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群馬県太田市にある「生品神社」に参拝してきました。
旧県社になります。

太田市の中でも、旧新田町に神社はありました。

最寄り駅は、東武伊勢崎線「木崎駅」になります。
徒歩で行くのは大変かと思われます。

駐車場は、鳥居の前と神社の北側にありました。
自動車は、合わせて数十台位は停められそうです。

こちらの神社は、太田市の中心部からかなり外れていますので、少々長閑な感じでした。

一の鳥居です。
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なかなか大きな鳥居です。

門標です。
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社号の標の隣には「新田義貞挙兵伝説の地」と刻まれた標が小さいながら誇らしげにありました。

こちらの神社は、勧請年代は不明になります。
上野國神名帳には、「従三位生階明神」とあるので、平安時代にはこちらの神社はあったことになります。

「上野国志」には、「一説には生品社は、平親王将門の弟、御厨三郎将頼を祭る。将門伏誅の後、其の霊祟をなす。依て将門を武州に祀りて神田明神と称し、将頼を上州に祭りて生品明神と称す。共に九月十九日を祭日として之を祭ると生品旧縁起に見えたり」とあります。

やはり、源氏ゆかりの地に平将門伝説があるんですね。

言い伝えによると
『豊城入彦命が上野の太守となり、新田地方の開発に先立ち、大己貴命を祀り、「生階明神」と号した。
いつしか「生品」と書くようになった。
天喜年間(1053年〜1058年)に源義家は、奥州の賊徒を退治するため、生品神社に参詣し、戦勝を祈願。
元弘三年(1333年)五月八日、新田義貞が北条高時を追討するため、神社前に義旗をたて、鎌倉へと進軍した。』
ということでした。

こちらが鳥居の隣にある説明板です。
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一の鳥居を入り、左側には社務所がありました。
社務所の横にあった「新田義貞像」は盗難にあい、ありませんでした。
まだ見つからないのでしょうか?

さらに進んでいくと、神橋がありました。
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その先に二の鳥居がありました。

境内は、何だか森の中に来たといった感じです。
境内に「新田公舉兵六百年記念碑」という石碑?が誇らしげに建っていました。
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参道の右側には囲われた「御神木」がありました。
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この御神木が新田義貞公が挙兵の時に軍旗を掲げたと伝えられる「椚(くぬぎ)の木」になります。
残念ながら、枯れてしまっています。

社殿になります。
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主祭神は、「大己貴命」になります。
平将門公も祀られていたりして・・・

こちらは神楽殿です。
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社殿の左側や後方には、石祠がありました。
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また、社殿の左後方には、富士浅間神社が鎮座していました。
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新田義貞が有名にした神社なわけで、新田義貞の挙兵した日の「5月8日」、元の「9月19日」を祭日としているようです。

境内自体は、国指定史跡の「新田ノ荘遺跡」の一つになっています。

御朱印は、社務所前の箱の中に書き置きの御朱印がありました。
御朱印代は、300円
でした。

由緒書きはありました。




神社データ
神社名:生品神社(いくしなじんじゃ)
鎮座地:群馬県太田市新田市野井町646-1
祭 神:大己貴命 品陀和気命 建御名方神 他二十二柱
社格等:旧県社