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 埼玉県比企郡吉見町に寺院はありました。

 参道の入り口に駐車場はありました。自動車は10台位は停められそうです。

 最寄り駅は、東武東上線「東松山駅」になりますが、徒歩で吉見観音まで行くのは無理ですし、バスもありそうにはないです。
 できれば自動車で行かれた方が宜しいかと思われます。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県比企郡吉見町御所にある真言宗智山派の寺院。岩殿山。光明院。坂東三十三か所十一番札所。通称吉見観音。
 本尊は行基作と伝える聖観音。観音堂は坂上田村麻呂開基と伝えるが未詳。
 果鏡が江戸初期に中興し、三重塔・護摩堂などを再建したといわれる。
 江戸期には本尊は大日如来で、古来信仰を集めた観音堂を護持することにより発展したといわれる。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「埼玉県比企郡吉見町御所374。岩殿山と号し、吉見観音の通称がある。真言宗智山派。坂東三十三ヶ所第十一番札所。
 慈光寺・正法寺(板東九、十番)とともに比企三山と呼ばれる。
 近くには有名な吉見百穴の古代横穴古墳群がある。
 行基自刻の観音像を得たこの地の豪族吉見氏による開創の伝、また坂上田村麻呂が奥州進攻の途上、この地の岩窟からもれ出る光を怪しみ、その光が窟内の観音像から発すると知るや、直ちに伽藍を建立したのであるとの伝もある。
 源頼朝の弟、範頼が稚児僧としてこの寺に隠れ住み、頼朝挙兵に従った功により、この地の領主となった時には所領の半分を寄進して、寺院も大いに栄えた。範頼の死後に一時廃絶し、現在の三重塔は寛永年間(1624〜1644)の建立。
 本尊は聖観音。
 御詠歌は、
  吉見よと天の岩を押し開き
   大慈大悲の誓いたのもし」


 こちらの寺院は「坂東三十三観音霊場十一番札所」になり、「吉見観音」の名で知られているお寺になります。
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 坂東以外に関東八十八ヶ所、東国花の寺百ヶ寺の札所でもあります。
 埼玉県内にある慈恩寺・正法寺とともに「比企三山」と呼ばれています。

 参道には厄除団子を売るお店がありました。おいしく頂きました。
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 隣には食事がとれるスペースがあり、うどん定食等がありました。お昼に参拝しなかったので頂いておりません。

 坂上田村麻呂ゆかりの寺院になります。

 入り口になります。立派な仁王門です。
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 境内は本堂の他に「吉見大仏」という阿弥陀如来坐像がありました。
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 吉見大仏の右側には「山王社」が鎮座していました。
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 こちらのお寺の鎮守社でしょうが、山王社というと天台宗のイメージがあります。稲荷堂でもじゃなかったのかな。

 境内の左側には薬師堂がありました。
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 境内の全景になります。
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 本堂になります。
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 本尊は聖観音になります。坂東三十三観音霊場の札所本尊になります。
 本堂内には大きな大黒天像がありました。福々しい笑顔でした。

 扁額になります。
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 山号の「岩殿山」、「補陀洛」という観音様のおわす場所を示す扁額もなかなか立派です。

 本堂の右側には三重塔、太子堂がありました。
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 御朱印は、本堂の左側にある「納経所兼授与所」で頂きました。
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 御朱印代は300円でした。
 坂東三十三観音霊場の御御影を一体(100円)も頂きました。
 御朱印を頂いた際に般若心経を写経したものを納経させて頂きました。

 御守りや御札といった授与品はありました。




寺院名:岩殿山 光明院 安楽寺
所在地:埼玉県比企郡吉見町御所374番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:聖観音
通 称:吉見観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十一番札所
    関東八十八ヶ所 七十五番札所
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:吉見よと 天の岩戸を 押し開き 大慈大悲の 誓いたのもし