神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

前橋市

産泰神社 再拝(群馬県前橋市下大屋町)5

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 群馬県前橋市の東、長閑な田園地帯の中に神社は鎮座していました。

 駐車場は、参道沿いの左にありました。自動車は、100台くらいは停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県前橋市下大屋町の安産守護の神社。祭神は木花佐久夜毘売命。別名大胡(または荒砥)の産泰様。
 前橋藩主酒井氏の尊崇を得たとされ、信仰圏は県下ほか埼玉・東京にも及ぶ。安産後はお礼に底抜け柄杓を奉納する。」

 また、案内板によると次の通りです。
「この神社の創建は、社伝によれば履中元年とされているが定かでない。しかし、社殿背後に壘々としている巨石群から、神社信仰の初現形態の一つである巨石崇拝にその起源があるとみられ、歴史の古さがしのばれる。
 安産を祈る者が、軽くヌケル(生れる)ようにと底を抜いたヒシャクを奉納するようになったのは、江戸時代以降のことで、前橋、伊勢崎などをはじめ県下一円の人々から、安産の神として篤い信仰を受けた。特に、前橋藩主酒井雅楽頭は、社殿の造営をするなどその信仰著しいものがあった。
 酒井氏の造営になった社殿は、多くの彫刻で飾られ、内部格天井には、酒井抱一が描いたとされる極彩色の花鳥図もある。数ある社宝のうち八稜鏡は、平安時代のもので、前橋市の重要文化財に指定されている
 また、四月十八日例祭の際に奉納される太々神楽も前橋市の重要無形文化財に指定されている。」


 1月28日に参拝してきました。

 鳥居&神門になります。
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 今年の厄年と方位除の方々です。
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 必要な方は、事前にお問い合わせをした方が宜しいかもしれません。
 
 安産子育てにご利益で知られています。
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 必要な方は、事前にお問い合わせください。

 境内には、お宮参りの家族や参詣者、祈祷を受ける方などで参拝される方々がいらっしゃいました。
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 その中に御神籤を引いて、大吉の方がいらっしゃいました。

 境内の左奥には、琴平神社や日枝神社等の境内社が鎮座していました。境内社にも参拝される方もいらっしゃいました。

 熊手がありました。
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 かわいらしい戌です。
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 しばらく御朱印を頂いていなかったので、久しぶりに頂きました。以前は、中心に「産泰神社」と墨書きがありましたが、今はありません。その代わりに「木花佐久夜毘売命」と「安産子育 産泰神社」という印が加わりました。
 
 御神札や各種御守り(各1,000円)がありました。

 由緒書きはありました。





神社名:産泰神社
鎮座地:群馬県前橋市下大屋町597番地
祭 神:木花佐久夜毘売命
社格等:旧村社

前橋東照宮 再拝&全国東照宮連合会御朱印帳(群馬県前橋市大手町)5

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 前橋市の中心部、群馬県庁から少し北の「大手町」の交差点の所、前橋公園内に神社は鎮座していました。中央大橋のたもとといった感じです。

 最寄り駅は、JR両毛線「前橋駅」or「新前橋駅」になります。両駅から徒歩では少々かかりそうです。

 駐車場は、境内の北側の道路沿いにありました。自動車は、数十台位は停められそうです。


 菊地清(世良田東照宮々司)著「群馬県内の東照宮」によるとこちらの東照宮の由緒は次の通りです。
「当社の創立は寛永元年6月1日で、御祭神徳川家康公の孫、松平直基(家康公の第二子、結城秀康の五男で大和守と称し、前橋藩主の祖)が越前勝山城内に祭祀したのに創まる。以来、松平氏は十三回に及ぶ移封に遇ったが、その都度奉遷して、藩主をはじめ士民の篤き崇敬を集めて今日に至る。
 即ち、享保二十年には社領二百石が寄進され、また、慶安元年播州姫路、寛文七年播州姫路、元禄五年奥州白河、同十年奥州白河、宝暦四年上州前橋、安永六年武州川越、嘉永八年武州川越においてそれぞれ社殿の造営が行われており、慶安二年武州川越より再び上州前橋に奉遷され明治を迎えた。
 現在の社殿は本殿以下五棟、総て川越より移築したもので、一本の欅の巨木で造られたと伝えられ、用材の美しさは実に見事で、本殿の彫刻は江戸の有名な彫工島村源蔵の作として、知られている。
 明治以降は、旧前橋藩士居住区域八箇町、三千戸の鎮守として崇敬を集めてきたが、昭和四年県社に列せられた。
〈社宝〉能面・能装束・陣羽織・軍扇等蔵し、市重要文化財に指定されている。」

 また、大修館書店刊「日本の神仏の辞典」によると次の通りです。
「前橋市大手町の旧県社。徳川家康・菅原道真・木之花咲耶比売神ほか二柱を祀る。例祭は4月17日。
 寛永元年(1624)に前橋藩祖である松平直基が越前の勝山城主当時に奉斎され、その後の移封ごとに遷された。
 慶応二年(1866)に前橋に帰還し、明治四年(1871)に遷座した。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「群馬県前橋市大手町。旧県社。
 寛永元年(1624)前橋藩の祖、松平直基が越前勝山城主時代に同地に創建、以来二百三十年余り十三回にわたる各地移封の都度遷祀、慶応元年(1865)川越より転領後、明治四年(1871)現在地に遷座した。
 宝物に家康公木像(元和年間作)などがある。
 例祭4月17日。」


 1月22日に参拝してきました。
 寒い日でしたが、参拝者がいらっしゃいました。遅い初詣なのかな?

 鳥居になります。
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 社号標になります。
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 交通安全祈祷殿になります。
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 こちらで自動車は祈祷を行います。

 手水舎になります。
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 手と口を漱いで参拝です。

 社殿になります。
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 (´人`)

 社務所になります。
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 こちらが、授与所であり祈祷受付でもあります。御朱印はこちらで頂きました。御朱印代は300円でした。

 こちらの神社では、全国東照宮連合会の作製した御朱印帳がありました。




神社名:前橋東照宮
鎮座地:群馬県前橋市大手町三丁目13‐19
祭 神:徳川家康公 菅原道真公 木之花咲耶姫神 長壁様
社格等:旧県社

前橋厄除大師蓮花院 御朱印&御守り(群馬県前橋市下増田町)5

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 群馬県前橋市の東部、伊勢崎市に近いところに寺院がありました。少し北には北関東自動車道、南にはJR両毛線が走っています。

 最寄り駅は、JR両毛線「駒形駅」になります。駅から徒歩で寺院まで30分位はかかりそうです。

 駐車場は、門前と寺院裏にありました。自動車は、合わせて100台以上は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺 真言宗機戮茲螳貮抜粋)。
「(前略)
 『寺院明細帳』によれば、栃木県の出流山千手院満願寺の末とある。真言宗であり、新義真言宗智山派と追記されている。
 由緒沿革記によれば、天分二年(1533)勢多郡荒砥村大室の住人玉泉坊の開基という。その後、十世の間は各宗の僧侶が相続し、宮城村鼻毛石の赤城寺を本寺としたという。享保四年(1719)下野出身の第十一世宥尊上人が、下野出流山千手院住職宥盛に従って求法を継ぎ、今宮山蓮花院増田寺と称した。
(中略)
 元禄三年(1690)十二世舜賀上人の代に堂を改築したが、宝暦年間(1751〜1764)に類焼にあい、本堂を残して、土蔵、鐘楼、山門などを焼失した。ほんどうは今に伝わる。舜賀上人を中興開山としている。この舜賀上人は大黒天を自ら刻んでいる。
 明治二十五年(1892)5月、本堂改築の際に知事の許可を得て、武州大師河原平間密寺、川崎大師の第一分身、甲子大黒天を安置した。これについて『明細帳』には明治二十一年三月九日に厄除弘法大師 武蔵国江原村平間寺分体安置で出願、五月十四日許可とある。表門前の石碑には明治二十年(1887)十二月二十五日仮安置とも刻まれている。今本堂に本尊として安置されているのは厄除弘法大師像である。表門をくぐった楼上にも弘法大師の像が立つ。
(中略)
 本尊の聖観音菩薩は天文二年(1533)京都の仏師鈴木民部の作という。この仏像は開山の玉泉上人が依頼して作らせたものという。また、浩玄が造った観音菩薩もある。これは明応七年(1498)の作という。
 正月の厄除け祈願には大変な参詣者がある。
(後略)」


 以前の参拝日記は→こちら

 前橋市の中でも市街地からかなり外れていますので、周辺は田園地帯になりますので、かなり長閑です。

 こちらの寺院は「今宮山蓮花院」という寺院名ですが、「前橋厄除大師」の通称の方がよく知られています。
 周辺の道路にはお寺の看板が出ています。自動車で行かれる方は、その看板を目印にしてください。

 山門になります。
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 こちらが本堂になります。
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 お正月は、祈祷祈願を行う方々で混みあうようです。私は1月22日日曜日に参拝しましたが、ご祈祷を受ける方が多かったです。

 境内にはいろんな仏様が祀られています。
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 駐車場には七福神の石像がいらっしゃいました。
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 こちらの寺院の副住職さんは、テレビ朝日「ぶっちゃけ寺」に出演されている尼さんです。授与所に入るといらっしゃりました。
 その方のブログは→こちら
 「ぶっちゃけ寺を見てますよ。」と話しかけ、少し話が出来ました。意外と小柄で、可愛い方です。

 関東八十八ヶ所を巡拝しているので、御朱印を頂きました。御朱印代は300円でした。通常の御御影を一体頂きました。開創20年記念御御影の在庫はないそうです。
 また、「前橋厄除大師」と書かれた御朱印もあります。
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 書き置きのみですが、御朱印代は500円でした。

 授与所で招き猫の開運・金運向上の御守りを頂きました。
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 一体800円になります。
 他にも各種御守り(800円)や祈祷済みの各種御札(1,000円)がありました。
 
 オリジナル納経帳(1,500円、11cm×16cm)、ぼけ封じ関東三十三観音霊場専用納経帳(1,300円)、関東八十八ヶ所専用納経帳(2,000円)がありました。





寺院名:今宮山 増田寺 蓮花院
所在地:群馬県前橋市下増田町1626番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:聖観音 弘法大師
通 称:前橋厄除大師
札所等:関東八十八ヶ所 五番札所
    上州三十三観音霊場 十三番札所
    ぼけ封じ関東三十三観音霊場 十八番札所
御詠歌:赤城山 大師の御手に 導かれ 長寿福寿を 願うこの寺

前橋住吉神社(市之関住吉神社、群馬県前橋市市之関町)5

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 群馬県前橋市に鎮座する「前橋住吉神社(市之関住吉神社)
 前橋市の北部、旧宮城村に神社はありました。

 駐車場は神社前にあります。自動車は、5〜6台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(ホームページより)。
「創建年月日は不詳であるが近隣の村社から推測すると、南北朝末期室町初期と思われる。
 創建以降は地域住民の信仰を集め、明治末期の一村一社の令を受け市之関村の大山祇神社、稲荷神社、下之森神社、天満宮を合祀し大正五年村社住吉神社として現在に至る。」

 群馬県教育委員会編「宮城村の民俗」によると次の通りです。
「村社は住吉神社で、祭日は4月19日だったが、のち4月15日になった。この日はまた境内に石碑が建っている蚕影様の祭りで、村人は繭玉をしんぜにくる。村の人は、春祭りといえばコカゲサンだと思っている。
 秋祭りは10月19日でこれをオクンチと言ったが、今は10月17日。」


 鳥居になります。
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 社号標になります。
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 こちらの神社の雰囲気は、村の鎮守と言った感じでした。

 手水舎になります。
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 社殿になります。
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(´人`)

 社殿に掲げられている社号額は、大勲位の息子で参議院議員の中曽根弘文の揮毫によるものです。
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 御朱印は、境内の左側にある「授与所」で頂けました。
 御朱印代は300円です。

 社務所兼授与所です。
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神社名:前橋住吉神社(市之関住吉神社)
鎮座地:群馬県前橋市市之関町665番地
祭 神:底筒男命 中筒男命 表筒男命 息長足姫命
社格等:旧村社

前橋東照宮(群馬県前橋市大手町)5

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群馬県前橋市の中心部に鎮座する「前橋東照宮」に参拝してきました。

群馬県知事公邸・前橋公園の隣にあり、群馬県庁からも近くになります。
橋のたもとにあるといった感じでした。

駐車場は、社殿の右側にありました。
自動車は、十数台位は停められそうです。

最寄り駅はJR両毛線「前橋駅」、上毛電気鉄道「中央前橋駅」になります。
徒歩では少々かかりそうです。

こちらの神社の由緒は、次の通りです。
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「酒井氏にかわって前橋城主となった松平氏(従四位待従大和守と称す)は、その起源を遠く清和源氏の嫡流源義家の子新田義重より発する徳川家の一門であり、御祭神家康公のニ男結城秀康から岐れた家系である。
東照宮の創立は、結城秀康の四男直基が松平姓を賜わり越前勝山城主に任ぜられた寛永元年六月六日に祖父である家康公の遺徳を敬慕して祭祀したのに始まる。
以来、松平氏は幕府の命令により寛永元年越前勝山(三万石)より、寛永十年越前大野(五万石)、正保元年出羽山形(十万石)、慶安元年播州姫路(十五万石)、天和二年豊後日田(七万石)、貞享三年再び出羽山形(十万石)、元禄五年奥州白河(十五万石)、寛保元年三たび播州姫路(十五万石)、寛延二年上州前橋(十五万石)、明和五年武州川越(十五万石)、慶応元年再び上州前橋(十七万石)へと二百四十余年間に実に十三回にも及ぶ移封に遇ったが、そのたびごとに東照宮を城地に奉遷して藩主はもとより藩士、領民に到るまで崇敬の誠を奉げた。
即ち、享保二十年には藩主より社領として二百石が寄進され、社殿の造営は屢々の移遷のこともあって、慶安元年、寛文七年、元禄五年、同十年、宝暦四年、安永六年、嘉永八年の七回をかぞえ、現在の社殿は嘉永八年に武州川越において樹齢千年を超える一本の欅の巨木によって建造されたものと伝えられ、その用材は実に見事であり、本殿の彫刻は江戸の有名な彫師島村源蔵の作として知られている。
明治以降は、旧前橋藩士居住区域七々町三千戸の鎮守として崇敬をあつめてきたが、昭和四年四月に県社に列せられた。
配祀の天満宮は慶長六年、酒井重忠(慶長年間の厩橋城主)が厩橋城に入城したとき、祭祀したのに始まり、その後酒井家の興隆が著しかったので俗に酒井の開運天神と称され、酒井氏累代の崇敬が極めて厚く、酒井氏移封の後は養行寺の所管となっていたものを明治四年四月二十三日に合祀したものである。
長壁神社は古くは姫道刑部大神と称し、播磨の国の式内社であったものを寛延二年、松平朝矩(松平家五代の藩主)が姫路城より奉遷して前橋城の未申の方、霞堀の畔に祭祀していたが、明治三十一年一月二十一日に官令により合祀したものである。 」


すぐそばには利根川が流れています。
また、群馬県知事の元?公舎がお隣にありました。ずいぶん立派です。大沢知事は…

鳥居になります。
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社号標になります。
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鳥居をくぐると左側には手水舎がありました。
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手と口を漱いで参拝です。

境内は、狭いくらいです。

こちらが自動車安全祈祷殿です。
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こちらで自動車のお祓いができます。

こちらが社殿になります。
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主祭神は「徳川家康公」になります。

(´人`)

狛犬になります。
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こちらが本殿になります。
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よく見えないなぁ…
「長壁神社」も合祀されています。

駐車場の北側には「厩橋護国神社」が鎮座していました。
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西南の役から太平洋戦争に至るまでの前橋市出身の英霊二千三百四十六柱を奉祀しているそうです。

本殿の裏側には「営築稲荷神社」が鎮座していました。
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文久三年(1863)、前橋城再築にあたり工事の安全を祈願するため松平直克(松平家11代の藩主)が勧請した神社になります。祭神は宇迦之御魂神になり、御神徳は商売繁盛、工事安全だそうです。

こちらが社務所になります。
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こちらで御朱印が頂けます。
御守りや御神札といった授与品はありました。





神社データ
神社名:前橋東照宮
鎮座地:群馬県前橋市大手町三丁目13‐19
祭 神:徳川家康公
配祀神:菅原道真公 木花咲耶姫 長壁様
社格等:旧県社
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