まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

東上州三十三観音霊場

義重山 大光院(群馬県太田市)1

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群馬県太田市にある「義重山 大光院」に参拝してきました。
浄土宗に属するお寺になります。

金山の麓にあるといった感じです。
道路の反対側は、富士重工の工場になります。

太田市営無料駐車場がありますので、自動車で行かれる方はそちらに停めてください。


こちらのお寺の由緒は、次の通りです。(太田市のHPから)
「義重山大光院新田寺は、慶長十八年(1613)、徳川家康により、彼が先祖と仰ぐ八幡太郎源義家の孫新田義重(新田氏の祖)を追善するため、創建された寺院です。
寺号は義重の法名によります。
浄土宗の寺で、江戸時代は関東十八檀林の一寺に属し、幕府から御朱印300石が与えられていました。
寺域は広大で、庫裏、大方丈、小方丈、本堂内陣など創建以来と言われる古い建造物が残ります。
初代住職の呑龍上人は、芝増上寺観智国師四哲の一人で、寺領を割き貧民の子を弟子の名目で養育したことから『子育て呑龍』と呼ばれ、現在でも厚い信仰が寄せられています。」


こちらが吉祥門になります。
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いわゆる山門になります。


由来は、次の通りです(太田市のホームページから)
「吉祥門は間口3間、奥行1間の木造切妻造り、屋根は桟瓦葺です。
三間一戸八脚門と呼ばれる形式に属しています。
元和元年(1615)に仮の門として建立されたと伝えられ、大坂城落城の日に上棟したことから吉祥門と名付けられたとされています。
門には数回の改修跡があり、徳川家の家紋である三葉葵など数種類の瓦が混在していました。
しかし、平成12年に屋根の全面修復を行い、建立当時の瓦と推定される『丸に三葉葵』の家紋が入った瓦屋根が復元されました。」


石標です。
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こちらが参道です。
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先に進みます。

右側には、鐘楼堂がありました。
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どんな音色なのでしょうか?

左側には手水舎がありました。
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手と口を漱いで参拝です。

先に進むと本堂がありました。
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(´人`)

本尊である「阿弥陀如来」が祀られています。

こちらが本堂に掲げられていた扁額です。
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通称「大光院」ですが、寺号は「新田寺」になります。

本堂の前には、「臥龍松」がありました。
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神社で言うところの「御神木」といった位置付けなんですね。
なかなか立派な松です。

こちらが臥龍松の案内板です。
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境内の左側には、開山堂がありました。
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開山住職になる「呑龍上人」自作の御尊像が祀られています。
こちらで祈祷が行われています。続きを読む

大悲山 観音院 徳性寺(群馬県太田市)3

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群馬県太田市にある「大悲山 観音院 徳性寺」に参拝してきました。
高野山真言宗に属するお寺になります。

こちらのお寺は太田市の南部、旧尾島町にありました。
埼玉県深谷市からも近いです。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「細谷駅」になります。
しかし、徒歩ではかなりかかりそうです。

駐車場は、お寺の入口の左側にありました。
自動車は、10台以上は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです。
「本堂修復記念碑
当山は、大悲山観音院徳性寺と称し、開山以来法脈嫡々として伝え、今日に及べり。
当山本堂は大日如来を本尊として、享保以前の建立と伝え、安永年中宥信和尚代、又、文政年中祐照和尚代に再建せられ、十方檀越の信仰を集め給える名刹なり。
然るに大正三年の再建以来、七十有年余、老朽甚だしく檀信徒あい協力し、修復を発願す。
茲に諸尊諸衆明鑒の下、篤信の衆庶と共に落成供養の梵延を展き、檀信徒各位の名を謹記し、後世の記念とす。
仰ぎ願わくは、大日如来の霊験益々顕に遍く群類を光被して、除災招福を与え給まえ。
天下泰平 万民豊楽 興隆仏法 信徒安全 乃至法界 平等利益」


こちらが入口になります。
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特に山門はありません。

こちらが寺号標になります。
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こちらが札所でる旨の碑になります。
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「新坂東第十六番札所 入口」と刻まれており、新坂東とは「東上州三十三観音霊場」を意味します。

境内に入ると、左側には手水舎がありました。
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しかし、使えない・・・

右側には六地蔵がいらっしゃいました。
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先に進むと中島家のお墓がありました。
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中島家は、同市内にある富士重工株式会社の前身である「中島飛行機」の一族のお墓になります。
まさか、鳥居があるとは・・・
当然ですが、創業者の中島知久平のお墓もあります。

先に進むと左側には観音堂がありました。
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「十一面観音」が祀られています。
こちらは東上州三十三観音霊場の札所本尊になります。
中島家の墓や出世をした方々のお墓があるため、「出世観音」とも呼ばれています。
僕も出世をしたいです。

こちらの観音堂には東上州観音霊場の各札所の絵が書かれた奉納額が掲げられていました。
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元治二年(1865)世話役たちによって奉納されたそうです。

こちらが観音堂の修復記念碑になります。
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ずいぶん古い観音堂になります。

庚申塔がありました。
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隣は、「猿田彦」と刻まれています。
街道からは遠そうな感じがしますが・・・続きを読む

南望山 自在院 宝生寺(群馬県館林市)5

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群馬県館林市にある「南望山 自在院 宝生寺」に参拝してきました。
真言宗豊山派に属するお寺になります。

館林市の北部、栃木県足利市に近いところにお寺はありました。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「多々良沼駅」になります。
徒歩では、十数分位はかかりそうです。

駐車場は、入口の右側にありました。
自動車は、5〜6台位は停められそうです。


こちらのお寺は、山伏がこの地に住んでいたが、周辺にお寺がないので、居宅を寺として創建したのが始まりと言われています。
江戸時代には、日光参詣の例幣使の行列の休息所となっていたそうです。


入口には、不動明王がのっている宝篋印塔がありました。
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享保十七年(1732年)造立のもので、高さは約3.1mになり、なかなか立派でした。

また、大日如来がのっている宝篋印塔もありました。
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こちらも不動明王の宝篋印塔と同じくらいの大きさです。

左側にはトイレがあり、何故かこんな石像がありました。
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トトロですか?

こちらは、山門になります。
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山門を入ると、七福神を乗せた宝船がありました。
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福々しいです。

境内の右側には、観音堂がありました。
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東上州三十三観音霊場の札所本尊である十一面観音が祀られています。
別名「日向観音」と呼ばれています。

内部です。
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境内には、犬が2匹飼われており、激しく吠えますので、気をつけて下さい。続きを読む

米珠山 多聞院 吉祥寺(群馬県太田市)4

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群馬県太田市にある「米珠山 多聞院 吉祥寺」に参拝してきました。
高野山真言宗に属するお寺になります。

太田市の南部、住宅地の真ん中にお寺はあります。

駐車場は、入り口の前にありました。
自動車は、5台位は停められそうです。


寺伝によると、
「建治年間(1275〜1278)に叡範上人が開創し、宝暦二年(1752)頃に火災で伽藍と古文書が失われ、詳細は不明です。
安永四年(1775)には本堂の再建されました。」
なんとも変哲もない由緒ですが・・・


入口です。
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入口の両脇には、庚申塔や地蔵菩薩が祀られていました。
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また、六地蔵も祀られていました。
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地蔵菩薩が妙に多いな。

参道を進みます。
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山門です。
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山門を入り左側にあるのは、光明真言百萬遍供養塔があります。

また、毘沙門堂がありました。
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上州新四国八十八ヶ所の札所本尊である毘沙門天が祀られています。

こちらが本堂です。
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コンクリート製です。
関東八十八ヶ所の札所本尊「不動明王」が祀られています。続きを読む

高鑰山 釈迦院 遍照寺(群馬県館林市)5

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群馬県館林市にある「高鑰山 釈迦院 遍照寺」に参拝してきました。
真言宗豊山派に属すお寺になります。

館林市の中心部にお寺はありました。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「館林駅」になります。
徒歩では、15分位はかかりそうです。

駐車場は、山門前にありました。
自動車は、十数台位は停められそうです。
お寺までの道は少々狭いので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。


こちらのお寺は、新田氏の祖「新田義重」が建久九年(1198)に矢島郷(現明和町)に創建したと伝わっています。
江戸時代に入ると、榊原康政が館林城主となり、こちらのお寺を榊原家の祈願所としました。
寛永十九年(1642)に松平忠次が、榊原康政の守護仏だった十一面観世音菩薩を寄進をしました。
寛文二年(1662)には、姫路城主榊原正房が仮堂を建てて、寛文十年(1670)には越後村上城主榊原正邦が再建しました。


こちらは、山門になります。
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それほどは大きくはありません。

山門に掲げられた山号額になります。
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山門前には、大きな松がありました。
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なかなか立派ですが、古い松なんですかね?

境内は、綺麗に整備されていました。
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境内の右側には、鐘楼がありました。
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なかなか立派です。

こちらが本堂になります。
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本尊である「不動明王」の他、「十一面観音」が祀られています。

こちらのお寺は、北関東三十六不動尊霊場の札所になっていまが、東上州三十三観音霊場の札所にもなっています。
遍照寺の末寺に「観音院」があり、そのお寺が東上州三十三観音霊場の札所でした。
明治時代の廃仏毀釈で観音院は廃寺となり、遍照寺が札所を引き継いだそうです。
しかし、何の観音様を引き継いだのか分からなくなってしまったそうです。

現在の観音霊場の札所本尊は、榊原康政公の守護仏になる「十一面観世音菩薩」になります。

本堂は、比較的大きかったです。
参拝したときは、本堂では法事だったようで、読経の声が微かに聞こえました。

本堂に掲げられた寺号額です。
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邑楽大師霊場の札所にもなっているようで、御詠歌の扁額が掲げられていました。
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「尊さは南無や大師の遍照寺 大ばんしゃくに信をおきつつ」になります。
小さい額なのでわかりづらいです。

境内の左側には遍路大師像があり、周辺には四国八十八ヶ所のお砂があるそうです。
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いわゆる「四国八十八ヶ所お砂踏み場」になっています。続きを読む
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