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 埼玉県東松山市の中心部に神社は鎮座していました。

 最寄り駅は、東武東上線「東松山駅」になります。西口から徒歩で5分位かと思われます。

 駐車場は、一の鳥居をくぐり参道の左側にありました。自動車は、十数台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県東松山市箭弓町の旧県社。神社本庁別表神社。祭神は保食神(うけもちのかみ、宇迦魂命)。
 例祭は3月初午の日、9月21日。3月の初午大祭は三日間の火伏神事が行われる。牡丹祭りは4月下旬から5月初旬までの15日間で一千本以上の牡丹が咲き誇る。
 社伝によれば、長元元年(1028)に平忠常が下総で乱を起こし、源頼信が追討を命じられた。当地に一泊した。そのとき、白狐に乗った神人が現れて弓箭を授ける霊夢をみた。頼信は凱旋してから一祠を建立したという。元和二年(1616)に、領主の松平家が幕府に願い出て社殿を造営した。また、天海大僧正を招いて福聚寺を草創して別当とした。明治維新により現社号に改めた。」

 また、國學院大学日本文化研究所編「神道辞典」によると次の通りです。
「【箭弓稲荷神社】
 〈祭神〉宇迦魂神(うかのみたまのかみ)
 〈例祭日〉9月21日 〈神事〉初午大祭、火伏神事、牡丹祭
 〈由緒〉社伝によれば、長元元年(1028)下総に起きた平忠常の乱に際して、追討の命を受けた源頼信は、この地に白狐に乗った神人から弓箭(ゆみや、弓矢)を授かる霊夢を見たという。また、勝利をおさめた頼信が箭弓稲荷大明神と称して社殿を建立したのが創建とされる。元和二年(1616)、領主松平氏は社殿を造営し、天海を迎えて福聚寺を建立、これを別当にあてた。明治の神仏分離で別当を廃し、現社号に改称した。商売繁盛、開運の信仰で知られ、関東有数の牡丹園がある。
 〈旧社格〉県社(大正十一年)」


 関東の稲荷神社の中では有名な部類の神社ではないかと思われます。

 鳥居
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 進むと鳥居。
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 また鳥居。
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 社殿になります。
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 権現造と言われていますが、入母屋造の拝殿と流造の本殿を繋げた権現造でしょう。

 奥宮になります。
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 境内にある牡丹園は4月中旬から5月上旬が見頃になります。早めの参拝をお薦めします。

 境内の右側には「團十郎稲荷」が鎮座していました。
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 御朱印は、境内の右側にある「授与所」で頂きました。御朱印代は300円でした。

 御守りや御神札等の授与品がありました。
 また、牡丹の柄が入ったオリジナル御朱印帳がありました。初穂料1,100円(御朱印代込)、大きさは横12cm×縦18cmになります。紙質は普通かと思われます。

 参集殿の右側に大きな御朱印(´・ω・`)
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 授与所前にはお狐様
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神社名:箭弓稲荷神社
鎮座地:埼玉県東松山市箭弓町二丁目5‐14
祭 神:保食神
社格等:旧県社 別表神社