神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

栃木市

身代り不動尊延命寺(栃木県栃木市大平町)

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 栃木市の東部、国道50号線のいすゞ栃木工場の少し北にお寺はありました。

 山門になります。 
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 といても鐘楼門といった方が良いかもしれません。

 手水舎になります。
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 六地蔵がいらっしゃいました。
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 本堂になります。
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 本尊である延命地蔵菩薩が祀られています。

 こちらは不動堂になります。
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 北関東三十六不動尊霊場の札所本尊である身代り不動明王が祀られています。

 御朱印は、境内の右側にある庫裡で頂けました。御朱印代は300円です。




寺院名:如意山 吉祥院 延命寺
所在地:栃木県栃木市大平町西水代1864番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:延命地蔵菩薩
札所等:北関東三十六不動尊霊場 十四番札所
御詠歌:身にかわる 誓も堅し 揺るぎなき 巌を建てる 吾が救い主

出流山千手院満願寺 坂東札所(栃木県栃木市出流町)5

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 栃木県栃木市にある寺院になります。

 最寄りのバス停は、栃木駅北口より寺尾線(出流観音行き)に乗車、終点「出流観音」で下車してください。

 駐車場はありました。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(東京堂出版刊『古寺名刹辞典』による)。
「栃木市出流町288。出流山千手院と号す。真言宗智山派。坂東三十三ヶ所観音霊場の第十七番札所。
 天平勝宝二年(750)日光開山勝道上人の開創と伝えられ、本尊十一面千手観音像は弘法大師東国巡錫の折の作といわれる。
 寺域は出流山中腹にあり、景観の良いことで知られる。本堂背後の崖に奥の院霊窟といわれる洞窟があり、東に大師窟、西に奥の院の窟、更に西に大日窟と呼ばれる鍾乳洞があり数十本の鍾乳石がある。中でも4辰魃曚晃事な石柱は古来より大日如来の後姿とされる。
 天平七年(735)下野国司若田氏高藤介の妻明寿は子宝に恵まれなかったが、この十一面観音に祈り、霊験を得て一子を授かった。この子が後の勝道上人であるという。よって日光修験者は生涯に一度は当寺に修行すると定められたこともある。
 明治維新前には智山派総本山智積院移転地七ヶ寺の一つに列せられた名刹である。
 本尊には開運・厄除けの霊験があるとされ、関東一円から参詣者を集める。
 御詠歌は、
  ふるさとをはるばるここに立ち出る
   我が行く末はいずくなるらん」

 また、雄山閣出版刊「日本名刹大事典」によると次の通りです。
「真言宗智山派別格本山、出流山、千手院。本尊は十一面千手観音菩薩。
 寺伝によれば、天平神護元年(765)勝道によって開かれた寺であるという。勝道や日光山に連なる霊地として、徳川将軍家から厚く保護された。寛文五年(1665)7月に将軍家綱から出流村(現栃木市出流町)に五十石を安堵されている(『寛文朱印留』)。
 寛政七年(1795)の『寺院本末帳』には、本寺が山城国醍醐無量寿院、末寺四か寺、門徒三か寺と記されている。
 坂東三十三か所観音霊場第十七番札所。」


 こちらの寺院は坂東三十三観音霊場の札所であり、「出流観音(いずるかんのん)」の名で知られています。

 山門になります。
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 山門を入ると左側には薬師堂がありました。
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 参道を進みます。
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 寺務所がありました。
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 宿坊を兼ねているようですが、まだやっているのでしょうか?

 まだまだ進んでいきます。
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 境内は山の中にあるといった感じです。

 やっと観音堂にたどり着けます。
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 観音堂内ではご祈祷の行っておりました。

 御朱印は、参道途中の寺務所の納経所で頂けました。授与所も兼務しています。

 御守り(一体700円)や御札(一体1,000円)等の授与品はありました。





寺院名:出流山 千手院 満願寺
所在地:栃木県栃木市出流町288番地
宗 派:真言宗智山派
寺格等:旧別格本山
本 尊:千手観音
通 称:出流観音(いずるかんのん)
札所等:坂東三十三観音霊場 十七番札所
    下野三十三観音霊場 二十九番札所
    関東八十八ヶ所 特別霊場
御詠歌:古里を はるばるここに 立いいづる 我がゆく末は いづくなるらん

三級山 近龍寺(栃木県栃木市)5

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栃木県栃木市にある「三級山 近龍寺」に参拝してきました。
浄土宗に属するお寺になります。

栃木県の中心部、栃木神明宮のそばにお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線・東武日光線「栃木駅」になります。
徒歩では約10分位はかかりそうです。

駐車場はあると思いますが、何処にあるかわかりませんでした。
近くにある栃木神明宮の駐車場を利用させて頂きました。良かったのでしょうか?


こちらのお寺の由緒は、次の通りです。
「当山は室町時代の応永28年(1421)に、浄土宗の僧侶である良懐上人によって創建され、 当初は宿河原(現在の栃木市城内町)にあって称念寺と号しておりました。
その後、天正16年(1588)に皆川広照氏が栃木城を築いた折りに現在地に移転し、 名を『三級山天光院近龍寺』と改めました。
これは栃木市内を貫流する巴波川が鯉の生息地で、 中国の故事に鯉は三段の堰を上ると龍に転じて天に昇ると云うところからその名を付けられたものです。
ご本尊、阿弥陀如来立像を中心として広がる江戸時代建立の本堂は、市内随一の威容を誇り、 蔵の街『栃木市』の中心にあって、宗祖法然上人のみ教え『専修念仏』のもと、宗教・文化・福祉活動に尽くし、今日に至っております。
現在、その境内には、昭和年建立の鐘楼堂(納骨堂)、聖観音像を祀った有無両縁塔、平成22年建立の三佛堂 (下野三十三ヶ所札所巡り二十四番札所の聖観世音菩薩さま、旧地蔵堂のお地蔵さま、子育安産・学業成就の呑龍上人などを祀る)、 ならびに火防の秋葉権現堂などが配され、北墓地には栃木市出身の文豪で文化勲章受賞の山本有三先生 のお墓もあります。
どうぞゆっくりとご参拝くださるようお願いいたします。 」


撮った写真が一部消えてしまいました。
また、参拝したときに撮りたいと思います。

こちらが山門です。
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立派な山門です。

こちらのお寺には、山本有三のお墓があります。
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看板がありますので、それに沿って行ってください。

境内には、三仏堂がありました。
堂内には、呑龍上人や聖観音(下野三十三観音霊場の札所本尊)等も祀られています。

納骨堂も兼ねた鐘楼堂もありました。

御朱印は、庫裡に併設されている寺務所にて頂きました。
御朱印代は、300円です。




寺院データ
寺院名:三級山 天光院 近龍寺
所在地:栃木県栃木市万町22−4
宗 派:浄土宗
本 尊:阿弥陀如来
札所等:下野三十三観音霊場 二十四番札所
御詠歌:天が下 うるおう民の 近龍寺 いずれ菩薩の 慈悲もしるべき

大平山 連祥院(栃木県栃木市)5

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栃木県栃木市にある「大平山連祥院」に参拝してきました。
天台宗に属するお寺になります。

栃木市の中心部から西へ行った大平山の麓にお寺はありました。
太平山神社の参道である「あじさい坂」の入り口のそばにあります。

駐車場は、お寺の入り口の前にありました。
また、栃木市営無料駐車場もありました。
自動車は、合わせて50台以上は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです。
「当山は、天長四年(827)慈覚大師円仁により創建されました。
もとは太平大権現社の別当寺院として山上にあり、第五十三代淳和天皇の勅願寺として栄え、多くの人々により信仰されてきました。
しかし、明治期の神仏分離令により、山上からおろされ、明治三十八年に現在の本堂、六角堂が建立されました。
堂内中央には、本尊虚空蔵菩薩、右側に愛染明王、左側に不動明王が安置されています。」


駐車場からお寺に向かいます。
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境内の隣には、太平山神社のあじさい坂のそばなので、梅雨の時期は紫陽花が咲いて、とても綺麗だと思われます。
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関東ふれあいの道に選定されています。
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こちらが入り口です。
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境内には、赤い旗が多く奉納されていました。
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信仰されている方々多いのでしょう。

元は、太平山神社と一体となっていた神仏習合色の強い寺院ですが、明治時代の神仏分離で独立。
現在に至ります。続きを読む

富田八坂神社(栃木県栃木市)5

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栃木県栃木市に鎮座する「富田八坂神社」に参拝してきました。

栃木市の南部、旧大平町に神社はありました。

最寄り駅は、JR両毛線「大平下駅」、東武日光線「新大平下駅」になります。
両駅から徒歩では5分位かもしれません。

神社専用駐車場は、見当たりませんでした。

少し離れた所に「金剛峯山 如意輪寺(下野三十三観音霊場 二十五番札所)」がありました。


こちらの神社の由緒は以下の通りです。
「八坂神社神輿新調記念碑
往昔、千種の里と呼ばれたこの地に、皆川氏の一族である富田氏の居城富田城(富田中根城)が築かれた永享年間(1429〜40)、城内に牛頭天王として祀られたのが、素盞鳴命を主祭神とあおぐ当八坂神社の始まりと伝えられている。
その後、江戸時代の寛永十七年(1640)三月二十二日に牛頭天王は現在の地に移創された。
正保年間(1644〜47)、富田の地は日光例幣使街道が整備されると、奉幣使や日光社参の諸大名、秩父火消同心やその他の諸役人、一般人の往来が頻繁となり、その宿場町として繁栄をきわめたが、享保八年(1723)十一月、宿内に恐ろしい疫病が流行した。
このため氏子たちは一致してその撲滅のため協力しあい、神輿を新調して宿内を巡行これを追散せしめたのであった。
時代は下って明治元年(1868)、牛頭天王は八坂神社と改称し、同二十六年(1893)に富田全域の総鎮守となり今日に至ったが、その間由緒ある神輿は、永い年月を経たことから、老朽化が著しい状況を呈するようになった。
そこで、このたびこれを新調するため、氏子の皆さまの浄財をご芳志いただき、ここにめでたく新しい神輿が完成と相い成ったのである。
以上の由来と、この偉業を後世に末永く伝えるとともに、これを記念してこの碑を建立するものである。
平成六年七月吉日」


こちらの神社は、日光例幣使街道富田宿の総鎮守になる神社になります。

道路沿いに鳥居がありました。
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社号碑になります。
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境内の左側には、手水舎がありました。
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こちらは、神楽殿です。
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どんな神楽が舞われるのでしょうか?

こちらが社殿になります。
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小ぢんまりしてます。

本殿は覆われていて、見ることは出来ませんでした。続きを読む
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