神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

稲荷神社

於菊稲荷神社 春風の御朱印(群馬県高崎市新町)5

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 群馬県高崎市の東部、旧新町に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR高崎線「新町駅」になります。徒歩では、10分位かかりそうです。

 駐車場は、参道にあります。自動車は10台位は停められそうです。

 桜井識子さんの本で紹介された神社になり、訪れる方々が多くなりました。

 鳥居になります。
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 手水舎です。
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 社殿になります。
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 新しくなりました。

 神楽殿になります。
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 太子社になります。
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 狐塚になります。
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 御朱印は、於菊さんと思われる女性が描かれた「春風」というのを頂けました。御朱印代は500円です。



神社名:於菊稲荷神社
鎮座地:群馬県高崎市新町247番地
祭 神:倉稲魂命 於菊
社格等:旧村社
URL:https://okiku-inari.jimdo.com/

福徳神社 芽吹き守(東京都中央区日本橋室町)5

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 社殿左側にある授与所で「芽吹き守(めぶきまもり)」を一体頂きました。初穂料500円になります。

 ホームページでは芽吹き守についてこのように書かれていました。
「『椚の皮付き鳥居に春の若芽が萌え出でた』の故事に因んだ芽吹き守
 自身の新たなる能力の芽生え成長の祈願に。 会社の成長繁栄の祈願に。
 また、新規事業と新たな企画の、芽生えと成長を祈願する御守です。」

 何だか前向きな感じがする御守りでしたので頂きました。

 社殿になります。
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 御朱印あり。授与所にて頂ける。御朱印代は300円。


神社名:福徳神社
鎮座地:東京都中央区日本橋室町二丁目4‐14
祭 神:倉稲魂命
相 殿:天穂日命 大己貴命 少名彦名命 事代主命 三穂津媛命
合 祀:太田道灌 弁財天 徳川家康公
旧 称:福徳稲荷
通 称:芽吹稲荷
社格等:旧村社
札所等:東京八福めぐり
URL:http://mebuki.jp/

福徳神社(東京都中央区日本橋室町)5

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 東京都中央区の日本橋三越の近くに神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前駅」になります。A6番出口よりすぐになります。

 神社専用の駐車場は見当たりませんでした。自動車で行かれる方は近くの有料駐車場をご利用下さい。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(由緒書きによる)。
「当神社の創祀された時は明らかではないが、当社に伝わる略記によると、清和天皇の御代の貞観年間(859〜876)には既に鎮座していたようである。
 当社は、武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって社号とした。
その鎮座する社地は広大にして、社殿も広壮であったと伝えられる。社の四隣は森林や田畑に囲まれ、周辺には農家が散在する片田舎であったとされる。土地の人々は当社の森を『稲荷の森』と呼び、その森の一端に建てられていた里程標(一里塚)を『稲荷の森塚』と呼び習わしていた。この里程標は、後に明暦三年酉年(1657)正月八日の大地震により崩壊。当時の人々が散乱した石碑の破片を拾い集め、保存を図ったと伝えられる。左記は、その碑銘の写しである。

表:宮戸川邊り宇賀の池上に 立る一里塚より此福徳村 稲荷森塚迄一理
裏:貞観元年卯年 三つき吉祥日

 また、そもそも当社は、元来、武将の信仰が厚く、源義家朝臣(1039〜1106)により深く崇敬されていたことが記されていたとも伝えられている。江戸幕府以前には太田道灌公を合祀し、その兜・矢・鏃などが奉納されたと伝わっている。
 徳川家康公は、江戸に入府した天正十八年(1590)八月に初めて当社に参詣し、その後も数度に渡って参詣している。更に二代将軍秀忠公は、慶長十九年(1614)正月八日に参詣した折、『福徳とはまことにめでたい神号である』と称賛。この時、当社の古例である椚(クヌギ)の皮付き鳥居に春の若芽の萌え出でたのを御覧になり、神社の別名を『芽吹(めぶき)稲荷』と名付けられた。元和五年(1619)二月に御城内の弁天宮を当神社に合祀するにあたり、将軍自ら神霊を納められ、大和錦の幌を奉納し、更には『社地縄張を三百三十坪余り』と定められた。」


 周辺はデパートやオフィスビルの中に神社はありました。

 鳥居になります。
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 社殿になります。
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 場所が場所だけに参拝者が多かったです。平日はビジネスマンも多いのではないかと思います。

 緑があります。
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 境内には「福徳の森」がありますが、まだまだ森を形成するまでには成長さしていません。

御朱印は、境内の左側にある「授与所」にて頂きました。御朱印代は300円です。

 御守りや御神札といった授与品はありました。私は「芽吹き御守(初穂料500円)」を一体頂きました。





神社名:福徳神社
鎮座地:東京都中央区日本橋室町二丁目4‐14
祭 神:倉稲魂命
相 殿:天穂日命 大己貴命 少名彦名命 事代主命 三穂津媛命
合 祀:太田道灌 弁財天 徳川家康公
旧 称:福徳稲荷
通 称:芽吹稲荷
社格等:旧村社
URL:http://mebuki.jp/

瑳珂比神社(群馬県伊勢崎市境)5

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 群馬県伊勢崎市の南部、旧佐波郡境町に神社は鎮座していました。
 神社の周辺は日光例幣使街道の境宿になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「境町駅」になります。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(群馬県神社庁伊勢崎佐波支部著『伊勢崎佐波の神社誌』より)。
「当社の創建は、戦国期に領主の小此木左衛門長光が、守護神として生国能登国石動(いするぎ)明神の分霊を境城内に奉斎した、大永年間(1521〜1527)とされている。長光の子左衛門次郎は、正親町天皇の御代の元亀三年(1572)、武運長久を祈って稲荷の神像と石製の剣を奉納し、石剣権現(いするぎごんげん)と称した。
 後陽成天皇の天正十八年(1590)、小此木氏が当地を退去すると、郷民は当社を鎮守社と定め、石剣(いするぎ)稲荷大明神と改めた。
 昔この地は仮宿と呼ばれたが、後に那波・新田両郡の境にあるため境村となり、後光明天皇の正保四年(1647)に例幣使街道が開設され宿場町となると次第に町並みも形成され、慶安年間(1648〜1651)には、境町となった。
 桃園天皇の宝暦十一年(1761)拝殿が造営され、後桜町天皇の明和三年(1766)には大室村の石工により石鳥居が建立された。後桃園天皇の安永二年(1773)社前に挿花絵馬(境町最古の絵馬)が奉納され、光格天皇の享和元年(1801)には氏子の発起により現在の社殿が建立されている。その後も酒造家日野屋大助による寄進などがあって神域も整備され、明治七年には村社に列せられた。
 同四十年九月、芸大通末社菅原神社・八幡宮・疱瘡神社ほか町内の諏訪神社・境内末社八幡宮・八坂神社・境内末社稲荷神社・神明宮・菅原神社・琴平宮・秋葉神社を合祀し、現在の瑳珂比神社と改称して今に至る。」


1月1日に参拝してきました。
 群馬県内はニューイヤー駅伝のため時間帯により通行止めの所があり困りました。


入り口になります。
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 二の鳥居になります。
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 社殿になります。
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 東向に建てられています。

 社殿全景になります。
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 鳥居を入り、右側には社務所兼授与所がありました。御朱印を頂きました。御朱印代は300円です。
 また、御札や御守りといった授与品が頂けます。御守りや御神札は一体500円になります。




神社名:瑳珂比神社(さかいじんじゃ)
鎮座地:群馬県伊勢崎市境493番地
祭 神:倉稲魂命
配 祀:大日孁神 火雷霊命 菅原道真公 誉田別命 建御名方神 素盞鳴神 大物主命 鎮西八郎為朝命
社格等:旧村社 神饌幣帛料供進神社

於菊稲荷神社 再拝(群馬県高崎市新町)5

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 群馬県高崎市の東部に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR高崎線「新町駅」になります。
徒歩では、10分位かかりそうです。

 駐車場は、参道にあります。自動車は、3台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(由緒書きより)。
「群馬県多野郡新町橋場町に古くより鎮座いたします稲荷神社は天正十年(1582)8月小田原城主北条氏政と厩橋城主滝川一益と神流川原に於いて、天下分け目の決戦を行いたる時、北条氏は、先祖以来の守護神稲荷の社頭に戦勝祈願をいたしました。その甲斐有りて大勝利を得た北条氏政は、御神徳の偉大さに感激し小祠を立派な社に再建して報賽の誠を捧げ当社の起源となりました。
 その後、時移り太平の徳川の御代となりて、新町宿にも幾多の妓楼が立ち並ぶようになりました。宝暦年間(1751〜)大黒屋の娼妓於菊は、新潟の貧農の娘であったが、美貌で気だてもよく、新町随一の売れ妓ともてはやされていた。
 稲荷神社に日参りする多くの娼妓達のなかでも、於菊は特に熱心なる信者でした。また子供好きで、境内で遊ぶ子供達にいつも、あめ菓子を買い与えたり一緒に遊んであげたりと子供達親達にとても慕われておりました。しかし、ふと風邪をこじらせた於菊は、ついに足腰たたぬ病となってしまいました。これをとても心配した子供達の親は日頃から於菊が信仰していた稲荷神社に小屋を建て看病を三年間続けました。彼女の信心、親達、子供達の願い遂に神に通じてか、ある夜半枕辺に稲荷の霊あらわれ不思議に病気も全快いたしました。人々は喜び合って神の恵みと感謝し、彼女は一生涯神明奉仕と世の人々の為に尽すことを決意し稲荷社の巫女となりました。
 巫女となった於菊は、日々の神明奉仕を続けるうちに神の霊移ってか神秘的な力を授かりました。彼女の言葉は、天候をはじめとして世上の事の予言また困っている人の手助けをしておりました。そして人々は、口々に『困った事は稲荷の於菊に聞けばよい』『於菊に聞いて稲荷に参ればよい』と言われておりました。於菊の稲荷、稲荷の於菊と誰言うとなく於菊稲荷神社と呼ばれる様になりました。
 その後、益々神社は弥栄えて文化文政から、嘉永初旬まで最も隆盛を極めました。遠くは江戸、横浜、長崎からも参拝する者多く、中には吉原の遊女、歌舞伎の名優、両国の力士、詩人、名僧等枚挙にいとまもありません。社に残る数々の文化財は昔時を語る宝物です。当社に心願をかける時は、何事によらず叶いて、開運、幸運に結びつくことでしょう。」


 桜井識子さんの本で紹介された神社になります。それなので訪れる方々が多くなりました。

 稲荷神社らしい鳥居になります。
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 社殿は新築になり、新しくなりました。
[画像:bdb45f38-s.jpg]

 神楽殿になります。
[画像:62fa640e-s.jpg]

 御朱印は、見開きのものを頂きました。御朱印代は500円です。





神社名:於菊稲荷神社
鎮座地:群馬県高崎市新町247番地
祭 神:倉稲魂命 於菊
社格等:旧村社
URL:http://www.maroon.dti.ne.jp/okiku/
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日本のまほろばを探して社寺を参詣しており、社寺参詣道代表師範です。 管理部に所属する会社員。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士(ファイナンシャルプランナー)、日商簿記検定2級、秘書検定2級、全経電卓検定3級、神社検定参級、安全衛生推進者
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