神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

足利市

樺崎八幡宮(栃木県足利市)5

image

 栃木県足利市の北東部に神社は鎮座していました。

 駐車場は、道路沿いにありました。


案内板による由緒。
「樺崎八幡宮は、正治元年(1199)、足利義兼の生入定の地に八幡神を勧請し、義兼の霊を合祀したことに由来する。
 本殿は、天和年間(1681〜1684)の再建といわれ、昭和六十三年度・平成元年度の保存修理で、本来の造りであった隅木入春日造(軒唐派風)に復元した。
 この建物は意匠上においても種々の面で卓抜したものがあり、歴史的由来とあわせて価値の高い建造物である。
 (昭和六十一年九月二十四日 足利市指定)

※足利義兼は、奥州藤原氏征伐の後、建久年間(1190〜1199)、この地に下御堂(法界寺)を創建した。
 義兼は正治元年、当地にて入寂、その子義氏は、法界寺の諸堂宇を整備するとともに八幡神を勧請した。
 足利将軍家の衰退とともに法界寺もその庇護するところを失い、現在では樺崎八幡宮を残すのみである。」


 私が参拝した4月16日は春季大祭が行われており、社務所には氏子さんが詰めておりました。

 参道です。
image

 先に進みます。
image

 こちらが社殿になります。
image

 (´人`)
 境内の神楽殿では神楽が舞われていました。
image

 御朱印は、参道右側の社務所で頂けました。普段は非常駐のため社務所の掲示にある電話番号にかけて社務所に来ていただき、御朱印を頂けます。御朱印代は300円でした。
 由緒書きはありました。




神社名:樺崎八幡宮
鎮座地:栃木県足利市樺崎町1723番地
祭 神:誉田別命 源義兼公(足利義兼公)
社格等:旧郷社

足利織姫神社 御守り&御朱印(栃木県足利市西宮町)5

image

 栃木県足利市の織姫山の中腹に鎮座する神社になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「足利市駅」、JR両毛線「足利駅」になります。徒歩では30分位はかかりそうです。

 駐車場は、境内の東側にありました。自動車は、数十台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「栃木県足利市西宮町に鎮座。祭神は八千千姫命・天御鉾命。例祭は5月7日で神幸祭がある。
 伊勢国の渡会井手郷の御機殿を遥拝するために勧請された。
 明治十二年(1879)に足利町の八雲神社の相殿となり、さらに現在地に遷された。」

 また、案内板によると次の通りです。
「足利は古くから織物を中心として栄えてきました。奈良時代初期の和銅6年(713)というのが足利織物が文献上に残る最古のものと言えるでしょう。その約1300年の伝統を持つ足利織物の守り神として奉られているのが足利織姫神社で、昔機織を司られた天御鉾命と八千々姫命を祭神としております。
 昔は『機神さま』と呼ばれ、明治12年8月24日に合祀されていた通四丁目の八雲神社から今の織姫山南麓に遷宮しましたが、翌年の明治13年9月10日の火災で焼失以来、仮宮のまま約50年を経過。この間、織姫神社奉賛会により織姫神社中腹に朱塗りの社殿が造営され、昭和12年5月7日仮殿から遷座して現在に至っています。
 緑に映える朱塗りのお宮は、国登録有形文化財にも指定されている足利の名勝の一つで、足利県立自然公園の最南端に位置しています。社殿の東側には関東ふれあいの道『歴史のまちを望むみち』が通っており、北に続く織姫山一帯は明治100年記念事業として造成された総合公園(織姫公園)になっています。」


 足利市を象徴するような神社です。

 駐車場から境内に入れます。
image

 1月29日に参拝しましたが、神前結婚式が行われていました。
image

 参道途中で新婦が写真撮影がありました。

 女性の参拝者や夫婦連れが参拝に来てました。私は男一人で行ってしまいました。

 社殿になります。
image

 境内からの眺めがとても良いです。
image

image

 しばらくこちらの御朱印は頂いていなかったので、久しぶりに頂きました。御朱印代は300円でした。私の前にも御朱印を頂く女性がいました。
 また、縁結びの御守りを頂きました。一体500円です。




神社名:足利織姫神社
鎮座地:栃木県足利市西宮町3889番地
祭 神:天御鉾命(あめのみほこのみこと) 天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)
社格等:旧無格社

金剛山鑁阿寺 関東八十八ヶ所(栃木県足利市家富町)5

image

 栃木県足利市の中心部、足利学校の近くにお寺はありました。

 最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。徒歩では、約10分位でしょうか。

 駐車場は、境内の北側にあります。自動車は、数十台位は停められそうです。
 駐車場迄の道は、一方通行の細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけて下さい。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の寺院。金剛山仁王院。本尊は大日如来。
 足利義兼が邸内に設けた持仏堂に始まり、子息義氏が大御堂を建立して寺院化。開山は義兼の護持僧理真(りしん)。以来、足利氏由緒の寺として栄えた。戦後、大日派を設立。
 境内は足利氏宅跡として国史跡に指定。」

 また、吉川弘文館刊「日本仏教史辞典」によると次の通りです。
「栃木県足利市家富町にある寺院。真言宗大日派総本山。金剛山仁王院法華坊鑁阿寺と号す。本尊は大日如来。
 『鑁阿寺縁起』(『鑁阿寺文書』)によれば、建久七年(1196)、足利義康の子上総介義兼が伊豆走湯山の理真を開基として『城堀之内』に持仏堂を建てたのに始まるという。寺院としての形態が整えられたのは、子の義氏の時で『堀内御堂』と称された。天福二年(1234)の鑁阿寺棟札写によれば、『奉做起方五間大日如来大殿一宇』とあり、義氏が大壇那となって方五間の大日如来大殿を建立している。また彼は、堀内の外側に十二坊を建て、月谷・飯塚両郷を寄進し、『供僧十二院制度』を設けたといわれるが(『縁起』)、これは鎌倉末期〜南北朝時代を通じて整備されてきたとされる。この制度は、東光院・普賢院・不動院・六字院・浄土院・宝珠院・威徳院・延命院・千手院・金剛乗院・竜福院・安養院の十二院の塔頭が東西両院に分かれ、供僧として法会などを執行したもの。一山を代表する学頭は千手院が務めた。室町時代には、十二院が輪番で『年行事』として寺務を行なった。
 鑁阿寺という寺号がはじめて史料に現れるのは、建長三年(1251)3月8日の足利泰氏置文で、充所は『鑁阿寺供僧中』となっている。
 家時の時、大御堂の一廓には廊下で接続された中御堂も創設されていたが、弘安十年(1287)の落雷で、堂宇はことごとく炎上してしまったので、子の貞氏は七年の歳月をかけて再建に努力をしている。こうして完成したのがほぼ現在の鑁阿寺である。寺領は足利将軍家や鎌倉公方によって寄進され、創建期から室町時代中期にかけて寺運もっとも興隆し、門前には市が立つほどであった。戦国時代、戦勝祈願を依頼した古河公方家の礼状など多数残されている。天正十三年(1585)鑁阿寺十二支院のいずれかに属する橋本郷の百姓らは、小田原北条氏の進攻に際して作毛を荒らされ年貢の減免を要求して百姓申状を長尾氏の奉行所に提出した。江戸時代六十石の朱印地を賜ったが、維新後上地となり、一時衰退した。
 なお、境内は中世土豪の居館の面影をよく残しており、足利氏宅跡として国史跡に、また同寺所蔵の『鑁阿寺文書』615通は重要文化財に指定。」


 「真言宗大日派」という宗派に属していますが、元々鑁阿寺は奈良にある「豊山神楽院長谷寺」の直末であったため「真言宗豊山派」に属していましたが、戦後に真言宗大日派を創設して独立したようです。

 入り口になります。
image

 手水舎になります。
image

 1月29日に参拝しましたが、境内には七福神巡りをする方々で多かったです。

 本堂になります。
image

 本尊である大日如来が祀られています。こちらで祈祷祈願が行われるようです。

 境内の売店では、焼きそばの良い香りが漂っていました。

 不動堂になります。
image

 銀杏と多宝塔になります。
image

 銀杏の木は、御神木的な感じの木なんでしょうか?

 経蔵になります。
image

 御朱印は、本堂左側にある授与所で頂きました。関東八十八ヶ所の御朱印代は300円でした。御御影が一体付きます。



寺院名:金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(ばんなじ)
所在地:栃木県足利市家富町2220番地
宗 派:真言宗大日派
寺格等:本山
本 尊:大日如来
通 称:大日様
札所等:関東八十八ヶ所 十六番札所
    下野三十三観音霊場 二十八番札所
    足利七福神 大黒天
御詠歌:大日の み光うけて 咲く花も 仏の加護に あらざるはなし

緑町八雲神社 渡良瀬橋に出てくる神社 再拝(栃木県足利市緑町)4

image

 八雲神社自体は、足利市内に複数鎮座してます。こちらの神社はその中の一社になり、足利総鎮守になります。

 「足利公園」の隣に鎮座してます。

 最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。徒歩では、少々かかりそうです。

 神社の専用駐車場は無いようです。隣の足利公園の駐車場を利用した方が良いかもしれません。自動車は、十台以上は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです。
「佐野唐沢山城主、下野守藤原村雄(秀郷の父)が夢のお告げにより、貞観年間(859〜876)に創建したと伝えられています。
 また『栃木県神社誌』によれば、清和天皇の貞観11年(869)、右大臣藤原基経が、当緑町に上社、5丁目に下社を勅願所として創建したといわれています。
 平将門の乱に平定祈願成就により、足利、梁田両郡の総鎮守となり、牛頭天王と呼ばれ広く崇敬を集め、朝廷や国府からの参拝も行われたと伝えられます。
 境内に宝憧寺や本町薬師もあったようです。」


 森高千里の歌った歌「渡良瀬橋」に出てくる八雲神社になります。

 鳥居になります。
image

 入ると、左側にある手水舎がありました。
image

 手と口をすすいで、参拝です。

 数年前に社殿が焼失してしまい、伊勢神宮の「月読尊荒御魂社」の社殿を譲り受けました。
image

image

 1月29日現在は、本殿は完成してますが、拝殿は建設途中になります。

 しばらく御朱印は頂いていなかったので、久しぶりに頂きました。境内の北側にある宮司さん宅にて頂けます。御朱印代は、300円でした。

 御守り、絵馬、御神籤等の授与品はありました。




神社名:緑町八雲神社
鎮座地:栃木県足利市緑町一丁目3281番地
祭 神:素戔嗚男命
配 祀:櫛稲田媛命 大己貴命 少彦名命 火迦具土命
社格等:旧村社 足利総鎮守

白華山 養源寺(栃木県足利市板倉町)5

108d6281.jpg

栃木県足利市にある「白華山 養源寺」に参拝してきました。
臨済宗妙心寺派に属するお寺になります。

栃木県足利市の西部、板倉町の二十丁山の中腹にお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線「小俣駅」になります。
駅から徒歩では無理かと思われますので、自動車で行かれた方が良いかもしれません。

お寺専用の駐車場はありました。
自動車は、10台以上は停められそうです。


こちらのお寺は、約850年前に源氏の棟梁源義家の三男にあたる「源義国」を開基とし、開山住職は泰亀円了和尚を迎えて開創されたお寺になります。


入口になります。
784a74a2.jpg

とくに山門はありません。

入口の左には、足利坂東観音霊場の札所である旨の碑がありました。
6805f8ca.jpg

六番札所になります。

入り口左側には、諸仏が祀られています。
03494372.jpg

参道を進みます。
2a878330.jpg

両側には躑躅(つつじ)と思われる花が多く咲いてました。
d8c12442.jpg

とても綺麗です。
白い花ばかりですが、凛とした感じで良いです。

参道を進むと、左側には庚申塔が多くありました。
63e8d51c.jpg

庚申塚なのでしょうか?
fe529a84.jpg

上にはお堂がありました。
efa17444.jpg

中には「青面金剛」がありました。
いわゆる「庚申堂」といった方が良いかもしれません。

参道を先に進みます。
1caf725c.jpg

境内に入ると、左側には茅葺きの白い壁の「観音堂」がありました。
97253ab4.jpg

観世音菩薩が祀られており、「ポックリ観音」として知られています。
こちらの観音様は、「足利坂東観音霊場」の札所本尊になっています。
茅葺きのお堂は、なかなか趣きがあって好きです。

観音堂に掲げられていた扁額です。
2850d69c.jpg

また、観音堂の右側には「地蔵堂」がありました。
199479a7.jpg

地蔵堂に掲げられていた扁額です。
5394ebc4.jpg

内部になります。
937744b8.jpg

「延命地蔵菩薩」が祀られています。
足利市指定重要文化財になっているそうです。

こちらが地蔵堂の案内板になります。
87d493dc.jpg

本堂になります。
f1eafda6.jpg

(´人`)

臨済宗らしい質素な雰囲気でした。
臨済宗なので、釈迦如来(足利市指定重要文化財)が祀られています。

こちらは、本堂に掲げられていた扁額です。
2a147145.jpg

本堂の前には「不動明王」がいらっしゃいました。
9e960194.jpg

不動明王というと真言宗や天台宗のイメージがありますが、臨済宗でも祀るのですね。

お地蔵様と蛙です。
e939922f.jpg

何故蛙が・・・続きを読む
記事検索
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
Amazonライブリンク
livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード
カテゴリ別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログトピックス
メッセージ
J-CASTニュース
  • ライブドアブログ