群馬県伊勢崎市にある「香林火雷神社」に参拝してきました。
旧村社になります。

群馬県伊勢崎市の北部、旧赤堀町にありました。
国道50号線「西久保町」という交差点を少し北上した所にありました。

駐車場は見当たりませんでした。
自動車は、境内の左側にある公民館?兼社務所の前に停められそうです。

最寄の駅は、JR両毛線「国定駅」になります。
徒歩では、かなりかかりそうです。


こちらの神社の由緒は、以下の通りです。
「この地(群馬県)は地形上から山と雷に対する風格化が多い。
大雷、火雷神社等に雷の通り道というのがあって、その道筋に神社を建てて、その怒りを鎮めようとした。
神社は政治と祭り事と称した様に、人間と切っても切り離せない生活の中の同居人であった。
雷は災害も、もたらすが、雨を伴う恵みの雨は作物の生育を助け、農耕民族にとって不可欠なものでありました。
創建年代は不詳なれども古老の傳える所によれば、今から七○○年前頃、この地に鎮守の杜があり、室町時代より続く境野家(土手屋敷)の氏神として「太郎宮」が建立されました。
その後領主上野介景秀公神明の尊崇厚く神殿を修理し、奉幣の儀を行う後、累世崇敬せられしも、何時、郷民の持ちとなりました。
以後、郷民の手により守られ祭祀が絶えることなく行われて来ました。
現在の拝殿は元禄時代(1690年頃)に、本殿は宝暦八年(1758)に再建された建物である。
明治十二年、火雷神社と改称し村社に列す。
明治四十二年大字天神久保に祭祀してあった菅原神社、稲荷神社と火雷神社に祭祀してある八幡神社、春日神社、山神社、樺神社、鹿島神社、菅原神社、秋葉神社、八郎神社、神明神社を合祀して今日に至る。
大正三年四月十五日、神饌幣帛料供進神社に指定される。」


こちらが鳥居になります。
ab15eadb.jpg

道路沿いにありました。
T字路の所にあるので、ミラーが何だか邪魔な感じがしますが、仕方ありません。

こちらが社号標になります。
57670a57.jpg

村社になります。

鳥居を入ると、両サイドには狛犬がいらっしゃいました。
35f3cd44.jpg

359c83ed.jpg

いかつい顔をしています。

参道を進むと、正面には社殿がありました。
b84a370d.jpg

祭神は、火産霊命になります。

(´人`)

境内の左側には椎ノ木がありました。
d9296629.jpg

御神木という位置付けだと思われます。
傍らには、小さな立て看板がありました。
a48f3d6c.jpg

「まず頼む 椎ノ木もあり 夏木立」と詠まれた松尾芭蕉の句が書かれていました。
何か所縁があるのでしょうか?

摩利支天が祀られているお社がありました。
4dd9f8c1.jpg

由緒は、以下の通りです。
「開運の神、摩利支天尊は、元は火雷神社の裏にあったが、勝負に負けず嫌いの強い神として信仰され、参拝者が多いので、火雷神社境内の西方、社前の現在地へ遷した。
昔、柔道の先生高柳伝四郎氏は東京へ試合に行く時、丑の刻参りを行ったと伝えられる。
現在では進学、就学、選挙、又は勝負に関する事が非常に多彩なので、特に参拝者が多く、願が成就した時は木の木刀を作って御礼参りに行くのである。
現在でも年中新しい木の木刀が奉納してある。
摩利支天は梵名マリーチの音訳で訳すと、威光とか陽焔となるこれは陽炎の事を考えればよい。かげろうの神格化されたもので、日天の前にいつも疾走して阿修羅の軍を調伏する神とされている。」

何だか神仏習合的な感じがします。
何故、お寺に合祀されなかったのだろうか?
その近くには「秋葉神社」が鎮座していました。
d2b56ff7.jpg

いわゆる火伏せの神様です。

また、八坂神社が鎮座していました。
598e3c29.jpg

「健康維持・増進」の神様だそうです。

こちらにも小さな祠がありました。
e26c0bc2.jpg

どんな神様が祀られているのでしょうか?
立て看板はありませんでした。

社殿の裏手には境内社が鎮座していました。
e396a853.jpg

64b8eea6.jpg

左側から八幡神社(家内安全)・菅原神社(学問の神様)・山神社(農業・交通安全)・神明神社(国土安泰)・稲荷神社(商売繁盛)になります。

御朱印の対応は、不明になります。




神社データ
神社名:香林火雷神社
鎮座地:群馬県伊勢崎市赤堀町香林甲789番地
祭 神:火産霊命
配祀神:大日靈命 素盞鳴命 誉田別命 武甕槌命 天児屋根命 保食神 加具土命 木花咲爺姫命 菅原道真命 源為朝命
社格等:旧村社 神饌弊帛料供進神社