茨城県結城市の中心部に神社は鎮座していました。
最寄り駅はJR水戸線「結城駅」になります。徒歩で神社まで10分位かと思われます。
神社専用の駐車場はありました。北側に鳥居があり、その右側にあります。自動車は10台以上は停められそうです。
こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「【健田須賀神社】
茨城県結城市結城浦町の旧県社。延喜式内社(合祀社)。祭神は健田大神・須賀大神。
例祭は11月15日。7月15日から22日に神輿渡御祭があり、15日に子供の無病安全祈願のおけさ幣を授与する。4月15日に太々神楽を奉納する。7月31日の夏越祭では新茅の茅の輪と疫神を麦藁で作る。
結城朝光が尾張国の津島神社から勧請し須賀神社と称した。付近にあって衰微した延喜式内社の健田神社を合祀して現社号になる。」
また、由緒書きによると次の通りです。
「【祭神】
武渟川別命 須佐之男命
【由緒】
健田須賀神社は明治3年に健田神社と須賀神社が現在の地に合祀され、健田須賀神社となりました。
健田神社は現在の地より2キロ東南の古代より霊峰筑波山を拝する素晴らしい地にありました。そこで祭りを行った事より日の出から暦を察した場所と考えられます(古代祭祀)。やがて神社の形をあらわし、結城の国造竹田臣の祖神武渟川別命を祀りました。日本最古の公式記録集『延喜式』(927)には下総国11社の一つに記されています。以後宝暦14年(1764)小塙乗国寺と習合し、明治3年神仏分離により須賀神社と合祀しました。
須賀神社は結城家初代朝光公が仁治3年(1242)尾張国の津島神社より御神霊を勧請し、結城家第一の氏神として手厚く祀り、結城家はもとより広く民衆に信仰され、結城の産土神として崇敬されました。特に康永2年(1343)7代直朝公が結城7社を定め、結城108郷の総社として盛観を極めました。18代秀康公(徳川家康次男)は福井移封後も家臣を遣わし変わらずに崇敬しました。
合祀以降、明治5年に郷社、昭和5年に県社昇格。」
北側に鳥居があります。
参拝指していたら、新車を購入したのか交通安全祈願のご祈祷をしている方々がいらっしゃいました。
御朱印は授与所にて頂きました。御朱印代は300円です。
御神札や御守りといった授与品はありました。
神社名:健田須賀神社(たけだすがじんじゃ)
鎮座地:茨城県結城市結城195番地
祭 神:武渟川別命 須佐之男命
社格等:延喜式内社(健田神社) 旧県社 結城総鎮守
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