神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

2015年02月

板倉雷電神社(群馬県板倉町)5

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群馬県板倉町に鎮座する板倉雷電神社神社に参拝してきました。

板倉町には、高鳥天満宮も鎮座しています。

駐車場はありました。



こちらの神社の由緒は、次の通りです。
「神社の歴史は古く、1400年をさかのぼります。
主な御祭神は、天地に轟き、火と水の大いなる働きをつかさどりたもう、火雷大神・大雷大神・別雷大神です。
また、併せて、学問の神、管原道真公がおまつりされております。推古天皇の御代、聖徳太子が天の神の声を聞いて、伊奈良の沼に浮かぶ小島に祠を設け、天の神をお祀りしたのが最初とされています。」


こちらが一の鳥居です。
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参道を進んでいきます。

二の鳥居になります。
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手水舎です。
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手と口を漱いで参拝です。

こちらの神社は、雷電神社の本宮にあたる神社です。
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石標がありました。

こちらが社殿になります。
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(´人`)

こちらが本殿になります。
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境内には蝋梅(ろうばい)が咲いてました。
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とても綺麗です。甘酸っぱい香りが漂っていました。

つつじの館林七福神の「福禄寿」になります。
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(´人`)

奥宮になります。
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祭神は伊邪那美大神だそうです。
雷電神社なのに何故でしょうか?

こちらが、八幡宮稲荷神社です。
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八幡宮と稲荷神社が一緒の社殿に…

他にも境内社がありました。
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左から稲荷神社、金刀比羅神社、天満宮になります。
天満宮が鎮座していますので、受験生には頑張って欲しいです。

御朱印は、社殿の右側にある授与所で頂けました。
御朱印代は300円です。

御札や御守りといった授与品はありました。
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オリジナル御朱印帳もありました。
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大きさは11cm×16cmになります。



神社名:板倉雷電神社
鎮座地:群馬県邑楽郡板倉町板倉2334番地
祭 神:火雷大神 大雷大神 別雷大神
社格等:旧郷社
札所等:つつじの館林七福神 福禄寿

十番稲荷神社(東京都港区麻布十番)5

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東京都港区に鎮座する「十番稲荷神社」に参拝してきました。
最寄り駅は、都営大江戸線・東京メトロ南北線「麻布十番駅」になります。
麻布十番駅7番出口を出て、右側に神社はありました。


こちらの神社の由緒は、次の通りです。
「十番稲荷神社は、もと末広神社(旧坂下町鎮座)および竹長稲荷神社(旧永坂町鎮座)です。両神社は、昭和20年4月15日に戦災に遭い焼失、昭和25年6月復興土地区画整理により、両社境内地を現在地に換地、隣接指定されました。その後両社は合併して社名を十番稲荷神社と改称し、平成9年3月29日、現社殿に建て替えられました。

<末広神社由緒>
慶長年間(1596〜1615年)に創建され、元禄4年(1691年)には坂下東方雑式に鎮座していましたが、同6年永井伊賀守道敏が寺社奉行の時、坂下町41の社域に遷座されました。往古より境内に多数の柳樹があ
り、「青柳稲荷」と称されていましたが、後にその中の一樹の枝が繁茂して、扇の形をしていたことから「末広の柳」とよばれるようになり、社名に冠されて末広稲荷と称されました。その後、明治20年4月に末広神社と改称されました。

<竹長稲荷神社由緒>(たけちょういなりじんじゃ)
創建は定かではありませんが、一説には和銅5年(712年)とも、弘仁13年(822年)に慈覚大師の八咫の神鏡を以て武蔵国豊島群竹千代丘(今の鳥居坂上)へ稲荷大神を勧請したとも伝えられています。延喜式内社の稗田神社と目されており、少なくとも10世紀初頭には鎮座していた古社と考えられます。その後、弘安2年(1279年)に鳥羽氏が社殿を再建、そして寛永元年(1624年)3月に永坂町に遷座されました。」

麻布十番にありました。
大通りに面しています。

御朱印は、授与所で頂きました。





神社名:十番稲荷神社
鎮座地:東京都港区麻布十番一丁目4‐6
祭 神:倉稲魂命 日本武尊 市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命
旧社格:式内社
札所等:港七福神 宝船

花粉症対策1

花粉症の季節になりました。
弱りますね。

以前に耳鼻咽喉科のお医者さんに行って、アレルギーの検査をして頂きました。
杉花粉とハウスダストが原因だそうです。

とりあえず、耳鼻咽喉科のお医者さんに行き、お薬を頂いた方が楽になりますね。
ただ、眠気を催しますので困ります。

ウェットティッシュを鼻に入れて、綺麗にするのも良いですね。

皆さん、お気をつけ下さい。

前橋東照宮(群馬県前橋市大手町)5

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群馬県前橋市の中心部に鎮座する「前橋東照宮」に参拝してきました。

群馬県知事公邸・前橋公園の隣にあり、群馬県庁からも近くになります。
橋のたもとにあるといった感じでした。

駐車場は、社殿の右側にありました。
自動車は、十数台位は停められそうです。

最寄り駅はJR両毛線「前橋駅」、上毛電気鉄道「中央前橋駅」になります。
徒歩では少々かかりそうです。

こちらの神社の由緒は、次の通りです。
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「酒井氏にかわって前橋城主となった松平氏(従四位待従大和守と称す)は、その起源を遠く清和源氏の嫡流源義家の子新田義重より発する徳川家の一門であり、御祭神家康公のニ男結城秀康から岐れた家系である。
東照宮の創立は、結城秀康の四男直基が松平姓を賜わり越前勝山城主に任ぜられた寛永元年六月六日に祖父である家康公の遺徳を敬慕して祭祀したのに始まる。
以来、松平氏は幕府の命令により寛永元年越前勝山(三万石)より、寛永十年越前大野(五万石)、正保元年出羽山形(十万石)、慶安元年播州姫路(十五万石)、天和二年豊後日田(七万石)、貞享三年再び出羽山形(十万石)、元禄五年奥州白河(十五万石)、寛保元年三たび播州姫路(十五万石)、寛延二年上州前橋(十五万石)、明和五年武州川越(十五万石)、慶応元年再び上州前橋(十七万石)へと二百四十余年間に実に十三回にも及ぶ移封に遇ったが、そのたびごとに東照宮を城地に奉遷して藩主はもとより藩士、領民に到るまで崇敬の誠を奉げた。
即ち、享保二十年には藩主より社領として二百石が寄進され、社殿の造営は屢々の移遷のこともあって、慶安元年、寛文七年、元禄五年、同十年、宝暦四年、安永六年、嘉永八年の七回をかぞえ、現在の社殿は嘉永八年に武州川越において樹齢千年を超える一本の欅の巨木によって建造されたものと伝えられ、その用材は実に見事であり、本殿の彫刻は江戸の有名な彫師島村源蔵の作として知られている。
明治以降は、旧前橋藩士居住区域七々町三千戸の鎮守として崇敬をあつめてきたが、昭和四年四月に県社に列せられた。
配祀の天満宮は慶長六年、酒井重忠(慶長年間の厩橋城主)が厩橋城に入城したとき、祭祀したのに始まり、その後酒井家の興隆が著しかったので俗に酒井の開運天神と称され、酒井氏累代の崇敬が極めて厚く、酒井氏移封の後は養行寺の所管となっていたものを明治四年四月二十三日に合祀したものである。
長壁神社は古くは姫道刑部大神と称し、播磨の国の式内社であったものを寛延二年、松平朝矩(松平家五代の藩主)が姫路城より奉遷して前橋城の未申の方、霞堀の畔に祭祀していたが、明治三十一年一月二十一日に官令により合祀したものである。 」


すぐそばには利根川が流れています。
また、群馬県知事の元?公舎がお隣にありました。ずいぶん立派です。大沢知事は…

鳥居になります。
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社号標になります。
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鳥居をくぐると左側には手水舎がありました。
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手と口を漱いで参拝です。

境内は、狭いくらいです。

こちらが自動車安全祈祷殿です。
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こちらで自動車のお祓いができます。

こちらが社殿になります。
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主祭神は「徳川家康公」になります。

(´人`)

狛犬になります。
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こちらが本殿になります。
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よく見えないなぁ…
「長壁神社」も合祀されています。

駐車場の北側には「厩橋護国神社」が鎮座していました。
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西南の役から太平洋戦争に至るまでの前橋市出身の英霊二千三百四十六柱を奉祀しているそうです。

本殿の裏側には「営築稲荷神社」が鎮座していました。
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文久三年(1863)、前橋城再築にあたり工事の安全を祈願するため松平直克(松平家11代の藩主)が勧請した神社になります。祭神は宇迦之御魂神になり、御神徳は商売繁盛、工事安全だそうです。

こちらが社務所になります。
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こちらで御朱印が頂けます。
御守りや御神札といった授与品はありました。





神社データ
神社名:前橋東照宮
鎮座地:群馬県前橋市大手町三丁目13‐19
祭 神:徳川家康公
配祀神:菅原道真公 木花咲耶姫 長壁様
社格等:旧県社

大珠山 是字寺 龍海院(群馬県前橋市紅雲町)5

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群馬県前橋市にある「大珠山 是字寺 龍海院」に参拝してきました。

前橋市ね中心部、群馬県庁の少し南にありました。

最寄り駅は、JR両毛線「前橋駅」になります。 

駐車場は入り口を入り、山門に至るまでの両サイドにありました。
自動車は、10台以上は停められそうです。

その駐車場には仁王像が一対ありました。
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こちらのお寺の由緒は、次の通りです(上毛新聞社刊『ぐんまのお寺曹洞宗』より抜粋)。
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「言い伝えでは、徳川家康の祖父で岡崎城主の松平清康が二十歳の時、『是』の字を左手に握った夢を見て、龍渓院の漠外惟俊和尚にその意味を訪ねたところ『この字は日下人に分けられ、これを握るということは、戦国の分裂の世を統一する前兆てある。あなたの代に実現しなくとも孫の代までに実現する。』といわれた。喜んだ清康は、岡崎城下に一寺を建て、漠外和尚を開山とし、満珠山是字寺龍海院と名付けた。享禄三年(1530)元日のことである。
また、『上野国郡村誌』には『岡崎城外に妙音寺村あり。村西半々山あり。山中に清淵あり、龍淵と名づく。享禄年中城主松平清康ここに清舎を建て、龍海院と号し、漠外を以って開山となす』とある。
ところが、徳川氏には大樹寺という菩提寺があったことから、家老の酒井正親に守護を銘じた。以後、龍海院は酒井氏の菩提寺となった。
(中略)
明治年間には曹洞宗堂林が置かれ、僧の修行道場として多くの僧侶を養成した。また龍海院の鐘の音は、是字寺晩鐘として前橋十景の一つに数えられた。
『寺院明細帳』によれば、三河国渥美郡大久保村長興寺末とある。
(後略)」


こちらのお寺は、大通りには面していないので分かりづらいところにありました。
一方通行が多いですので、自動車で行かれる方は気を付けてください。

こちらが入り口になります。
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山門は、とても大きいです。
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向かって右側には「毘沙門天」
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左側には「増長天」が祀られています。
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彩色をされており、立派でした。

寺号の扁額が掲げられていました。
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山門の両側には、石造聖観音像や童子像もありました。
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本堂になります。
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入母屋造となり、大名の菩提寺だけあって、とても立派でした。
さすが大名の菩提寺だけあります。

大雄殿という扁額が掲げられていました。
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本堂横には石造聖観音立像がいらっしゃいました。
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(´人`)

良寛上人様です。
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童子六地蔵がいらっしゃいました。
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境内は綺麗に整備されています。
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こちらは鐘楼堂になります。
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こちらは、江戸時代中期まで前橋城主を務めた「酒井雅楽頭家」の菩提寺になります。
境内の南側には墓地がありました。
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その中に江戸幕府大老であり、小説や時代劇でも有名な「酒井雅楽頭忠清
」のお墓があります。
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歴代の酒井家の当主のお墓です。
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御朱印は、本堂の右側にある「寺務所」で頂けました。
山号が「大珠山」なのに「大珠寺」と間違っています。
御朱印代は受け取って頂けませんでした。

由緒書きはありました。
頂きたい旨を告げれば頂けます。





寺院データ
寺院名:大珠山 是字寺 龍海院
所在地:群馬県前橋市紅雲町二丁目8‐15
宗 派:曹洞宗
本 尊:釈迦三尊
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