神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

2017年02月

世良田東照宮 三ツ葉葵会(群馬県太田市世良田町)5

 私もいろいろな社寺を巡ってきました。印象深いところやあまり記憶に残っていないところもあります。

 この度、決心をし群馬県太田市に鎮座する世良田東照宮の文化財保存会「三ツ葉葵会」に入会いたしました。事実上の崇敬会にあたります。
 こちらが会員証になります。
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 正会員は、年会費5,000円になります。特別会員は年会費10,000円になります。

 入会した際に1,300円で頒布されている世良田東照宮の由緒が書かれた立派な本を無料で頂きました。
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 また、宝物館や本殿に参拝は300円の拝観料がかかりますが、無料になります。

 先日、全国東照宮連合会のオリジナル御朱印帳が手に入ったので、御朱印を頂きました。
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 みなさんも崇敬できる神社を一つはお持ちください。

 社殿になります。
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将来、社殿の銅板屋根瓦の葺き替えのため一口2,000円で奉納金を募っています→こちらの日記に書いてあります。





神社名:世良田東照宮
鎮座地:群馬県太田市世良田町3119‐1
主祭神:徳川家康公
配祀神:菅原道真公 倉稲魂命 須佐之男命 伊弉冉命 火産霊命 大穴牟遅命 誉田別命 建御名方神 豊城入彦神 外十柱
社格等:旧郷社

諏訪山観音院 関東八十八ヶ所(群馬県桐生市)5

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 群馬県桐生市にある「諏訪山 観音院」に参拝してきました。真言宗豊山派に属するお寺になります。

 桐生市の東部、桐生タイムスという新聞社の少し北側にありました。
 お寺の西側には「諏訪機神社」が鎮座しています。

 最寄り駅は、JR両毛線「桐生駅」、上毛電気鉄道「西桐生駅」になります。徒歩ではかなりかかりそうです。近くまでバスが来ているかもしれません。

 駐車場は、道路を挟んで反対側と境内の東側にありました。自動車は、数十台位は停められそうです。


 上毛新聞社刊‘ぐんまのお寺 真言宗機任砲茲襪藩浬錣蓮以下の通りです(一部を抜粋)。
「当寺の開創は文書・記録が失われていて確実なことはわからない。しかし、江戸時代中ごろの郷土史家高橋五右衛門守行によって著された『今泉古事談』によると、正保元年(1644)養甚という道心が岩崎彦右衛門の庵に移り住んだのを始まりとする。承応元年(1652)小俣村(足利市)威徳院の弟子、秀賀という僧が来住、庵を今の観音堂の廟所に移し観音院と呼んだ。その後、寛文二年(1662)に現在地諏訪の森に移した。」


 日限地蔵尊として知られているお寺です。お地蔵さまは地蔵堂に祀られています。
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 本堂には聖観音が祀られています。
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 関東八十八ヶ所・上州三十三観音霊場・上州新四国八十八ヶ所の各札所本尊になります。

 大通りから外れているので境内はとても静かです。

 本堂左後方には、寺樹という欅(けやき)の木がありました。
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 木の下には石造不動明王立像がありました。神社で言うところの御神木に相当する木だと思われます。

 御朱印は、地蔵堂に併設されている御朱印受付にて頂きました。御朱印代は300円でした。

 各種御守りはありました。





寺院名:諏訪山 能満寺 観音院
所在地:群馬県桐生市東二丁目13‐18
宗 派:真言宗豊山派
本 尊:聖観世音菩薩
札所等:関東八十八ヶ所 十番札所
    上州三十三観音霊場 五番札所
    上州新四国八十八ヶ所 四十八番札所
御詠歌:諸人の 願いをしかと 能満の 深き誓いに 絶えぬ香煙

足利織姫神社 御守り&御朱印(栃木県足利市西宮町)5

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 栃木県足利市の織姫山の中腹に鎮座する神社になります。

 最寄り駅は、東武伊勢崎線「足利市駅」、JR両毛線「足利駅」になります。徒歩では30分位はかかりそうです。

 駐車場は、境内の東側にありました。自動車は、数十台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「栃木県足利市西宮町に鎮座。祭神は八千千姫命・天御鉾命。例祭は5月7日で神幸祭がある。
 伊勢国の渡会井手郷の御機殿を遥拝するために勧請された。
 明治十二年(1879)に足利町の八雲神社の相殿となり、さらに現在地に遷された。」

 また、案内板によると次の通りです。
「足利は古くから織物を中心として栄えてきました。奈良時代初期の和銅6年(713)というのが足利織物が文献上に残る最古のものと言えるでしょう。その約1300年の伝統を持つ足利織物の守り神として奉られているのが足利織姫神社で、昔機織を司られた天御鉾命と八千々姫命を祭神としております。
 昔は『機神さま』と呼ばれ、明治12年8月24日に合祀されていた通四丁目の八雲神社から今の織姫山南麓に遷宮しましたが、翌年の明治13年9月10日の火災で焼失以来、仮宮のまま約50年を経過。この間、織姫神社奉賛会により織姫神社中腹に朱塗りの社殿が造営され、昭和12年5月7日仮殿から遷座して現在に至っています。
 緑に映える朱塗りのお宮は、国登録有形文化財にも指定されている足利の名勝の一つで、足利県立自然公園の最南端に位置しています。社殿の東側には関東ふれあいの道『歴史のまちを望むみち』が通っており、北に続く織姫山一帯は明治100年記念事業として造成された総合公園(織姫公園)になっています。」


 足利市を象徴するような神社です。

 駐車場から境内に入れます。
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 1月29日に参拝しましたが、神前結婚式が行われていました。
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 参道途中で新婦が写真撮影がありました。

 女性の参拝者や夫婦連れが参拝に来てました。私は男一人で行ってしまいました。

 社殿になります。
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 境内からの眺めがとても良いです。
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 しばらくこちらの御朱印は頂いていなかったので、久しぶりに頂きました。御朱印代は300円でした。私の前にも御朱印を頂く女性がいました。
 また、縁結びの御守りを頂きました。一体500円です。




神社名:足利織姫神社
鎮座地:栃木県足利市西宮町3889番地
祭 神:天御鉾命(あめのみほこのみこと) 天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)
社格等:旧無格社

金剛山鑁阿寺 関東八十八ヶ所(栃木県足利市家富町)5

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 栃木県足利市の中心部、足利学校の近くにお寺はありました。

 最寄り駅は、JR両毛線「足利駅」になります。徒歩では、約10分位でしょうか。

 駐車場は、境内の北側にあります。自動車は、数十台位は停められそうです。
 駐車場迄の道は、一方通行の細い道を行きますので、自動車で行かれる方は、気をつけて下さい。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の寺院。金剛山仁王院。本尊は大日如来。
 足利義兼が邸内に設けた持仏堂に始まり、子息義氏が大御堂を建立して寺院化。開山は義兼の護持僧理真(りしん)。以来、足利氏由緒の寺として栄えた。戦後、大日派を設立。
 境内は足利氏宅跡として国史跡に指定。」

 また、吉川弘文館刊「日本仏教史辞典」によると次の通りです。
「栃木県足利市家富町にある寺院。真言宗大日派総本山。金剛山仁王院法華坊鑁阿寺と号す。本尊は大日如来。
 『鑁阿寺縁起』(『鑁阿寺文書』)によれば、建久七年(1196)、足利義康の子上総介義兼が伊豆走湯山の理真を開基として『城堀之内』に持仏堂を建てたのに始まるという。寺院としての形態が整えられたのは、子の義氏の時で『堀内御堂』と称された。天福二年(1234)の鑁阿寺棟札写によれば、『奉做起方五間大日如来大殿一宇』とあり、義氏が大壇那となって方五間の大日如来大殿を建立している。また彼は、堀内の外側に十二坊を建て、月谷・飯塚両郷を寄進し、『供僧十二院制度』を設けたといわれるが(『縁起』)、これは鎌倉末期〜南北朝時代を通じて整備されてきたとされる。この制度は、東光院・普賢院・不動院・六字院・浄土院・宝珠院・威徳院・延命院・千手院・金剛乗院・竜福院・安養院の十二院の塔頭が東西両院に分かれ、供僧として法会などを執行したもの。一山を代表する学頭は千手院が務めた。室町時代には、十二院が輪番で『年行事』として寺務を行なった。
 鑁阿寺という寺号がはじめて史料に現れるのは、建長三年(1251)3月8日の足利泰氏置文で、充所は『鑁阿寺供僧中』となっている。
 家時の時、大御堂の一廓には廊下で接続された中御堂も創設されていたが、弘安十年(1287)の落雷で、堂宇はことごとく炎上してしまったので、子の貞氏は七年の歳月をかけて再建に努力をしている。こうして完成したのがほぼ現在の鑁阿寺である。寺領は足利将軍家や鎌倉公方によって寄進され、創建期から室町時代中期にかけて寺運もっとも興隆し、門前には市が立つほどであった。戦国時代、戦勝祈願を依頼した古河公方家の礼状など多数残されている。天正十三年(1585)鑁阿寺十二支院のいずれかに属する橋本郷の百姓らは、小田原北条氏の進攻に際して作毛を荒らされ年貢の減免を要求して百姓申状を長尾氏の奉行所に提出した。江戸時代六十石の朱印地を賜ったが、維新後上地となり、一時衰退した。
 なお、境内は中世土豪の居館の面影をよく残しており、足利氏宅跡として国史跡に、また同寺所蔵の『鑁阿寺文書』615通は重要文化財に指定。」


 「真言宗大日派」という宗派に属していますが、元々鑁阿寺は奈良にある「豊山神楽院長谷寺」の直末であったため「真言宗豊山派」に属していましたが、戦後に真言宗大日派を創設して独立したようです。

 入り口になります。
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 手水舎になります。
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 1月29日に参拝しましたが、境内には七福神巡りをする方々で多かったです。

 本堂になります。
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 本尊である大日如来が祀られています。こちらで祈祷祈願が行われるようです。

 境内の売店では、焼きそばの良い香りが漂っていました。

 不動堂になります。
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 銀杏と多宝塔になります。
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 銀杏の木は、御神木的な感じの木なんでしょうか?

 経蔵になります。
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 御朱印は、本堂左側にある授与所で頂きました。関東八十八ヶ所の御朱印代は300円でした。御御影が一体付きます。



寺院名:金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺(ばんなじ)
所在地:栃木県足利市家富町2220番地
宗 派:真言宗大日派
寺格等:本山
本 尊:大日如来
通 称:大日様
札所等:関東八十八ヶ所 十六番札所
    下野三十三観音霊場 二十八番札所
    足利七福神 大黒天
御詠歌:大日の み光うけて 咲く花も 仏の加護に あらざるはなし

熊野大神社 再拝(埼玉県深谷市東方)5

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 埼玉県深谷市にある神社になります。

 駐車場は、境内の東側にありました。自動車は、10台位は停められそうです。


 こちらの神社の由緒は、次の通りです(由緒書きより)。
「当地は古くから開かれた土地であり、地内には家型埴輪が出土した古墳期の森末古墳、奈良期から平安期にかけての堂明様遺跡などが知られています。当社の創建について社記にー延長五年(西暦927年)この地に枇杷の木を棟木にして小祠を建て上野国碓氷郡熊野本宮より奉遷し東方村と号すーとあります。
 御祭神は伊邪那美命、速玉男命、事解男命の三柱です。
 現在の本殿は上野台の領主秋元但馬守景朝その子秋元越中守長朝が、当社が館の東北にあたっている事から城の守り神として崇敬し天正年間(西暦1573年から92年)に当社に社殿を寄進したものであり、本殿正面の桁に秋元家の家紋の彫刻が施されております。文政二年と平成十一年の大修理を経て今日にいたっております。本殿は昭和三十四年11月3日に深谷市の指定文化財に指定されました。
 (後略)」

 道路沿いにありました。南に行くと中仙道が通っています。

 一の鳥居になります。
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 二の鳥居になります。
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 三の鳥居になります。
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 三の鳥居を入ると左側には手水舎がありました。
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 その奥には道祖神がありました。
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 中仙道が近くを通っていましたので、そんな関係もあるのでしょう。

 神楽殿になります。
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 こちらが社殿になります。
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(´人`)

 群馬県碓氷峠にある熊野神社からの勧請になりなります。

 社殿の後方には、境内社が鎮座していました。
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 御朱印は、境内の右側(東側)にある宮司さん宅で頂けます。御朱印代は300円でした。
 由緒書きは、賽銭箱の上にありました。


神社名:熊野大神社
鎮座地:埼玉県深谷市東方1709‐1
祭 神:伊邪那美命 速玉男命 事解男命
社格等:旧郷社
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