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 東京都文京区に神社は鎮座していました。

 護国寺の近くにあり、門前を東西に走る「不忍通り」を少し東に行き、「坂下通り入り口」という交差点を北に少し行ったところに神社はありました。

 最寄り駅は、東京メトロ有楽町線「護国寺駅」になります。
徒歩では一番出口を出て6〜7分位はかかりそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(由緒書きによる)。
「元和八年創立。徳川二代将軍秀忠公が下野国日光山より稲荷大神の御神体を戴き、江戸城中大奥紅葉山吹上御殿内に『東稲荷宮』と称して祀り幕府が崇敬、武家諸公の信仰も篤かった。
 しかし、五代将軍綱吉公の時代に『老中堀田・柳沢事件』(俗称『吹上騒動』)の余波を受け、神田一ツ橋外護持院ケ原(現 共立女子大学付近)に遷座された。
 その後、副将軍水戸家分家である松平大学頭が徳川家より拝領、武蔵国北豊島郡小石川御組屋敷御箪笥町の松平大学頭邸内(現 教育の森公園)に移遷し祀られた。
 宝暦元年、大塚村民鎮守神として松平家より拝受し善仁寺付近(現 小石川四丁目)に遷祀、崇敬者も武家に限らず多数に及んだ。また、この時に江戸城内中大奥紅葉山吹上御殿に鎮座せられるを以て、誰言うことなく『東稲荷宮』を『吹上稲荷社』と替え奉り、今日の社名に改名した。
 後に護国寺月光殿 薬師寺付近に遷祀し薬師寺良弁師が別当を行い奉仕したが、明治五年の太政官布告による神仏分離のため大塚上町に仮遷し祀られ、明治十五年には大塚仲町(現 大塚三丁目)に移遷し祀られた。そして明治四十五年、市区改正のため現在地である大塚坂下町に遷座し奉り、今日に及ぶ。
 当社には 神殿に『稲荷宮』の額と、神座前に錦の『徳川正記三葉葵』の神紋がある。また、石造りの二ノ鳥居は宝暦三年 石工嘉兵ヱ作、石造りの御神狐一対は宝暦十二年 上町御組屋敷・中町(仲町)・坂下町・久保町(窪町)より奉納された。
 尚 この御神狐は、石造りの一対としては現存する最古のものとされている。」


 周辺は住宅地でとても静かです。

 通り沿いに一の鳥居がありました。
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 社号標です。
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 参道を進むと二の鳥居がありました。
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 境内はさほど広くはありません。

 手水舎です。
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 手と口を漱いで参拝です。

 こちらが社殿になります。
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(´人`)

 神輿倉かと思われます。
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 中が見れません。

 御朱印は、境内の右側にある社務所で頂けました。
御朱印代は300円です。

 こちらが社務所です。
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 由緒書きはありました。




神社名:吹上稲荷神社
鎮座地:東京都文京区大塚五丁目21‐11
祭 神:保食之大神(うけもちのおおかみ)
旧 称:東稲荷宮 吹上稲荷社
社格等:?