まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

太田市

冠稲荷神社 夏越の大祓の御朱印(群馬県太田市細谷町)5

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 群馬県太田市に鎮座する冠稲荷神社の夏越の大祓の御朱印です。初穂料500円でした。6月中は頂けるようです。

 鳥居です。
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 社殿になります。
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 団体の観光客に出くわし、境内は賑やかでした。




神社名:冠稲荷神社
鎮座地:群馬県太田市細谷町1番地
祭 神:宇迦之御魂大神
社格等:旧村社

冠稲荷神社 再拝 丸文字の御朱印(群馬県太田市細谷町)5

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 群馬県太田市に鎮座する冠稲荷神社に参拝。

 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県太田市細谷町に鎮座。祭神は宇迦之御魂命・猿田彦命・大宮能売命・大国主命・少彦名命ほか五柱。旧暦二月初午に火渡獅子舞がある。
 天治二年(1125)に源義国が国司として赴任の際に鎮祭し、承安四年(1174)に源義経が京都の伏見稲荷を勧請したと伝える。新田義貞は戦勝の奉賽として社領を寄進。領主・城主ほか豪商三井家が厚く信仰した。」

 また、案内板によると次の通りです。
「当神社は、往昔、宿窪明神(宿穴伏明神)と号し、上野国神名帳に名を留める古社で、創建は古代と伝わる。
 当地細谷は、古代は蛇川両縁の窪地なるために宿窪と称し、のちに地勢恰も山間の谷の如し、故に細谷と改称すと地誌にある。
 天治二年(1125)源義国公は、館の丑寅に当る当社を鬼門鎮護の霊場とし、源氏一門守護の氏神を鎮祭した。この時をもって当社御鎮座とした。義国公は、皇統第五十六代、清和天皇の子孫にして、清和源氏第五代源義家の嫡子である。義国公の長子は新田家の開祖、新田義重であり、次子は、足利家の開祖、足利義兼である。故に、義国公は、中世以降を司った源家一門の始祖といわれる。承安四年(1174)源義経公十五歳にして源氏再興を志し、奥州へ下向した。その折、当社に仮泊し、深更社殿の深奥に瑞光をみた。そして自身の曾祖父源義親の弟義国公ゆかりの社と知り、元服の時、冠(鳥帽子)の中に勧請してきた伏見稲荷大社のご分霊を鎮祭した。以来、伏見稲荷大社の分祀社として崇敬されるようになった。新田義貞公は若年の頃より当社への崇敬厚く、常用の四十二間筋兜(国宝)に稲荷大明神の神名を刻み、数多の神領、宝物を奉納し、年中五十三度の祭禮を当社にて執行した。元弘三年(1333)鎌倉幕府討伐の兵を挙げたとき、神前に戦勝を祈願し兜の中に神霊の来臨を請えば、種々不思議の感応があったという。以来新田家は北条氏を滅ぼす偉功をあげたのは、当神社の神威によるものと崇敬益々深厚にしたという。
 当社は稲荷大明神と称したが、村人は義経公、義貞公の故事を尊び、江戸時代中期より『冠稲荷』と呼び習わした。この由縁をもって、明治維新の折、名を冠稲荷神社と改めた。」


 緑が綺麗な季節になりました。休日のため参拝者は多いです。
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 社殿になります。
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 社殿内では祈祷が行われていました。
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 聖天宮です。
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 聖天宮の内部です。
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 御朱印は、社殿右側の「御朱印筆耕処」で頂きました。御朱印代は300円です。書き置きの御朱印があり、御朱印代は500円です。





神社名:冠稲荷神社
鎮座地:群馬県太田市細谷町1番地
祭 神:宇迦之御魂大神
社格等:旧村社

世良田八坂神社 端午の節句の御朱印(群馬県太田市世良田町)5

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 群馬県太田市世良田町にある旧郷社になる神社です。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「世良田駅」になります。徒歩では15分位はかかりそうです。

 神社専用の駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「新田郡尾島町世良田の旧郷社。祭神は素盞嗚命。例祭は7月25日。
 後醍醐天皇の皇孫にあたる良王は世良田氏の娘を生母として上野国の寺尾城に生まれた。のちに尾張国の津島社の神主になった。津島の神は新田・世良田の両氏が勧請したと伝える。新田の天王と称し、一族が深く尊崇した。
 織田信長が社殿を造営した。」

 また、境内の案内板によると次の通りです。
「八坂神社の創建は明らかでないが、縁起によれば新田氏代々の崇敬社であり、織田信長も同社を崇拝し社殿を修造したという。また尾張国(愛知県)津島天王社の分霊を移したとも伝える。これは世良田政義の娘と南朝の王子尹良親王との間に出生した良王が、津島天王社の神主となったという故事によるものであろう。
 『永禄日記』(長楽寺蔵)の永禄八年(1565)六月七日の条に、『天王祭ヲイタス』とあり、古くは『牛頭天王』を祀る天王社であった。江戸時代は神宮寺(大正二年普門寺へ合併)が奉仕し、世良田・女塚・境・三ツ木・粕川村など五ヶ村の鎮守であったが、明治初年さらに平塚・村田村・木崎宿などが加わり、二十四ヶ村の郷社とされ、八坂神社と称した。
 当社は、農業・疫病除けの神として広く信仰されている。特に夏祭は『世良田祇園』として知られ、かって十一台の屋台が繰り出して競う祇園ばやしは、夜空にこだまして絢爛幻想の世界を現出し、関東の三大祭の一つに数えられた。近年は交通事情により祭りの規模は縮小されているものの、村人により祭り屋台・囃子が良く保存されており、神輿の渡御などに『世良田祇園』の伝統が受け継がれている。」


 世良田東照宮から少し北に神社は鎮座しています。

 鳥居になります。
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 大きな絵馬です。
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 社殿になります
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 ゴールデンウィーク中の5月3日に参拝。やはり参拝者は多かったです。暑いくらいです。

 境内社になります。
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 神楽殿になります。
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 御神輿。
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 境内の左側にある授与所で御朱印を頂きました。
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 見開きのもので御朱印代は500円でした。兼務社の書き置きの御朱印もありました。

 その他御守りや御神札といった授与品はありました。




神社名:世良田八坂神社
鎮座地:群馬県太田市世良田町1497番地
祭 神:素戔鳴尊
社格等:旧郷社

生品神社 再拝(群馬県太田市新田市野井町)5

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 群馬県太田市の中でも旧新田町に神社は鎮座していました。

 神社専用の駐車場は、門前にありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県新田郡新田町市野井の旧県社。祭神は大穴牟遅神・品陀和気命・建御名方神他二十二柱。例祭はは4月15日、11月20日。5月8日に新田義貞挙兵記念祭がある。
 天喜年間(1053〜1058)に源義家が奥州征討にあたり戦勝を祈願し、元弘三年(1333)の新田義貞鎌倉攻めでは当社で義旗を挙げた。
 生階とも称し新田郡内に分社が多くその本社である。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「群馬県新田郡新田町市野井。旧県社。大穴牟遅神・品陀和気命・建御名方神他二十二柱の神を祀る。
 創祀は不詳であるが『上野国神名帳』所載の生階明神に当てられる。源義家は奥州征伐に際し戦勝祈願したと伝え、釜倉時代以後、当地を領有地とした新田氏の崇敬は篤く刀剣、軍旗、絵馬などを奉納している。『太平記』が記すに元弘三年(1333)護良親王の令旨により北条高時追討のために市野井郷総鎮守にて挙兵戦勝祈願したのは当社であり境内は國の史跡に指定されている。
 当郡内には同名社が多く当社を本宮とし、古来産土神として崇敬が篤い。
 宝物としては神鏡、古鏡、軍旗、寄進状などを蔵す。
 例祭は4月15日、11月20日。5月8日には新田義貞挙兵記念祭が実行力され、小学生十人が鎌倉方向に矢を放つ鏑矢祭が執行される。」


 鳥居になります。
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 左側には新田義貞の銅像がありました。
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 銅像は盗難にあい、現在はありません。犯人は見つかったのかな?

 神橋になります。
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 二の鳥居になります。
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 神代木になります。
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 境内社。
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 社殿になります。
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 大己貴命を主祭神として祀られています。
 上野國神名帳には「従三位生階明神」とあるので、平安時代には神社はあったことになります。
 上野国志には「一説には生品社は、平親王将門の弟、御厨三郎将頼を祭る。将門伏誅の後、其の霊祟をなす。依て将門を武州に祀りて神田明神と称し、将頼を上州に祭りて生品明神と称す。共に九月十九日を祭日として之を祭ると生品旧縁起に見えたり」とあります。
 また、言い伝えによると
「豊城入彦命が上野の太守となり、新田地方の開発に先立ち、大己貴命を祀り、『生階明神』と号した。いつしか『生品』と書くようになった。天喜年間(1053年〜1058年)に源義家は、奥州の賊徒を退治するため、生品神社に参詣し、戦勝を祈願。
元弘三年(1333年)五月八日、新田義貞が北条高時を追討するため、神社前に義旗をたて、鎌倉へと進軍した。」
とあります。

 社殿内部です。
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 普段は非常駐の神社ですが、参拝したときは神社関係者(宮司さんか?)がいらっしゃり、御朱印は御朱印帳に直接墨書きが頂けました。恐らくは5月8日の例大祭の準備があったのかなと推測します。ゴールデンウィーク中はいらっしゃるのかなとは思います。御朱印を頂くのはこの時期かもしれません。






神社名:生品神社(いくしなじんじゃ)
鎮座地:群馬県太田市新田市野井町646‐1
祭 神:大穴牟遅神 品陀和気命 建御名方神 他二十二柱
社格等:旧県社

冠稲荷神社 お正月&戌日の参拝(群馬県太田市細谷町)5

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 群馬県太田市の西部に神社は鎮座していました。

 国道354号線の少し南にありました。周辺には神社の看板がでてきますので、わかりやすいかもしれません。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「細谷駅」になります。

 駐車場は、神社の西側にありました。自動車は、かなりの台数が停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県太田市細谷町に鎮座。祭神は宇迦之御魂命・猿田彦命・大宮能売命・大国主命・少彦名命ほか五柱。旧暦二月初午に火渡獅子舞がある。
 天治二年(1125)に源義国が国司として赴任の際に鎮祭し、承安四年(1174)に源義経が京都の伏見稲荷を勧請したと伝える。新田義貞は戦勝の奉賽として社領を寄進。領主・城主ほか豪商三井家が厚く信仰した。」

 また、案内板によると次の通りです。
「当神社は、往昔、宿窪明神(宿穴伏明神)と号し、上野国神名帳に名を留める古社で、創建は古代と伝わる。
 当地細谷は、古代は蛇川両縁の窪地なるために宿窪と称し、のちに地勢恰も山間の谷の如し、故に細谷と改称すと地誌にある。
 天治二年(1125)源義国公は、館の丑寅に当る当社を鬼門鎮護の霊場とし、源氏一門守護の氏神を鎮祭した。この時をもって当社御鎮座とした。義国公は、皇統第五十六代、清和天皇の子孫にして、清和源氏第五代源義家の嫡子である。義国公の長子は新田家の開祖、新田義重であり、次子は、足利家の開祖、足利義兼である。故に、義国公は、中世以降を司った源家一門の始祖といわれる。承安四年(1174)源義経公十五歳にして源氏再興を志し、奥州へ下向した。その折、当社に仮泊し、深更社殿の深奥に瑞光をみた。そして自身の曾祖父源義親の弟義国公ゆかりの社と知り、元服の時、冠(鳥帽子)の中に勧請してきた伏見稲荷大社のご分霊を鎮祭した。以来、伏見稲荷大社の分祀社として崇敬されるようになった。新田義貞公は若年の頃より当社への崇敬厚く、常用の四十二間筋兜(国宝)に稲荷大明神の神名を刻み、数多の神領、宝物を奉納し、年中五十三度の祭禮を当社にて執行した。元弘三年(1333)鎌倉幕府討伐の兵を挙げたとき、神前に戦勝を祈願し兜の中に神霊の来臨を請えば、種々不思議の感応があったという。以来新田家は北条氏を滅ぼす偉功をあげたのは、当神社の神威によるものと崇敬益々深厚にしたという。
 当社は稲荷大明神と称したが、村人は義経公、義貞公の故事を尊び、江戸時代中期より『冠稲荷』と呼び習わした。この由縁をもって、明治維新の折、名を冠稲荷神社と改めた。」


 大鳥居です。
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 鳥居をくぐります。
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 社殿になります。
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 本殿になります。
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 初詣ら祈祷祈願を受ける参拝者も多く、また御朱印を頂く方も列を作っていました。

 御朱印は、社殿右側の「御朱印筆耕処」で頂きました。御朱印代は300円です。書き置きの御朱印があり、御朱印代は500円です。




神社名:冠稲荷神社
鎮座地:群馬県太田市細谷町1番地
祭 神:宇迦之御魂大神 外
社格等:旧村社
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