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 東京都港区の芝公園内にある浄土宗大本山の寺院になります。

 最寄り駅は、都営三田線「御成門駅」・「芝公園駅」都営浅草線・大江戸線「大門駅」になります。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(吉川弘文館刊『日本仏教史辞典』による)。
「東京都港区芝公園にある寺院。浄土宗の大本山。三縁山広度院。縁山とも。
 もと光明寺という真言宗寺院。江戸豊島郡貝塚にあったが、明徳四年(1393)聖聡が改宗して増上寺と改名、千葉氏・佐竹氏などの寄進によって堂宇を再建、江戸における念仏布教の中心寺院になった。文明三年(1471)戦乱によって焼失したが復興され、十世存貞ごろには伝法道場となり、学問所としての基礎が完成した。天正十八年(1590)徳川家康の入府と同時に師檀関係ができ、徳川家の菩提所として興隆した。慶長三年(1598)現在地に移され、同十年には徳川家康の援助によって大造営が開始され、数年を費やして大伽藍が完成した。同十三年は常紫衣の勅願所となり、同十八年家康は寺領千石を安堵し、高麗・元・宋版三大蔵経を寄進して寺内の整備につくした。やがて総本山知恩院と肩を並べ、実力は浄土宗第一になった。元和元年(1615)には檀林の筆頭として多くの所化をかかえ、僧録所として一宗を統制する機関となった。また家康をはじめ徳川家の御霊屋が建ち、これをまもる別当として奉仕し寺院ができて多くの寺領が加増された。承和元年(1652)の一山には百二十余の建物が並び、当時三千名にのぼる学僧がいたという。数度の火災にあったがそのつど復興され、明治八年(1875)には大本山となった。昭和四十九年(1974)近代技術を駆使して大伽藍が完成、境内も整備されて近代的な寺院に生まれかわった。
 なお昭和三十八年徳川家廟所の改葬時調査が行われ、学会に貴重な資料を提供した。
 寺宝のうち『法然上人伝』二巻と宋・元・高麗の三大蔵経は重要文化財。その他絵画には『五百羅漢像』『浄土五祖図』などがあり、彫刻には家康の守り本尊であった黒本尊をはじめ、釈迦三尊など多数。古文書・記録類の多くは数度の火災で焼失したが、まだ数百点に及ぶ古文書と日鑑が現存し、史的解明に役立っている。」


 言わずと知れた浄土宗大本山で「徳川家の菩提寺」になる寺院です。
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 さすが徳川家康が帰依したお寺だけにあって、本堂は大きいです。
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 隣の安国殿は本堂に比べたら小さいですが、やはり大きいです。
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 安国殿の前にある西向観音堂まで参拝する人は、なぜか少ないです。
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 御朱印は、安国殿で頂けます。黒本尊の御朱印を頂きました。御朱印代は300円です。






寺院名:三縁山 広度院 増上寺
所在地:東京都港区芝公園四丁目7‐35
宗 派:浄土宗
寺格等:大本山 関東十八檀林
本 尊:阿弥陀如来
札所等:昭和新撰江戸三十三観音霊場 二十一番札所
御詠歌:ありがたや 西向観音に 詣る身は 現世安穏 後生極楽