茨城県結城市の南部、国道50号線の「鹿窪運動公園入口」交差点からしばらく南下すると神社は鎮座していました。
駐車場は神社裏側の道路沿いにありました。
こちらの神社の由緒は、次の通りです(由緒書きによる)。
「結城諏訪神社由緒
《由緒》
諏訪神社の創建は天慶三年(904年)にさかのぼります。当時新皇を名乗り関東独立の反乱を起こした平将門に対して、藤原秀郷や平貞盛等に討つべしとの宣旨が下りました。そこで将門打倒の戦勝祈願のために、信濃諏訪大社より諏訪大明神を当地に勧請したことに始まります。秀郷はここに陣を張り、敵地の方角(山川沼近くの将門の出城で、当地の約2キロ南方)へ鏑矢を放ち戦勝を願ったといいます、今も1月27日に行われている弓引きの神事は、この故事にちなんだものです。同年2月14日の戦で将門は討ち死にし、乱は鎮圧されました。反乱鎮圧の功績により下総、下野両国の守護となった秀郷は諏訪大明神に戦勝を謝して所持の鏑矢を奉納し、神田等を数多く寄進しました。
その後、文治五年(1189年)に源頼朝の奥州攻めの際に、それに従った小山朝政、結城朝光が諏訪神社に勝利を祈願し、戦勝後は神恩に報いるため神田数項を寄進しました。
《御祭神》
諏訪神社の御祭神である建御名方神は大国主命の次子である武勇に優れた勇壮な神として知られます。古事記にある国譲りの際に天津神の交渉を拒み、武御雷命に抗し、敗れたものの国津神一の武神として名を馳せました。後に信濃の諏訪の家に退き、諏訪大社の祭神となります。創建のきっかけとなった将門鎮圧や、奥州攻めの際に神威を発揮し、また当地域の産渡神としてこの土地の安寧を護りつづけております。
《ご利益》
諸難突破、勝負事」
横綱「稀勢の里」が大関の時に参拝をした神社になります。
鳥居になります。
何だかパワーがありそうです。
いわゆる菅原道真公が祀れています。
「万事必勝の御札」という授与品があります。他にも御守りや御神札がありました。必勝祈願の御祈祷を受けたそうです。
村の鎮守さまといった雰囲気の神社です。
御朱印は授与所にて頂きました。御朱印代は500円になります。
同市内に鎮座する「健田須賀神社」までは自動車で約15分位になります。
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