神社仏閣史跡巡り

日本のまほろばを探して、社寺散策をしています。 社寺散策の日記を中心にいろんなブログを書きます。

2014年07月

狭山八幡神社(埼玉県狭山市)5

a70a828f.jpg

埼玉県狭山市に鎮座する「狭山八幡神社」に参拝してきました。
旧村社になります。

「入間川総鎮守」になる神社です。

最寄り駅は、西武新宿線「狭山市駅」になります。
駅から神社まで徒歩で約十分位だと思われます。

駐車場は、境内の左側にありました。
鳥居の左側の道を上がっていってください。
自動車は、十数台位は停めらそうです。


こちらの神社の由緒は、次の通りです(神社のホームページから)。
「九州宇佐八幡宮を本社とする全国八幡宮の一社。
創建は、社宝『砂破利のつぼ』の推定年代から、室町時代初期とされている。
源氏一族の保護により、武門の神として隆盛をみて後世、新田義貞の信仰厚く一時『新田の八幡宮』と称されたこともある。
今日では応神天皇としてその母、神功皇后の事績により文化興隆の神として文武に志す人々に、崇敬の念が厚く、さらに母と子の情愛が母子神の信仰を生み、安産から初宮詣、そして子育てへのご神徳を仰ぎ、また、新田義貞が合戦に向けて当社で戦勝祈願をし、見事勝利を治めたところから文武・必勝の神として市民に親しまれている。」


鳥居です。
6a44fddf.jpg

階段を上がっていくと、境内にでます。

小高い丘の上にあるといった感じです。

手水舎です。
7562fa7f.jpg

こちらが社殿になります。
39614708.jpg

なかなか立派な社殿です。
応神天皇が祀られています。

こちらの神社は、鎌倉時代には源氏からの崇敬が篤かったそうです。
その中でも新田義貞からも崇敬をされており、一時期「新田の八幡宮」とも呼ばれていたそうです。
しかし、新田氏は上州(今の群馬県)に領地があったのに、この狭山の地にも所縁の神社があるんですね。

境内には、八雲神社や大鷲神社等の境内社がありました。
b57fae11.jpg

社殿の右側には「狭山東武サロン」というビルがあり、結婚式場や宴会場として利用できるようです。
喫茶室もありましたが、残念ながら参拝した時は営業はしておりませんでした。

御朱印は、社殿の右側にあり「狭山東武サロン」内の「受付」に声をかけて頂けました。
御朱印代は、300円でした。

御朱印を待っている間、サロン内にはお宮参りのご家族が複数いらっしゃいました。

由緒書きは、ありました。

御守りや御札といった授与品は、ありました。





神社データ
神社名:狭山八幡神社
鎮座地:埼玉県狭山市入間川3丁目6‐14
祭 神:応仁天皇
相 殿:天照皇大御神 春日大神
社格等:旧村社
社 殿:入母屋造

下谷神社(東京都台東区)5

fa6cd2d6.jpg

東京都台東区に鎮座する「下谷神社」に参拝してきました

神社周辺の地名は、現在は「東上野」ですが、以前は下谷神社の旧称「下谷稲荷神社」をとって「稲荷町」呼ばれていました。
現在は、東京メトロ銀座線の駅名「稲荷町駅」として名前を残すだけです。

最寄り駅は、東京メトロ銀座線「稲荷町駅」になります。
徒歩で数分歩いたところにありました。
「浅草通り」沿いに大きな朱色の鳥居がありますので、わかりやすいかもしれません。


こちらの神社の由緒は、次の通りです(神社のホームページより)。
「大年神は天照皇大神の御弟素盞雄尊の御子で五穀を主宰し厚く産業を守護し給い、倉稲魂命共にひろく『お稲荷様』として祭られている神様であります。
日本武尊は第12代景行天皇の皇子で智仁勇を兼備え諸国を平定して御恩威を四方に輝かされました。
当神社は、人皇第45代聖武天皇の御代天平2年(西暦730年)に峡田の稲置らが、大年神・日本武尊の御神徳を崇め奉って上野忍ヶ岡の地にこの二神をお祀したのが創めであると伝えられて居ります。
第61代朱雀天皇の天慶3年田原藤太秀郷が相馬に向うとき当神社に参籠して朝敵平将門追討の祈願をなし、その平定の後報恩のため社殿を新に造営しました。降つて寛永4年寛永寺を建立するに当り、社地を上野山下に移されましたが狭いので延宝8年更に広徳寺門前町に替地して社殿を造営しました。当神社は昔か『「正一位下谷稲荷社』と称し奉られていたので、この時からこの町を稲荷町というようになりました。
明治5年に神社名を『下谷神社』と改め、翌6年郷社に昇格いたしました。
大正12年大震災のため、社殿を悉く焼失しましたのでとりあえず仮社殿に遷座しましたが昭和3年土地区画整理により改めて社地を現在の所に定め、同6年社殿造営の工事を起し同9年完成し本遷座し奉りました。
その後東京は御承知のように戦争の災禍に遭いましたが、当神社は御祭神の偉大な御
神徳により、奇しくも御神体御宝物はもとより、社殿全建物に聊かの損害もなく、平成5年には社殿屋根の修復、平成10年には床の補修工事を終えその荘厳さを保ちつつ現在に至っております。
尚、当神社は寛政10年(西暦1798年)に江戸で初めて寄席が行われた由縁の地で、境内には『寄席発祥の地』の石碑が建立されております。」


こちらが鳥居になります。
c0e923c9.jpg

二の鳥居です。
7e93312d.jpg

門標です。
462bad03.jpg

なかなか誇らしげにたっています。

社殿です。
8077ffcf.jpg

なかなか立派な社殿です。
大年神」が祭神として祀られているます。

拝殿の天井には、横山大観作の龍が描かれていますが、見られませんでした続きを読む

和順山 法真寺(東京都文京区本郷五丁目)5

4e0c3c52.jpg

東京都文京区にある「和順山 歓喜院 法真寺」というお寺に参拝してきました。
浄土宗のお寺になります。

最寄り駅は、東京メトロ南北線「東大前駅」、もしくは都営大江戸線「本郷三丁目駅」になります。


こちらのお寺の由緒は、次の通りです(お寺のホームページより)。
「当山は、和順山歓喜院法真寺といい、慶長元年(1596年)に京都知恩院より、寺号を附与されている。
家康公御台所の天野図書(法真寺殿歓譽西喜大禅定門 寛永十年五月二十日寂)が、同家下屋敷を寄進し、寺の開基となる。この時の開山上人が、伝通院から来た栄誉泉良和尚という人であった。
天保九年一月十六日に類焼し、現在の本堂は天保十年四月二十九日に上棟したものである。幸いなことに仏様は無事であった。関東大震災や第二次大戦ではいずれも被害を免れた。」

五千円札の描かれている「樋口一葉」所縁のお寺だそうです。
お寺の東隣に樋口一家が引っ越してきて、お寺の境内で若き日の一葉が遊んでいたそうです。


東京大学本郷キャンパスの「赤門」近く、本郷通り沿いにお寺はありました。
d6a4f555.jpg

本郷通りを挟んで、入口がありました。
893b9652.jpg

赤門の近くだけあって赤い文字なのかな・・・

特に山門はありませんでした。

こちらが「本堂」になります。
d1bdd8a7.jpg

質素な本堂です。
浄土宗なので「阿弥陀如来」が祀られています。
院号の所縁となった歓喜天も祀られているようです。
閻魔大王も祀られているそうですが、拝観はできるのかな?

境内はさほど広くはありません。

境内にある仏像群。
4b746119.jpg

無縁仏かな?
どうなんでしょう?続きを読む

小網神社(東京都中央区)5

7cf7e2cd.jpg

東京都中央区日本橋小網町に鎮座する「小網神社」に参拝してきました。

最寄り駅は、東京メトロ日比谷線・都営浅草線「人形町駅」になります。
A2出口より出て、徒歩で5分位の所にありました。

日本橋小学校の近くにあり、参拝したときは平日でだったので、児童の賑やかな声が聞こえました。

こちらの神社は、ビルの谷間にあるといった感じの神社になります。

提灯です。
8b995b9a.jpg

小網神社の説明板です。
f808c760.jpg

「当神社は、伊勢神宮を本宗として、文正元年(1466)今より約五五○年ほど前に、商売繁盛、疫病鎮静の神として鎮座した。
初めは、小網山稲荷院万福寿寺を別当寺とした稲荷神社であった。その後昭和初期までは、小網稲荷神社と号し、江戸時代から稲荷堀稲荷(とうかんぼりいなり)とも称されていた。
その後太田道灌は、当社への崇敬篤く、時折参拝し、社地を奉じ、社殿を造営したといわれる。社名も公の命名によると伝えられる。
さて、戦時下では、当社の「強運厄除守」を奉戴した者の多くが、戦地より無事帰還したことから、都内は勿論、各地より強運厄除の御神徳を戴き、自らの運を強め、豊かで明るい生活を求める参拝者で賑わう。」

やはり古社です。

こちらのお寺は、太平洋戦争の時、この神社の御守りを持って出陣した氏子の兵士達が全員帰還したという逸話があり、「強運厄除」の御神徳がある神社になります。

境内は、とても狭いですが、「強運」の神社だけあり、とても良い雰囲気です。
075c43c3.jpg

社殿の向拝に施されている「昇り龍」と「降り龍」の彫刻は、とても素晴らしいです。続きを読む

三ヶ尻八幡神社(埼玉県熊谷市)5

cf08b587.jpg

埼玉県熊谷市に鎮座する「三ヶ尻八幡神社」に参拝してきました。

熊谷市の南西部、深谷市に近いところに神社は鎮座していました。

お隣は、太平洋セメントの熊谷工場になり、工場萌えには楽しめそうな場所でした。

最寄り駅は、JR高崎線「籠原駅」になります。
徒歩では、かなりかかりそうです。

駐車場は、二の鳥居の右側にある三ヶ尻靖国社の前にあるスペースに停められそうです。
自動車は、10台以上は停められそうです。


こちらの神社の由緒は以下の通りです(由緒書きより)。
「天喜四年(1056)鎮守府将軍源頼義・義家父子、奥州の騒乱を鎮定に出陣の砌、当地に旌旗をとどめ、戦勝を祈願したことに始まります。
寿永二年(1183)後の征夷大将軍源頼朝、当時の三ヶ尻郷を相模国鶴岡八幡御領として寄進されてより、当社は同宮の分祠として、近郷近在の尊崇を集めた。
尚、当社は神社には珍しく、御祭神が東北地方に面して鎮座しています。
奥州に再び争いが起きないよう祈られたのでしょう。」

参拝したのは4月14日で、翌15日は例大祭になり、氏子さん達が境内を掃除しているのに出くわしました。
ちょっと写真が・・・

道路沿いに鳥居がありました。
a03d686d.jpg

社標です。
4ef08db5.jpg

参道を進みます。
fc1d0e15.jpg

こちらが二の鳥居です。
2990b952.jpg

木造の鳥居でしょか?
なかなか趣があります。

先に進むと三の鳥居があります。
aa8bf4b2.jpg

境内に入ると、左側に手水舎がありました。
c237df88.jpg

先に進みます。続きを読む
記事検索
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
Amazonライブリンク
livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード
カテゴリ別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ブログトピックス
メッセージ
J-CASTニュース
  • ライブドアブログ