神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

2015年10月

波除稲荷神社(東京都中央区築地六丁目)5

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東京都中央区にある築地市場の一角に神社は鎮座していました。

最寄り駅は、東急メトロ日比谷線 「築地駅」、 都営大江戸線 「築地市場駅 」になります。
徒歩では、各駅から5分位かと思われます。

駐車場は見当たりませんでした。
自動車で行かれる方は、周辺の有料駐車場をご利用ください。


こちらの神社の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「中央区築地の旧村社。波除稲荷とも。祭神は倉稲魂命。
 例祭は6月10日で、築地の獅子祭りとも呼ばれ神輿が各町内を回る。
 万治元年(1658)の埋立・築堤の際、海面に神体を得て奉斎したところ無事に工事を終えることができたと伝える。」

また、東京堂出版刊「神社辞典」によると次の通りです。
「東京都中央区築地。旧村社。倉稲魂命を祀る。
 万治元年(1658)埋立築堤の折、海面に稲荷大神の御神体を得て奉斎したため、波風がおさまり、無事工事が終えることが出来た。以来波除けの神として信仰された。
 6月10日の例祭は築地獅子祭として名高い。」


鳥居になります。
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境内は狭いくらいです。

築地市場のそばなので、昼時はとても良い匂いがします。

社殿になります。
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境内には弁財天を祀る「弁財天社」です。
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(´人`)

すし塚・海老塚・鮟鱇(あんこう)塚・活魚塚・玉子塚・蛤石がありました。

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その中に「天照大神・大国主命・少彦名命・天日鷲命」を祀る「末社」がありました。

こちらは獅子殿です。
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立派な獅子頭です。

御朱印は、社殿の右側にある「授与所」で頂けました。
御朱印代は300円です。

御守りや御札といった授与品はありました。
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必要な方はどうぞ。

祈祷祈願に関しては、「商売繁盛」の他にも創建の経緯からか「災難除」がありました。
必要な方はどうぞ。




神社名:波除稲荷神社
鎮座地:東京都中央区築地六丁目20‐37
祭 神:倉稲魂命
通 称:波除様
社格等:旧村社

神齢山 悉地院 大聖護国寺(東京都文京区大塚)5

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東京都文京区にある真言宗豊山派に属する寺院になります。

最寄り駅は、東京メトロ有楽町線「護国寺駅」になります。
一番出口から徒歩ではすぐです。

駐車場はあります。
しかし、参拝者用なのか職員や檀家用なのかがわかりません。


こちらの寺院の由緒は、次の通りです(大修館書店刊『日本の神仏の辞典』による)。
「東京都文京区大塚にある真言宗豊山派の寺院。神齢山悉地院。本尊は如意輪観音。
 天和元年(1681)徳川綱吉が生母桂昌院のために、桂昌院が、前々から祈祷を行わせていた上野国大聖護国寺の元住持亮賢を召し、高田薬草園の地を与えて建立させ、桂昌院の念持仏如意輪観音を安置したのに始まる。
 桂昌院の存命中は、その由来から桂昌院の祈願寺だったが、元禄半ばから将軍家の祈祷も勤め、宝永二年(1705)の桂昌院没後は将軍家の祈祷を専らとした。
 寺領は千二百石。
 亮賢と桂昌院は隆光とともに綱吉に生類憐みの令をすすめたとされるが確かな根拠はない。
 享保二年(1717)、炎上した将軍家祈祷寺の護持院が、幕府命で、当寺の本坊に移されると、従来の観音堂(本堂)や大師堂等の境域を護国寺と称するようになったが、その年からの六年間と宝暦八年(1758)以降は護持院の兼帯とされた。
 明治二年(1869)に護持院が廃寺となると、その遺構を引きつぎ近代寺院として再出発した。
 墓域には近代以降の著名人の墓が多い。」

また、東京堂出版「古寺名刹大辞典」によると次の通りです。
「東京都文京区大塚5‐80‐8。神齢山悉地院大聖護国寺と号す。真言宗豊山派の関東における中心となる大寺(大本山)で、東京・小石川の音羽にあることから、音羽の護国寺の名前で知られている。しかし、寺の歴史は新しく、まだ300年ほどにすぎない。徳川五代将軍の綱吉とその生母桂昌院が帰依した亮賢和尚が開基となり、将軍と母公が願主となって天和元年(1681)にひらかれた。
 これと並んでさらに広大な規模で神田御門外に護持院が柳沢吉保を奉行とし将軍母子によってつくられたが、これは享保二年(1717)に焼失し、八代将軍吉宗の緊縮政策はこれの再興をゆるさず、護国寺を護持院と改めさせ、境内の観音堂を護国寺と改めさせてしまった。しかし、この変則的な関係は、明治に入って終止符がうたれ、両寺は合併されて、護国寺の名のみがのこることになった。
 現在の本堂は、元禄十一年(1698)に建立したもので大きさは方七間、重文である。ほかに桃山建築の月光殿がある。これは園城寺の塔頭を移築したものである。その他、内仏堂、大師堂、薬師堂、鐘楼堂、本坊、山門、仁王門、孔雀門等がある。また寺の裏山にある儒者の墓(史跡)が有名で、江戸時代の学者ばかりが40墓以上も存在する。境内には、鈴木学術財団の事務所や、豊山派の会館などもおかれており、関東におけるもっとも活発な寺院の一つである。かつての童謡の会『音羽ゆりかご会』は盛大なものがあった。
 開基の亮賢の後継者が、有名な隆光僧正である。隆光僧正は、将軍綱吉に献策して犬保護を主とする『生類憐れみの令』を出した張本人としてだけ知られているが、実際は将軍の帰依に価する傑僧で、関東真言の再興者であることも忘れてはいけない。護国寺は、まさに隆光僧正と綱吉母子の信仰の記念碑ということができる。」


江戸幕府五代将軍徳川綱吉と生母桂昌院の所縁の寺院になります。

こちらは山門になります。
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寺号標になります。
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さきに進みます。
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石段右側には、富士塚がありました。
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こちらは不老門です。
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境内はとても広いです。
徳川家所縁の寺院は、広い境内をもつ所が多いかもしれません。

境内には「月光殿」があります。
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この建物は、滋賀県にある「長等山園城寺(通称:三井寺、観音堂は西国三十三観音霊場十四番札所)」の日光殿の客殿を移築したものです。
こちらの建物は、国指定重要文化財になっています。

本堂になります。
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桂昌院の念持仏「如意輪観音」を祀っています。
月光殿と同様に国指定重要文化財になっており、とても立派です。

大師堂や地蔵堂もありました。
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大師堂には御府内八十八ヶ所の御詠歌の額が掲げられていました。
地蔵堂には一言地蔵が祀られています。

多宝塔は大日如来が本尊となります。
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なかなか立派な建物です。

こちらに大仏がありました。
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阿弥陀如来でしょうか?

鐘楼堂になります。
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どんな音色なんでしょうか?

御朱印は、本堂内にある納経所で頂けました。御朱印代は300円でした。
御朱印を頂く際に納経をさせていただきました。

御守りや御札といった授与品はありました。




寺院名:神齢山 悉地院 大聖護国寺
所在地:東京都文京区大塚五丁目40‐1
宗 派:真言宗豊山派
寺格等:大本山
本 尊:如意輪観音
通 称:音羽護国寺
札所等:昭和新撰江戸三十三観音霊場 十三番札所
    御府内八十八ヶ所 八十七番札所
    東国花の寺百ヶ寺
御詠歌:もろもろの くのうをすくう 観世音 だいひの恵み 尊とかりける

月音山 明言寺(群馬県邑楽郡邑楽町石打)5

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群馬県邑楽町にある「月音山明言寺」に参拝してきました。
曹洞宗に属しているお寺になります。

群馬県邑楽郡邑楽町にありました。
国道122号線の「石打」という交差点が目印になります。
周辺には看板が出ています。
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最寄り駅は、東武伊勢崎線「篠塚駅」になります。
徒歩では、かなりかかりそうです。

駐車場は、境内の右側と入口前にありました。
自動車は、かなりの台数が停められそうです。


こちらのお寺の由緒は、次の通りです(由緒書きより)。
「曹洞宗月音山明言寺の本尊は千手観世音菩薩です。
千手観世音菩薩は、また、子年生まれの方の守り本尊でもあります。
明言寺は元久元年(1204)天台宗の寺院として創建されましたが、その後天正二年(1574)曹洞宗寺院として再興されました。
当山の別称である『こぶ観音』は、観音のあらたかな霊験を説く『子生観音』と『瘤観音』の二つの説話に由来するものであります。」


入口になります。
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入口の右側には、案内板がありました。
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入り口を入ると、左側には地蔵菩薩等の諸佛が祀られています。
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参道を進みます。
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参道の右側には公民館がありました。
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また、参道の左側にはお土産屋さんがありました。
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「ぐんまちゃんもなか」がありましたが、どんな感じなんでしょうか?
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次回参拝したときには、食べてみたいです。

山門になります。
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それほど大きくはありません。

山門に掲げられていた扁額になります。
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手水舎になります。
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茅葺きの屋根になり、趣きがありました。

こちらが本堂になります。
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本堂に掲げられていた扁額になります。
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「大悲殿」とは「観世音菩薩がいらっしゃる場所」という意味になります。

境内には、参拝者もいらっしゃり、地域の方々に愛されている寺院だと思われます。

こちらが内部です。
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荘厳な感じです。

本堂の後方には「奥の院」がありました。
ご本尊の千手観音が祀られているのは、本堂ではなく「奥の院」だそうです。

本堂の左側には「仏殿」でありました。
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曹洞宗としての本尊「釈迦如来」、曹洞宗開祖であり吉祥山永平寺開山住職「道元禅師」、諸嶽山総持寺開山住職「瑩山禅師」が祀られています。

仏殿に掲げられていた扁額です。
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「慈眼堂」になります。
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馬頭観音・如意輪観音・聖観音・二十二夜塔・十世祥山泰瑞和尚の供養塔があり、目の病気にご利益があり、参詣人が絶えないといいます。続きを読む

栄昌山 善宗寺(群馬県太田市)5

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群馬県太田市にある「栄昌山 善宗寺」に参拝してきました。
曹洞宗のお寺になります。

太田市の北部、栃木県足利市に近い所にありました。

国道50号線の「原宿」という交差点を北へ行き、一つ目の信号を西へ行くと「赤い旗」が目印になります。

近くには、渡良瀬川が流れており、太田市と栃木県足利市の県境に架かる「葉鹿橋」がありました。
また、道路を挟んで反対側には、雷電神社が鎮座していました。

最寄り駅は、JR両毛線「小俣駅」になります。
徒歩では、かなりかかりそうです。

駐車場は、入り口の横にありました。
自動車は、10台位は停められそうです。

お寺は、太田市の中心部からかなり外れており、桐生市や栃木県足利市にも近くいので、周囲は長閑な感じもします。

こちらのお寺は、元禄十二年(1699年)に同市内にある「祥寿山 曹源寺」の住職の隠居寺として創建されました。
詳細は不明です。
創建の経緯からして住職の無住の時代もあったそうで、その時は地域住民の集会所となっていたそうです。

かつては「原宿の寺」とも呼ばれていたこともあるようです。

駐車場に車を停めて、参拝です。

こちらが入り口になります。
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山門はなく、門柱がありだけでした。
上州七福神の赤い旗が目立ちます。

入口を入りると左側には、江戸時代造立の庚申塔、観世音菩薩、二十二夜塔、地蔵菩薩等が祀られていました。
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右側には、六地蔵がいらっしゃいました。
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ひっそりといらっしゃいました。

また、正面には本堂がありました。
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本尊である「阿弥陀如来」、「大黒天」が祀られています。
阿弥陀如来は、東上州新田秩父三十四観音霊場の札所本尊になります。

また、大黒天は上州七福神の一尊になります。
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一期一会と刻まれており、福々しい大黒様が彫られていました。
ないなか良いです。

本堂の左側には「弁天堂」がありました。
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「弁財天」が祀られています。
また、薬師如来と地蔵菩薩が祀られている祠もありました。続きを読む
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