群馬県桐生市に鎮座する「常祇稲荷神社」に参拝してきました。
「つねぎいなりじんじゃ」と読みます。

桐生市の中心部、本町通りから少し引っ込んだ所に鎮座しています。

最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」になります。
駅から神社まで少々歩きます。

細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけてください。

神社の専用駐車場はありますが、常時チェーンがかかっています。
自動車は、社務所前に数台は停められそうです。


こちらの神社の由緒は、以下の通りです(由緒書きより)。
「当社の祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、古くから五穀生産衣食住の守護神として知られている。
そのはじめは、江戸時代の初期に、村松村美和神社の神主小島刑部が、今泉村に小社を建立したのによるものと伝えられている。
さらに慶長十八年(1613)今泉村常木(現在地)に遷座し、稲荷明神として村民から崇敬され、後に刑部の弟小島民部が神主となった。
正保四年(1647)九月十三日火災のため社殿が全焼し、このとき、内陣にあった幣帛が、たちまち空に舞い上がり、神木の枝に止まった。
これを見た村民は、不思議に思い群集して礼拝したといわれている。
民部の息子権之助がこの幣帛を下ろして仮屋に奉遷した。
これ以後、当社の神徳の高いことが評判となって、参詣者が多くなり、翌慶安元年(1648)には、社殿が再建された。
また正徳三年(1713)にも社殿を建替え、同五年(1715)正一位に叙せられた。
こうして当社は、今泉村の氏神であったばかりでなく、桐生新町の町民にも崇敬され、祭礼の日には、全町神灯をかかげて祝ったということである。
なお嘉永元年に、当社の神主小島氏が、江戸域内で行われた、将軍の病気平癒の祈祷に、精進したともいわれている。
明治初年ふたたび火災にあい、社殿を焼失したが、翌二年再建され、今日に至った。
さらに同四三年七月諏訪神社・八坂神社などを合祀し、大正八年四月村社となった。」


久しぶりに参拝してきました。

東参道の鳥居です。
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鳥居脇には南天と思われる植物がありました。
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難を転じて欲しいです。

参道です。
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入ると左側には「竹次郎稲荷」と彫られた碑がありました。
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稲荷社ですが、竹次郎とは誰なんでしょうか?
謂われについては調べましたが不明です。

その先には、阿夫利神社が鎮座していました。
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いわゆる大山阿夫利神社だと思われます。
こちらもどのような経緯で勧請されたのか分かりませんでした。

先に進みます。

境内に入ると、手水社がありました。
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手と口を漱いで参拝です。

こちらが社殿になります。
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小ぢんまりした社殿です。
倉稲魂命が祀られています。
社殿前には、お狐様が一対いらっしゃいました。
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稲荷神社にはいらっしゃらないと。

社殿の左側には、境内社の祠が三基、八幡宮や猿田彦神等と刻まれた石碑が多くありました。
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何度か書きましたが、こちらの神社は「関東第五霊場」だそうです。
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「関東第五霊場」ってなんですか?

こちらが北参道の鳥居です。
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社号標です。
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朱色の鳥居が奉納されていました。
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潜らせていただきました・

11月の下旬に参拝したので、銀杏は色づいていました。
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晩秋です。

御朱印は、社殿の右側の社務所でいただけます。




神社データ
神社名:常祇稲荷神社(つねぎいなりじんじゃ)
鎮座地:群馬県桐生市三丁目16‐9
祭 神:倉稲魂命
配 神:健御名方神 伊弉冊命 迦具土命 彦狭島命 速須佐々男命 誉田別命 栲機千々姫命
社格等:旧村社