まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

式内社

甲波宿禰神社 上野国四宮(群馬県渋川市川島)5

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 群馬県渋川市川島に鎮座していました。

 最寄り駅はJR吾妻線「金島駅」になります。徒歩では十数分位かと思われます。

 神社専用の駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【甲波宿禰神社】
 群馬県渋川市川島の旧郷社。延喜式内社。祭神は速秋津彦(はやあきつひこ)神、速秋津姫(はやあきつひめ)神。例祭は10月9日。獅子舞の奉納がある。
 宝亀二年(771)の創建と伝え、上野四の宮である。元慶四年(880)正四位下を授かった。国内神名帳には正一位とある。」

 また、由緒書きには次の通りです。
「『甲波』は川、『宿禰』は貴人を尊ぶ敬称である。吾妻川のほとりに、水を司る『速秋津彦神』と『速秋津姫神』をご祭神として、宝亀二年(771年)と建立された。
 元々社殿は、現在の場所から500メートル東、川沿いに鎮座していた。
 しかし、天明三年(1783年)の浅間山の大噴火の泥流で流出。元々諏訪神社の境内地であるこの高台に場所を移し、再建される事になった。
 京都御所が炎上にあった貞観十八年(876年)清和天皇が火難守護神として祈願した。(水の神は、全国でも少ないため)
 また、戦国の世には、北条・武田・長尾氏らが旧郷社に寄進したと伝えられている。」


 渋川市の中心部から北西、県道35号線から細い道に入ったところに神社は鎮座していました。
 できればコンパクトカーみたいな車で行かれた方がよいかもしれません。

 鳥居
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 社殿
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 社殿内部
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 社号額
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 本殿
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 神楽殿
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 社務所
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 御朱印は、宮司さん宅にて頂けました。宮司さん不在のため書き置きを頂きました。



 
神社名:甲波宿禰神社
鎮座地:群馬県渋川市川島1287番地
祭 神:速秋津彦神 速秋津姫神
社格等:延喜式内社 上野国四宮 旧郷社

小祝神社 上野国七之宮 季節の御朱印(おぼりじんじゃ、群馬県高崎市石原町)5

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 群馬県高崎市に神社は鎮座していました。

 駐車場は社殿の裏にありました。10台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【小祝神社(おぼりじんじゃ)】
 群馬県高崎市石原町の旧郷社。延喜式内社。祭神は少彦名命ほか二十一柱。例祭は4月19日、10月19日。
 元慶四年(880)年に正五位上を授かる。正徳年間(1711〜1716)に間部越前守詮房が社殿を造営した。
 国内神名帳に正一位とあり国内七之宮として崇敬を集める。特に安産守護として有名である。」

 また、由緒書きによると次の通りです。
「群馬県内にある延喜の格式に記載のある十二の神社のうち、七之宮とされている。
 合祀されている祭神は、速玉男命・大日孁命・五十猛神・健御名方神・大國主神・誉田別命・伊弉册命・宇氣母智神・倉稲魂神・大名持神・大山祇命・八衢姫命・菊理姫命・軻遇突智命・八衢彦神・久那止神・市杵嶋姫命・事解男命・素盞鳴命・菅原道真公・藤原家隆卿の二十一柱。旧社格は郷社。ご神紋は『三つ巴』。近くを流れる烏川にかかる橋が聖石橋で、烏川の中に、『聖石』『赤石』『川越石』の三石があるといい、石と関係の深い神社であることがわかる。
 『三代実録』の元慶四年(800)五月二十五日条に、『正五位下、小祝神社』とある。『上野国神明帳』には、『正一位小祝大明神』とあり、群馬県西郡に『息災寺小祝明神』の記載があることから小祝神を奉斎する氏族は国府官人になったと見られ、先の『息災寺小祝明神』は、国府近くに建立された息災寺に氏神として当社から勧請されたものと推測される。
 延長五年(927)成立の『延喜式』神名帳では上野国片岡郡に『小祝神社』と記載され、式内社に列している。尚、同帳では当時の読みとして『オハフリ』と振られている。『ハフリ』は、神に人間の言葉を告げることをいい、転じて神祇官の役職名になった。
 現在の主要社殿は本殿、拝殿から成り、これらが一体となった形式である。ただし、幣殿・拝殿は本殿よりも後の造営になる。現本殿は江戸時代の正徳三年(1713)に高崎城主であった真鍋越前守詮房による造替で、享保二年(1717)に棟上げされた。
 形式は三間社入母屋造で、側面も三間からなり、正面には向拝三間を付す。屋根は、当初は桧皮葺または柿葺であったと見られるが、現在は銅板葺である。本殿内部は外陣(手前二間)と内陣(奥一間)に分かれ、内陣には厨子が安置されている。
 この本殿は、高崎市の神社本殿としては最古であるほか、その背面に嵌め込まれた彫刻パネル(群馬県最古例)が類例の年代判定の指標にもなるとして、棟札・奉納額・寄進銘とともに高崎市指定重要文化財に指定されている。」


 鳥居になります。
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 群馬県知事であった小野寺氏揮毫の社号標です。
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 手水舎になります。
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境内の隣には保育園があります。
 境内自体は広くはありません。桜はかなり散っていました。

 また社号標です。
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 神楽殿になります。
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 社殿です。
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 本殿になります。
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 祭神に藤原家隆卿とあるので、誰かな?と思ったら鎌倉時代に生きた人で、同時期にいた藤原定家と双璧をなすほどの歌人であったとのこと。
 権現造かと思いましたが、拝殿・本殿とも入母屋造かな?

 御朱印は、授与所にて頂きました。
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 季節の御朱印(三種類)の他、主祭神の「少彦名命」と墨書きされた御朱印もありました。御朱印代は各300円です。




神社名:小祝神社
鎮座地:群馬県高崎市石原町1247番地
祭 神:少彦名命
合 祀:速玉男命 大日孁命 五十猛神 健御名方神 大國主神 誉田別命 伊弉册命 宇氣母智神 倉稲魂神 大名持神 大山祇命 八衢姫命 菊理姫命 軻遇突智命 八衢彦神 久那止神 市杵嶋姫命 事解男命 素盞鳴命 菅原道真公 藤原家隆卿
社格等:延喜式内社 旧郷社 上野国七宮
札所等:上野国十二社巡拝

三夜沢赤城神社 御守り(群馬県前橋市三夜沢町)5

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 群馬県前橋市に鎮座する三夜沢赤城神社の御守りです。授与所で頂きました。初穂料600円になります。

 ここのところ神職の方が常駐しているようで、授与所は開いています。
 以前はなかなかいらっしゃらなかったので、式内社だけに残念だなぁと思っていました。

 境内は清々しい感じで良かったです。

 社殿
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 神楽殿かな。
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 由緒を載せておきます(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「勢多郡宮城村三夜沢の旧県社。延喜式内名神大社。祭神は大己貴命・豊城入彦命。
 例祭は5月5日4月初辰日と12月初辰日に春・秋の神幸祭がある。筒粥神事は1月14日で神代神楽を奉奏する。
 崇神天皇朝の創祀と伝える。元慶四年(880)に従四位上を授かる。上野二の宮となり、国内神名帳には正一位とある。徳川家が朱印領を安堵し前橋藩主の酒井氏も崇敬した。
 内外に分社が多い。国幣中社内定中に終戦となる。」




神社名:三夜沢赤城神社
鎮座地:群馬県前橋市三夜沢114番地
祭 神:赤城神 大己貴命 豊城入彦命
社格等:延喜式内社 県社 上野国二宮

大國神社 再拝(群馬県伊勢崎市境下渕名)5

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 群馬県伊勢崎市の南部、旧佐波郡境町の国道17号線(通称:上武道路)沿いに神社は鎮座しています。

 駐車場はありました。自動車は10台以上は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県佐波郡境町下渕名の旧郷社。延喜式内社。祭神は大国主命・日葉酢媛命 渟葉田瓊入媛命・罔象女命・素盞鳴命。例祭は10月22日で獅子舞の奉納がある。7月25日には神輿渡御がある。
 垂仁天皇朝に丹波国から勧請したと伝える。五護宮・第五姫明神と称し、国内神名帳に従一位と記される。淵名三十六郷の総鎮守となる。」

 また、群馬県神社庁伊勢崎佐波支部著「伊勢崎佐波の神社誌」よると次の通りです。
「延喜式神名帳に『上野国大國神社』、上野国神名帳に『従一位大國神社』と記されるのが当社である。
 縁起によれば、第十一代垂仁天皇の九年(約ニ千年程前)四月より天候不順で大干魃が続いたために、疫病が流行り人蓄共に大半が死亡したという。これを深く憂い給いた天皇は、諸国の名神に祈雨のため奉幣し、東国には奉幣使として百済の車臨を遣わした。垂仁天皇十一年九月、その車臨が当地に来て老松の樹下に一夜の宿をとった。翌朝、前の池で手を洗う白髪頭の翁を見つけ名を尋ねると、『吾は大国主命なり。』と答えた。それを聞いた車臨は、『私は疫病平癒と降雨祈願のために、天皇の勅を奉じて遣わされた奉幣使です。どうか国家の大難をお救いください。』と嘆願した。翁は『よし、よし。』と答えるやいなや、その姿は立ち消え、しばらくすると巽(東南)の方角から風が吹き始め、雨が降り始めた。この降雨のおかげで草木は蘇生して五穀豊穣となり、疫病もおさまった。天皇は車臨を賞して左大臣の位を授けると共に、当地を下賜して大国主命を奉斎せしめた。
 同十五年九月、丹波国穴太郷より五媛の宮を奉遷して配祀神とした。その後、称徳天皇の御代の神護景雲元年(767)、勅を奉じて当地に来た従五位上佐位釆女が、大国主命を国の造神と號し、渕名荘三十六郷の総鎮守として当社の社殿を修造した。
 光格天皇の文化元年(1804)現在の社殿に改築し、明治七年には熊谷県北第十六第区の佐位・那波両郡四十二ヶ村の郷社に列せられた。さらに、同四十年三月二十五日、無格社御手洗神社、八坂神社を合祀して今日に至る。
【古老の伝説】
 当神社は古くは五護之宮、五后之宮とも称され、また第五姫大明神と世俗に言われているのは、垂仁天皇の十五年九月、丹波国穴太郷より日葉酢媛命(ひはすひめのみこと)・淳葉田瓊入媛命(ぬはたにいりひめのみこと)・真砥野姫命(まとのひめのみけと)・薊瓊入媛命(あざみにいりひめのみこと)・竹野媛命(たかのひめのみこと)の五姫の宮を奉遷して配祀神としたためと伝えられ、『第五姫大明神』と書かれた古い額面が現存している。」


 11月11日に参拝してきました。
 七五三の季節なので神職の方が詰めていらっしゃいました。しかし、普段は無住の神社になります。延喜式内社なのにとても残念です。

 鳥居になります。
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 先に進むとまた鳥居がありました。
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 社殿になります。
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 社殿には福々しい大黒天と恵比寿天の描かれた絵馬が掲げられていました。
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 なんとも縁起が良さそうです。

 境内には渕名天満宮が鎮座しています。
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 御朱印は、境内右側にある社務所で頂けました。御朱印代は300円です。




神社名:大國神社(おおくにじんじゃ)
鎮座地:群馬県伊勢崎市境下渕名2827番地
主祭神:大国主命
配祀神:日葉酢媛命 淳葉田瓊入媛命 真砥野姫命 薊瓊入媛命 竹野媛命 罔象女命 素盞鳴命
社格等:延喜式内社 上野国五宮 旧郷社 

大洞赤城神社(群馬県前橋市富士見町)5

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 群馬県前橋市にある赤城山の大沼に鎮座する神社になります。

 神社専用の駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「勢多郡富士見村赤城山大洞の旧郷社。祭神は赤城大明神・豊城入彦命・磐筒男命・磐筒女命・徳川家康・大己貴命ほか八柱。例祭は5月8日の山開祭。8月8日の沼祭りには納鏡がある。
 赤城山頂の大沼・小沼は千古の神秘をたたえ、赤城大明神と沼神を祀る。崇神天皇の皇子の豊城入彦命が東国経営にあたり沼霊と大己貴命を奉斎し、允恭・用明天皇の御代に創建されたと伝える。大同二年(807)に大洞に遷座。前橋城主の崇敬があり大老酒井雅楽頭忠清が社殿を造営。徳川家康を合祀して将軍家の処遇を受ける。昭和四十五年(1970)に現在の小鳥ヶ嶋に遷された。」


 山岳信仰の神社になります。
 まだ雪は降っていないので大沼までは自動車まで登れます。
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 あいにく天気が悪い日に参拝し、しかもTシャツ一枚だったので寒くて・・・
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 手水舎になります。
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 社殿になります。
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 御朱印は、境内右側にある授与所で頂けました。御朱印代は300円です。





神社名:大洞赤城神社
鎮座地:群馬県前橋市富士見町赤城山4‐2
祭 神:赤城大明神 大国主神 磐筒男神 磐筒女神 経津主神
相 殿:徳川家康公 大山咋神
社格等:旧郷社 延喜式内社 上野国二宮
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