まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

小山市

網戸神社(栃木県小山市網戸)5

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 栃木県小山市に神社は鎮座していました。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(案内板による)。
「網戸神社由緒
 当社の主祭神、田心姫命(水運の神)をいつ頃勧請したか未だ明らかではないが社殿の再建は、平城天皇の御代、大同元年(806)10月28日である。
 醍醐天皇の御代に、延喜式内に列したともいわれたが詳らかではない。
 天慶二年(939)、藤原秀郷卿は、平将門追討に際し当社に祈願し、戦勝の砌、金百貫文を奉納した。
 源頼朝も、文治三年(1187)、小山政光の妻、寒河尼を当地方の地頭職に任じ、当社に領地を寄進した。以来、尼公をはじめ、歴代の網戸城主の崇敬も篤く、小山家の定紋『左二ツ巴』を、当社の神紋としている。
 この頃、藤原一族の祖神、天児屋根命(人神の間をとりもつ神)を併せて祀った。
 江戸時代、後光明天皇の頃より、寛政、文政にかけて社格問題その他で揺動し、かつ曲折した。
 かくてその後、古河藩の治下にあっては、在郷の篤志家等が、神官を輔翼して、当社を護持し、維新を迎えた。
 明治新政府は、国家神道の観点から、神社の再編成をなしたが、当地方は大幅に遅れた。
 大正三年(1914)5月20日、渡良瀬川改修工事の一環として堤防拡幅がなされ、当社は、本宿二四四八番地千古の社より、旧城内に遷宮した。
 この年の8月19日、沼ノ台の浅間神社、庚申塚の皇宮神社、高場の熊野神社、折本の奥瀬神社、本宿の八坂神社、大境の神明宮を合祀し、既存の水神宮、天満宮、千形神社、権兵衛稲荷神社、三峯神社等を共に境内神社とした。
 神事は、陰暦2月15日(湯立)、6月15日(八坂神社の祇園祭)、9月13日(十三夜)及び陽暦11月27日(八郷廻りの御出)、12月23日(稲荷神社の冬至祭)である。
 神職は、天正以降、小山家譜代久楽持家の世襲である。
  天地のつきることなく緑なす
   このふるさとの神をしそおもう」


 思川の網戸大橋と乙女大橋の間、川の堤防沿いに鎮座していました。

 鳥居。
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 社殿になります。
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 10月22日の即位礼正殿の儀の日、雨が降っているなか参拝でした。
 雨の日でしたが、ひっきりなしに参拝者が訪れていました。

 社号額です。
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 社殿には御朱印のメニュー?がありました。
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 御祭神札も一緒に授与されておりました。御朱印+御祭神札でも初穂料300円です。





寺院名:網戸神社
鎮座地:栃木県小山市網戸2025番地
祭 神:田心姫命
配 祀:大山祇神 天兒屋根命
社格等:延喜式内社 旧無格社

御瀧山明王院泉龍寺 北関東三十六不動尊霊場(栃木県小山市乙女)5

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 栃木県小山市にあり真言宗豊山派に属するお寺になります。

 最寄り駅は、JR宇都宮線「間々田駅」になります。西口を出て、徒歩では十数分位かと思われます。

 駐車場は、入り口前にありました。自動車は、5台位は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです。
「乙女不動尊再建記念碑
 正徳四年(1714)泉龍寺中興の祖、淳元大和尚により不動堂は建立され近郷近在に多くの信仰を集めておりました。
 大聖不動明王(伝説によれば、日光中善寺湖中より発見されたと伝えられ、又は正慶二年(1333)の作か、南北朝時代北朝の年号)をおまつりしておりました由緒ある不動堂は平成七年(1995)八月十日落雷による火災にあいました。
 幸いにも住職により御本尊不動明王は無事搬出され、建物の貴重な文化的遺産である彫刻及び柱等は消失を免れることができました。
 再建に当たっては建設委員会を結成し、泉龍寺総代、世話人が当たり、町内会の協力を得ました。
 建築費の財源については、火災保険金及び壇信徒の浄財を勧募して充当致しました。
 建築は檀家の山中建築が請負、宮大工の生井建設と共同で施工され近郷にない立派な不動堂を再建することが出来ました」


 入り口になります。
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 鐘楼門になります。
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 参道の両脇には花が咲いていました。
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 不動堂になります。
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 乙女不動が祀られています。北関東三十六不動尊霊場の札所本尊になります。

 本堂になります。
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 大日如来が祀られています。

 御朱印は、庫裡にて頂けました。御朱印代は300円です。



寺院名:御瀧山 明王院 泉龍寺
所在地:栃木県小山市乙女一丁目25‐8
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:大日如来
札所等:北関東三十六不動尊霊場 十三番札所
御詠歌:水掛けて祈りの水をふらしつつ 病苦の民を救う不動尊

間々田八幡宮(栃木県小山市間々田)5

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 栃木県小山市の南部の間々田地区に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR宇都宮線「間々田駅」になります。徒歩では25分位になります。

 神社専用の駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「小山市間々田の旧村社。祭神は誉田別命。例祭は9月15日、8月21日。
 旧暦4月8日に悪魔を祓う行事があり、龍を型どった物を氏子町内に配り、『じゃがまいた、じゃがまいた』と唱えて練り歩きながら、各戸の軒先に藤つると菖蒲を挿していく。
 天平年間(729〜749)に勧請したと伝える。天慶二年(939)に藤原秀郷が勅命により平将門の乱を平定した。当社に祭田を寄進し、里人は飯田(ままだ)の里と称した。文治五年(1189)に源頼朝が陸奥に泰衡を討伐する途次、当社に祈願した。日光例幣使も参拝した。嘉永四年(1851)に現社殿を建立し、正一位の宣旨を受けた。」

 また、由緒書きよると次の通りです。
「間々田八幡宮の創建は古く、今から約千三百年前の天平年間に勧請されたものと伝えられている。
 天慶二年(939)平将門の乱が起るや、朝廷は藤原秀郷等に勅して之を討たした。秀郷は征討に臨み沿道の神社仏閣に戦勝を祈願し、乱平定の後、当八幡宮に神饌御料として供田した。これより後、里人、飯田(まんまだ)の里と呼称した。
 文治五年(1189)陸奥泰衡の乱に征討の軍を率いた源頼朝は
藤原秀郷、当八幡宮に将門調伏の祈誓ありしを聞き、戦勝を祈願して
松樹を植えた。後に人これを『頼朝手植の松』と称し近年に及ぶが惜しいかな明治三十八年(1905)枯死した。
 徳川幕府、家康の遺骨を日光山に遷し、日光街道十八駅を置く行程三十六里(141辧砲覆蝓F光・江戸の中間なるをもって間々田と改称した。また、朝廷は日光東照宮に例幣使をさしつかわし例年、幣帛を賜るが、その道中、当駅をへるに鎮座せる神社の由緒あるを聞き、当八幡宮を必ず参拝されるを例とされ、享和年間の社殿焼失
まで続いたと言い伝えられている。
 正徳二年(1712)六月、神階正一位の宣旨を受ける。
 享和年間に失火し、社殿ことごとく灰燼に帰した。よって御神霊を仮殿に安置し、嘉永四年(1851)に至り現在の社殿を再建した。建立に関係した宮大工は、折しも東照宮大修理にあたって各地から招かれた宮大工であったと伝えられ、御本殿の彫刻には、その優秀な技術をしのぶことができる。
 当八幡宮境内はこの近隣に類を見ないほど広大で、小山市に貸与してある公園の部分を含めると約二万坪の敷地を有している。数百年の樹齢を数える杉の古木が荘厳な雰囲気を醸し出し、緋鯉、真鯉の遊泳する神の池には、春の桜、秋の紅葉がその艶やかな姿を映し、氏子崇敬者や市民の憩いの場となっている。
 また、松尾芭蕉は、奥の細道紀行で江戸を出発して二日目に間々田宿に宿泊しているが、その芭蕉に因んだ句碑『古池や蛙飛び込む水の音』が立てられている。この句碑は、病気平癒を祈願した氏子が、全快のお礼に嘉永年間に建立したものであるが、御神徳による霊威は古い昔から伝えられるところであり、近年でも足を病んで歩行できなかった茨城の婦人が、夢に見た当神社を写真に撮り、朝夕拝んだところたちまち癒えたとお礼参りに来られたり、都内に本社を置く会社の社長は当神社に祈願し、社殿下の砂を拝領して会社を起こして見事に成功した例など枚挙にいとまがない。これ偏に遠く天平の昔より間々田八幡宮のご加護を信じ、崇拝し、神社護持に力を尽くした氏子崇敬者の赤心に有難き御神徳が益々発揚されている証であろう。」


 参拝したのは12月30日で空っ風が吹き荒れ、境内はとても寒かったです。

 鳥居になります。
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 くぐると下がります。
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 鳥居を入ると石段を下る神社として一之宮貫前神社があるが、その神社と同じ「下り宮」と考えて良いのだろうか?

 参道を進みます。
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 右側に源頼朝お手植えの松がありました。
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 現在三代目だそうです。

 その奥には厳島神社(弁天社)がありました。
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 弁天池がありました。
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 神社の境内は「間々田八幡公園」として整備されています。

 こちらが社殿になります。
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 社殿周辺は、お正月の準備のためテントがいくつか張ってありました。

 八龍神社が鎮座していました。
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 御朱印は、参道途中の授与所で頂けました。
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 御朱印代は300円でした。年末年始は書き置き対応になるそうです。

 由緒書きは、社殿の賽銭箱横にありました。

 御神札や御守りといった授与品はありました。私はジャガマイタの絵馬を一体頂きました。




神社名:間々田八幡宮
鎮座地:栃木県小山市間々田2330番地
祭 神:誉田別命 息長帯姫命
社格等:旧村社

乙女不動尊 泉龍寺(栃木県小山市乙女)5

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 栃木県小山市にあり真言宗豊山派に属するお寺になります。

 最寄り駅は、JR宇都宮線「間々田駅」になります。西口を出て、徒歩では十数分位かと思われます。

 駐車場は、入り口前にありました。自動車は、5台位は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです。
「乙女不動尊再建記念碑
 正徳四年(1714)泉龍寺中興の祖、淳元大和尚により不動堂は建立され近郷近在に多くの信仰を集めておりました。
 大聖不動明王(伝説によれば、日光中善寺湖中より発見されたと伝えられ、又は正慶二年(1333)の作か、南北朝時代北朝の年号)をおまつりしておりました由緒ある不動堂は平成七年(1995)八月十日落雷による火災にあいました。
 幸いにも住職により御本尊不動明王は無事搬出され、建物の貴重な文化的遺産である彫刻及び柱等は消失を免れることができました。
 再建に当たっては建設委員会を結成し、泉龍寺総代、世話人が当たり、町内会の協力を得ました。
 建築費の財源については、火災保険金及び壇信徒の浄財を勧募して充当致しました。
 建築は檀家の山中建築が請負、宮大工の生井建設と共同で施工され近郷にない立派な不動堂を再建することが出来ました」


 お寺まで狭い道をいきますので、自動車で行かれる方は気を付けてください。

 入り口になります。
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鐘楼門になります。
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参道を進むと「不動池」がありました。
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水行場になります。

 そばには「水掛け乙女不動尊」がいらっしゃいました。
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「北関東三十六不動尊霊場第十三番札所
 通称水掛け乙女不動尊
 御水行場不動池に本尊秘宝大聖不動明王の御分身像を遷座し、旧跡文化の発祥地不動塚の岩清水の霊泉にて、水掛け不動尊のご身体を清めれば、家内安全・厄除災難・無病息災・ボケ防止一切の病苦を除去して招福を授かる功徳の霊験さり。
 只だ一心に念誦じ来れ必らず無明暗黒の中より大光明を発揮して心願成就す」

 先に進むと、不動堂がありました。
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 「乙女不動尊」が祀られています。こちらの不動明王は、北関東三十六不動尊霊場の札所本尊になります。

 不動堂を左に行くと本堂がありました。
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 本尊は、大日如来になります。

 御朱印は庫裡にて頂けました。私は北関東三十六不動尊霊場の納経軸に頂いたため御朱印代は500円でした。納経帳(汎用納経帳)は300円です。




寺院名:御瀧山 明王院 泉龍寺
所在地:栃木県小山市乙女一丁目25‐8
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:大日如来
札所等:北関東三十六不動尊霊場 十三番札所
御詠歌:水掛けて 祈りの水を ふらしつつ 病苦の民を 救う不動尊

小山須賀神社(栃木県小山市)5

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栃木県小山市の中心部に鎮座する「小山須賀神社」に参拝してきました。

国道4号線沿いにありました。

最寄り駅は、JR両毛線・水戸線「小山駅」になります。
徒歩では、15分位だと思われます。

神社専用の駐車場には、自動車は数十台位は停められそうです。

一の鳥居は修理中でした。

神門です。
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なかなか立派です。

社殿です。
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ちょうどお宮参りをする家族連れの参拝者に出くわしました。

こちらの神社では、徳川家康が境内にて「小山評定」を開いた神社として有名です。
どこだったんだろうか。
見落としてしまった。

神楽殿です。
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どんな神楽が舞われるのでしょうか?

神楽殿横の門です。
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なかなか立派です。

御朱印は、境内の右側にある「須賀会館」の中にある「社務所」で頂けました。
巫女さんに対応していただきました
御朱印代は、300円でした。

由緒書きは、ありました。

御守りや御札といった授与品は、ありました。

須賀神社会館の中には喫茶室?があり、ホット・アイスコーヒーとオレンジジュースが各300円で頂けます。

国道4号線を南下すると式内社の「安房神社」、「間々田八幡宮」がありました。

国道4号線は交通量が多いので、気をつけてください。




神社データ
神社名:小山須賀神社
鎮座地:栃木県小山市宮本町一丁目2‐4
祭 神:素盞鳴男命 大己貴命 誉田別命
旧社格:郷社続きを読む
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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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