神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

御朱印(埼玉県)

岩槻久伊豆神社 岩槻総鎮守(埼玉県さいたま市岩槻区)5

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 埼玉県さいたま市の中でも旧岩槻市に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、東武野田線「岩槻駅」になります。徒歩で神社まで15分位かと思われます。

 神社専用の駐車場はありました。自動車は数十台は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県岩槻市宮町の旧県社。明神様とも。祭神は大己貴命。例祭は10月19日、4月19日。10月の例祭な神輿渡御があり黒奴行列が供奉する。
 欽明天皇朝に出雲の土師連の人々により創建されたと伝える。文明年間(1469〜1487)に鎌倉上杉修理大夫定正が太田道灌に命じて岩槻城を築くに当たり城内の守護神として再建した。江戸期には徳川家康が鬼門除けとした。歴代城主が寄進した。明治以後も岩槻城址に鎮座するため岩槻総鎮守として崇敬を集める。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「埼玉県岩槻市宮町。旧県社。
 欽明朝に出雲の土師連の氏人による創建と伝えるが、文明年間(1469〜1486)に太田道灌が岩槻城を築くに当り城内鎮守として、歴代城主の寄進を受け、明治以後は現岩槻市の総氏神となる。
 10月19日の例祭には神輿渡御に黒奴行列が随行する。」


 周辺は住宅地ですが、境内は森の中といった感じです。

 一の鳥居です。
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 先に進むと二の鳥居がありました。
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 4月29日に参拝しましたが、境内は緑が多く躑躅が咲いていました。
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 神楽殿です。
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 社務所になります。
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 手水舎です。
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 社殿になります。
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 (´人`)

 社殿左側には稲荷神社がありました。
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 社殿右側には天満宮がありました。
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 黒奴です。
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 一人でいったので、顔は出しませんでした。

 御神籤です。
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 御朱印は、社殿の左側にある授与所で頂きました。御朱印代は300円です。
 御神札や御守りといった授与品はありました。

 こちらの神社から坂東三十三観音霊場十二番札所「華林山慈恩寺」まで自動車で10分位かと思われます。





神社名:岩槻久伊豆神社
鎮座地:埼玉県さいたま市岩槻区宮町二丁目6‐55
祭 神:大国主命
社格等:旧県社 岩槻総鎮守

華林山最上院慈恩寺 坂東札所(埼玉県さいたま市岩槻区)5

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 埼玉県さいたま市の旧岩槻市に寺院はありました。

 寺院専用の駐車場はありました。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県岩槻市大字慈恩寺にある天台宗の寺院。華林山最上院。本尊は十一面観音。
 天長年間(824〜834)円仁の開山。近世には東照宮の位牌を安置し、藩主阿部正春が仏供料二十九石四斗九升余を寄進。朱印寺領百石。
 昭和十七年(1942)西安大慈恩寺に因み玄奘霊骨奉安。
 坂東三十三か所十二番。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「埼玉県岩槻市慈恩寺139。華林山と号す。天台宗。坂東三十三ヶ所第十二番札所であり。
 天長元年(824)慈覚大師の開創になる。慈覚大師が仏法の東国弘通を祈念しつつ日光山から一個の李(すもも)を空中に投げると、李はこの地に至って一夜のうちに大木に育ったという。
 寺名は慈覚大師が留学した唐の都長安にあった慈恩寺の名に由来する。
 本尊千手観音像は慈覚大師自刻の霊像であったが惜しくも焼失、現本尊は江戸時代初期に天海僧正が比叡山より将来安置したものである。このころには坂東諸霊場中、屈指の規模を誇った。
 近くの丘には玄奘三蔵の霊骨塔がある。御影石の十三重塔には三蔵法師の真骨が奉安されている。これは第二次大戦中に日本軍が南京から持ち返ったものである。
 寺宝の十二天画像は江戸城本丸の地鎮祭に使用された。
 御詠歌は、
  慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや
   うかぶ夏島を 見るにつけても」


 飛び地の境内には西遊記の三蔵法師で知られている玄奘の遺骨が分骨をされ、十三重塔が建立されています。

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 境内の藤棚は、もう見頃は過ぎていました。
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 手水舎です。
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 鐘楼堂です。
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 香炉。
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 本堂になります。
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 御朱印は、境内の右側にある納経所で頂きました。御朱印代は300円です。




寺院名:華林山 最上院 慈恩寺
所在地:埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139番地
宗 派:天台宗
本 尊:千手観世音菩薩
通 称:慈恩寺観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十二番札所
御詠歌:慈恩寺へ 詣る我が身も たのもしや うかぶ夏島を 見るにつけても

大沢香取神社(埼玉県越谷市大沢)5


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 埼玉県越谷市に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「北越谷駅」になります。徒歩では5分位かと思われます。

 神社専用の駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。
「御由緒
 香取神社の主祭神経津主大神は、天照大御神の神勅を奉じて鹿島神宮の大神と共に、出雲の国譲りの大業を成し遂げられ、また東国開拓を完遂し、平和国家の建設に貢献された神で、国家鎮護、武勇の神、産業開発の神として崇められています。
 香取神社の創立年代は不詳ですが、約600年前、室町時代後期の応永年間(1394〜1427)に下総国一ノ宮(千葉県香取市)香取神宮の御祭神、経津主大神を御分霊し、香取大明神として大沢村鷺後に一村の鎮守として造立されました。
 日光街道の整備に伴い武州大沢宿が、寛永年間(1624〜1644)鷺後から現在の大沢の地にお宮を移しました。往時には、武士、町人、百姓の旅の安全と家族の安泰を祈願して参拝休憩する人々多く、五穀豊穣、日常生活に関する一切の事をお護り下さる神様として招福除災の御神徳が信仰されてきました。
 また、現在は合祀されている木花開耶姫命、伊弉諾尊、伊弉再尊の御神威により、安産、子授けの神社としても信仰、崇敬を集めております。」


 大雪が降ってから間もない日(1月24日)に参拝しました。

 社殿になります。
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 境内は雪が多く、歩くのに困りました。

 八坂神社になります。
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 社務所になります。
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 御朱印は、社務所兼授与所で頂きました。御朱印代は300円です。

 御守りや御神札といった授与品はありました。

 由緒書きは、頂きたい旨を告げると小冊子状のものが無料で頂けます。





神社名:大沢香取神社
鎮座地:埼玉県越谷市大沢三丁目13‐38
主祭神:経津主大神
相殿神:菅原道真公 木花開耶姫命 誉田別尊 火産巣日神 崇徳天皇 大山祇命 市杵島姫命 八心思兼命 河菜姫命 大雷神 高龗神 伊弉諾尊 伊弉再尊
別 称:越谷香取神社
社格等:旧村社 大沢鎮守

越谷久伊豆神社(埼玉県越谷市越ヶ谷)5

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 埼玉県越谷市に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「北越谷駅」になります。徒歩では20分はかかりそうです。

 神社専用駐車場はありました。自動車はかなりの台数が停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【久伊豆神社】
 埼玉県越谷市越ヶ谷の旧郷社。祭神は大国主命・言代主命・溝咋姫命・天穂日命・高照姫命。例祭は9月28日。5月9日が藤祭太々神楽講祭、10月31日が御燎祭、12月には縁喜市がある。
 平安末期に創建されたと伝える。当地の有力武士団である武蔵七党の一である私市党が信仰し、除火招福の神徳で知られる。応仁年間(1467〜1469)に伊豆国宇佐見の領主であった宇佐見酸八郎重之が当地に領地替えとなり、当社の社殿を再建して古刀を奉納した。」

 また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「【久伊豆神社】
 埼玉県越谷市越ヶ谷。旧郷社。
 中世以来、武蔵七党の一つ私市(きさい)党の崇敬が篤く、除火招福の神徳を伝える。
 境内に藤の大樹があって5月9日の藤祭には太々神楽講で賑わう。
 近年は芸能関係などに多くの崇敬者を集めている。」


 1月24日に参拝してきました。雪が降ったあとだったので境内にも残っていました。

 参道を進みます。
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 社号標になります。
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 鳥居になります。
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 手水舎になります。
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 社殿になります。
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 神楽殿になります。
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 社務所では祈祷を受ける方がいらっしゃいました。

 御朱印は社務所にて頂きました。御朱印代は300円です。
 由緒書きは頂きたい旨を言えば頂けます。

 御守りや御神札といった授与品はありました。




神社名:越谷久伊豆神社
鎮座地:埼玉県越谷市越ヶ谷1700番地
祭 神:大国主命 言代主命
相 殿:高照姫命 溝咋姫命 天穂日命
社格等:旧郷社
URL:http://www.hisaizujinja.jp/

誦経山四萬部寺 秩父札所一番(埼玉県秩父市栃谷)5

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 埼玉県秩父市の北部、栃谷地区にお寺はありました。

 西武鉄道「秩父駅」より「皆野駅」行きの西武バスに乗り、「札所一番」バス停で降りて直ぐです。

 寺院専用の駐車場はありました。自動車は10台以上は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は次の通りです(螢ぅ鵐妊奪ス刊『訪ねてみたい埼玉のお寺』による)。
「人皇四十五代聖武天皇の御宇(724〜748)に行基菩薩は、勅命を頂き諸国巡回の旅に出ました。その折、この地に立ち寄り岩下に宿したとあります。不思議な霊験があって苦行連行したところ、七日め夜、微風香気がただよい紫雲が渓谷に満ち、空中音楽とともに浄心がいよいよ深くなりました。
 頭をあげると不思議なことに、栃の樹上に忽然と聖観音の尊像が出現し、妙なる声で行基にお告げになりました。『この地、深山幽告なりといえども、むかし法華経を修行せしところなり。汝今、我が示現の真相を写して此の地に留めよ。以後五百年後結縁の衆生成熟して、王公大臣権志高僧も参詣すべし、此の時に身三十三所に現し所願すでに満足せん。』と言い終わって光明の中におかくれになりました。
 行基は感涙して傍らの栃の木一株をとり示現の妙相を彫刻し、身の丈一尺五寸三分の尊像を造って、お告げの通りに岩窟の中に安置しました。
 その後、永延二年(988年)に性空と幻通に命じて、法華経四萬部を写経して地中に納め、岩窟中の尊像を本尊として一宇を建立し、大施餓鬼の法供養を修されました。そのため山号を『誦(法華)経山』と号し、寺名を『四萬部寺』といいます。」


 山門になります。
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 山門脇には小僧さんがいらっしゃいました。
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 可愛らしいです。

 観音堂になります。
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 秩父三十四観音霊場の発願寺として知られている寺院になります。
 
 境内はさほど広くはありませんが、雰囲気のよいお寺でした。

 施餓鬼堂になります。
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 関東三大施餓鬼として知られています。

 梅が咲き始めていました。
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 巡礼用品はこちらのお寺で揃えることがでします。「南無観世音菩薩」と書かれた「白衣(笈摺)」は3Lまでありました。また、御詠歌が印刷され御朱印のみを頂く笈摺もありました。納経帳や納め札(100円)等もありました。



 御朱印は「納経所」で頂きました。御朱印代は300円です。






寺院名:誦経山 四萬部寺
所在地:埼玉県秩父市栃谷418番地
宗 派:曹洞宗
本 尊:聖観音
札所等:秩父三十四観音霊場 一番札所
御詠歌:ありがたや 一巻ならぬ 法の花 数は四万部の 寺のいにしえ
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日本のまほろばを探して社寺を参詣しており、社寺参詣道代表師範です。 管理部に所属する会社員。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士(ファイナンシャルプランナー)、日商簿記検定2級、秘書検定2級、全経電卓検定3級、神社検定参級、安全衛生推進者
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