙見宮として朝野の崇敬を集めた。武田の兵火に遭い焼失したが、天正二十年(1592)に徳川家康により本殿が造営された。社殿は極彩色の権現造りである。
 秩父夜祭り(国重要無形文化財)で有名な12月3日の例大祭はお蚕祭りとも呼ばれた。
 八意思金命が知恵の神であることから妙見信仰に伴い宇宙開発やコンピューター関係者・理工系大学・企業の受験者の崇敬があるのが現代的な信仰の特徴である。」

 また、國學院大学日本文化研究所編「神道辞典」によると次の通りです。
「秩父神社
 〈旧称〉四宮秩父大明神、秩父妙見宮
 〈祭神〉八意思兼命、知知夫彦命、天之御中主命、秩父宮雍仁親王
 〈指定文化財〉秩父屋台六基(民資)、神楽(無民資)、権現造社殿(県文)
 〈例祭日〉12月3日(秩父夜祭)
 〈由緒〉式内社。『先代旧事本紀(くじほんき)』『国造本紀(こくぞうほんぎ)』に崇神天皇のときに知知夫彦命が遠祖にあたる思兼命を奉斎し、さらに九世知知夫狭手男(さでお)が知知夫彦命を合祀したと伝える。『延喜式』では国幣小社に列し、秩父国が武蔵国に併せられたのちも、武蔵総社の四宮(現、大国魂神社西殿)として国衙(こくが)崇敬の神であった。鎌倉時代初期に妙見菩薩と習合してから、秩父妙見宮と称され、上総・相馬地方を中心に武士の信仰を集め、近世には養蚕の神としても信仰された。維新後は秩父神社と改称し、昭和二十八年(1953)に秩父宮雍仁親王を相殿に祀った。
 〈旧社格〉国幣小社(昭和三年)」


 秩父市を象徴するような神社になります。

 鳥居になります。
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 手水舎になります。
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 神楽殿になります。
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 神門になります。
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 社殿になります。
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 境内は参拝者がひっきりなしに来てました。社殿前は行列です。

 北辰の梟です。
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 境内には徳川家康公を祀る東照宮が鎮座していますので、全国東照宮連合会に加盟しています。
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 最近のブームなのか御朱印帳を片手に授与所を訪れる方が多かったです。御朱印代は500円でした。





神社名:秩父神社
鎮座地:埼玉県秩父市番場町1‐3
祭 神:八意思兼命 知知夫彦命 天之御中主命
相 殿:秩父宮雍仁親王
社格等:延喜式内社 武蔵国四宮 旧国幣小社 別表神社
札所等:全国東照宮めぐり
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