まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

埼玉県の神社

忍東照宮・諏訪神社 徳川家康公着用「歯朶具足の兜」が描かれた「勝守」(埼玉県行田市忍本丸)5

KIMG3662
KIMG3663
 今年の1月5日に埼玉県行田市に鎮座する忍東照宮・諏訪神社に参拝いたしました。

 埼玉県行田市の中心部にある「忍城址」の道路を挟んで反対側に鎮座しています。

 駐車場の場所がわからなかったので「忍城趾」の駐車場に停めさせて頂きました。無料で停められました。


 こちらの神社の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。
「【諏訪神社】
 祭神 建御名方命・八坂刀売命
 例祭 9月27日
 当社の鎮座したのは、八十二代後鳥羽天皇の建久(1190年頃)の昔、忍三郎・忍五郎家時等の一族が、館・塁等を築き居住した頃、と言い伝えられている。又『持田村誌』には、成田親泰が延徳三年(1491)に忍城を構築し、この時、持田村鎮守諏訪社(持田諏訪神社)を城鎮守としたのが、当社であると伝えている。その後、成田氏代々の崇敬があり、寛永十六年(1639)城主となった阿部忠秋は城郭を修築し、併せて正保二年(1645)、当社の本殿を造営、寛文十二年(1672)拝殿を新たに建立した。現在の社殿は昭和三十六年の造営である。
 文政六年(1823)、松平忠義は伊勢桑名から移封するに当たり、城内字下荒井の地へ東照宮を、史に城内へ多度杜と一目蓮杜を勧請した。これらは明治六年、城郭取り壊しの際、当社境内に移される。又、城内各所にあった小両、科斗杜(風の神)・八幡杜・久伊豆社・荒神社・春遺稲荷大明神・神明杜・二の丸稲荷大神・天神社・両棟稲荷大明神の九社も同時に当社へ配祀された。

【東照宮】
 祭神 徳川家康公・松平忠明公・八幡大神
 例祭 5月17日
 当社は、家康公の娘、亀姫が父の肖像を頂き、後に子の松平忠明公に伝え、忠明公が寛永二年(1625)、大和国郡山城内に社殿を造営して、肖像を安置したことに始まる。以来、藩主・藩士崇敬の社となった。その後、移封の都度遷座され、慶応四年(1868)鳥羽・伏見の戦の折、大坂蔵屋敷内の東照宮を、当社に合祀した。
 社領は、郡山当時より百石を受け継ぎ、明治維新まで続く。その地は、埼玉古墳群の辺りであったと・伝えられている。
 明治四年(1871)、藩主東京移住のために祭祀断絶の危機を迎えるが、旧藩士ら相計り、同七年に下荒井の地より、本丸の一部である諏訪郭内の忍東照宮境内一隅に本殿を移し、同三十三年に藩祖、松平忠明公を配祀した。
 現在の拝殿は昭和五年の造営である。」


 元々は忍諏訪神社の境内に東照宮が鎮座しました。
 
 鳥居になります。
KIMG3647
 参道を進むと二の鳥居がありました。
KIMG3644
 案内板がありました。
KIMG3645
「諏訪神社・東照宮
ご神徳
◎厄除 当宮所蔵の家康公肖像画は、長女・亀姫様がお輿入れ(結婚)の際、父親の肖像画を希望したので描かせ『我が意、ここにとどまる』と言って与えたものであり、四十二歳のときのものである。これにより厄除に御神意ありと伝えられている。
◎身体健康 ◎無病息災 ◎子孫繁栄 ◎家内安全 ◎縁結び ◎交通安全 ◎学業成就 ◎病気平癒 ◎八方除 ◎開運 ◎商売繁盛

神事
歳旦祭(1月1日)・節分祭(2月3日)
祈念祭(3月27日)・例祭(5月17日・9月27日)
大祓式(6月30日・12月30日)・除夜祭(12月30日)
月次祭(毎月1日・15日)」
※ご祈祷に関しては神社にお問い合わせください。恐らくは土日の対応になるかと思われます。

 社殿になります。
KIMG3646
 社殿は日光東照宮みたいに派手さはないです。

 こちらの神社は兼務社のようです。基本的に土日のみ誰かしら常駐するようです。なので祈祷祈願は休日のみかもしれません。

 御守り(一体500円〜)や御神札(一体800円〜)、絵馬(一体400円)がありました。私は徳川家康公着用の歯朶具足の兜が描かれた「勝守」を一体頂きました。初穂料は500円です。
 参拝したのは1月5日だったので、破魔矢(絵馬あり1,000円、絵馬なし800円)がありました。頂きたい方は、早めの参拝をお勧めします。

 由緒書きは、頂きたい旨を授与所で告げれば頂けます。無料になります。

 御朱印あり(初穂料300円)。




神社名:忍東照宮・諏訪神社
鎮座地:埼玉県行田市忍本丸12‐5
祭 神:徳川家康公 松平忠明公 八幡大神(東照宮)
    建御名方命 八坂刀売命(諏訪神社)
社格等:旧村社

間々田八幡宮(栃木県小山市間々田)5

KIMG3528
 栃木県小山市の南部の間々田地区に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR宇都宮線「間々田駅」になります。徒歩では25分位になります。

 神社専用の駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「小山市間々田の旧村社。祭神は誉田別命。例祭は9月15日、8月21日。
 旧暦4月8日に悪魔を祓う行事があり、龍を型どった物を氏子町内に配り、『じゃがまいた、じゃがまいた』と唱えて練り歩きながら、各戸の軒先に藤つると菖蒲を挿していく。
 天平年間(729〜749)に勧請したと伝える。天慶二年(939)に藤原秀郷が勅命により平将門の乱を平定した。当社に祭田を寄進し、里人は飯田(ままだ)の里と称した。文治五年(1189)に源頼朝が陸奥に泰衡を討伐する途次、当社に祈願した。日光例幣使も参拝した。嘉永四年(1851)に現社殿を建立し、正一位の宣旨を受けた。」

 また、由緒書きよると次の通りです。
「間々田八幡宮の創建は古く、今から約千三百年前の天平年間に勧請されたものと伝えられている。
 天慶二年(939)平将門の乱が起るや、朝廷は藤原秀郷等に勅して之を討たした。秀郷は征討に臨み沿道の神社仏閣に戦勝を祈願し、乱平定の後、当八幡宮に神饌御料として供田した。これより後、里人、飯田(まんまだ)の里と呼称した。
 文治五年(1189)陸奥泰衡の乱に征討の軍を率いた源頼朝は
藤原秀郷、当八幡宮に将門調伏の祈誓ありしを聞き、戦勝を祈願して
松樹を植えた。後に人これを『頼朝手植の松』と称し近年に及ぶが惜しいかな明治三十八年(1905)枯死した。
 徳川幕府、家康の遺骨を日光山に遷し、日光街道十八駅を置く行程三十六里(141辧砲覆蝓F光・江戸の中間なるをもって間々田と改称した。また、朝廷は日光東照宮に例幣使をさしつかわし例年、幣帛を賜るが、その道中、当駅をへるに鎮座せる神社の由緒あるを聞き、当八幡宮を必ず参拝されるを例とされ、享和年間の社殿焼失
まで続いたと言い伝えられている。
 正徳二年(1712)六月、神階正一位の宣旨を受ける。
 享和年間に失火し、社殿ことごとく灰燼に帰した。よって御神霊を仮殿に安置し、嘉永四年(1851)に至り現在の社殿を再建した。建立に関係した宮大工は、折しも東照宮大修理にあたって各地から招かれた宮大工であったと伝えられ、御本殿の彫刻には、その優秀な技術をしのぶことができる。
 当八幡宮境内はこの近隣に類を見ないほど広大で、小山市に貸与してある公園の部分を含めると約二万坪の敷地を有している。数百年の樹齢を数える杉の古木が荘厳な雰囲気を醸し出し、緋鯉、真鯉の遊泳する神の池には、春の桜、秋の紅葉がその艶やかな姿を映し、氏子崇敬者や市民の憩いの場となっている。
 また、松尾芭蕉は、奥の細道紀行で江戸を出発して二日目に間々田宿に宿泊しているが、その芭蕉に因んだ句碑『古池や蛙飛び込む水の音』が立てられている。この句碑は、病気平癒を祈願した氏子が、全快のお礼に嘉永年間に建立したものであるが、御神徳による霊威は古い昔から伝えられるところであり、近年でも足を病んで歩行できなかった茨城の婦人が、夢に見た当神社を写真に撮り、朝夕拝んだところたちまち癒えたとお礼参りに来られたり、都内に本社を置く会社の社長は当神社に祈願し、社殿下の砂を拝領して会社を起こして見事に成功した例など枚挙にいとまがない。これ偏に遠く天平の昔より間々田八幡宮のご加護を信じ、崇拝し、神社護持に力を尽くした氏子崇敬者の赤心に有難き御神徳が益々発揚されている証であろう。」


 参拝したのは12月30日で空っ風が吹き荒れ、境内はとても寒かったです。

 鳥居になります。
KIMG3523
 くぐると下がります。
KIMG3525
 鳥居を入ると石段を下る神社として一之宮貫前神社があるが、その神社と同じ「下り宮」と考えて良いのだろうか?

 参道を進みます。
KIMG3522
 右側に源頼朝お手植えの松がありました。
KIMG3519
 現在三代目だそうです。

 その奥には厳島神社(弁天社)がありました。
KIMG3520
 弁天池がありました。
KIMG3526
 神社の境内は「間々田八幡公園」として整備されています。

 こちらが社殿になります。
KIMG3512
 社殿周辺は、お正月の準備のためテントがいくつか張ってありました。

 八龍神社が鎮座していました。
KIMG3515
 御朱印は、参道途中の授与所で頂けました。
KIMG3521
 御朱印代は300円でした。年末年始は書き置き対応になるそうです。

 由緒書きは、社殿の賽銭箱横にありました。

 御神札や御守りといった授与品はありました。私はジャガマイタの絵馬を一体頂きました。




神社名:間々田八幡宮
鎮座地:栃木県小山市間々田2330番地
祭 神:誉田別命 息長帯姫命
社格等:旧村社

平柳星宮神社(栃木県栃木市平柳)5

KIMG3468
 栃木県栃木市の中心部から少し北に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、東武日光線「新栃木駅」になります。徒歩で神社まで約5分位になります。

 駐車場は門前にありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【星宮神社(ほしのみやじんじゃ)】
 栃木県栃木市平柳の旧村社。祭神は磐裂命・根裂命・経津主命。
 例祭は4月13日の春祭り、10月13日の秋祭り。春祭りには永代神楽を奉納する。
 永享年間(1429〜1441)に領主が宇津間川のほとりに社殿を造営した。元禄八年(1695)に祀職の林和泉守源昌次が再建した棟札が残る。安永七年(1778)に正一位を受けた。明治十三年(1880)に台風に遭い再建され、昭和十年(1935)にも再建された。」


 栃木市の街中、住宅地の一画に神社は鎮座していました。

 鳥居になります。
KIMG3466
 手水舎になります。
KIMG3463
 境内の左側には撫で牛ならぬ「なでうなぎ」がありました。
KIMG3461
「なでうなぎの由来
 当神社の御祭神の御遣いであるうなぎは
水を求めてどんな困難や障害を乗り越え前進する
強い生命力を持っています
うなぎと
ご自身の干支をなでて
身体健全
家内安全
事業繁栄をお祈りください」

 なんだか凄いうなぎ様です。(´人`)

 境内社になります。
KIMG3460
 神楽殿になります。
KIMG3459
 社殿になります。
KIMG3458
 社殿左側後方には境内社が鎮座していました。
KIMG3464
 御朱印は、境内の右側にある「授与所」で頂きました。
KIMG3462
 「今月の御朱印(片面のみ、御朱印代300円)」と「見開きの御朱印(見開き、初穂料500円)」の2種類がありました。
KIMG3457
 社務所が不在の場合は、社殿後方の宮司さん宅にお声掛けください。

 御神札(初穂料500円〜)や御守り(初穂料500円〜)がありました。
KIMG3454
 社殿の賽銭箱横に由緒書きがありました。





神社名:平柳星宮神社
鎮座地:栃木県栃木市平柳町一丁目23‐26
祭 神:磐裂命 根裂命 経津主命
配 神:天照大神 水波能売命 宇賀魂命 大山祇命 大国主命
社格等:旧村社

岩槻久伊豆神社 岩槻総鎮守(埼玉県さいたま市岩槻区)5

KIMG3136
 埼玉県さいたま市の中でも旧岩槻市に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、東武野田線「岩槻駅」になります。徒歩で神社まで15分位かと思われます。

 神社専用の駐車場はありました。自動車は数十台は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県岩槻市宮町の旧県社。明神様とも。祭神は大己貴命。例祭は10月19日、4月19日。10月の例祭な神輿渡御があり黒奴行列が供奉する。
 欽明天皇朝に出雲の土師連の人々により創建されたと伝える。文明年間(1469〜1487)に鎌倉上杉修理大夫定正が太田道灌に命じて岩槻城を築くに当たり城内の守護神として再建した。江戸期には徳川家康が鬼門除けとした。歴代城主が寄進した。明治以後も岩槻城址に鎮座するため岩槻総鎮守として崇敬を集める。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「埼玉県岩槻市宮町。旧県社。
 欽明朝に出雲の土師連の氏人による創建と伝えるが、文明年間(1469〜1486)に太田道灌が岩槻城を築くに当り城内鎮守として、歴代城主の寄進を受け、明治以後は現岩槻市の総氏神となる。
 10月19日の例祭には神輿渡御に黒奴行列が随行する。」


 周辺は住宅地ですが、境内は森の中といった感じです。

 一の鳥居です。
KIMG3035
 先に進むと二の鳥居がありました。
KIMG3037
 4月29日に参拝しましたが、境内は緑が多く躑躅が咲いていました。
KIMG3039
 神楽殿です。
KIMG3040
 社務所になります。
KIMG3041
 手水舎です。
KIMG3042
 社殿になります。
KIMG3043
 (´人`)

 社殿左側には稲荷神社がありました。
KIMG3044
 社殿右側には天満宮がありました。
KIMG3047
 黒奴です。
KIMG3046
 一人でいったので、顔は出しませんでした。

 御神籤です。
KIMG3045

 御朱印は、社殿の左側にある授与所で頂きました。御朱印代は300円です。
 御神札や御守りといった授与品はありました。

 こちらの神社から坂東三十三観音霊場十二番札所「華林山慈恩寺」まで自動車で10分位かと思われます。





神社名:岩槻久伊豆神社
鎮座地:埼玉県さいたま市岩槻区宮町二丁目6‐55
祭 神:大国主命
社格等:旧県社 岩槻総鎮守

大沢香取神社(埼玉県越谷市大沢)5


KIMG2839

 埼玉県越谷市に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「北越谷駅」になります。徒歩では5分位かと思われます。

 神社専用の駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。
「御由緒
 香取神社の主祭神経津主大神は、天照大御神の神勅を奉じて鹿島神宮の大神と共に、出雲の国譲りの大業を成し遂げられ、また東国開拓を完遂し、平和国家の建設に貢献された神で、国家鎮護、武勇の神、産業開発の神として崇められています。
 香取神社の創立年代は不詳ですが、約600年前、室町時代後期の応永年間(1394〜1427)に下総国一ノ宮(千葉県香取市)香取神宮の御祭神、経津主大神を御分霊し、香取大明神として大沢村鷺後に一村の鎮守として造立されました。
 日光街道の整備に伴い武州大沢宿が、寛永年間(1624〜1644)鷺後から現在の大沢の地にお宮を移しました。往時には、武士、町人、百姓の旅の安全と家族の安泰を祈願して参拝休憩する人々多く、五穀豊穣、日常生活に関する一切の事をお護り下さる神様として招福除災の御神徳が信仰されてきました。
 また、現在は合祀されている木花開耶姫命、伊弉諾尊、伊弉再尊の御神威により、安産、子授けの神社としても信仰、崇敬を集めております。」


 大雪が降ってから間もない日(1月24日)に参拝しました。

 社殿になります。
KIMG2618
 境内は雪が多く、歩くのに困りました。

 八坂神社になります。
KIMG2621
 社務所になります。
KIMG2619
 御朱印は、社務所兼授与所で頂きました。御朱印代は300円です。

 御守りや御神札といった授与品はありました。

 由緒書きは、頂きたい旨を告げると小冊子状のものが無料で頂けます。





神社名:大沢香取神社
鎮座地:埼玉県越谷市大沢三丁目13‐38
主祭神:経津主大神
相殿神:菅原道真公 木花開耶姫命 誉田別尊 火産巣日神 崇徳天皇 大山祇命 市杵島姫命 八心思兼命 河菜姫命 大雷神 高龗神 伊弉諾尊 伊弉再尊
別 称:越谷香取神社
社格等:旧村社 大沢鎮守
記事検索
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
Amazonライブリンク
livedoor プロフィール

まほろば

QRコード
QRコード
LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード
カテゴリ別アーカイブ
Twitter プロフィール
日本のまほろばを探して社寺を参詣しており、社寺参詣道代表師範です。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士(ファイナンシャルプランナー)、日商簿記検定2級、秘書検定2級、全経電卓検定3級、神社検定参級、安全衛生推進者
メッセージ

ご質問がありましたらメッセージをお願いいたします。 全てのご質問にはお答えできません。

名前
メール
本文
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

J-CASTニュース
livedoor 天気
  • ライブドアブログ