まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

御朱印(茨城県)

健田須賀神社 境内社「猿田彦神社」の御朱印(茨城県結城市結城)5

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 茨城県結城市の中心部に神社は鎮座していました。

 最寄り駅はJR水戸線「結城駅」になります。徒歩で神社まで10分位かと思われます。

 神社専用の駐車場はありました。北側に鳥居があり、その右側にあります。自動車は10台以上は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【健田須賀神社】
 茨城県結城市結城浦町の旧県社。延喜式内社(合祀社)。祭神は健田大神・須賀大神。
 例祭は11月15日。7月15日から22日に神輿渡御祭があり、15日に子供の無病安全祈願のおけさ幣を授与する。4月15日に太々神楽を奉納する。7月31日の夏越祭では新茅の茅の輪と疫神を麦藁で作る。
 結城朝光が尾張国の津島神社から勧請し須賀神社と称した。付近にあって衰微した延喜式内社の健田神社を合祀して現社号になる。」

 また、臨川書店「神道大辞典(縮刷版)」によると次の通りです。
「【健田須賀神社】
 茨城県結城郡結城町大字結城に鎮座。県社。健田大神・素盞嗚命を祀る。
 もと健田神社・須賀神社の二社なるを健田神社は延喜の制、国幣の小社に列せれたが、近世は社運衰微し、明治三年須賀神社に合併す。須賀神社は結城朝光尾張津島社より素盞嗚大神を勧請せしに創まるという。
 例祭日、11月15日。」


 北側に鳥居があり、社殿は東向きになっています。
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 社号標になります。
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 手水舎です。
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 社殿になります。
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 やはりゴールデンウィーク中なので参拝者がいらっしゃいましたが、令和元年五月の御朱印を頂く方が多いのかなと思いましたが、意外と少なかったです。

 境内社の猿田彦神社です。
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 祭神は猿田彦大神になります。

 神楽殿です。
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 境内社になります。
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 授与所にて「猿田彦大神」の御朱印を頂きました。御朱印代は300円です。
 御神札や御守りといった授与品はありました。「御手杵御守(一体700円)」頂きました。





神社名:健田須賀神社
鎮座地:茨城県結城市結城195番地
祭 神:武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと) 須佐之男命
社格等:延喜式内社(健田神社) 旧県社 結城総鎮守

雨引山阿弥陀院楽法寺 坂東札所(茨城県桜川市本木)5

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 茨城県桜川市の中でも旧真壁郡大和村に寺院はありました。

 最寄り駅は、JR水戸線「岩瀬駅」になります。お寺の前までバスが出ているそうです。

 お寺専用の駐車場はありました。自動車はかなりの台数は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【楽法寺】
 茨城県真壁郡大和村にある真言宗豊山派の寺院。雨引山。本尊は延命観音。通称雨引観音。
 用明天皇の時代に開創と伝えられ、江戸期には朱印寺領百五十石が与えられ、徳川家康の祈願寺となっている。
 安産子育ての観音様として北関東を中心に信仰を集める。
 坂東三十三観音の二十四番札所。

【雨引観音】
 茨城県真壁郡大和村本木の楽法寺の本尊。この寺は坂東三十三観音霊場の二十四番札所。
 観音菩薩像は、平安前期の作と伝えられ、鎌倉時代の作である前立像とともに国指定重要文化財であり。安産に霊験あらたかな観音として知られている。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「【楽法寺】
 茨城県真壁郡大和村本木1。雨引山と号し、雨引観音の名でも呼ばれる。真言宗豊山派。坂東三十三ヶ所第二十四番霊場である。
 用明天皇のころ、梁(中国)から法輪独守居士(楽法居士とも)が本尊を捧持して来日し、この地に一寺を開いたという。推古天皇の病気平癒に霊験があった勅願寺に定められ、また光明皇后の安産祈願にも修法が行われたことから、今日でも多くの信者が安産子育ての御守りを求めに訪れる。江戸時代には金運が授かるとされ、多くの江戸商人の信仰を集めた。これは明暦年間(1655〜1658)に紀ノ国屋文左衛門が商売繁昌と海上安全を祈願したことに始まる。
 本尊延命観音像(重文)は弘仁時代(815ごろ)の造立。他に貴重な寺宝を数多く伝える。
 雨引山の由来には諸説ある。開山独守居士が観音の名号を唱えると天から『善哉(よきかな)』の声があったので天彦(あまびこ)山というようになり、後に降雨の霊験があったので天引山と改称されたという。また嵯峨帝のころ、祈雨(雨乞い)の秘法が修されて雨引山とされたともいう。
 御詠歌は、
  へだてなき誓いをたれも仰ぐべし
   仏の道にあまびきの寺」


 「雨引観音」として知られている寺院になります。本尊は延命観音になります。

 山門になります。
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 地蔵堂がありました。
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 境内に入ると本堂がありました。
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 本堂には本尊である延命観世音菩薩が祀られています。
 丁度祈祷が行われていました。

 境内には孔雀が放し飼いにされてました(・ω・) 動物園でしょうか?

 多宝塔がありました。
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 また、東照宮がありました。
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 御朱印は、授与所で頂きました。御朱印代は300円です。

 授与所横からの眺めです。
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 筑波山と関東平野が眺められます。






寺院名:雨引山 阿弥陀院 楽法寺
所在地:茨城県桜川市本木1番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:延命観音
通 称:雨引観音
札所等:坂東三十三観音霊場 二十四番札所
    関東八十八ヶ所 特別霊場
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:へだてなき 誓をたれも 仰ぐべし 佛の道に 雨引の寺

鶴峯八幡神社(茨城県古河市中田)5

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 こちらの神社の由緒は次の通りです(由緒書きによる)。
「平安時代末期第八十一代安徳天皇の御宇治の治承四年(1180)九月、治承・寿永の乱の最中、右府源頼朝の命により下総・武蔵国の豪族等が参集(下河辺の挙兵)せられ、富士川の合戦に向かう。その際、川の畔の小高い山を目指し参集、頂上に鎮座されていた御稲荷様に、戦いの勝利を祈願。戦で勝利し神徳を感じた頼朝は養和元年(1181)8月相模国に鎮座されている、鶴岡八幡宮より御神霊を勧請し鶴ヶ峰八幡宮と称す。又、鶴岡八幡宮の守護神の丸山稲荷も勧請す。初代神職には鶴岡八幡宮初代祠官高橋摂津守の次男で源頼朝侍従でもあった高橋鴨次郎吉元(鴨次良吉廣)定められた。奥羽逆徒討伐の際も、頼朝は兵を率いて勝利を祈願、奥州藤原を討伐した。
 天福二年(1234)9月、下総國一之宮より香取宮を此に勧請し合殿となり又、元弘年中、新田義貞(源義貞)が平高時(北条高時)を討伐の際に当宮に参籠、累年の戦いでの疲労を休め、又清め、戦いに挑み勝利した。後、旧古河城であった栗橋城の、守護宮として崇敬され古河に公方が遷る際も足利成氏らが祈願した。
 近世、徳川将軍日光社参に際では立ち寄り安全な旅を祈願した。残された詞に〈白鳩御旗の上に飜り終に朝敵を亡くし武運を開きしにより弥増に神徳他に越たり掛巻も畏き鶴峯八幡宮の神徳本朝鎮護の宗廟文武興隆の祖神にして神光四方にたなび神威宇宙に輝けり永き弓矢の守りとなりて国家を鎮め給うにより、東照君主に至り永禄十一年11月御宮改に付伊奈備前守殿より黒印地盡淦个魎麌蹐擦蕕譴襦2辰佞襪棒酳媾住哀村岡郷四十ヶ村を以てせられる故に神徳愈々顕赫諸人益尊仰し〉とあり、所領三千石、社地五百石を寄与された等日光街道の鎮守として、旅の安全を祈る五柱の神が祀られており旅の者が足踏みをして安全な旅を祈願した。現在も御社の前で足踏みをして、旅の安全や足腰、健康の祈願参りをされている。
 江戸末期から洪水対策、河川改修工事の為の移転、明治の上地、社寺
政策により、破壊、放火、宝物盗難などに合い、一度は存続する事も
危かったとされる。が、縮小されつつも近郊の氏子崇敬者等の尽力にて
再建され存続する事が出来ている。」

 一の鳥居になります。
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 二の鳥居になります。
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 社殿になります。
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 神楽殿になります。
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 境内社の丸山稲荷になります。
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 御朱印は、境内右側にある授与所で頂けました。三種類(鶴峯八幡宮、香取宮、丸山稲荷)ありました。御朱印代は各300円になります。

 御守りや御札といった授与品はありました。またオリジナル御朱印帳もありました。




神社名:鶴峰八幡神社
鎮座地:茨城県古河市中田1337‐6
祭 神:誉田別命 神功皇后 経津主命 倉稲魂命
社格等:旧村社

筑波山真福寺一乗院 北関東三十六不動尊霊場(茨城県つくば市上大島)5

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 茨城県つくば市の筑波山の麓にお寺はあります。

 駐車場はありましたが、自動車で行く場合細い道を行きますので気をつけてください。

 寺伝によれば徳一上人が大同二年(807)に筑波山の四方に一ヶ寺づつ建立され、その西側に建てられたのがこの一乗院になります。当初は法相宗が、修験道を加味し、室町時代には真言宗になりました。

 山門になります。
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 参道を進みます。
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 緑が綺麗です。
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 本堂になります。
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 新しくしたようです。本尊は不動明王になります。

 御朱印は、境内の左側にある納経所で頂けます。御朱印代は300円です。

 こちらから筑波山神社、筑波山大御堂(坂東三十三観音霊場)まで自動車では遠くないのであわせて参拝できます。







寺院名:筑波山 真福寺 一乗院
所在地:茨城県つくば市上大島2594番地
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:不動明王
札所等:北関東三十六不動尊霊場 三十二番札所
御詠歌:もろびとの 利益授くる 不動尊 情筑波の 深き谷川

健田須賀神社(茨城県結城市結城)5

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 茨城県結城市の中心部に神社は鎮座していました。

 最寄り駅はJR水戸線「結城駅」になります。徒歩で神社まで10分位かと思われます。

 神社専用の駐車場はありました。北側に鳥居があり、その右側にあります。自動車は10台以上は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【健田須賀神社】
 茨城県結城市結城浦町の旧県社。延喜式内社(合祀社)。祭神は健田大神・須賀大神。
 例祭は11月15日。7月15日から22日に神輿渡御祭があり、15日に子供の無病安全祈願のおけさ幣を授与する。4月15日に太々神楽を奉納する。7月31日の夏越祭では新茅の茅の輪と疫神を麦藁で作る。
 結城朝光が尾張国の津島神社から勧請し須賀神社と称した。付近にあって衰微した延喜式内社の健田神社を合祀して現社号になる。」

 また、由緒書きによると次の通りです。
「【祭神】
 武渟川別命 須佐之男命
 【由緒】
 健田須賀神社は明治3年に健田神社と須賀神社が現在の地に合祀され、健田須賀神社となりました。
 健田神社は現在の地より2キロ東南の古代より霊峰筑波山を拝する素晴らしい地にありました。そこで祭りを行った事より日の出から暦を察した場所と考えられます(古代祭祀)。やがて神社の形をあらわし、結城の国造竹田臣の祖神武渟川別命を祀りました。日本最古の公式記録集『延喜式』(927)には下総国11社の一つに記されています。以後宝暦14年(1764)小塙乗国寺と習合し、明治3年神仏分離により須賀神社と合祀しました。
 須賀神社は結城家初代朝光公が仁治3年(1242)尾張国の津島神社より御神霊を勧請し、結城家第一の氏神として手厚く祀り、結城家はもとより広く民衆に信仰され、結城の産土神として崇敬されました。特に康永2年(1343)7代直朝公が結城7社を定め、結城108郷の総社として盛観を極めました。18代秀康公(徳川家康次男)は福井移封後も家臣を遣わし変わらずに崇敬しました。
 合祀以降、明治5年に郷社、昭和5年に県社昇格。」


 北側に鳥居があります。
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 案内板。
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 神楽殿。
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 社殿左側にある境内社。
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 社殿になります。
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 参拝指していたら、新車を購入したのか交通安全祈願のご祈祷をしている方々がいらっしゃいました。

 御朱印は授与所にて頂きました。御朱印代は300円です。
 御神札や御守りといった授与品はありました。





神社名:健田須賀神社(たけだすがじんじゃ)
鎮座地:茨城県結城市結城195番地
祭 神:武渟川別命 須佐之男命
社格等:延喜式内社(健田神社) 旧県社 結城総鎮守
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