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 最寄り駅は、秩父鉄道「秩父駅」もしくは「御花畑駅」になります。

 神社専用の駐車場はありました。


 こちらの神社の由緒は以下通りです。
「今宮神社は、その前身を長岳山正覚院金剛寺(1038)大宮山満光寺(984)といいました。この両寺創立以前からこの地に、伊邪奈岐大神・伊邪奈美大神が祀られていました。大宝年間(701〜704)には、役行者(えんのぎょうじゃ)がこの地に、飛来して八大龍王を合祀し、八大社と呼ばれていました。毎年四月四日の秩父神社のお田植祭は、今宮神社の水幣(みずぬさ=龍神池の水)を以って行われ、秋の収穫の喜びが十二月三日の秩父夜祭りを盛りあげるといわれています。
奈良時代には宮中八神(大宮売神・高産日神・神産日神・生産日神・足産日神・事代主神・玉積産日神・御食津神)が祀られ、降って大日如来が習合され、八大権現社と観音堂(十一面、後に聖観音)を創建・相前後して満光寺弁天堂が創られました。天文四年(1535)には当地に疫病が流行したため、京都今宮神社より須佐之男命(すさのおの命=健康神・樹木神)を勧請して今宮神社を創建しました。
 永禄十二年(1569)には一山を総称して聖護院直末(じきまつ)『長岳山今宮坊』と称し諸国先達二十九寺の一として又本山派年行事職として栄えました。
 降って天正十九年(1591)には徳川幕府より御朱印地十石、除地七石を賜わり、組下四十九寺を結集して秩父霊地の発展に務め、元禄十四年(1701)長生院神門寺(現十八番札所)と共にまっさきに『江戸開帳』を行って、江戸−秩父間の交通路を拡き、秩父二十四札所の紹介と発展に貢献したと伝えられています。
 明治維新時には、神仏分離令により、今宮坊は今宮神社と今宮観音堂(現十四番)に分けられ、更に昭和二十七年には児童館建設のため、旧社殿は黒谷の聖神社に寄進され、境内地も境内建物も縮少のやむなきに至りました。しかし御祭神をはじめ、御神体、御朱印、社宝、古地図、古文書、歴代の別当、宮司の墓所、それに由緒とその精神は当神社に継承されて今日に至っています。
御神意と時代の要請に則り、昭和二十年代より凡そ五十年間、神域を児童公園として解放、秩父市と協力して地域住民の心身の健康を祈つて、福祉事業に専念いたしました。
 ここに遊び育った、かつての子どもたちも心身健やかに成人して郷土社会の立派な担い手となりました。
 ここに御神意の大成成就を御神前に報告し、神域を本来の姿に復したく、長い由緒を踏まえ、新らたな決意を以て当神社の歩みを始めました。」


 入り口になります。
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 役ノ行者を祀るお社になりました。
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 神社で修験道の役ノ行者を祀るとは珍しいですが、創建の経緯を考えるとわかります。

 鳥居になります。
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 社殿です。
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 御朱印は、境内の左側にある授与所で頂けました。八種類あり、御朱印代は各500円になります。

 御守りや御札といった授与品はありました。




神社名:秩父今宮神社
鎮座地:埼玉県秩父市中町16‐10
祭 神:八大龍王神 役尊神(役小角=役行者=神変大菩薩) 聖観音神 伊邪那岐大神 伊邪那美大神 須佐之男命 弁財天 宮中八神(大宮売神 高御産霊神 神御産霊神 生産霊神 足産霊神 事代主神 御食津神 魂積産霊神)
社格等:旧村社