神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

御朱印(埼玉県)

都幾山慈光寺 巡礼地蔵尊御朱印(埼玉県比企郡ときがわ町)5

 慈光寺に参拝した折りに観音様の御朱印以外にもお地蔵様の御朱印もあったので頂きました。
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 本堂に祀られています。巡礼しているお地蔵様なのかな?
 本堂内は撮影不可かと思いますので、写真は取りませんでした。

 慈光寺の参拝日記→こちら

 まだ、ご本尊の阿弥陀如来、薬師霊場の薬師如来の御朱印は頂いていないので、また参拝しようと思います。





寺院名:都幾山 一乗法華院 慈光寺
所在地:埼玉県比企郡ときがわ町西平386番地
宗 派:天台宗
本 尊:阿弥陀如来
札所等:坂東三十三観音霊場 九番札所
    関東百八地蔵尊霊場 十四番札所
    関東九十一薬師霊場 三十三番札所
御詠歌:聞くからに 大慈大悲の 慈光寺 誓いも共に 深きいわどの

都幾山一乗法華院慈光寺 坂東札所(埼玉県比企郡ときがわ町西平)5

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 埼玉県比企郡ときがわ町にお寺はありました。

 最寄り駅は、JR八高線「明覚駅」になります。
 駅から徒歩で行くのは無理ですので、バスで行くか自動車で行かれた方が宜しいかもしれません。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県比企郡都幾川村にある天台宗寺院。都幾山一乗法華院。本尊は十一面千手千眼観音。
 天武天皇二年(673)慈訓(じくん)が観音霊場を開き、役小角(えんのおづぬ)を根本開山、道忠を開山とする。
 源頼朝、近世には五代将軍綱吉母桂昌院が帰依し朱印寺領百石。」

 また、吉川弘文館刊「日本仏教史辞典」によると次の通りです。
「埼玉県比企郡都幾川村西平にある天台宗寺院。都幾山一乗法華院と号し、草創は天武天皇二年(673)僧慈訓と伝え、鑑真の高弟道忠を開山としている。
 清和天皇の勅願により関東天台別院とされ、貞観十三年(871)上野国権大目安倍小水麿が『大般若経』(重要文化財)を書写奉納した。源頼朝の信仰篤く、文治五年(1189)愛染明王像と長絹百疋を献じている。建久二年(1191)には一山七十五坊を営繕し千二百町歩の寺領を寄進したという。戦国時代松山城主上田朝直に攻略され衰微したが、天正十九年(1591)徳川家康から寺領百石を与えられ東叡山末として勢力を回復した。元禄八年(1695)徳川家光の室桂昌院が金蘭緞子の打敷を寄進。
 寺には後鳥羽上皇らの書写とする法華経・一品経・阿弥陀経・般若心経(慈光寺経、国宝)をはじめ、開山堂(重要文化財)など多数の文化財・寺宝があり。
 観音堂は坂東九番札所である。」


 坂東三十三観音霊場九番札所として知られている寺院になります。

 山の中にあるといった感じのお寺です。森林浴になりそうです。

 山門になります。
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 山門を入ると正面が本堂になります。
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 本尊である「阿弥陀如来」が祀られています。
 
 本堂前には多羅葉樹の木がありました。
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 慈覚大師円仁のお手植えと伝えられており、埼玉県指定天然記念物だそうです。

 鐘楼堂になります。
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 観音堂は、少し離れた所にありました。
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 「千手観音」が祀られており、坂東三十三観音霊場の札所本尊になります。

 宝物館がありました。納経所が拝観受付になります。
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 御朱印は、本堂内で頂けました。「阿弥陀如来(本尊)」・「千手観音(坂東三十三観音霊場)」・「地蔵菩薩(関東百八地蔵尊霊場)」・「薬師如来(関東九十一薬師霊場)」の四種類ありました。

 坂東三十三観音霊場の巡礼用品、汎用の納経帳、御守りや参拝記念品等授与品は多くありました。





寺院名:都幾山 一乗法華院 慈光寺
所在地:埼玉県比企郡ときがわ町西平386番地
宗 派:天台宗
本 尊:阿弥陀如来
札所等:坂東三十三観音霊場 九番札所
    関東百八地蔵尊霊場 十四番札所
    関東九十一薬師霊場 三十三番札所
御詠歌:聞くからに 大慈大悲の 慈光寺 誓いも共に 深きいわどの

目の神社(行田八幡神社境内社)5

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 埼玉県行田市の忍城趾の東へ行った所に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、秩父鉄道「行田市駅」になります。

 駐車場は、参集殿の前と第二駐車場が利用できます。自動車は10台以上は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』より)。
「埼玉県行田市行田に鎮座。祭神は品陀別命・息長足姫命・大物主命・素盞嗚尊・市杵島姫命ほか二柱。虫封じの信仰がある。例祭は9月15日。
 源頼義・義家親子が奥州征討にあたり、戦勝祈願として八幡神社を勧請したと伝える。天文年間(1532〜1555)に佐間村田中から行田に遷された。忍城主成田下総守氏長の崇敬により城下の総鎮守となる。」


 鳥居になります。
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 西向きに社殿は建っています。
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 忍城を守護するためかと思われます。
 癌封じや虫封じ、病気平癒のご利益があるそうです。

 境内社になります。
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 なで桃だそうです。
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 御朱印は、境内社の「目の神社(めのかみしゃ)」を頂きました。御朱印代は300円でした。

 御守りや御神札といった授与品はありました。もちろん「目の神社」の御守りはありました。眼病平癒のご利益のようです。

 近くには「風が語りかけます。旨い!旨すぎる!」の十万石饅頭本店がありました。




神社名:行田八幡神社
鎮座地:埼玉県行田市行田16‐23
祭 神:誉田別尊 気長足姫尊 比売大神 大物主神 神素盞鳴尊
社格等:旧村社 行田総鎮守
札所等:忍城下七福神 大黒天

箭弓稲荷神社(埼玉県東松山市箭弓町)5

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 埼玉県東松山市の中心部に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、東武東上線「東松山駅」になります。西口から徒歩で5分位かと思われます。

 駐車場は、一の鳥居をくぐり参道左側にありました。自動車は、十数台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県東松山市箭弓町」の旧県社。神社本庁別表神社。祭神は保食神(うけもちのかみ、宇迦魂命)。例祭は3月初午の日、9月21日。
 3月の初午大祭は三日間の火伏神事が行われる。牡丹祭りは4月下旬から5月初旬までの15日間で一千本以上の牡丹が咲き誇る。
 社伝によれば、長元元年(1028)に平忠常が下総で乱を起こし、源頼信が追討を命じられた。当地に一泊した。そのとき、白狐に乗った神人が現れて弓箭を授ける霊夢をみた。頼信は凱旋してから一祠を建立したという。
 元和二年(1616)に、領主の松平家が幕府に願い出て社殿を造営した。また、天海大僧正を招いて福聚寺を草創して別当とした。
 明治維新により現社号に改めた。」

 また、國學院大学日本文化研究所編「神道辞典」によると次の通りです。
「〈祭神〉宇迦魂神(うかのみたまのかみ)
 〈例祭日〉9月21日 〈神事〉初午大祭、火伏神事、牡丹祭
 〈由緒〉社伝によれば、長元元年(1028)下総に起きた平忠常の乱に際して、追討の命を受けた源頼信は、この地に白狐に乗った神人から弓箭(ゆみや、弓矢)を授かる霊夢を見たという。また、勝利をおさめた頼信が箭弓稲荷大明神と称して社殿を建立したのが創建とされる。元和二年(1616)、領主松平氏は社殿を造営し、天海を迎えて福聚寺を建立、これを別当にあてた。明治の神仏分離で別当を廃し、現社号に改称した。商売繁盛、開運の信仰で知られ、関東有数の牡丹園がある。
 〈旧社格〉県社(大正十一年)」


 関東の稲荷神社では、有名な部類にはいる神社ではないかと思われます。

 一の鳥居です。
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 二の鳥居です。
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 三の鳥居です。
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 こちらが社殿になります。
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 境内の左側にある牡丹園は来月中旬頃からの開園になります。おそらくはゴールデンウィーク中は見頃かもしれません。その頃の参拝をお薦めします。

 境内の右側には「團十郎稲荷」が鎮座していました。
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 御朱印は、境内の右側にある「授与所」で頂きました。御朱印代は300円でした。
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 御守りや御神札(一体500円)等の授与品がありました。

 牡丹の柄が入った御朱印帳が800円でありました。大きさは横12cm×縦18cmになります。





神社名:箭弓稲荷神社
鎮座地:埼玉県東松山市箭弓町二丁目5‐14
祭 神:保食神(うけもちのかみ)
通 称:やきゅうさま
社格等:旧県社 別表神社

岩殿山光明院安楽寺 坂東札所(埼玉県比企郡吉見町)5

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 埼玉県比企郡吉見町に寺院はありました。

 参道の入り口に駐車場はありました。自動車は10台位は停められそうです。

 最寄り駅は、東武東上線「東松山駅」になりますが、徒歩で吉見観音まで行くのは無理ですし、バスもありそうにはないです。
 できれば自動車で行かれた方が宜しいかと思われます。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県比企郡吉見町御所にある真言宗智山派の寺院。岩殿山。光明院。坂東三十三か所十一番札所。通称吉見観音。
 本尊は行基作と伝える聖観音。観音堂は坂上田村麻呂開基と伝えるが未詳。
 果鏡が江戸初期に中興し、三重塔・護摩堂などを再建したといわれる。
 江戸期には本尊は大日如来で、古来信仰を集めた観音堂を護持することにより発展したといわれる。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「埼玉県比企郡吉見町御所374。岩殿山と号し、吉見観音の通称がある。真言宗智山派。坂東三十三ヶ所第十一番札所。
 慈光寺・正法寺(板東九、十番)とともに比企三山と呼ばれる。
 近くには有名な吉見百穴の古代横穴古墳群がある。
 行基自刻の観音像を得たこの地の豪族吉見氏による開創の伝、また坂上田村麻呂が奥州進攻の途上、この地の岩窟からもれ出る光を怪しみ、その光が窟内の観音像から発すると知るや、直ちに伽藍を建立したのであるとの伝もある。
 源頼朝の弟、範頼が稚児僧としてこの寺に隠れ住み、頼朝挙兵に従った功により、この地の領主となった時には所領の半分を寄進して、寺院も大いに栄えた。範頼の死後に一時廃絶し、現在の三重塔は寛永年間(1624〜1644)の建立。
 本尊は聖観音。
 御詠歌は、
  吉見よと天の岩を押し開き
   大慈大悲の誓いたのもし」


 こちらの寺院は「坂東三十三観音霊場十一番札所」になり、「吉見観音」の名で知られているお寺になります。
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 坂東以外に関東八十八ヶ所、東国花の寺百ヶ寺の札所でもあります。
 埼玉県内にある慈恩寺・正法寺とともに「比企三山」と呼ばれています。

 参道には厄除団子を売るお店がありました。おいしく頂きました。
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 隣には食事がとれるスペースがあり、うどん定食等がありました。お昼に参拝しなかったので頂いておりません。

 坂上田村麻呂ゆかりの寺院になります。

 入り口になります。立派な仁王門です。
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 境内は本堂の他に「吉見大仏」という阿弥陀如来坐像がありました。
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 吉見大仏の右側には「山王社」が鎮座していました。
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 こちらのお寺の鎮守社でしょうが、山王社というと天台宗のイメージがあります。稲荷堂でもじゃなかったのかな。

 境内の左側には薬師堂がありました。
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 境内の全景になります。
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 本堂になります。
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 本尊は聖観音になります。坂東三十三観音霊場の札所本尊になります。
 本堂内には大きな大黒天像がありました。福々しい笑顔でした。

 扁額になります。
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 山号の「岩殿山」、「補陀洛」という観音様のおわす場所を示す扁額もなかなか立派です。

 本堂の右側には三重塔、太子堂がありました。
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 御朱印は、本堂の左側にある「納経所兼授与所」で頂きました。
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 御朱印代は300円でした。
 坂東三十三観音霊場の御御影を一体(100円)も頂きました。
 御朱印を頂いた際に般若心経を写経したものを納経させて頂きました。

 御守りや御札といった授与品はありました。




寺院名:岩殿山 光明院 安楽寺
所在地:埼玉県比企郡吉見町御所374番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:聖観音
通 称:吉見観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十一番札所
    関東八十八ヶ所 七十五番札所
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:吉見よと 天の岩戸を 押し開き 大慈大悲の 誓いたのもし
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