神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

高崎市

群馬県護国神社 再拝(群馬県高崎市乗附町)5

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 群馬県高崎市の観音山の麓にある神社になります。

 最寄り駅は、JR両毛線・八高線・高崎線「高崎駅」になります。徒歩では、かなりかかりますので、公共交通機関や自動車で行かれた方が良いかもしれません。

 神社専用の駐車場は、一の鳥居前に第一・第二駐車場がありました。
数十台位は停められそうです。また、二の鳥居の前にも駐車場があり、十台以上はは停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県高崎市乗附町に鎮座。神社本庁別表神社。県関係の明治維新以来の護国の英霊を祀る。例祭は10月16・17日で神楽獅子舞を奉納する。8月24日がみたま祭り。
 明治十二年(1879)に旧館林藩士三十九柱を祀り、招魂社が創建された。昭和十四年(1939)に内務大臣指定護国神社となる。同二十二年に誠霊廟、同二十五年には上野神社となったが、同二十九年に旧号に復した。」


 鳥居になります。
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 参道を進みます。
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 手水舎になります。
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二の鳥居になります。
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 社殿になります。
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観音山の麓にある神社なので春先になると桜が綺麗に咲くと思われます。
 4月22日に参拝しましたので緑が綺麗でした。

 御朱印は授与所で頂けます。御朱印代は300円です。
 御神札や御守りといった授与品はありました。

 由緒書きはありました。頂きたい旨を告げれば頂けます。





神社名:群馬縣護國神社
鎮座地:群馬県高崎市乗附町2000番地
祭 神:群馬県出身関係殉国の英霊
社格等:内務大臣指定護国神社 神饌弊帛料供進神社

少林山鳳台院達磨寺(群馬県高崎市鼻高町)5

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 群馬県高崎市にあるお寺の中で「高崎白衣観音」に次いで有名なお寺かもしれません。

 最寄り駅は、JR信越本線「群馬八幡駅」になります。
徒歩で十数分位になります。

 国道18号線の「少林山入口」という交差点の南にある橋を渡り、東に行くと、お寺はありました。

 駐車場は、山門前にあり、自動車は十数台は停められそうです。
 また、本堂の後方にも駐車場があり、かなりの台数が停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県高崎市鼻高町にある黄檗宗の寺院。本尊は十一面観音。山号は少林山。
 開山は東皐心越(とうこうしんえつ、1640〜1696)、開基は徳川光圀と伝えられる。開創年は不明。
 正月6・7日の達磨市は有名。
 戦前、当寺にはナチスに追われたブルーノ・タウトが寄寓した。資料の展示館がある。」

 また、吉川弘文館刊「日本仏教史辞典」によると次の通りです。
「群馬県高崎市鼻高町にある寺。黄檗宗。山号は少林山で知られる。もと曹洞宗(寿昌派)。幕末の一時期無住を経て明治維新後に黄檗宗となる。
 寺伝によると、元禄十年(1697)前橋藩主酒井忠挙(ただたか)が明の渡来僧東皐心越(とうこうしんえつ、水戸藩主徳川光圀帰依)を招いて開山したとある。事実は心越の法嗣天湫法澧(くんしゅんほうれい)を水戸祇園寺から招いて開創したもの(『寿昌正統録』)であり、心越は勧請開山である。法澧は達磨寺(当初は少林山達磨精舎)を開創して三十年間、曹洞禅の強化に努めた。
 達磨寺の本尊は北辰鎮宅霊符尊。心越が中国から将来し、もとは水戸侯が護持し、享保七年(1722)本寺に勧請し、鎮護国家の祈願所として伝える。本堂は霊符尊と達磨大師、心越禅師を祀る。
 星祭祈祷の寺として知られ、1月6日、7日の七草大祭、達磨市(招福の達磨の張子を売る)は有名。霊符尊に対する信仰として開運講が組織されている。
 境内東端にドイツの建築家ブルーノ=タウトが昭和八年(1933)8月から十年10月まで居住して、日本文化を紹介した洗心亭がある。」


 境内の桜は満開でした。3〜6月頃の境内は木々の緑が映え、しばらくは散策できます。

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 境内には霊符堂、達磨堂、観音堂があります。
 本堂になります。
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 達磨が奉納されていました。
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 達磨堂と授与所になります
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 桜がとても綺麗です。
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 本堂裏側の駐車場の脇には売店があり、お茶やコーヒー、ドリンクがあります。「緑茶とどら焼きセット」で300円です。

 観音堂になります。
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 観音堂は、十一面観音(厄除観音)が祀られていました。茅葺きの屋根でとても趣がよいです。

 御朱印は、瑞雲閣(授与所が併設)にある「祈祷・納経・集印受付」で頂けます。御朱印を頂くには、「納経」が必要になりますので気を付けてください。御朱印受付の右側にある達磨大師の分身の前で、お経を唱えてくれます。御朱印代は、志納です。

 授与所では、各種御守りや各種御札(500円or1,000円)や達磨といった授与品はありました。
 私は、ご本尊の御影が描かれた御姿札を頂きました。一体300円です。
 オリジナル御朱印帳もありました。





寺院名:少林山 鳳台院 達磨寺
所在地:群馬県高崎市鼻高町294番地
宗 派:黄檗宗
本 尊:北辰鎮宅霊符尊 十一面観音

於菊稲荷神社 春風の御朱印(群馬県高崎市新町)5

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 群馬県高崎市の東部、旧新町に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR高崎線「新町駅」になります。徒歩では、10分位かかりそうです。

 駐車場は、参道にあります。自動車は10台位は停められそうです。

 桜井識子さんの本で紹介された神社になり、訪れる方々が多くなりました。

 鳥居になります。
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 手水舎です。
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 社殿になります。
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 新しくなりました。

 神楽殿になります。
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 太子社になります。
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 狐塚になります。
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 御朱印は、於菊さんと思われる女性が描かれた「春風」というのを頂けました。御朱印代は500円です。



神社名:於菊稲荷神社
鎮座地:群馬県高崎市新町247番地
祭 神:倉稲魂命 於菊
社格等:旧村社
URL:https://okiku-inari.jimdo.com/

辛科神社(群馬県高崎市吉井町)5

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 群馬県高崎市の南西部にある旧吉井町に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、上信電鉄「吉井駅」or「西吉井駅」になります。徒歩ではかなりかかりそうですし、バスは近くまで来ていないようですので、できれば自動車で行かれた方がよいかもしれません。

 神社専用の駐車場は見当たりませんでした。自動車は、境内の片隅に数台は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県多野郡吉井町神保甲の旧郷社。祭神は速須佐之男命・五十猛命ほか十五柱。例祭は10月9日。1月15日には筒粥祭りがある。
 大宝年間(701〜704)の創建と伝える。和銅四年(711)の多胡郡設置の際に郡の総鎮守となる。享保十三年(1728)に正一位辛科大明神の号を受ける。
 境内には多胡碑があり付近に古墳群や弥生遺跡がある。」

 また、衫彑扈馘拘「神道大辞典(縮刷版)」によると次の通りです。
「【辛科神社】
 群馬県多野郡多胡村神保に鎮座。郷社。速須佐之男命・五十猛命・品田和氣命・菅原道真を祀る。
 往古の鎮座に係る。この地もと帰化韓人貫住の地で、何時しか祖神として須佐之男尊、五十猛命を奉斎したものであらう。
 当国に名高い多胡碑に関係深い古社であるともいはれ『上野国神名帳』に従二位辛科大明神と見ゆ。江戸時代除地三反五畝を有す。
 例祭日、9月9日。」


 高崎市といっても合併前の吉井町に神社は鎮座していますので、周辺はかなり長閑です。南には上信越自動車道がありました。

 上野国神名帳にも記載のある古社になります。

 鳥居になります。
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 随神門には「狛犬」が祀られていました。
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 社殿になります。
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 社殿の右奥には境内社がありました。
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 その左側には上野三碑の「多胡碑」がありました。
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 といってもレプリカでした。本物は別のところにあります。

 御朱印は、境内の東側にある「社務所」で頂けました。御朱印代は300円になります。






神社名:辛科神社
鎮座地:群馬県高崎市吉井町神保43番地
祭 神:速須佐之男命 五十猛命
相 殿:金山比古命 品陀別命 中筒男命 大山津見命 伊邪那美命 建御名方命 大物主命 八坂刀売命 大日孁命 宇迦之御魂命 木花佐久夜毘売命 天兒屋根命 市寸嶋比売命 菅原道真公 鹽光清
社格等:旧郷社

於菊稲荷神社 再拝(群馬県高崎市新町)5

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 群馬県高崎市の東部に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR高崎線「新町駅」になります。
徒歩では、10分位かかりそうです。

 駐車場は、参道にあります。自動車は、3台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(由緒書きより)。
「群馬県多野郡新町橋場町に古くより鎮座いたします稲荷神社は天正十年(1582)8月小田原城主北条氏政と厩橋城主滝川一益と神流川原に於いて、天下分け目の決戦を行いたる時、北条氏は、先祖以来の守護神稲荷の社頭に戦勝祈願をいたしました。その甲斐有りて大勝利を得た北条氏政は、御神徳の偉大さに感激し小祠を立派な社に再建して報賽の誠を捧げ当社の起源となりました。
 その後、時移り太平の徳川の御代となりて、新町宿にも幾多の妓楼が立ち並ぶようになりました。宝暦年間(1751〜)大黒屋の娼妓於菊は、新潟の貧農の娘であったが、美貌で気だてもよく、新町随一の売れ妓ともてはやされていた。
 稲荷神社に日参りする多くの娼妓達のなかでも、於菊は特に熱心なる信者でした。また子供好きで、境内で遊ぶ子供達にいつも、あめ菓子を買い与えたり一緒に遊んであげたりと子供達親達にとても慕われておりました。しかし、ふと風邪をこじらせた於菊は、ついに足腰たたぬ病となってしまいました。これをとても心配した子供達の親は日頃から於菊が信仰していた稲荷神社に小屋を建て看病を三年間続けました。彼女の信心、親達、子供達の願い遂に神に通じてか、ある夜半枕辺に稲荷の霊あらわれ不思議に病気も全快いたしました。人々は喜び合って神の恵みと感謝し、彼女は一生涯神明奉仕と世の人々の為に尽すことを決意し稲荷社の巫女となりました。
 巫女となった於菊は、日々の神明奉仕を続けるうちに神の霊移ってか神秘的な力を授かりました。彼女の言葉は、天候をはじめとして世上の事の予言また困っている人の手助けをしておりました。そして人々は、口々に『困った事は稲荷の於菊に聞けばよい』『於菊に聞いて稲荷に参ればよい』と言われておりました。於菊の稲荷、稲荷の於菊と誰言うとなく於菊稲荷神社と呼ばれる様になりました。
 その後、益々神社は弥栄えて文化文政から、嘉永初旬まで最も隆盛を極めました。遠くは江戸、横浜、長崎からも参拝する者多く、中には吉原の遊女、歌舞伎の名優、両国の力士、詩人、名僧等枚挙にいとまもありません。社に残る数々の文化財は昔時を語る宝物です。当社に心願をかける時は、何事によらず叶いて、開運、幸運に結びつくことでしょう。」


 桜井識子さんの本で紹介された神社になります。それなので訪れる方々が多くなりました。

 稲荷神社らしい鳥居になります。
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 社殿は新築になり、新しくなりました。
[画像:bdb45f38-s.jpg]

 神楽殿になります。
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 御朱印は、見開きのものを頂きました。御朱印代は500円です。





神社名:於菊稲荷神社
鎮座地:群馬県高崎市新町247番地
祭 神:倉稲魂命 於菊
社格等:旧村社
URL:http://www.maroon.dti.ne.jp/okiku/
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日本のまほろばを探して社寺を参詣しており、社寺参詣道代表師範です。 管理部に所属する会社員。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士(ファイナンシャルプランナー)、日商簿記検定2級、秘書検定2級、全経電卓検定3級、神社検定参級、安全衛生推進者
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