正確には「城址」と言うよりも「陣屋跡」に行ってきました。

群馬県伊勢崎市に「大東神社(だいとうじんじゃ)」があります。
伊勢崎市の中でも旧佐波郡東村になります。

その境内には、「旗本久永氏陣屋跡」がありました。
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この久永氏は、Wikipediaでは次の情報がありました。
「久永家 3,200石
武蔵国児玉郡、上野国佐位郡・新田郡・邑楽郡、下野国安蘇郡、常陸国信太郡・河内郡内 初代・久永重勝は弓術の名人。」

この久永氏といのは、「交代寄合」という一種の名誉職的な旗本になっていたようです。
領地は、現在の伊勢崎市と太田市の一部にあったそうです。

こちらが陣屋跡になります。
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残念ながら陣屋自体はありませんでした。

陣屋跡の西側は、「あずま水生植物公園」になっていました。
菖蒲が多くあり、時期が過ぎていますので、残念ながら見ることは出来ませんでした。
時期には、良いかもしれません。

神社の片隅にあるだけあって、参拝者もちらほらいらっしゃいました。

こちらが案内板です。
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‐旗本久永氏陣屋跡 案内板‐
「現在の東小保方地区は江戸時代には東小保方村と呼ばれ、徳川家の旗本久永源兵衛重勝の領地でした。
久永氏は石見国(島根県)の出身であり、埼玉や茨木にも領地が点在する禄高3,200石の旗本でした。
東小保方村は石高が1,182石の村であり、久永氏は村の支配のためにこの地に陣屋を設けました。
陣屋は東西75m、南北120mの大きさで、濠や土居が構えられていました。
濠はその後拡幅されて池となってしまい、現在では南池の南端と西池の東端にわずかに当時の面影が残されているのみです。
南面には正門を有し、更に南へと通路が続いて細長い大手枡形となり、南端には木戸が設けられていたものと思われます。
この形は陣屋特有のものであり、県内でも吉井や岩鼻の陣屋がこれと同じになっています。
明治維新後陣屋は廃され、一時期小保方小学校として使われるとともに、大正二年には周辺の神社を合祀した大東神社がおかれ今日に至っているものです。」


大東神社の社殿の後方には、陣屋の敷地内に勧請された稲荷神社が鎮座していました。
いわゆる「屋敷神」になります。
小さな社殿でした。