まほろば御朱印紀行

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

2019年03月

巌殿観音正法寺 中武蔵薬師霊場の御朱印(埼玉県東松山市岩殿)5

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 埼玉県東松山市にお寺はありました。

 最寄り駅は、東武東上線「高坂駅」になります。徒歩では1時間位かかるそうですが、高坂駅西口より川越観光バス「鳩山ニュータウン」行に乗車、「大東文化大学」にて下車して、お寺までは徒歩で約10分位かかるそうです。

 お寺専用の駐車場は、門前にありました。自動車は5〜6台位は停められそうです。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(雄山閣出版刊『日本名刹大事典』による)。
「真言宗智山派、岩殿山、修善院。別称は岩殿寺、通称は岩殿観音。坂東三十三観音霊場の十番札所。本尊は千手観音。もと観音堂の別当寺。
 『巌殿山千手観世音来由緒記』によれば、養老二年(718)沙門逸海が岩殿山の岩窟に観音を安置し、傍らに正法庵を結んだのが開創で、後に坂上田村麻呂が奥州征討の途次に比企山の悪竜を千手観音の霊験で退治し桓武天皇十五年に伽藍を建立した。暫くして堂舎は零落したが、正治二年(1200)源頼朝の志をついだ平政子が再興し、左衛門督入道を別当に任じたと伝える。古くは比叡山末の寺院で、堂塔のほかに多数の坊舎を擁する大寺であったらしい。しかし、天文頃から勝呂大智寺(現坂戸市)が別当正法寺を兼務し真言宗に改めた。永禄年中に戦乱で諸堂を失ったが、天正二年(1574)までに大智寺俊遍の弟子栄俊が護摩堂などの伽藍を復興して正法寺の中興開山となり、真言法流無量寿院流(松橋流)を汲む寺院として再興され一山内の支配権を確立した。天正十九年(1591)11月、徳川家康から観音堂領二十五石を寄進された。
 寛政七年(1795)『新義真言宗本末帳』によれば本寺醍醐寺無量寿院、門徒六ヶ寺。
 年中行事に、田村麻呂の悪竜退治に因む7月1日の『けつあぶり』がある。
 六面幢は県文化財。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「埼玉県東松山市岩殿1229。巌殿山と号し、岩殿観音の通称がある。真言宗智山派。坂東十番霊場。
 養老二年(718)沙門逸海が正法庵という草庵をこの地に結んだのが始まりという。また役行者が開いた修験の寺ともされる。坂上田村麻呂が奥州進攻の途上、この地の悪竜を退治し、桓武天皇の勅によって伽藍が造営された。その後北条政子が再興したとも言われる。明治十一年(1878)に災害にあったが再建されて現在に至る。
 この付近では毎年7月1日に近郊の人々が小麦のまんじゅうを食べ、小麦ガラを焼いて家族がお尻をあぶる風習がある。これは田村麻呂は始め悪竜をみつけることができなかったが、千手観音へ加護を祈ったところ真夏というのに大雪が降った。雪を嫌う悪竜がみずからの隠れ場所の雪を溶かしてしまったので、田村麻呂は容易に悪竜を見つけ、ついに退治をしたのであると。まんじゅうは軍兵の食糧、尻をあぶるのは彼らが寒さをしのいだ故事によるという。
 所蔵の明版大蔵経は貴重な文化財でもある。
 本尊千手観音像は毘首羯磨の作という。毘首羯磨は本来は古代インド神話上の工巧神である。
 御詠歌は
  後の世のみちを比企見の観世音
   この世を共に助けたまえや」


 東松山市のインターチェンジから東に行った場所に寺院はありました。大東文化大学東松山キャンパスが目印になります。

 山門になります。
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 登っていきます。
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 「坂東十番霊場」と刻まれた石標になります。
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 境内は山の中にあるといった感じで、鳥のさえずりが聞こえ、森林浴になります。

 地蔵菩薩と遍路大師です。
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 境内には元亨二年(1322年)鋳造の銅鐘がある鐘楼堂がありました。
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 埼玉県指定文化財になっています。

 鐘楼堂からの眺めです。
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 観音堂へ向かう途中に薬師堂と地蔵堂があります。

 薬師堂になります。
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 薬師如来が本尊になり、中武蔵薬師霊場の札所本尊になります。

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 地蔵堂になります。
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 こちらは関東百八地蔵尊霊場の札所本尊になります。

 観音堂になります。
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 手水舎になります。
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 御朱印は、本堂の右側にある「庫裡」で頂けました。「千手観音(坂東霊場・七観音霊場)」と「地蔵菩薩(関東百八地蔵尊霊場)」、「薬師如来(中武蔵薬師霊場)」の4種類があります。御朱印代は各300円でした。お地蔵様・お薬師様の御朱印は、汎用の御朱印帳でも頂けます。
 
 御守り(500円〜)や御札(四種類、各1,000円)といった授与品はありました。叶念珠を一体頂きました。
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 坂東の公式納経帳(1,100円or1,700円)、寺院名の金箔が押されたオリジナル御朱印帳?が二種類(1,500円or1,700円)がありました。




寺院名:巌殿山 修善院 正法寺
所在地:埼玉県東松山岩殿1229番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:阿弥陀如来
通 称:巌殿観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十番札所
    関東百八地蔵尊霊場 十三番札所
    武州八十八ヶ所 三十一番札所
    七観音霊場 千手観音
御詠歌:後の世の道を比企見の観世音 この世を共にたすけ給へや

「お休み処どびんや」 吉見観音参道のお店(埼玉県比企郡吉見町)5

 埼玉県比企郡吉見町にある「吉見観音安楽寺」の参道には「お休み処どびんや」というお店があります。
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 お店の左側が食事ができるスペースがあります。
 メニューが以下の通りです。
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 私は、厄除団子を頂きました。甘辛とあんこです。
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 お昼時に参拝しなかったので食事はしませんでした。次回は食事をしたいなと思います。




店 名:お休み処どびんや
所在地:埼玉県比企郡吉見町御所434

柿薬師光栄寺 関東九十一薬師霊場の御朱印(群馬県みどり市大間々町)5

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 群馬県みどり市の中の旧大間々町にあるお寺になります。

 最寄り駅は、わたらせ渓谷鉄道「大間々駅」、東武桐生線・上毛電気鉄道「赤城駅」になります。

 お寺専用の駐車場はありました。自動車は数十台は停められそうです。


 こちらのお寺の由緒は、次の通りです。
「光栄寺は京都の東山にある智積院を総本山とする真言宗智山派に属している寺院になります。
 正式には瑠璃光山醫王院光榮寺と称し、薬師如来を祀り、慶長八年(1603)にこの地に良瑜上人と大間々六人衆によって創建されました。
開山良瑜上人が携えてきたご本尊の薬師如来様は柿の木で造られている為、別名柿薬師の寺といわれております。
 毎年十一月の第一日曜日には柿薬師大祭が行われ、御本尊薬師如来の功徳にあずかろうと多くの善男善女で賑わいます。渋柿が太陽の光を浴びると、渋みが取れ、甘柿になることから、人間を柿に見立てて御本尊の光
を浴びることで、知らず知らずに犯してい悪(アク)を取り除き、きれいな心と身体になって、来る寒い冬を乗り超えるという信仰で三百年程続いているお祭りです。近年には人形供養も行っています。また1月8日には厄除け大護摩供法要を行っています。厄除、家内安全、方位除、交通安全、商売繁盛などの祈願を行っており、近在の方々がその年の無事を祈ってお参りをされます。(後略)」


 春の彼岸の終わりに参拝してきました。

 山門です。
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 鐘楼堂と六地蔵と手水舎になります。
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 ちょうど本堂では法事をしていました。
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 本堂前には遍路大師とくるま観音がいらっしゃいました。
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 御朱印は、関東九十一薬師霊場のものを頂きました。中央の印は御御影のようです。御朱印代は300円です。

 各種御守り(500円)はありました。
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寺院名:瑠璃光山 医王院 光榮寺
所在地:群馬県みどり市大間々町大間々1056番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:薬師如来
通 称:柿薬師
札所等:関東八十八ヶ所 八番札所
    上州三十三観音霊場 一番札所
    関東九十一薬師霊場 四十九番札所
御詠歌:柿薬師せいなる光あびながら 祈りの声を耳にふれつつ(関東八十八ヶ所)
    山の名の るりを土なる かの国の らみちはこがねの さかひとぞきく(上州三十三観音霊場)

吉見観音安楽寺 彩の国武州十二支霊場の御朱印(埼玉県比企郡吉見町御所)5

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 埼玉県東松山市の隣の比企郡吉見町に寺院はありました。

 参道の入り口に駐車場はありました。自動車は10台位は停められそうです。

 最寄り駅は、東武東上線「東松山駅」になりますが、徒歩で吉見観音まで行くのは無理そうなので、できれば自動車で行かれた方が宜しいかと思われます。


 こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「埼玉県比企郡吉見町御所にある真言宗智山派の寺院。岩殿山。光明院。坂東三十三か所十一番札所。通称吉見観音。
 本尊は行基作と伝える聖観音。観音堂は坂上田村麻呂開基と伝えるが未詳。
 果鏡が江戸初期に中興し、三重塔・護摩堂などを再建したといわれる。
 江戸期には本尊は大日如来で、古来信仰を集めた観音堂を護持することにより発展したといわれる。」

 また、東京堂出版刊「古寺名刹辞典」によると次の通りです。
「埼玉県比企郡吉見町御所374。岩殿山と号し、吉見観音の通称がある。真言宗智山派。坂東三十三ヶ所第十一番札所。
 慈光寺・正法寺(板東九、十番)とともに比企三山と呼ばれる。
 近くには有名な吉見百穴の古代横穴古墳群がある。
 行基自刻の観音像を得たこの地の豪族吉見氏による開創の伝、また坂上田村麻呂が奥州進攻の途上、この地の岩窟からもれ出る光を怪しみ、その光が窟内の観音像から発すると知るや、直ちに伽藍を建立したのであるとの伝もある。
 源頼朝の弟、範頼が稚児僧としてこの寺に隠れ住み、頼朝挙兵に従った功により、この地の領主となった時には所領の半分を寄進して、寺院も大いに栄えた。範頼の死後に一時廃絶し、現在の三重塔は寛永年間(1624〜1644)の建立。
 本尊は聖観音。
 御詠歌は、
  吉見よと天の岩を押し開き
   大慈大悲の誓いたのもし」


山門になります。
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 境内は本堂の他に「吉見大仏」という阿弥陀如来坐像がありました。
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 鎮守社の山王社になります。
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 真言宗なのに山王社なのは不思議です。

 地蔵菩薩坐像です。
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 本堂になります。
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 こちらの寺院は「坂東三十三観音霊場十一番札所」になり、「吉見観音」の名で知られているお寺になります。坂東以外は「関東八十八ヶ所」、「東国花の寺百ヶ寺」の札所でもあります。
 埼玉県内にある坂東の札所の慈光寺・巌殿観音とともに「比企三山」と呼ばれています。

 本堂内には大黒天像がありました。とても福々しい笑顔でした。

 御朱印は本堂の左側にある「納経所兼授与所」で頂きました。今回は彩の国武州十二支霊場の大日如来の御朱印を頂きました。御朱印というか御緑印というか・・・
 御朱印代は300円でした。

 各種御守りや各種御札といった授与品はありました。

 こちらのお寺から東松山市の「箭弓稲荷神社」までは、自動車で15分位かと思われます。

 参道には厄除団子を売るお店「どびんや」がありました。厄除団子をおいしく頂きました。隣には食事がとれるスペースがあり、天ざるうどんや定食等がありました。






寺院名:岩殿山 光明院 安楽寺
所在地:埼玉県比企郡吉見町御所374番地
宗 派:真言宗智山派
本 尊:聖観音
通 称:吉見観音
札所等:坂東三十三観音霊場 十一番札所
    関東八十八ヶ所 七十五番札所
    彩の国武州十二支霊場 申年守護
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:吉見よと天の岩戸を押し開き 大慈大悲の誓いたのもし

世良田東照宮 河津桜(群馬県太田市世良田町)5

 3月17日の徳川家康公の月命日に世良田東照宮に参拝してきました。

 南参道の河津桜です。
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 満開でしたが、少し散りかけています。

 社殿になります。
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 こちらは社殿と石燈籠です。
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 江戸時代の川越・忍・前橋の各城主の松平氏の奉納です。

 3月下旬は、ソメイヨシノが咲きます。その頃の参拝をお勧めします。




神社名:世良田東照宮
鎮座地:群馬県太田市世良田町3119‐1
主祭神:徳川家康公
配祀神:菅原道真公 倉稲魂命 須佐之男命 伊弉冉命 火産霊命 大穴牟遅命 誉田別命 建御名方神 豊城入彦神 外十柱
社格等:旧郷社
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日本のまほろばを探して社寺を参詣してます。社寺参詣道代表師範&御朱印ブロガーです。伊勢神宮・靖国神社・世良田東照宮・久能山東照宮・鳳来山東照宮の各崇敬会に入会しています。 取得資格:普通自動車免許、2級ファイナンシャルプランニング技能士、日商簿記検定2級、秘書検定2級、神社検定参級、全経電卓検定3級、安全衛生推進者
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