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 群馬県伊勢崎市の南部、旧佐波郡境町の国道17号線(通称:上武道路)沿いに神社は鎮座しています。

 駐車場はありました。自動車は10台以上は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は以下通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「群馬県佐波郡境町下渕名の旧郷社。延喜式内社。祭神は大国主命・日葉酢媛命 渟葉田瓊入媛命・罔象女命・素盞鳴命。例祭は10月22日で獅子舞の奉納がある。7月25日には神輿渡御がある。
 垂仁天皇朝に丹波国から勧請したと伝える。五護宮・第五姫明神と称し、国内神名帳に従一位と記される。淵名三十六郷の総鎮守となる。」

 また、群馬県神社庁伊勢崎佐波支部著「伊勢崎佐波の神社誌」よると次の通りです。
「延喜式神名帳に『上野国大國神社』、上野国神名帳に『従一位大國神社』と記されるのが当社である。
 縁起によれば、第十一代垂仁天皇の九年(約ニ千年程前)四月より天候不順で大干魃が続いたために、疫病が流行り人蓄共に大半が死亡したという。これを深く憂い給いた天皇は、諸国の名神に祈雨のため奉幣し、東国には奉幣使として百済の車臨を遣わした。垂仁天皇十一年九月、その車臨が当地に来て老松の樹下に一夜の宿をとった。翌朝、前の池で手を洗う白髪頭の翁を見つけ名を尋ねると、『吾は大国主命なり。』と答えた。それを聞いた車臨は、『私は疫病平癒と降雨祈願のために、天皇の勅を奉じて遣わされた奉幣使です。どうか国家の大難をお救いください。』と嘆願した。翁は『よし、よし。』と答えるやいなや、その姿は立ち消え、しばらくすると巽(東南)の方角から風が吹き始め、雨が降り始めた。この降雨のおかげで草木は蘇生して五穀豊穣となり、疫病もおさまった。天皇は車臨を賞して左大臣の位を授けると共に、当地を下賜して大国主命を奉斎せしめた。
 同十五年九月、丹波国穴太郷より五媛の宮を奉遷して配祀神とした。その後、称徳天皇の御代の神護景雲元年(767)、勅を奉じて当地に来た従五位上佐位釆女が、大国主命を国の造神と號し、渕名荘三十六郷の総鎮守として当社の社殿を修造した。
 光格天皇の文化元年(1804)現在の社殿に改築し、明治七年には熊谷県北第十六第区の佐位・那波両郡四十二ヶ村の郷社に列せられた。さらに、同四十年三月二十五日、無格社御手洗神社、八坂神社を合祀して今日に至る。
【古老の伝説】
 当神社は古くは五護之宮、五后之宮とも称され、また第五姫大明神と世俗に言われているのは、垂仁天皇の十五年九月、丹波国穴太郷より日葉酢媛命(ひはすひめのみこと)・淳葉田瓊入媛命(ぬはたにいりひめのみこと)・真砥野姫命(まとのひめのみけと)・薊瓊入媛命(あざみにいりひめのみこと)・竹野媛命(たかのひめのみこと)の五姫の宮を奉遷して配祀神としたためと伝えられ、『第五姫大明神』と書かれた古い額面が現存している。」


 11月11日に参拝してきました。
 七五三の季節なので神職の方が詰めていらっしゃいました。しかし、普段は無住の神社になります。延喜式内社なのにとても残念です。

 鳥居になります。
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 先に進むとまた鳥居がありました。
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 社殿になります。
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 社殿には福々しい大黒天と恵比寿天の描かれた絵馬が掲げられていました。
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 なんとも縁起が良さそうです。

 境内には渕名天満宮が鎮座しています。
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 御朱印は、境内右側にある社務所で頂けました。御朱印代は300円です。




神社名:大國神社(おおくにじんじゃ)
鎮座地:群馬県伊勢崎市境下渕名2827番地
主祭神:大国主命
配祀神:日葉酢媛命 淳葉田瓊入媛命 真砥野姫命 薊瓊入媛命 竹野媛命 罔象女命 素盞鳴命
社格等:延喜式内社 上野国五宮 旧郷社