神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

玉村町

玉村八幡宮 再拝(群馬県佐波郡玉村町下新田)5

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 群馬県佐波郡玉村町の中心部、玉村高校・玉村小学校・玉村町役場の近くに神社は鎮座しています。
 神社の南には「日光例幣使街道」が東西にあり、「玉村宿」の中心部になります。

 最寄り駅は、JR新町駅、高崎駅、前橋駅、伊勢崎駅になります。
 玉村八幡宮のホームページによると、JR新町駅より北方へ徒歩60分から90分で着くそうです。また、新町駅や高崎駅からはバスの便があるそうです。

 神社専用駐車場はありました。自動車は、数十台は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(群馬県神社庁伊勢崎佐波支部著『伊勢崎佐波の神社誌』より)。
「当社は、霊元天皇の貞享四年(1686)、前橋藩の儒官古市剛によって記された『玉村八幡宮本紀(当社所蔵)』によれば、後鳥羽天皇の建久六年(1195)に、源頼朝が上野奉行安達藤九郎盛長をして鎌倉・鶴岡八幡宮より御分霊を勧請して創建した。当町内に鎮座する角渕八幡神社を元宮とする。
 時は下って後陽成天皇の慶長十年(1605)、徳川家の臣で関東郡代伊奈備前守忠次が、当地の新田開発に任あたって『今我荒原を以て熟田と成さんと欲す。附して請い願わくは神霊我を祐(たす)けよ。若しその功成る時は則ち感謝するに神社の造立を以てせん。』とその成就を祈願し、前橋の総社から天狗岩用水を延長する代官堀(滝川用水)を開削して開田するという一大事業が無事竣工した、同十五年(1610)に角渕八幡神社の本殿を移築して現在地に奉斎した。境内地は、伊奈備前守の陣屋(現在の小字名御殿、旧玉村中学校裏手)と開発に協力した和田与六郎の屋敷(現在の玉村高校)に挟まれた中世の環濠屋敷跡とされ、上新田と下新田の境に位置する。
 明正天皇の寛永十五年(1638)、前橋藩主酒井雅楽頭忠清によって修理が加えられ、後光明天皇の慶安二年(1649)八月三代将軍家光より朱印地三十石の神田を賜わる。
 また、前年の正保三年(1646)、朝廷において日光東照宮の神前に金幣を奉呈するために例幣使が派遣された。以来、当地玉村宿は中山道倉賀野宿を分岐とする例幣使街道の第一宿となり、三国街道別路と交差する地の利もあって例幣使街道十三宿中最も規模が大きくて繁盛する宿場となった。
 霊元天皇の寛文七年(1667)、再度前橋藩主酒井忠清によって社殿の修理が成された。貞享元年(1684)には、前橋藩主酒井雅楽頭忠明が新院良仁法王(後西天皇)の御宸筆、『八幡大菩薩』の神號を奉納し、東山天皇の元禄十六年(1703)に修理が加えられた。次いで、中御門天皇の享保十一年、さらに延享四年(1747)の両度、前橋藩主酒井雅楽頭親愛によって修理が加えられた。しかし、桃園天皇の寛延二年(1749)に崇敬篤志家である酒井氏が播磨国姫路に移封されて以降は領主による修理は行われず、以降は七郷十二ヶ村が協議の上『修造講』を興し、その講金に朱印地の収穫を合わせて祭儀の執行と社殿修理に充てるようになり、今日に至っている。
 明治七年村社に列せられ、同四十一年一月三十一日、下新田の無格社諏訪神社・無格社御殿稲荷神社・無格社神明宮、上福島の村社稲荷神社、与六分その稲荷神社を合祀する。また、明治四十一年八月一日には、本殿が内務省より特別保護建造物に指定され、大正十四年九月、県社に列せられた。
 昭和十一年に国の指導のもとに本殿の解体修理が為され、建築の時代考証において室町様式が確認されると共に、貴重な発見がされた。さらに、昭和二十五年八月、文化財保護委員会によって重要文化財に改めて指定されている。」


 門前は「日光例幣使街道」になります。

 随神門になります。
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 御神木がありました。
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 楠の木だそうてす。

 鳥居になります。
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 社殿になります。
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 11月11日に参拝しましたが、時期が時期だけに七五三の親子連れが多かったです。

 御朱印を頂きました。飴付きになります。御朱印代は300円です。
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神社名:玉村八幡宮
鎮座地:群馬県佐波郡玉村町下新田1番地
祭 神:誉田別命 気長足比売姫 比弯
配 祀:素盞嗚命 健御名方命 大鷦鷯命 熊野久須毘命 大己貴命 倉稲魂命 火産霊命 大日孁命 豊受姫命 菅原道真命 伊弉諾命 伊弉冉命 櫛御気命 瓊々杵命
社格等:旧県社

玉村八幡宮(群馬県玉村町)5

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群馬県玉村町に鎮座する「玉村八幡宮」に参拝してきました。
旧県社になります。

玉村町の中心部の国道354号線沿いに鎮座していました。

最寄り駅は、JR高崎線「新町駅」になります。
徒歩では、かなりかかりそうです。
近くまでバスが来ているようです。

駐車場は、鳥居を入った両側、神門を入った所にありました。
自動車は、数十台位は停められそうです。


こちらの神社の由緒は以下の通りです(ホームページより)。
「当社はもと玉村町角淵(つのぶち)に鎮座し、縁起には建久六年(1195)、源頼朝公が鎌倉鶴岡八幡宮より勧請建立とあります。
口碑では頼朝公が三原(吾妻郡嬬恋村)へ赴く途中当地にて休息した際、角淵地内を流れる烏(からす)川の地形が鎌倉の由比ヶ浜に似ていたため、上野奉行安達藤九郎盛長に命じ、鶴ヶ丘八幡宮の御分霊を奉安せしめたといいます。
以来、関東管領畠山満家、白井城主長尾左衛門尉憲景等による再建修造がなされました。
時は下り江戸時代はじめ、関東郡代伊奈備前守忠次が当地いったいの新田開発にあたり事業の加護を神前に祈り、慶長十五年(1610)に無事事業の完了を見るにおよび、神助の報賽と新田の守護として上新田、下新田境のこの地に角淵八幡宮本殿を移築修造されました。
これが現在の本殿です。
慶安二年(1649)には幕府より朱印地三十石を寄進され、また歴代の前橋藩主の月詣を得るとともに、数回の修復がなされました。
このように武将の崇敬を受けたばかりではなく、正保三年(1646)日光例幣使街道の開設後は、当地玉村宿が街道一の宿場として栄えるにつれ、道中安全や開運招福を願う民衆の崇敬をも集めることとなり、現在に至っています。」


こちらは、鳥居になります。
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道路沿いにあります。

先に進むと、隋神門がありました。
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扁額です。
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なかなか立派です。

先に進みます。
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銅像がありました。
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(´・ω・`)?

二宮金次郎です。
何故八幡宮で二宮金次郎なんでしょうか?

参道を進むと、日光東照宮で有名な三猿がいらっしゃいました。
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(´・ω・`)?

また、何故三猿なんでしょうか?

境内の左側には境内社が鎮座していました。
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右側は「猿田彦神社(加恵瑠神社)」、左側は「淡島神社(人形神社)」になります。

蛙の描かれた絵馬が多く奉納されていました。
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信仰が偲ばれます。

楠木がありました。
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御神木でしょう。

手水舎です。
07622e01.jpg

先に進みます。続きを読む
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