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 群馬県伊勢崎市の南部、旧佐波郡境町に神社は鎮座していました。
 神社の周辺は日光例幣使街道の境宿になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「境町駅」になります。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(群馬県神社庁伊勢崎佐波支部著『伊勢崎佐波の神社誌』より)。
「当社の創建は、戦国期に領主の小此木左衛門長光が、守護神として生国能登国石動(いするぎ)明神の分霊を境城内に奉斎した、大永年間(1521〜1527)とされている。長光の子左衛門次郎は、正親町天皇の御代の元亀三年(1572)、武運長久を祈って稲荷の神像と石製の剣を奉納し、石剣権現(いするぎごんげん)と称した。
 後陽成天皇の天正十八年(1590)、小此木氏が当地を退去すると、郷民は当社を鎮守社と定め、石剣(いするぎ)稲荷大明神と改めた。
 昔この地は仮宿と呼ばれたが、後に那波・新田両郡の境にあるため境村となり、後光明天皇の正保四年(1647)に例幣使街道が開設され宿場町となると次第に町並みも形成され、慶安年間(1648〜1651)には、境町となった。
 桃園天皇の宝暦十一年(1761)拝殿が造営され、後桜町天皇の明和三年(1766)には大室村の石工により石鳥居が建立された。後桃園天皇の安永二年(1773)社前に挿花絵馬(境町最古の絵馬)が奉納され、光格天皇の享和元年(1801)には氏子の発起により現在の社殿が建立されている。その後も酒造家日野屋大助による寄進などがあって神域も整備され、明治七年には村社に列せられた。
 同四十年九月、芸大通末社菅原神社・八幡宮・疱瘡神社ほか町内の諏訪神社・境内末社八幡宮・八坂神社・境内末社稲荷神社・神明宮・菅原神社・琴平宮・秋葉神社を合祀し、現在の瑳珂比神社と改称して今に至る。」


1月1日に参拝してきました。
 群馬県内はニューイヤー駅伝のため時間帯により通行止めの所があり困りました。


入り口になります。
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 二の鳥居になります。
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 社殿になります。
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 東向に建てられています。

 社殿全景になります。
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 鳥居を入り、右側には社務所兼授与所がありました。御朱印を頂きました。御朱印代は300円です。
 また、御札や御守りといった授与品が頂けます。御守りや御神札は一体500円になります。




神社名:瑳珂比神社(さかいじんじゃ)
鎮座地:群馬県伊勢崎市境493番地
祭 神:倉稲魂命
配 祀:大日孁神 火雷霊命 菅原道真公 誉田別命 建御名方神 素盞鳴神 大物主命 鎮西八郎為朝命
社格等:旧村社 神饌幣帛料供進神社