神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

御朱印(茨城県)

鶴峯八幡神社(茨城県古河市中田)5

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 こちらの神社の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。
「平安時代末期第八十一代安徳天皇の御宇治の治承四年(1180)九月、治承・寿永の乱の最中、右府源頼朝の命により下総・武蔵国の豪族等が参集(下河辺の挙兵)せられ、富士川の合戦に向かう。その際、川の畔の小高い山を目指し参集、頂上に鎮座されていた御稲荷様に、戦いの勝利を祈願。戦で勝利し神徳を感じた頼朝は養和元年(1181)8月相模国に鎮座されている、鶴岡八幡宮より御神霊を勧請し鶴ヶ峰八幡宮と称す。又、鶴岡八幡宮の守護神の丸山稲荷も勧請す。初代神職には鶴岡八幡宮初代祠官高橋摂津守の次男で源頼朝侍従でもあった高橋鴨次郎吉元(鴨次良吉廣)定められた。奥羽逆徒討伐の際も、頼朝は兵を率いて勝利を祈願、奥州藤原を討伐した。
 天福二年(1234)9月、下総國一之宮より香取宮を此に勧請し合殿となり又、元弘年中、新田義貞(源義貞)が平高時(北条高時)を討伐の際に当宮に参籠、累年の戦いでの疲労を休め、又清め、戦いに挑み勝利した。後、旧古河城であった栗橋城の、守護宮として崇敬され古河に公方が遷る際も足利成氏らが祈願した。
 近世、徳川将軍日光社参に際では立ち寄り安全な旅を祈願した。残された詞に〈白鳩御旗の上に飜り終に朝敵を亡くし武運を開きしにより弥増に神徳他に越たり掛巻も畏き鶴峯八幡宮の神徳本朝鎮護の宗廟文武興隆の祖神にして神光四方にたなび神威宇宙に輝けり永き弓矢の守りとなりて国家を鎮め給うにより、東照君主に至り永禄十一年11月御宮改に付伊奈備前守殿より黒印地盡淦个魎麌蹐擦蕕譴襦2辰佞襪棒酳媾住哀村岡郷四十ヶ村を以てせられる故に神徳愈々顕赫諸人益尊仰し〉とあり、所領三千石、社地五百石を寄与された等日光街道の鎮守として、旅の安全を祈る五柱の神が祀られており旅の者が足踏みをして安全な旅を祈願した。現在も御社の前で足踏みをして、旅の安全や足腰、健康の祈願参りをされている。
 江戸末期から洪水対策、河川改修工事の為の移転、明治の上地、社寺
政策により、破壊、放火、宝物盗難などに合い、一度は存続する事も
危かったとされる。が、縮小されつつも近郊の氏子崇敬者等の尽力にて
再建され存続する事が出来ている。」

 一の鳥居になります。
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 二の鳥居になります。
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 社殿になります。
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 神楽殿になります。
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 境内社の丸山稲荷になります。
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 御朱印は、境内右側にある授与所で頂けました。三種類(鶴峯八幡宮、香取宮、丸山稲荷)ありました。御朱印代は各300円になります。

 御守りや御札といった授与品はありました。またオリジナル御朱印帳もありました。




神社名:鶴峰八幡神社
鎮座地:茨城県古河市中田1337‐6
祭 神:誉田別命 神功皇后 経津主命 倉稲魂命
社格等:旧村社
URL:http://www.tsurumine.jp/

筑波山真福寺一乗院 北関東三十六不動尊霊場(茨城県つくば市上大島)5

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 茨城県つくば市の筑波山の麓にお寺はあります。

 駐車場はありましたが、自動車で行く場合細い道を行きますので気をつけてください。

 寺伝によれば徳一上人が大同二年(807)に筑波山の四方に一ヶ寺づつ建立され、その西側に建てられたのがこの一乗院になります。当初は法相宗が、修験道を加味し、室町時代には真言宗になりました。

 山門になります。
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 参道を進みます。
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 緑が綺麗です。
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 本堂になります。
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 新しくしたようです。本尊は不動明王になります。

 御朱印は、境内の左側にある納経所で頂けます。御朱印代は300円です。

 こちらから筑波山神社、筑波山大御堂(坂東三十三観音霊場)まで自動車では遠くないのであわせて参拝できます。







寺院名:筑波山 真福寺 一乗院
所在地:茨城県つくば市上大島2594番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:不動明王
札所等:北関東三十六不動尊霊場 三十二番札所
御詠歌:もろびとの 利益授くる 不動尊 情筑波の 深き谷川

健田須賀神社(茨城県結城市結城)5

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 茨城県結城市の中心部に神社は鎮座していました。

 最寄り駅はJR水戸線「結城駅」になります。徒歩で神社まで10分位かと思われます。

 神社専用の駐車場はありました。北側に鳥居があり、その右側にあります。自動車は10台以上は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【健田須賀神社】
 茨城県結城市結城浦町の旧県社。延喜式内社(合祀社)。祭神は健田大神・須賀大神。
 例祭は11月15日。7月15日から22日に神輿渡御祭があり、15日に子供の無病安全祈願のおけさ幣を授与する。4月15日に太々神楽を奉納する。7月31日の夏越祭では新茅の茅の輪と疫神を麦藁で作る。
 結城朝光が尾張国の津島神社から勧請し須賀神社と称した。付近にあって衰微した延喜式内社の健田神社を合祀して現社号になる。」

 また、由緒書きによると次の通りです。
「【祭神】
 武渟川別命 須佐之男命
 【由緒】
 健田須賀神社は明治3年に健田神社と須賀神社が現在の地に合祀され、健田須賀神社となりました。
 健田神社は現在の地より2キロ東南の古代より霊峰筑波山を拝する素晴らしい地にありました。そこで祭りを行った事より日の出から暦を察した場所と考えられます(古代祭祀)。やがて神社の形をあらわし、結城の国造竹田臣の祖神武渟川別命を祀りました。日本最古の公式記録集『延喜式』(927)には下総国11社の一つに記されています。以後宝暦14年(1764)小塙乗国寺と習合し、明治3年神仏分離により須賀神社と合祀しました。
 須賀神社は結城家初代朝光公が仁治3年(1242)尾張国の津島神社より御神霊を勧請し、結城家第一の氏神として手厚く祀り、結城家はもとより広く民衆に信仰され、結城の産土神として崇敬されました。特に康永2年(1343)7代直朝公が結城7社を定め、結城108郷の総社として盛観を極めました。18代秀康公(徳川家康次男)は福井移封後も家臣を遣わし変わらずに崇敬しました。
 合祀以降、明治5年に郷社、昭和5年に県社昇格。」


 北側に鳥居があります。
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 案内板。
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 神楽殿。
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 社殿左側にある境内社。
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 社殿になります。
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 参拝指していたら、新車を購入したのか交通安全祈願のご祈祷をしている方々がいらっしゃいました。

 御朱印は授与所にて頂きました。御朱印代は300円です。
 御神札や御守りといった授与品はありました。





神社名:健田須賀神社(たけだすがじんじゃ)
鎮座地:茨城県結城市結城195番地
祭 神:武渟川別命 須佐之男命
社格等:延喜式内社(健田神社) 旧県社 結城総鎮守

結城諏訪神社(茨城県結城市上山川)5

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 茨城県結城市の南部、国道50号線の「鹿窪運動公園入口」交差点からしばらく南下すると神社は鎮座していました。

 駐車場は神社裏側の道路沿いにありました。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(由緒書きによる)。
「結城諏訪神社由緒
《由緒》
 諏訪神社の創建は天慶三年(904年)にさかのぼります。当時新皇を名乗り関東独立の反乱を起こした平将門に対して、藤原秀郷や平貞盛等に討つべしとの宣旨が下りました。そこで将門打倒の戦勝祈願のために、信濃諏訪大社より諏訪大明神を当地に勧請したことに始まります。秀郷はここに陣を張り、敵地の方角(山川沼近くの将門の出城で、当地の約2キロ南方)へ鏑矢を放ち戦勝を願ったといいます、今も1月27日に行われている弓引きの神事は、この故事にちなんだものです。同年2月14日の戦で将門は討ち死にし、乱は鎮圧されました。反乱鎮圧の功績により下総、下野両国の守護となった秀郷は諏訪大明神に戦勝を謝して所持の鏑矢を奉納し、神田等を数多く寄進しました。
 その後、文治五年(1189年)に源頼朝の奥州攻めの際に、それに従った小山朝政、結城朝光が諏訪神社に勝利を祈願し、戦勝後は神恩に報いるため神田数項を寄進しました。
《御祭神》
 諏訪神社の御祭神である建御名方神は大国主命の次子である武勇に優れた勇壮な神として知られます。古事記にある国譲りの際に天津神の交渉を拒み、武御雷命に抗し、敗れたものの国津神一の武神として名を馳せました。後に信濃の諏訪の家に退き、諏訪大社の祭神となります。創建のきっかけとなった将門鎮圧や、奥州攻めの際に神威を発揮し、また当地域の産渡神としてこの土地の安寧を護りつづけております。
《ご利益》
 諸難突破、勝負事」


 横綱「稀勢の里」が大関の時に参拝をした神社になります。

 鳥居になります。
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 勝負石という大きな石になります。
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 何だかパワーがありそうです。

 神楽殿になります。
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 社殿になります。
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 天満宮だそうです。
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 いわゆる菅原道真公が祀れています。

 「万事必勝の御札」という授与品があります。他にも御守りや御神札がありました。必勝祈願の御祈祷を受けたそうです。

 村の鎮守さまといった雰囲気の神社です。

 御朱印は授与所にて頂きました。御朱印代は500円になります。

 同市内に鎮座する「健田須賀神社」までは自動車で約15分位になります。





神社名:結城諏訪神社
鎮座地:茨城県結城市上山川161‐1
祭 神:建御名方神 八坂刀売神
別 称:上山川諏訪神社
社格等:上山川鎮守

雀神社(茨城県古河市)5

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 茨城県古河市に鎮座する「雀神社(すずめじんじゃ)」に参拝してきました。旧郷社になります。

古河市の西部、群馬県板倉町、埼玉県加須市、栃木県野木町にも近い渡良瀬川の土手のそばに神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、JR宇都宮線「古河駅」、もしくは東武日光線「新古河駅」になります。徒歩では、両駅から20分位かと思われます。

 神社の東側の道には「雀神社前」というバス停があったのでバスがきています。調べてみたら、「ぐるりん号」なるバスが来ていました。おそらくはコミュニティーバスなんでしょう。JR古河駅を起点に古河市内を走っているようです。片道100円、一日乗り放題券は300円だそうです。

 駐車場は、神社の東側にありました。自動車は、数十台位は停められそうです。

 神社迄の道は、少々狭いですので、自動車で行かれる方は気をつけて下さい。

 古河総鎮守になる神社になります。また、猿島郡の唯一の「郷社」だったそうです。


 こちらの神社の創建年代は不明になりますが、貞観年間(859年〜877年)に出雲国に鎮座する「出雲大社」からの勧請と伝わっています。「雀神社」という社名の由来は、昔この一帯を「雀が原」といったのでその名がつけられたという説があります。また、「鎮宮(しずめのみや)」が「雀宮(すずめのみや)」になったという説もあります。
 戦国時代に初代古河公方「足利成氏」が古河にきて、この神社を崇拝することが多く、天下泰平、国土安穏、武運長久を祈ったとされています。


 3月17日に参拝したので、渡良瀬遊水地では野焼きをやっており、何だか少々焼けたような匂いがしており、自動車で遊水地沿いを走っていたら、ずいぶん灰に降られました。最初は火事だと思い、「どこかな?」と思っていましたが、だんだん状況がわかりました。「道の駅きたかわべ」では、満車状態で入れず・・・土手沿いには、路駐の車と見学者で多数・・・何だかなぁ・・・って感じでした。

 さて参拝です。

 こちらが一の鳥居になります。
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 こちらが扁額になります。
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 青銅製なんでしょうか?

 猿島郡・東葛飾郡の郷社だったそうです。
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 参道を進んでいきます。
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 この先直角に曲がります。なんでだろ・・・何か因縁めいたものがあるのでしょうか?

 曲がるとこんなモニュメントがありました。
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 こちらは、狛犬の部類に入るのでしょうか?よくお顔がわかりません。

 手水舎がありました。
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 手と口をすすいで、先に行きます。続きを読む
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日本のまほろばを探して社寺を参詣しており、社寺参詣道代表師範です。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士(ファイナンシャルプランナー)、日商簿記検定2級、秘書検定2級、全経電卓検定3級、神社検定参級、安全衛生推進者
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