神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

史跡

深川公園 旧永代寺跡(東京都江東区富岡)5

 成田山東京別院深川不動堂の西側には、「深川公園」がありました。
 
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 写真の通り、いたって普通の公園である。大通りからはかなり入っているので、周辺に住む方々の憩いの場になっており、散歩をされる人や深川不動堂の参拝された後に休憩される人もいるようです。

 歴史的なものをみると、この場所は明治初年にあった神仏分離・廃仏毀釈まで旧永代寺の境内だった場所になります。
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 この土地と深川不動堂を含む土地に旧永代寺があったわけで、深川不動堂は旧永代寺の境内に出開帳されていました。阿弥陀如来を本尊とし、御府内八十八ヶ所の札所であり、境内には江戸六地蔵の一つの地蔵菩薩があったようです。

 残念ながら旧永代寺は明治初年に廃寺、塔頭であった吉祥院が永代寺の名跡を継ぎ、深川不動堂の参道沿いに現在はあります。

御成門(東京都港区芝公園三丁目)5

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 東京港区芝公園には、徳川家の菩提寺で浄土宗大本山になる「芝増上寺」があります。山門や本堂は大きく、さすが徳川家の帰依したお寺だと思います。
 江戸時代には将軍も参詣をしたそうで、特に将軍が出入りした門を「御成門」と称したそうです。

 「御成門」の最寄り駅は、都営三田線「御成門駅」になります。A1出口を出てすぐになります。


 御成門の所には、港区教育委員会が作成した案内板がありました。
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「  御  成  門
 増上寺(徳川家の菩提寺)の裏門としてつくられたが、もっぱら将軍が参詣するさいに用いられたので、『御成門』と呼ばれるようになった。
 初め『御成門』は、現在の御成門交差点にあったが明治二十五年の東京市区改正計画で内幸町から増上寺三門を経て芝公園に至る道路が新設された際に、この位置に移築された。
 その後、増上寺三門や旧庫裡門・徳川家墓地の惣門・二天門とともに関東大震災や太平洋戦争の戦火から難をのがれて今日に及んでいる。

昭和四十八年三月
    
      東京都港区教育委員会

文化財を大切にしましょう。」


 この御成門の場所は、増上寺のそばにある東京プリンスホテルの敷地内?にあります。港区立みなと図書館の道路を挟んで反対側にあります。

 この御成門は、増上寺の所有なのか、東京プリンスホテルの所有なのか、もしくは東京都や港区なのかはわかりません。
どこなのだろうか?

 御成門の保存状態は、かなり悪いような気がします。修復しないのかな?残念です。

 特に拝観料が必要なく、柵越しに見ることができました。

 何でこんなところにひっそりあるのかがわかりませんが、国や都の重要文化財になっても良さそうな感じですが、どうやんでしょうか?

田島弥平旧宅(群馬県伊勢崎市境島村)5

 群馬県伊勢崎市にある「田島弥平旧宅」になります。
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 国指定史跡になっております。

 江戸時代後期から明治時代に生きた「田島弥平」の旧宅になります。
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 まだ、子孫の方がお住まいのようです。拝観するときは、お静かにお願いします。

 駐車場は、少し北にある利根川沿いにある無料駐車場が利用できます。

 少し南に行くと「道の駅おかべ」がありますので、休憩できます。
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 食事やお買い物もできます。道の駅スタンプもありました。

渡辺華山の妹 茂登の墓(群馬県桐生市)3

渡辺華山という人がいた。この人は、江戸時代後期に生きた三河国田原藩の武士であり画家であった。
生没年月日は、寛政5年9月16日(1793年10月20日)〜 天保12年10月11日(1841年11月23日)になる。
鳥居耀蔵が主導して蘭学者を処罰した「蛮社の獄」で自身は蟄居、後に自害をした。

この渡辺華山には「茂登」という妹がいた。
その茂登は、群馬県桐生市にある名士 岩本家 へ嫁いだ。
その妹のお墓がある。
岩本家の菩提寺「諏訪山観音院(所在地:群馬県桐生市東町二丁目13‐18 宗派:真言宗豊山派 本尊:聖観音 札所等:関東八十八ヶ所 十番札所)」のそばだ。
観音院の駐車場の一角にあるといった感じだ。

駐車場の所には、石標がありました。
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平成16年にできたばかりの石標のようだ。
見逃しそうな感じです。

この日限り地蔵観音院の駐車場は、日限り地蔵の縁日(毎月24日)以外は閉鎖されているようだ。

自動車で来られる方は、観音院の向かいにある駐車場を利用してください。

こちらが入り口になる。
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門があるので、入ってはいけなさそうなので、入りませんでした。

外から覗き込むとこんな感じです。
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中央辺りに茂登のお墓がありました。
ひっそりとしています。
茂登の嫁ぎ先にも渡辺華山は訪れていたそうです。

この後、諏訪山観音院や諏訪機神社にも参拝いたしました。

赤堀城跡(群馬県伊勢崎市)3

群馬県伊勢崎市にある「赤堀城跡」に行ってきました。
伊勢崎市の北部、旧赤堀町にあります。

こちらの城跡は、少々わかりづらい所にあります。

自動車で行く場合は、駐車場に困ります。
田原藤太藤原秀郷の宝塔がある「如意山宝珠寺」の駐車場に停めさせていただきました。
歩いて5分位です。

道路沿いの標識になります。
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木々に邪魔されわかりづらいかもしれません。

こちらが赤堀城跡までの道になります。
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なんとも・・・
進んでいって良いのでしょうか?

進んでいくと、開けました。
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こちらが赤堀城跡になるようです。
今は、畑ですね。
個人所有かな?
居て大丈夫なのだろうか

進んでいくと、赤堀城跡を示す木の標がありました。
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その隣には、案内板がありました。
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城址にある案内板より。
「赤堀城は、別名今井城とも言われ、粕川とその支流の鏑木川との自然地形を利用した箇所に築かれ、東西約170m、南北約350mの範囲を占める。
一辺約80mの本丸を中心とした部分には、土居、堀、戸口があり、他にも、二ノ丸、城域の外側には一小郭があったと考えられ、赤城山南麓に特徴的な本丸を囲郭式とした並郭城である。
赤堀城は藤原秀郷の末裔とされる赤堀氏の居城で、赤堀下野守親綱の時に由良氏の幕下となり、その子影秀までは赤堀城に在城した。
その後、後北条氏幕下の小菅氏が在城したが、天正十八年後北条氏滅亡と共に赤堀城も廃城となった。
赤堀城跡は赤堀氏の居城とされているが、赤堀氏の活動の記録は少なく、不明な点が多い。
そのため、赤堀城跡は、当時の赤堀氏の動向を知る重要な文化財である。
なお、指定については、県道前橋赤堀線の北に位置する本丸を中心に定めたものである。」


案内板のお隣には、宝塔や庚申塔等がありました。
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何か謂れがあるのでしょうか?
案内板には、説明がありません。
田原藤太の宝塔は、近くの宝珠寺にあるし・・・
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