まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

足利市

長尾厳島神社 足利七福神「弁財天」の御朱印(栃木県足利市)5

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 栃木県足利市の中心部からすこし西へ行った所に神社が鎮座しています近くに通六丁目八雲神社や足利織姫神社がありました。

 神社専用の駐車場はありませんので、近くのふれあいセンターの駐車場を利用しました。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(2ヵ所ある案内板による)。
「厳島神社
 祭神 市杵島姫命
 大祭 旧暦四月初己日
 御社はもと長尾家伝来の守護神として西宮町の長林寺に祀られておりましたが1868年の神仏分離令(廃仏毀釈)により当地へ遷座されたものであります。
 弁財天は古く農耕水運の守護神として良民に福徳を与え尚情操とやすらぎをほどこす女神として住民にしたしく弁天様といわれ拝神されてまいりました。
 遷座以来当地域に於ては水火の災なく今日隆々として楽しく生活が暮らせますのも御神威の御加護によるものであります。
 御祭神の御祈祷については
 家内安全 商売繁盛 開運福徳 交通安全
の御神威はもとより入試合格良縁祈願の御加護も大きく尚長尾城主の但馬守景人は山ノ内上杉氏の老臣長尾景仲の一族で文正六年(1466)に足利庄の地頭として来足六代にわたり百二十余年領主として大過なく務められたのも御神威によるものとされております。今日御神威のしからしむるところにより崇敬者は年々増加しておりますのも御加護によるものと存じます。
 足利市通六丁目 厳島神社奉賛会」

「足利七福神
 弁財天 長尾弁天
 六丁目弁天は、足利領主三代目の長尾景長が、西宮の長林寺に祀ったものであり、長尾七弁天の一つとされている。その後、明治元年の神仏分離令により現在地に遷座し、厳島神社となった。以来地域の守護神として厚く敬神され、安芸の宮島を見学して、それを模した鳥居も奉納された。この地域は、水害、火災もなく、各家庭や町内が仲よく和合して人情も厚い。弁天様のおかげと深く信仰され清掃もみんなで行っている。
 弁天様は、水神・芸術の神であり、財宝利得をもたらす女神である。
 お祭り5月第二日曜日」


 鳥居
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 社殿になります。
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 境内は狭いくらいです。
 足利長尾氏が祀った弁財天が神仏分離で厳島神社になったみたいです。
 足利長尾氏の同族は越後長尾氏になります。

 御朱印は、社殿に貼り出されている個人の方に電話をして御朱印を頂きにあがります。




神社名:長尾厳島神社
鎮座地:栃木県足利市通六丁目3177番地
祭 神:市杵島姫命
通 称:長尾弁財天
別 称:通六丁目厳島神社
社格等:旧無格社
札所等:足利七福神 弁財天

足利厄除大師龍泉寺 布袋尊の御朱印(栃木県足利市助戸町)5

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 栃木県足利市の東部に寺院はありました。

 寺院専用の駐車場はありました。自動車は、数十台は停められそうです。

 最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。


 こちらのお寺の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。
「天台宗 龍泉寺縁起
 当寺は、元久二年(紀元1205年3月)の開創であり、2005年には開山800年を迎えた。権現堂と称し比叡山の直末寺である。開山は叡海地蔵上人様であり、紀州那智(現在の和歌山県)の人である。ある夜の夢に異形の人が現れ、告げて曰く『吾と汝と共に日本六十余州を巡礼し、六十六部の経典を各霊場に納め、汝の終焉の地に吾を奉ぜよ。吾は是、熊野権現、吾は汝なり、汝は是れ我なり』と言うなり霞の如く消失したという。上人は夢より覚めると、諸国の霊場巡礼の旅をし、下野国足利郡に来たり、此の地に霊感を感得する。即ち霊夢に見る所の地と思い、一堂を建立し、熊野権現を勧請し安置す。此が権現堂の由来であり、時に上人御年六十六歳、翌年元久三年上人は当地に於いて入寂する。
 室町幕府時代の末までは足利氏の帰依が厚く、特に第十四代将軍足利義栄は当寺に、福聚山心性教院龍泉寺の号を定め、命により永禄十一年 天台座主二品応胤親王より比叡山戒心谷の永代末寺に定められた。
 桃山時代に入り、足利城主長尾但馬守顕長は当寺の霊仏を厚く帰依信仰し、館林に楞嚴寺、及び薬師十二神将等を寄進した。しかし長尾家滅びし後、当山も衰退し、江戸時代正徳の頃、当山の元三大師(厄除大師)を再興し、厄除けの守護仏として、其の名を近郷近在に知られ、正月には大祭を執行する。
 元三大師(912〜985)は、名を良源、大師号を慈恵大師と言う。『厄年』『おみくじ』等はお大師様が創始者であり、俗に元三大師と言われるのは正月3日に亡くなられたからです。
 当山に安置されている元三大師様は、『足利厄除大師様』として古くから近郷近在の多くの人々の信仰を集めております。正月元旦から節分にかけて大祭が開催され、『縁起ガラマキ式』『ダルマ市』等で大変賑わっております。」


 「足利厄除大師」として知られるお寺になります。
 
 山門になります。
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 藤棚。
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 4月下旬〜5月上旬は、藤が見頃かと思います。

 鐘楼堂
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 山門を入ると正面には観音堂、右には本堂があります。
 観音堂。
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 本堂になります。
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 本尊である釈迦如来が祀られています。他にも元三大師、不動明王、大日如来も祀られています。

 御朱印は、本堂に向かう参道右側にある授与所にて頂きました。500円になります。オリジナル御朱印帳はあります。
 待っている間に本堂に併設されている「龍泉寺美術館」が拝観できました。

 御札や御守り、念珠といった授与品はありました。私は、身代り御守を頂きました。




寺院名:福聚山 心性教院 龍泉寺
所在地:栃木県足利市助戸一丁目652番地
宗 派:天台宗
本 尊:釈迦如来
通 称:足利厄除大師
札所等:ぼけ封じ関東三十三観音霊場 二十四番札所
    関東百八地蔵尊霊場 四十番札所
御詠歌:よ川なる 流れを汲みて 龍泉寺 大慈大悲の 誓いたのもし

寺岡山元三大師薬師寺 再拝 元三大師の御朱印(栃木県足利市寺岡町)5

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 栃木県足利市にある天台宗の「寺岡山元三大師薬師寺」に参拝する。
 以前とは違った御朱印だ。御朱印代は300円になる。

 山門
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 参道を進む。
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 大師堂
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 見開きの御朱印が多くある。見開きは500円になる。
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 色々もめている寺院だ。大丈夫なんだろうか?
 参拝時に御守りを頂こうとしたら、新年のために御守りを全部下げてしまったそうでなかった(´・ω・`)




寺院名:寺岡山 施薬院 薬師寺
所在地:栃木県足利市寺岡町871番地
宗 派:天台宗
本 尊:元三大師 薬師如来
通 称:寺岡山元三大師

通五丁目八雲神社(栃木県足利市通五丁目)5

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 栃木県足利市の織姫山の南側に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「足利市通の旧郷社。天王様とも。祭神は素盞嗚男命。
 例祭は7月20日。22日に御幣合わせ神事があり、馬の背に幣を乗せた神輿行列が出る。上・下の神輿が下馬橋で行き合い御幣を合わせる。
 貞観年間(859〜877)に創建されたと伝える。当地の産土神となり天王宮と称した。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「足利市通。旧郷社。祭神は素盞嗚尊を祀る。旧称、天王宮。
 例祭7月20日。この日、御幣合わせ神事が行われる。当社の神輿と旧村社の八雲神社(祭神、奇稲田姫命)の神輿とが合うという神事である。
 また八百燈の提灯を点ずる提灯祭りも行われる。」


 森高千里の「渡良瀬橋」に出てくる八雲神社ではありません。

 鳥居になります。
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参拝したのは7月20日で例祭の日でした。
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 参道を進みます。
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 お神輿ですか
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 社殿になります。
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 普段は無住なため、お正月や例祭の時は神職の方がいらっしゃるようです。

 御朱印は、社務所で頂けました。御朱印代は300円です。





神社名:通五丁目八雲神社
鎮座地:栃木県足利市通五丁目2816番地
祭 神:櫛稲田姫命
配 祀:素盞嗚男尊
社格等:旧郷社

金剛山仁王院鑁阿寺 足利七福神の大黒天の御朱印(栃木県足利市家富町)5

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 栃木県足利市の中心部、足利学校の近くにお寺はありました。

 最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。徒歩では、約10分位でしょうか。

 駐車場は境内の北側にあります。自動車は数十台位は停められそうです。
 駐車場迄の道は一方通行の細い道を行きますので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の寺院。金剛山仁王院。本尊は大日如来。
 足利義兼が邸内に設けた持仏堂に始まり、子息義氏が大御堂を建立して寺院化。開山は義兼の護持僧理真(りしん)。以来、足利氏由緒の寺として栄えた。戦後、大日派を設立。
 境内は足利氏宅跡として国史跡に指定。」

 また、吉川弘文館刊「日本仏教史辞典」によると次の通りです。
「栃木県足利市家富町にある寺院。真言宗大日派総本山。金剛山仁王院法華坊鑁阿寺と号す。本尊は大日如来。
 『鑁阿寺縁起』(『鑁阿寺文書』)によれば、建久七年(1196)、足利義康の子上総介義兼が伊豆走湯山の理真を開基として『城堀之内』に持仏堂を建てたのに始まるという。寺院としての形態が整えられたのは、子の義氏の時で『堀内御堂』と称された。天福二年(1234)の鑁阿寺棟札写によれば、『奉做起方五間大日如来大殿一宇』とあり、義氏が大壇那となって方五間の大日如来大殿を建立している。また彼は、堀内の外側に十二坊を建て、月谷・飯塚両郷を寄進し、『供僧十二院制度』を設けたといわれるが(『縁起』)、これは鎌倉末期〜南北朝時代を通じて整備されてきたとされる。この制度は、東光院・普賢院・不動院・六字院・浄土院・宝珠院・威徳院・延命院・千手院・金剛乗院・竜福院・安養院の十二院の塔頭が東西両院に分かれ、供僧として法会などを執行したもの。一山を代表する学頭は千手院が務めた。室町時代には、十二院が輪番で『年行事』として寺務を行なった。
 鑁阿寺という寺号がはじめて史料に現れるのは、建長三年(1251)3月8日の足利泰氏置文で、充所は『鑁阿寺供僧中』となっている。
 家時の時、大御堂の一廓には廊下で接続された中御堂も創設されていたが、弘安十年(1287)の落雷で、堂宇はことごとく炎上してしまったので、子の貞氏は七年の歳月をかけて再建に努力をしている。こうして完成したのがほぼ現在の鑁阿寺である。寺領は足利将軍家や鎌倉公方によって寄進され、創建期から室町時代中期にかけて寺運もっとも興隆し、門前には市が立つほどであった。戦国時代、戦勝祈願を依頼した古河公方家の礼状など多数残されている。天正十三年(1585)鑁阿寺十二支院のいずれかに属する橋本郷の百姓らは、小田原北条氏の進攻に際して作毛を荒らされ年貢の減免を要求して百姓申状を長尾氏の奉行所に提出した。江戸時代六十石の朱印地を賜ったが、維新後上地となり、一時衰退した。
 なお、境内は中世土豪の居館の面影をよく残しており、足利氏宅跡として国史跡に、また同寺所蔵の『鑁阿寺文書』615通は重要文化財に指定。」


 「真言宗大日派」という宗派に属していますが、元々鑁阿寺は奈良にある「豊山神楽院長谷寺」の直末であったため「真言宗豊山派」に属していましたが、戦後に真言宗大日派を創設して独立したようです。

 山門になります。
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 御神木なんでしょうか?
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 大きな銀杏木になります。

 多宝塔になります。
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 本堂になり、本尊である大日如来が祀られています。
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 参拝したときは祈祷祈願を受ける方々はいらっしゃりませんでした。しかし、昨今の御朱印ビームで受ける方々は結構いらっしゃいました。
 大日如来が祀られているため栃木では「大日様」と呼ばれています。

 中御堂になります。
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 成田山新勝寺からの勧請の不動明王が祀られています。

 境内の後ろにあるお堂になります。
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 その中に大黒堂がありました。

 御朱印は、本堂併設の授与所で頂きました。「大黒天」の御朱印を頂きました。御朱印代は400円です。






寺院名:金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺
所在地:栃木県足利市家富町2220番地
宗 派:真言宗大日派
寺格等:本山
本 尊:大日如来
通 称:大日様、足利大日尊
札所等:関東八十八ヶ所 十六番札所
    下野三十三観音霊場 二十八番札所
    足利七福神 大黒天
御詠歌:大日のみ光うけて咲く花も 仏の加護にあらざるはなし
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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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