神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

栃木県の寺院

大平山 連祥院(栃木県栃木市)5

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栃木県栃木市にある「大平山連祥院」に参拝してきました。
天台宗に属するお寺になります。

栃木市の中心部から西へ行った大平山の麓にお寺はありました。
太平山神社の参道である「あじさい坂」の入り口のそばにあります。

駐車場は、お寺の入り口の前にありました。
また、栃木市営無料駐車場もありました。
自動車は、合わせて50台以上は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです。
「当山は、天長四年(827)慈覚大師円仁により創建されました。
もとは太平大権現社の別当寺院として山上にあり、第五十三代淳和天皇の勅願寺として栄え、多くの人々により信仰されてきました。
しかし、明治期の神仏分離令により、山上からおろされ、明治三十八年に現在の本堂、六角堂が建立されました。
堂内中央には、本尊虚空蔵菩薩、右側に愛染明王、左側に不動明王が安置されています。」


駐車場からお寺に向かいます。
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境内の隣には、太平山神社のあじさい坂のそばなので、梅雨の時期は紫陽花が咲いて、とても綺麗だと思われます。
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関東ふれあいの道に選定されています。
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こちらが入り口です。
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境内には、赤い旗が多く奉納されていました。
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信仰されている方々多いのでしょう。

元は、太平山神社と一体となっていた神仏習合色の強い寺院ですが、明治時代の神仏分離で独立。
現在に至ります。続きを読む

赤城山 長昌寺(栃木県足利市)5

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栃木県足利市にある「赤城山長昌寺」に参拝しました。
曹洞宗に属するお寺になります。

足利市の南部、佐野市や群馬県邑楽町・館林市にも近いところにお寺はありました。
お隣は、足利市立愛宕台中学校になります。

駐車場は、お寺の裏の道から入った所にありました。
自動車は、7〜8台位は停められそうです。


こちらのお寺の由緒は以下の通りです。
「長昌寺の開創は今から500年前の文亀三年(1503年)と伝えられています。
それは足利将軍家の世継ぎ問題で、11年も続いた『大仁の乱』がやっと終わり、足利幕府の権威が徐々に失われつつある時代でした。
そのような時に、臨済宗の僧侶、玄甫蔵主によって開創されました。
玄甫蔵主は12年間の住職の後、永正十二年(1515年)にお亡くなりになり、その後現在の浦和市大崎にある曹洞宗国昌寺の2世大雲文龍大和尚が大永六年(1526年)に晋住し、曹洞宗に改宗されました。
大雲文龍大和尚は、朝廷に参内して、禅の宗要を説くほどの人物で、朝廷から紫衣と仏日金蓮禅師という勅賜号を受けました。
その後、長昌寺は幾たびの火災に遭遇し、安政元年の25世意嶽道林大和尚以来、仮の本堂.庫裡のままでしたが、先住の30世大乗孝文大和尚の平成7年に本堂、庫裡等の伽藍を復興し、今日に至っております。」


駐車場に困ってしまいましたが、お寺の北にある道から入った所にありますので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。
駐車場から直接境内に入れます。

こちらが正面入り口になります。
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門標だけで、特に山門はありません。

入ると、左側には六地蔵がいらっしゃいました。
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右側には、観音堂がありました。
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「聖観世音菩薩」が祀られています。
こちらの観音様は、両野三十三観音霊場の札所本尊になります。

こちらが札所である碑です。
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「両野西国第三十三番札所」と刻まれています。
両野三十三観音霊場は、廃れてしまったようで、巡拝者はどれだけいるのか・・・

こちらが案内板です。
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観音堂前には「寂光観音」が祀られていました。
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三十三観音の一仏ではなさそうですが、どんな観音様なんでしょうか?

鐘楼がありました。
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木々に隠れてわかりづらいですが・・・続きを読む

金剛山 仁王院 鑁阿寺(栃木県足利市家富町)5

栃木県足利市にある「金剛山 仁王院 鑁阿寺(ばんなじ)」に参拝してきました。
真言宗大日派に属するお寺になります。

足利市の中心部、「足利学校」の北側にお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。
徒歩では、約10分位でしょうか。

駐車場は、境内の北側にあります。
自動車は、数十台位は停められそうです。
駐車場迄の道は、一方通行の細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけて下さい。


こちらのお寺の由緒は以下の通り(足利市のホームページより)。
「鑁阿寺は、源姓足利氏二代目の足利義兼が、建久七年(1196年)に、邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりといわれています。
その後、三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。
境内には重要文化財の本堂など貴重な建物が多く、このことから大正十一年に国の史跡に指定されています。
春は桜、秋はいちょうの黄葉が素晴らしく、市民には『大日様』と呼ばれ親しまれています。」


「真言宗大日派」なんて聞いたことがない宗派ですが・・・
元々鑁阿寺は、「豊山長谷寺」の直末であったため真言宗豊山派に属していましたが、戦後に真言宗大日派を創設して独立したようです。
何だか天台宗から聖観音宗を創り、独立した浅草寺見たいですが。

こちらが山門になります。
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お寺の回りには、濠がありました。
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やはり、足利氏の館跡に建つだけあります。
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山門を入ります。
足利市の中心部にありながら、境内はとても広いです。

右側には、遍路大師がいらっしゃいました。
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やはり真言宗のお寺だけあります。

境内の右側に、鐘楼がありました。
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国指定需要文化財です。

さらに進むと、左側には大銀杏がありました。
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いわゆる神社で言うところの「御神木」という位置付けでしょうか。
開基の足利義兼のお手植えの木と伝わりますが、実際はもっと後に植えられたようです。

参道を進むと、正面には「大御堂」がありました。
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大日如来を祀っているので「大日堂」になり、「本堂」になります。
年始は、ご祈祷・祈願に忙しそうです。
祈願に忙しそうです。
こちらには、祈祷受付・納経所・授与所が併設されています。

本堂の左側には、「中御堂」がありました。
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不動明王が祀られており、不動堂と呼んでも良いかもしれません。
成田山新勝寺より勧請したそうです。
不動信仰というのはあるんですね。

中御堂(不動堂)の前には、「多宝塔」がありました。
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大日如来と勢至菩薩が祀られています。
開基の足利義兼の創建だそうですが、江戸幕府五代将軍徳川綱吉の生母が徳川氏の祖先の新田氏と所縁のある足利氏ということで祖先の供養のため寄進したそうです。
足利氏の大位牌と江戸幕府の歴代将軍の位牌も祀られています。

また、「経堂」がありました。
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開基の足利義兼が妻の供養のため、一切経会を修するため創建されたそうです続きを読む

春日岡山 惣宗官寺(栃木県佐野市)2

栃木県佐野市にある「春日岡山 転法輪院 惣宗官寺」に参拝してきました。
天台宗に属するお寺で、「佐野厄除け大師」として有名なお寺です。

佐野市の中心部にお寺はありました。

最寄り駅は、JR両毛線・東武佐野線「佐野駅」になります。
徒歩では、10分位かかりそうです。

お寺専用の無料駐車場が周辺にありました。
お寺の前には有料駐車場もありますので、気をつけて下さい。


お寺の由緒は以下の通り(ホームページより抜粋)。
「朱雀天皇の天慶七年(944年)3月、奈良の僧宥尊上人が開いた寺で、最初は日本の仏教で最も古い南都六宗の法相宗に属し、正しくは春日岡山転法輪院惣宗官寺(かすがおかやまてんぼうりんいんそうしゅうかんじ)という。
藤原秀郷公が平将門降伏の誓願により、佐野の春日岡(現在の城山公園)の地に、春日明神の社殿とともにお寺を建て朱雀天皇に申し上げたところ、天皇は大変喜ばれ「春日岡山惣宗官寺」の勅額を賜ったといわれている。
それ以来、藤原一門の信仰あつく栄えたが、平安時代の末期の保元・平治のころには衰えた。

その後比叡山の僧で俊海という人が、父の藤原光憲から「春日岡は、わが祖父である秀郷公の創立した氏寺である。 昔、保元・平治の乱に殿堂が焼けて灰になったが、父の志を継ぎ修行の後にこの山を復興せよ。」このことを深く 心にとどめ、この寺の荒れ果てたことを憂い、正応年間(鎌倉時代)に信徒を集めて、藤原一族および北条一門の 有志とはかり、鎌倉幕府九代執権北条貞時をさとして、永仁五年(1297年)8月に復興完成し、これ以後「法華経」を所依の経典とし、伝教大師を宗祖と仰ぐ天台宗となる。
その後十二世の僧豪海のときに慶長七年(1602年)、秀郷公から30代の佐野信吉公が、幕命により唐沢城をこの春日岡(城山公園)に移すにあたり、寺は現在地に移転した。
徳川時代には御朱印五十石を拝領し、寺社奉行も置かれ、三代将軍家光公も参拝する等徳川幕府との縁故も深い。
また当山は、厄よけ元三慈恵大師(御本地・如意輪観音)を安置し、厄よけ、身体安全の祈願を続けており、年毎に信者が激増し、正月大祭には約百万人以上の参拝客を仰いでいる。」


こちらが山門でしょうか?
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土曜日に参拝したので、参拝客はとても多かったです。

入って目に付くのが、こちらの鐘楼です。
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信者と書いて「儲かる」と読みますが、この鐘を見るとそう思います。

山門を入り、左側お片隅には、「春日稲荷大明神」がいらっしゃいました。
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いわゆるダキニ天を祀ってあると思われますが、開山と深く関係があるようです。
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説明板がありました。
ふむふむ。

こちらが「東照宮」です。
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「佐野東照宮」と呼んでいいのでしょうか?
こぢんまりしています。
神仏習合的でしょうか、おそらくは徳川家康公が久能山から日光山へ改葬される際にこちらのお寺で一時的に休息したのかもしれません。
それが故に、東照宮が勧請されたのかもしれません。
もしかすると、こちらはお寺の境内にあるので「東照宮」というよりも東照神君の本地仏にあたる「薬師如来」が祀られているのかもしれませんね。
つまり「薬師堂」かもしれません。

こちらが地蔵堂です。
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小僧さんがいらっしゃました。
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可愛らしいです。続きを読む

寺岡山 薬師寺(栃木県足利市)5

栃木県足利市にある「寺岡山 施薬院 薬師寺」に参拝してきました。
「寺岡山元三大師」として知られ、天台宗のお寺になります。

足利市の東部、佐野市に近いところにお寺はありました。

駐車場は、山門前にありました。
自動車は、数十台位は停められそうです。

最寄り駅は、JR両毛線「富田駅」になります。
徒歩では、約15分になります。

お寺までの道は、とても狭いので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。

以前の参拝日記は⇒こちら


お寺の由緒は以下の通りです(ホームページより抜粋)。
「近年、寺岡の元三大師として知られる当山の正式名称は、寺岡山施薬院薬師寺と号す。
寺伝によると、聖徳太子の命よって建立され、『下野八薬師』と称されていたと伝えられている。
元文年間(江戸時代)東山天皇の第三皇子、崇保院宮前天台座主准三后一品公寛法親王が、上野東叡山寛永寺(輪王寺門跡第六世門主)をされていた時、足利市寺岡町出生の亀田庄左衛門則重公が、永年身命を賭しての忠節を認められ、【 日本に3幅 しか現存しない】元三慈恵大師尊影御真筆を拝領する。
その後、自家に安置して礼拝恭敬していた所、『困窮の人、救済すべし』という元三大師自らのお告げを受け、元三慈恵大師尊影御真筆を寺岡山施薬院薬師寺(後の寺岡山元三大師)に奉納するに至る。
以来、寺岡山薬師寺は寺岡山元三大師として厄除け・商売繁盛の祈願寺として江戸の人々の信仰を受ける。
檀家をとらず、祈願寺のみの寺院として歩んできた経緯には、当時の栄華と信仰の顕れが伺える。
また頃を同じく(江戸期)、祈願寺として人々の信仰を集めていたのが川崎大師、西新井大師である。
当山の境内には、皆様の憩いの場となる様、四季折々の花を咲かせ、特に萩の季節は見事であり、近年に於いては、『下野の萩の寺』として称讃を賜っている。」


山門になります。
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さほど大きくはありません。

山門の扁額です。
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山門を入り、石段があります。
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正面には本堂があります。
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元三大師が祀られています。
合わせて本地仏の「如意輪観音」も祀られています。

また、石段を上がった左側には「開山塔」と呼ばれる宝塔がありました。
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足利市指定文化財になっています。続きを読む
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