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 群馬県桐生市の中心部から少し北にお寺はありました。

 最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」になります。

 お寺専用の駐車場はありました。


 こちらの寺院の由緒は次の通りです(桐生仏教会刊『積善 桐生のお寺』による)。
「此地、昔梅原館に桐生城主住みし頃、お茶水を取りし地と伝う。其後寛永年間、鳳仙寺八世と称す應山牛喚大和尚の時、開創せるものなりと。天保十四年3月荒神火事ありしも風上なりし為、焼失を免れたりと、当時も由緒書にあるが如く、寛永年間應山牛喚大和尚の開山なって草創された寺である。然し此の寺も、何の理由か古記録の類がなくて、わずかに過去帳の裏表紙に記されている。荒神大火の記録天保十四年だけであとはほとんど何もない。ただ寺の所伝の中に、此地は嘗て梅原館が桐生氏によって使用されていた頃ここに浅井戸があり、その水質がよかった為に、その水が館の御茶水に使われていたという話である。その井戸は現在でも残っています。桐生城のお茶水は、桐生城の東南口である岡平の登山口のすぐ近くに、今でも水がわき出てで附近の民家で使用されているが、ここから梅原館まで運ぶのは大変だから館の近くで水がわき出ているのでお茶の水に使用したかもしれないのである。
 然し桐生氏は滅亡し、由良氏も亦この地より牛久に遷されてこのお茶の水も不要になったので、そのあとの井戸周辺の空地が應山和尚に目をつけられて一寺建立となった。無実の下手人金八さんを偲ぶ火あぶり地蔵尊と、台石が六地蔵尊の隣りに祀られてある。大正年間本堂の脇に不動堂が建立になり、此に不動明王を安置したが、これは荒神火事で焼失した神恵寺から頼まれて安置したものです。この頃久昌寺に正式に譲られました。昭和四十五年此の不動堂に修復を加え、本堂に改めて本尊に定め、従来の聖観世音菩薩も脇仏として安置することになりました。
 平成四年1月ある市民有志により『桐生七福神めぐり』が誕生しました。七福神は、インド・中国・日本の三国の神様が集まっています。最初はいろいろな神様を参っていたのでしょうが7つに収れんされたのです。それだけにご利益のある神様ベスト7なのです。当時は恵比須神を祀る。商売繁盛、旅行安全、豊漁など庶民救済の神です。本堂に向かいあった場所に建つ小さな御堂の中に釣りざおを持ち右手を高くあげ、左わきに大きな鯛を抱えた立像が祀られています。」


 群馬大学の少し北、桐生女子高校の少し南といった感じのところにあります。

 入口になります。
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 境内の多くは墓地となっています。

 六地蔵
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 恵比須堂
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 中を覗くと木造恵比須立像がいらっしゃいました。
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 桐生七福神の一尊になります。

 水子地蔵立像
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 石造恵比須立像
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 こちらの恵比須様も桐生七福神の一尊と考えてよいのかな?

 撫で仏
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 こちらが本堂になります。
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 曹洞宗でありながら本尊は不動明王というお寺になります。由緒をみると元は聖観音が本尊だったのかな?

 御朱印は、境内の右側の庫裡で頂けます。御朱印代は300円です。





寺院名:桂林山 久昌寺
所在地:群馬県桐生市天神町三丁目15‐12
宗 派:曹洞宗
本 尊:大聖不動明王
札所等:桐生七福神 恵比須神