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 群馬県高崎市の北部、旧榛名町に神社は鎮座していました。

 ホームページによると近くまでバスが来ております。ご確認ください。

 神社専用の駐車場は見当たりませんでした。少し離れたところに市営無料駐車場があります。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(案内板による)。
「社伝によれば、綏靖天皇の御字饒速日命の子可美真手命父子が榛名山中に神籬を立て、天神地祇を祭ったのを始めとし、用明天皇(585)丙午の年に祭祀の場が創建されたといわれています。
 延長五年(927)完成の延喜式神名帳に上野国十二社のひとつとして位置づけられていた由緒ある神社で、古くから神仏習合が定着し、境内地の山中には九世紀頃の僧坊と思われる厳山遺跡があります。建久元年(1190)上野国司留守所にあてた下文によれば鎮護国家恒化修良の霊地として榛名寺領内に健児・検非両使の立ち入りが停止されるなど保護の手がさしのべられていました。
 中世には上野国六の宮と位置づけられ、南北朝時代は山内でもそれぞれの勢力と結びついて主導権争いが展開されました。結果として、北朝に組していた頼印は榛名山の支配者になり、さらには鎌倉に移り主要な寺院の要職に任命され、頼印と室町幕府の関わりから榛名山は室町幕府の手厚い庇護を受けることになります。戦国時代には、この地方を支配した武将が俗別当として配下の者を任命し、榛名山を尊崇しました。近世は東叡山輪王寺宮兼帯所となり、榛名山厳殿寺・満行宮と称していました。関東甲信越、奥州と信仰圏を拡大し、それら各地の村々で講組織が結ばれ、榛名詣でが盛んになりました。それら村々の講組織は榛名講とよばれ、その組織は現在も続いております。
 明治の神仏離令により、榛名神社という社号に復しました。『天下太平、国家安穏、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、鎮火、開運、縁結び、安産守護』の神として崇敬を受けているのに加え、近年は主祭神が火と土の神様であることから、土木、電力、電気、通信機器、陶磁器などの関係者の守護神としての信仰も盛んになって参りました。」


 鳥居から社殿まではかなり歩きます。

 一の鳥居
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 神門
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 参道
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 杉
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 手水舎です。
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 まだまだ行きます。
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 三重搭がありました。
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 ようやく社殿に近くなってきました。
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 神楽殿になります。
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 社殿になります。
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 本殿と御姿岩です。
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 上の方に幣束がありました。

 社殿の左側にある「国祖殿」は修理中になり、参拝することはできません。
 明治以前は「本地堂」とよばれ、勝軍地蔵が祀られていたそうです。現在の祭神は「豊城入彦命、彦狭島命、御諸別命」の三柱になります。摂社としての位置付けになり、社殿は「国指定重要文化財」になっています。

 境内社です。秋葉社かな?
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 御朱印は、授与所で頂きました。御朱印代は500円です。

 「榛名神社御守(初穂料500円)」を一体頂きました。その際に由緒書きはを頂きましたが、通常100円ですが無料でした。御朱印を頂くときにお願いしてもそうだと思います。






神社名:榛名神社
鎮座地:群馬県高崎市榛名山町甲849番地
祭 神:火産霊神 埴山毘賽神
合 祀:大山祇神 御沼龗神 大物主神 木花咲耶姫神
社格等:延喜式内社 旧県社 上野国六宮